17.孫呉の生き残り戦略
建安3年(198年)1月 丹陽郡 秣稜
無事に周瑜が戻ってきてくれたので、俺は改めて主要人物を集め、戦略を練ることにした。
文官からは張紘、張昭、秦松、周瑜、魯粛、陸遜が。
武官からは呉景、孫賁、黄蓋、程普、太史慈、朱治、呂範、孫河などを呼び集めた。
「今日はこれから、俺たち孫軍団がどう動いていくべきか、議論したいと思う」
するとさっそく、魯粛から建設的な提案がなされる。
「それにはまず、我らが今、どのような状況下にあるかを、把握するべきではないでしょうか?」
「うん、それはもっともだ。せっかくだから、魯粛から現状を説明してもらえるか?」
魯粛は鷹揚にうなずくと、軽く咳払いをしてから説明を始めた。
「コホン……それでは僭越ながら、私の知る揚州情勢を説明させていただきます。まずはこの地図をご覧ください」
そう言いながら彼は、1メーター四方ほどの木板に描いた地図を、壁面に掲げる。
それは非常に大雑把なものだが、揚州の地理を把握するには十分なものであり、俺が以前から彼に頼んでおいたものだ。
「ご存知のように、我らは丹陽、呉、会稽の3郡を、ほぼ掌握しつつあります。それに対し九江、廬江は袁術の勢力下に。また徐州の広陵郡は、おおむね呂布が支配していますが、一部に袁術の手が入っております。そうですよね? 呉景どの」
「うむ。とはいえ、袁術が押さえているのは、九江郡よりの沿岸部だけだがな」
呉景が軽く補足すると、魯粛はさらに先を続ける。
「その一方で、豫章郡は華歆の下で、一応の平静を保っています。元々、華歆は中立でしたが、孫策さまが正式な官職をいただいた今では、同僚となります。そのため現状では、積極的な働きかけはしておりません」
すると孫賁が、ぶっきらぼうに問いかける。
「でも、いずれは取るんだろ?」
「ああ、江東はしっかりと押さえないと、後が不安だからな。ま、現状は華歆に預けてあるってところだ」
「ならいい」
俺の答えに孫賁があっさりと引き下がると、魯粛がまた続ける。
「さらに揚州を取り巻く状況としては、西には劉表がおり、荊州の支配を固めています。しかし劉表も曹操や袁術と争っているので、当面の脅威にはならないでしょう」
「ふむ、南は?」
俺の問いに、魯粛は淡々と答える。
「はい、南の交州には、士燮どのが君臨しております。どうやら南海との交易で、かなり潤っているようですが、人口が少ないので、軍事的な脅威にはなりにくいかと」
「うん、そうだな。だけど南海交易は、金のなる木だ。いずれはなんらかの形で、食いこみたいと思ってる」
「ええ、私もそう思います」
すると周瑜が問いを放つ。
「周辺はそれでいいとして、その先はどうなっていますか? 特に中原の状況が知りたいですね」
「はい。まずは兗州の曹操ですが、ご存じのように天子さまを擁する一大勢力にのし上がりました。しかし北には袁紹、西に張繍、南に袁術、東に呂布と、四方に敵を抱えており、頭の痛い状態なのは変わりません」
「ふむ、それは苦しそうだ。しかし俺に将軍職を与えてくれた勢力だ。そう簡単に崩れてほしくはないな」
俺がそう言えば、魯粛も苦笑しながら答える。
「はい。しかしまあ、曹操は屈強な兵を多数抱えているので、そう簡単に崩れることはないでしょう。現状、袁紹は公孫瓚と戦っている最中ですし、呂布も足元が固まっていません。袁術は我々とも敵対していますし、張繍にはさほどの兵力はないと聞きます」
「劉璋はどうなんだ?」
「劉璋と言われると、益州の牧どのですな……今のところ、動く様子は見られず、影響は少ないかと。何か気になることがおありですか?」
「いや、動いてないのなら、別にいい」
どうやら史実どおり、劉璋は動いていないようだ。
まあ、ここで動けるようなら、劉備に救援を要請したりしないわな。
その後、長安周辺の小競り合いについて説明が終わると、俺は改めて課題を出す。
「さて、おおまかな情勢は、これで分かったと思う。そのうえで今後、何が起こるか。そして俺たちはどう動くべきか、意見を聞きたい」
しばし沈黙が流れたが、周瑜が先陣を切った。
「それじゃあ、私から。まず袁術と呂布だけど、今のままでは長くないだろうね」
「ほう……その根拠は?」
「2勢力とも、行き当たりばったりで戦略性がないからね。おまけに袁術は皇帝を僭称してるし、呂布は裏切ってばかりだ。いずれどことも組めずに、自滅していくんじゃないかな」
「ハハハ、それは同感だ。しかしそれなら、袁術と呂布が組んだら?」
「それこそ寿命を縮めるだけだろうね」
苦笑しながら言う周瑜の言葉に、周囲もうなずいている。
さすがは周瑜。
