幕間: 曹操クンは胃が痛い
曹操視点のお話です。
建安4年(199年)9月 豫州 許都
くそう、孫策のやつめ、今度は劉勲を打ち破って、廬江を制圧したときた。
あやつ、少し調子に乗りすぎではないか?
儂がこんなに苦労しておるというのに。
思えば反董卓連合が瓦解してから、いろいろあった。
初平2年(191年)、賊軍に襲われていた兗州の東郡に招かれ、太守に取り立てられたのは幸いだった。
その翌年には賊軍を散々に打ち破り、兗州牧に就任して青州兵を手に入れた辺りまでは、望外の幸運だったといってよいだろう。
しかし初平4年(193年)には、袁紹の指示で袁術と戦ったり、徐州に陶謙を攻めたりと大忙しだ。
徐州では兵の統制が利かず、虐殺を招いてしまったのは、苦い思い出である。
儂もあそこまでやるつもりはなかったというのに、集団意識というのは恐ろしいものだ。
しかし真の災厄はその後にやってきた。
儂が前線で苦労している間に、なんと張邈と陳宮が、叛旗をひるがえしおったのだ。
まさか張邈に裏切られるとは、思いもしなかった。
数少ない親友だと思って、留守を任せていたというのに。
それがこともあろうに、儂に叛旗をひるがえし、州牧として呂布を迎え入れてしまったのだ。
州内の大部分が、それに呼応したのも痛かった。
幸いにも本拠の鄄城だけは荀彧と程昱が確保してくれていたので、儂は急ぎ徐州から兵を返した。
その後(194年)は濮陽で呂布と死闘を繰り広げ、翌年になってようやく兗州を取り返すことができたのだ。
それにしても、張邈に背かれた時の、あの悔しさときたらもう。
腸が煮えくり返る思いであったわ。
そして辛く、苦しい戦いであった。
しかし運命の建安元年(196年)。
なんと天子が、長安から洛陽へ逃げてきたのだ。
どうも董卓の死後、配下たちが仲間割れをした結果らしい。
儂はすぐさま天子へ遣いを出し、なんとか彼を許に迎え入れることに成功したのだ。
おかげで儂は大将軍に昇進し、武平候に封ぜられた。
しかしこれにへそを曲げたのが、袁紹だ。
せっかく天子が太尉の位を授けようと言うのに、奴は儂の下に就くことを良しとせず、受け入れなかったのだ。
やむなく儂は、大将軍の座を袁紹に譲り、改めて車騎将軍となった。
しかしその後も袁紹は儂を逆恨みし、関係は悪化していった。
それから翌年(197年)には、南陽の張繍を攻めたのだが、不覚にも敗北してしまう。
しかも儂は長男を失い、自身も傷を負うという体たらくだった。
悔やんでも悔やみきれぬ失態よ。
しかし儂は見事に立ち直り、また采配を振るった。
それも袁術の阿呆が皇帝を僭称し、陳国に攻めこんできたためだ。
儂は自ら軍を率いてこれに向かい、さんざんに打ち破ってやったわい。
すると袁術のやつ、淮水の向こうまで逃げていきおった。
その後も張繍が劉表と手を組み、儂に歯向かってきたりした。
もちろん儂は受けて立ったが、一時は補給路を絶たれそうになったりと、苦しい場面もあった。
しかしなんとかそれも打ち破り、建安3年(198年)の夏には許へ帰還したのだ。
すると今度は、呂布が袁術と組んで徐州に攻めてきおった。
やむなく再び軍を率いて、さんざんに打ち破ってやると、呂布の奴は城に閉じこもってしまう。
しかしそれも荀攸・郭嘉の策で水攻めにし、見事に呂布と陳宮を捕らえてやったわ。
かくして、何度も主君を裏切ってきた豪傑も、ここに一巻の終わりとなる。
まったく、最後まで厄介な奴であったわ。
こうして中原の大部分を平定して、今に至るわけだが、まだまだ儂の悩みは尽きぬ。
なにしろ儂が苦労している間に、北では袁紹が4州を平定し、南では孫策が江東をほぼ手中にしたのだ。
特に袁紹は、次は儂の番だとばかりに、南下の姿勢を見せておる。
おそらく奴との決戦は避けられまい。
しかしそうなると、背後は固めておかねばならぬ。
そこで儂は、頼もしい軍師である郭嘉に相談してみた。
「のう、郭嘉よ。孫策が揚州をほぼ平定し、廬江の劉勲を打ち負かしたと言ってきた。とりあえず奴には将軍位を与え、姻戚関係を結ぼうと思うが、おぬしはどう思う?」
「それでよろしいかと、我が君。たしかにいくらか強大になりつつありますが、それほどの脅威とはならないでしょう」
「ふ~む、本当にそうであれば、よいのだがのう。しかし今後、儂が袁紹との決戦にのぞめば、背中を刺されるようなことにはならんか?」
すると郭嘉は冷徹な微笑を浮かべながら、自身の見解を述べる。
「いえ。それがしの見るところ、孫策も江東を平定したばかりで、情勢は安定しておりません。しかも孫策といえば、あの孫堅の息子。戦は強いかもしれませんが、敵ばかり作っているわりに、脇が甘いと聞きます。それがしの見立てでは、いずれ刺客の手に落ちるでしょう」
「ほう……そうなのか? ふむ、郭嘉がそう言うのであれば、おそらくそうなのであろう。それであれば、儂は目前の戦いに集中するとしよう」
「はい、それが一番よいかと」
彼がそうまで言うのならば、おそらくなんらかの手を打っているのであろう。
マジで刺客とか手配しておるのか?
まあ良い。
そんなことよりも、袁紹との決戦に備えよう。
おそらく奴を倒せば、今よりはよほど楽になるはずだ。
なんといってもひと昔前は、周り中すべて敵だらけだったからな。
気の休まる暇なぞ、ほとんどなかったわい。
この機会になんとしても、袁紹をぶっ殺してやるのだ。
んむう?
アタタタタ、またもや胃の腑に差しこみが……
儂の体、大丈夫なんじゃろうか?
できればこんな生活、早く抜け出したいものよ。
ていうか、誰か代わってくれんかのう……
以上、曹操側の事情や思いを書いてみました。
こんな生活してたら、胃潰瘍になっててもおかしくないと思い、少し作りました。
実際に、ひどい偏頭痛もちではあったらしいです。
ちなみに郭嘉が孫策の暗殺を予言したというのも正史に残ってますが、それこそ作ったんじゃないの?って感じですね。