プロローグ 昭和16年11月5日
柱島泊地、連合艦隊旗艦『開陽』
「ふぅー」
一人の男が司令長官室で一通の電文を見ながらため息をついた。
“御前会議ニテ対米開戦ガ決定。注意サレタシ„
『協力者』からの電文だ。
今日は“史実„通りの11月5日
「ずっとこうならないようにやってきなのにな……」
男は窓の外を見る。
できる事はやった。
しかし、果たせなかった。
男の胸中には酷い脱力感が漂っている。
実はこの男は転生者である。
気づいたら明治の軍人家系に転生し、日露戦争にも参戦していた。
そして男はいずれ訪れる。破局を回避しようと行動し始めた。
なお、この男の暗躍によって旅順要塞の海上封鎖中に機雷で『初瀬』を喪失するものの、戦艦『八島』喪失を防いでいる。
しかし、この男は知らなかった。
歴史とは一度力を受けた流れやすい方向へと誘導する力が存在することに。
男がそれを知ったのは、“日本海海戦„と呼ばれる戦闘である。
第一・第二両戦隊がα運動を終えて、砲撃が最高潮となった14時22分の出来事であった。
第一戦艦戦隊から放たれた30㎝砲弾の破片群が東郷平八郎提督の居た艦橋を襲ったのである。
東郷提督は腹部に破片を受けて昏倒
そのまま敗北するかと思われたが、第二戦隊司令である上村彦之丞提督が引き継いだ事によって、海戦は史実と異なる方向へと向かう。
第二戦隊が史実よりも早く接近戦を挑んだのである。
その為、日本側も相応の犠牲。
装甲巡洋艦日進を喪失する事態に陥るが、14:50分の段階でオスラビア沈没。スワロフ・アレクサンドルⅢ世戦闘不能、ボロジノ・アリヨール炎上の被害を与えている。
かくして、史実通りに日本海海戦は日本側の圧勝。
翌日の追撃戦を経ずして殆どの艦艇が夜までに撃沈・拿捕されて終わったのである。
そして肝心の東郷提督であるが、
東郷提督は重傷であり、海戦の終了を待たずしてネルソン提督と同じ国へと向かうことになってしまった。
史実以上の勝利、文字どおり駆逐艦一隻たりとも旅順へ逃さず、ボロジノ・アリヨールといった戦艦も史実以上に拿捕したが、その結果が東郷提督の戦死と日進の喪失。
恐らく、戦艦八島のせいで狂った歴史の作用であると男は考えた。
「きっと史実の山本五十六は同じことを考えていたんだろうな」
男が思いを馳せる山本五十六こと高野五十六は既にこの世界で装甲巡洋艦日進と共に対馬海峡に沈んでいる。
開戦は避けなければならない。しかし、国防を直接担う者として開戦した暁には勝利しうる戦略を練らなければならない。
そのパラドックスの結論である戦力として、窓の外には16隻の黒鉄の城とも呼ぶべき戦艦が浮かんでいる。
八八艦隊の初期に建造されるものの、徹底した2度の改装で鋼鉄のペチコートを羽織り非常に頼もしく思える加賀型及び、長門型戦艦。
隣には「八八艦隊の中で最も優美」と評され、その研がれた刀のような艦首と10門の41㎝砲で波を切り裂き敵陣へと斬り込む天城型戦艦。
鍛えられた武人の様な重厚さに野蛮さなど感じさせない紀伊型戦艦。
そして、
「46㎝砲は某小説みたいに条約違反じゃないからな……」
他の艦より一際太いように見える砲身をその細い艦体に納め、さながらヘビー級ボクサーの力と韋駄天の速さをその身に宿す戸隠型戦艦。
「戦力・後方戦力は史実よりかはましになってるけどね………」
数少ない『協力者』と徹底した研究を行った結果、核兵器・VTヒューズ等の史実日本で背伸びしても不可能な技術を除いては各国の水準にまで届いており。また、某国の移動サービス部隊とまでは言えないが、工作艦・補給艦も史実以上に整備できている。
だがしかし、それでも米国には届かない。
「不安なの?」
声と共に司令長官室の気温が下がる。
後ろを振り向くと、銀色の髪をした一人の少女が立っていた。
ここは女人禁制の軍艦である事が、彼女を人間でないという事を証明している。
彼女は艦霊と呼ばれるものである。
艦霊とは、船にある微弱な意思がそれに乗る大勢の人間の精神力によって顕現した存在であり、大型艦ぐらいしかこうして現れる事ができない。
「白菊か………そうだな、もし開戦となれば勝つにしても負けるにしても僕の指示次第で多くの人間が死ぬ。もちろん君の仲間だって………」
男がそう言いかけたその時、白菊と呼ばれた少女は首を振る。
「気にしないで、私たちは戦うために産まれた。そして最終的な勝利を得るために消耗する将棋の駒のような存在、だけど私たちに乗る人々はそうじゃない。だから、私たちよりそれに乗る人を一人でも大切にして?」
どうやら彼女は既に覚悟を決めているらしい。
彼女が竣工してから2年と少し、
人ならざる者とはいえ、自分よりもはるかに年下の少女に覚悟を決めさせた上層部の決定を呪う。
そして男はもう一度窓の外を見る。
何度見ても威風堂々たる戦艦群は日本の象徴たる朝日の軍艦旗
旭日昇天旗をマストに掲げていたが、
男にはどうしてもそれが、斜陽を迎えようとする帝国を象徴した夕陽にしか見えなかった。