しっかりと史実に近いことを言い当てている。
すると今度は陸遜が、口を開いた。
「そうなると中原は、曹操と袁紹の一騎打ちになる可能性が高いでしょうか」
「ああ、そうだな。曹操は天子さまを擁するし、袁紹も公孫瓚を平らげれば、広大な北方の領地を手に入れるだろう。それに対抗できる勢力が他にあるとは、思えないな」
「なるほど」
すると周瑜が、俺を試すように問う。
「フフフ、そうなると我々は、味方である曹操を援護するべきかな?」
「何いってんだよ。俺たちにそんな暇はねえだろ? あいつらが争ってる間に、こっちも領地を広げるんだよ」
俺がニヤリと笑いながら答えれば、周瑜もニヤリと笑う。
「見解が一致して、安心したよ。そう。我々も領地を広げて、中原に対抗できるようにしなければね」
周瑜がそう言って地図上で荊州を示せば、今度は魯粛が口を開く。
「さすがは孫策さまに、周瑜どのですな。私もその戦略に賛成です。もし荊州を押さえ、長江流域を我らの手で確保できれば、十分に中原にも対抗できるようになるでしょう」
「そのとおり。可能であれば、益州と交州も押さえたいな。そうすれば経済力でも、十分に対抗できるようになる」
「なんとまあ……」
「益州に、交州までだと……」
俺の言葉にほとんどの者が呆れた声を漏らすが、周瑜に魯粛、そして陸遜は違った。
彼らは一様に、我が意を得たりと、うなずいているのだ。
この長江流域を全て孫呉が押さえるという構想は、史実で周瑜と魯粛が唱えたと言われている。
だから2人が納得しているのは当然だが、陸遜までもその重要性に気づいたのはさすがとしか言いようがない。
すると周瑜の野郎が、いかにも感心したといった表情で、俺を持ち上げてきた。
「驚いたな。孫策がそこまで考えていたなんて。しばらく見ないうちに、ずいぶんと頼もしくなったね」
「抜かせ。いつまでも猪武者じゃねえんだよ」
俺と周瑜がじゃれていると、呂範が不思議そうに問うてくる。
「あの~、兄貴。荊州を取るのは分かるんすけど、益州や交州まで必要なんすか? あんまり手を広げすぎても、手が追いつかないと思うんすけど」
「ああ、普通はそう思うだろうな。だけど益州まで支配できれば、守るには都合がいいんだ。その辺は魯粛、説明してくれるか?」
「承りました。呂範さん。もし中原から江南に攻め込むとしたら、どうすると思いますか?」
「え? そんなの広すぎて、分かんないすよ」
あっさりと思考を放棄する呂範に、魯粛は首を横に振る。
そして彼は中国全土を大まかに示す地図を取り出し、ある点を指し示す。
「いえ、一見、広そうに見えますが、大兵力が展開できるのは、この襄陽付近しかないんですよ」
「そうなんすか? こっちだっていくらでも攻めこめそうだし、この辺もガラガラじゃないすか?」
そう言って呂範は益州と、揚州の北部を指し示す。
しかし魯粛は噛んで含めるように、説明していく。
「いえいえ、そうではないんですよ。まず益州の北部は、険しい山岳地帯ですので、侵入経路は非常に限られます。なのでこの漢中にそれなりの兵を置けば、十分に耐えられるのです。そしてこの揚州北部も、たくさんの河が流れる湿地帯です。なので騎兵などは使いにくいですし、優勢な水軍があれば、十分に対抗できます」
曹操に代表される中原の軍隊は、歩兵と騎兵の連携が最大の武器だ。
しかし湿地帯で騎兵は使いにくいし、長江周辺は水路が密集している。
おかげで優勢な水軍さえあれば、縦横に兵を動かせるわけで、その優位性は高い。
そんな事情を説明されると、呂範が感心したように言う。
「なるほど。そうだったんすか。俺、そういうのよく知らないから、勉強になったっす」
「フフフ、ほとんどの人はそんなものさ。私は孫策がそれを知っていたことの方が、よっぽど驚きだったね」
「ハッハッハ、言ってろ」
周瑜にからかわれても、俺は当然という顔をしていたが、内心はそのとおりだと思ってた。
前世の知識を持っているからこそ、俺も知ったかぶりができるが、この時代にこれだけの構想が描ける者が、何人いただろうか。
こんなこと、中国の地理によほど精通してない限り、言えっこない。
しかし現実に南宋が滅びたのは、モンゴル帝国に襄陽を抜かれてからだ。
それまで南宋は、長江や淮水を盾に何十年も粘ったのだから、江南てのはそれだけ守りやすい土地なんだろう。
もっとも、ただ守ってるだけでは、いずれ南宋のように滅ぼされてしまう可能性が高い。
そうならないためには、江南でしっかりと経済を回し、人も増やす必要があるのだ。
幸いにも俺には、優秀なブレーンが何人もいる。
ちゃんと彼らを使いこなせば、俺も生き残れるんじゃないかな。(願望)