幕間: それぞれの戦い
周瑜、呉景、孫賁の視点で、それぞれのおかれた状況を書いてみました。
建安2年(197年)7月 廬江郡 居巣
【周瑜】
袁術が皇帝を僭称してから、すでに4ヶ月。
孫策はとうに袁術へ絶縁状を送りつけ、江東で独立したような形になっている。
しかもどうやら彼は、曹操に渡りをつけ、官職をもらったらしい。
なんとも用意周到なことだ。
以前の彼からは、考えられないぐらいだ。
おそらく孫堅さまの死が、彼に大きな衝撃を与えたのだろう。
あれから孫策は、明らかに思慮深く行動することが、多くなった。
それまでの猪武者ぶりと比べれば、雲泥の差である。
おかげで江東制圧は順調に進み、着実に基盤を固めていたというのに。
突然、袁術から袁胤が送りこまれ、我が叔父は丹陽太守を解任されてしまった。
せっかく叔父が太守になれるよう、いろいろ手を回したというのに。
叔父が解任される時、袁術に叛旗をひるがえそうかどうか、少し迷った。
しかし当時は、孫策は会稽に掛かりきりだったし、丹陽を守りきる自信もなかった。
そのため私と叔父は、泣く泣く地位を手放して、袁術の下へ出頭したのだ。
すると袁術は私のことがいたく気に入ったらしく、しきりに誘いを掛けられるようになる。
しかし袁術の行動は、あまりにも無軌道であり、家柄に寄りかかったボンボンにしか見えない。
この乱世にそんな人間の下で、無事に生き残れるはずもなかろう。
結局、私を将軍にしようとする袁術の誘いを、なんとかかわし、居巣の県令に収まることができた。
後は機を見て、孫策の下へ戻るとしよう。
待っていておくれ、孫策。
また夢の続きを、一緒に見ようじゃないか。
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建安2年(197年)7月 徐州 広陵
【呉景】
とうとう孫策が、漢王朝の官職を手に入れたか。
袁術が皇帝を僭称した時はどうなることかと思ったが、うまくやったようだな。
それにしても我が甥は、立派な男に成長したものだ。
ついこの間までは、意気盛んなだけの少年だったというのに。
おそらく孫堅どのの死が、よほど衝撃的だったのであろう。
あれから彼はたくましく成長し、袁術軍に合流した。
そしていくつか武功を立てたかと思えば、いきなり江東制圧戦に参加してきたのだ。
それも我らの上司として。
当時、劉繇にいいようにしてやられ、劣勢だった味方を、孫策はまたたくまに常勝の軍にしてしまった。
あれは一体、なんなのだろうな?
柔軟な発想力に、機を見るに敏な決断力。
そして味方を奮い立たせずにはおかない、武勇と統率力。
やはり虎の子は、虎だったということか。
彼と一緒にならば、もっと先まで行けるような気がしていた。
しかし劉繇を追い出した時点で、我らの夢は終わる。
私と孫賁は、軍勢と共に呼び戻され、また袁術にこき使われる日々だ。
別にそれほど不満があるわけでもない。
なんといっても、今の私は広陵の太守だからな。
しかし何かが足りない。
あの劉繇と戦っていた時の、高揚感がないのだ。
それは孫堅どのと共に、戦場を駆け回っていた頃を彷彿とさせるものであり、胸おどる日々であった。
彼と分かれて、すでに2年近く経つ。
今の私は、まるで牙を抜かれた飼い犬のようだ。
そういえばあの時、孫策はこう言っていたはずだ。
”仮に袁術さまと袂を分かつことになったとしても、叔父上や孫賁どのには、我が軍団で重きをなしてもらいたいと思っています”、と。
ふむ、今がその決断の時だということか。
こんな状態で戻っても、使ってくれるかは分からんが、少なくとも今よりはマシだろう。
仮に使われなくとも、一兵卒に戻ったつもりで、がんばればよい。
よし、こうしてはおれん。
脱出の準備を進めるとしよう。
待っておれよ、孫策。
この呉景の働く余地も、残しておいてくれ。
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建安2年(197年)7月 九江郡 寿春
【孫賁】
くっそ、孫策の野郎が、正式な将軍だと?
うまくやりやがって。
そもそも孫堅さま亡き後の、孫家の頭領は俺だぞ。
それをあの若造が、横から割りこんできやがって。
俺たちがちょっと劉繇の討伐に苦労してたら、袁術さまの口添えで指揮官に収まったんだ。
そしたらあれよあれよという間に、長江を渡り、丹陽を切り取っちまった。
さらに曲阿に圧力を掛けたら、劉繇はあっさりと逃げ出す始末だ。
おかしいな。
一体、俺たちの苦労はなんだったんだ?
たしかにあいつは、戦が上手いよ。
だけどそれは呉景どのや、周瑜の助けがあったからで、武勇なら俺もひけを取らないはずだ。
その後、呉景どのや周瑜と切り離され、お手並み拝見と思っていたら、ちゃっかり呉郡と会稽郡を制圧しちまった。
いや、呉郡は朱治どのが取ったんだから、会稽だけだな。
きっとそうだ。
その後はおとなしくしてると思ってたら、袁術さまに絶縁状を突きつけやがった。
今までさんざんお世話になっておきながら、なんて恩知らずな野郎だ。
そりゃまあ、皇帝の僭称は、まずいと思うけどよ。
しかしだ。
俺たちはずっと袁術さまの下でやってきたんだから、そう簡単に裏切れるわけねえだろう。
それなのにあいつはあっさり裏切って、さらに曹操に尻尾を振ったんだ。
おかげであの若造が今では、会稽太守で明漢将軍だとよ。
ちくしょう、うまくやりやがって。
それ以上にムカつくのが、歴陽に俺の弟の、孫輔を配置したことだ。
まだ18歳にしかならない孫輔をそこに配置するのは、間違いなく俺への警告だ。
兄弟と戦いたくないなら、戻ってこいと言ってるのだ。
くっそ、俺だって帰りてえよ。
だけど俺は、九江郡の太守っていう大役を任されてるんだぞ。
しかも袁術さまには、しっかりと妻と子を人質に取られてる。
どうしろってんだ?
聞けば、周瑜は将軍への就任を断って、居巣の県令になったとか。
絶対に逃げる準備をしてるな。
呉景どのも太守には就任しているが、俺よりは警戒が緩いはずだ。
このままだと、俺だけ取り残されちまうかもしれねえ。
孫策のことは気に入らねえが、あいつの戦争には華がある。
孫軍団が江東に覇を唱えるなんて夢を、いかにもそれらしく見せてくれるんだ。
多少の不名誉は許容できても、その夢に乗り遅れるのだけは耐えられねえ。
だけど妻と子供も見捨てられねえんだ。
どうする? 俺