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感謝祭に必要なもの、最後は果実酒だ。野菜を買って、私たちが最後に訪れたのは馴染の酒屋だった。ルクスでも指折りの大きな酒蔵を持っている、老舗の店だ
「ごめんください」
「テレサじゃない。いらっしゃい」
出迎えてくれたのはここの嫁で、彼女とは学生のころからの友人だ。そして一緒に役所仕事をした同僚でもある。
「いつもの、藍酒を一瓶お願いできるかしら」
「はいよ。ちょっと待ってて」
元同僚の後姿は久しぶりに見ると、少し老けていて、自分も同じく老けているんだろうなと思って悲しくなった。
「おまちどうさま」
一番安い藍酒を手渡され、私は財布を開く。しかし制止するように手が伸びてきた。
「お代は要らないわ」
「どういう意味?」
「その代わり、金輪際ここに来るのは止めてくれるかしら」
「え……」
あまりの衝撃的な言葉に危うく酒瓶を落としてしまう所だった。
「テレサ。貴女このままお役所仕事で稼いだお金をあのぼんくら亭主の為に使い続けるつもり?」
学生の頃からの友人は、私と夫との馴れ初めも結婚生活もよく知っていて、毎年ここへ来るたびに心配してくれていた。
「テレサが毎年付けの清算をするから、あのぼんくらはうちの酒を自分の家の蔵から待ちだすように持っていくようになったわ。高かろうが安かろうがお構いなしよ」
「嘘でしょう」
年末に私は夫が各店でつけ払いにしているお金を清算して回る。とくにここの酒屋は私の知り合いが営業していることもあって、夫もよく通っているらしい。でも、そんな横柄に盗みのような態度だったとは知らなかった。
「貴女がお金を払うから悪びれもせず酒を持っていくの。もう、あんな亭主の為にお金を払うのは止めなさい。そうしてくれればあの男を役所に突き出すことだってできる」
「夫が役所に突き出されたら、私は仕事を失うわ」
役所に勤めている官吏の夫が窃盗罪で逮捕されれば、罪人の嫁に信頼など置いてもらえない。即刻解雇されるだろう。そうなると、私たちは生活することが出来なくなる。
「だから、離婚しなさいってあれほど言っているのよ。もし役所を辞めさせられたら、その時はうちに来なさい」
「でも……」
「テレサ、つけ払いもご破算にするから、もうここに来てはいけないわ。ごめんなさいね。許して」
友人は皺が目立ち始めた手で私の手を優しく包んだ。私は「頭を下げなければならないのは私の方だ」と伝えて、深々と頭を下げた。
姪はそんな私の姿を店先でじっと黙ってみていた。その表情は今にも泣いてしまいそうだった。
「いい、別れるのよ。感謝祭にこんな事を言うべきではないとは分かっているけど、貴女の為だから」
「……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「テレサ」
「もう金輪際入店いたしませんので、ご安心ください。夫にもそう伝えます」
「貴女が謝ることじゃない」
「お代は近々必ずお支払いいたしますので、どうかお許しください」
「テレサ、そんなよそよそしくならないで。貴女と友達を辞めるつもりはないの」
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「テレサ!」
私は最後まで友人の目を見ることが出来ず、自分のつま先を見つめたまま、店から逃げるように去った。姪が後ろを追いかけてくるのが分かったが、振り返らずに人混みをかき分けて突き進んだ。姪に手を掴まれたのは、噴水広場に出てのころだ。
「テレサさん」
「どうしてこうなるの?」
「テレサさん、あの人はそんなにお酒が好きなんですか?」
あの人とは夫の事を言っているのだろう。しゃがみ込んで頭を抱える私の隣で、姪も座り込んで私と目線を合わせてくる。
「好きか嫌いかは知らないけど、下戸だから少しですぐに酔いが回って寝てしまうわ」
「ならどうしてお酒を買うんですか?」
「さあ?酒好きの誰かの為に貢いでいるんでしょうね」
酒だけではない。お菓子屋や魚屋などの食べ物屋や服屋まであらゆるところで「つけ」をして物を買っている。夫に理由を尋ねても「必要だから仕方ない」と言うだけで、それ以上の事は教えてくれなかった。
「あの人、浮気しているんですか?」
「かもね。たまに女物の服とかも買っていたわ」
姪の表情はとても曇っていて、私への哀れみと夫への嫌悪で今にも嘔吐しそうな顔色だ。
「離婚するんですか?」
「何度もそうしようと思うんだけど、あの人と向かい合うとどうしても切り出せないの」
半分冗談でなら「離婚してやる」といくらでも言えるのに、冗談抜きになるとどうしても「離婚しよう」という言葉が喉を越えて出て来てくれない。
「ああ、私はどうしたらいいんだろう」
現に今だってそうだ。稼いでも稼いでもお金を使われ、夫が誘拐してきた少女を連れて人探しをする羽目になっているし、友人との大事な縁まで切れてしまいそうだ。それなのに、どうして私はあのどうしようもない男と離れられないのだろう。
「テレサさんには子どもはいないんですか?」
「ええ。働かなくてはならなかったからね」
僧侶の作った役所の仕組みには産休などという概念は存在しない。そもそも独身者で作られた社会構造に、子どもを産み育てていく人間を慮ることは含まれていなかった。だから女官吏は全員、結婚すれば仕事を辞めざる終えなかったのだ。
「あの人の事、嫌いですか?」
その質問は初めてされたような気がした。どんな人もあんな夫はダメだ、別れなさいと助言するが、私に好き嫌いを尋ねる人はいなかったように思う。だから、私自身考えたことが無かった。
「き、嫌いよ。だってこんなに不幸にされるんだから」
「なら、新しい人を見つけましょう!」
姪はぱっと曇っていた表情を取っ払って、大袈裟な笑顔を作った。
「テレサさんは役所でも人気者だし、幸せにしてくれる人は絶対にいますよ」
「そうかしら」
「そうだ、バシーノさん何てどうですか?」
「あんな素敵な人にはすでにいい人が居るのよ。無理だわ」
「聞いてみなければ分からないじゃないですか。私、ここまでの道中で女の人の話はスペルバ様以外に聞いたことがなかったですよ」
スペルバ様とは会話したことは無いが、何度かお見掛けしたことはあった。絵に描いたような僧侶様で、温和な口調、眼差しが優しく、歌声が美しくて、その場に佇んでいるだけで春の日差しのような人だった。亡くなられたなんて未だに信じられない。
私がスペルバ様の事を思い出していると、前方から滑らかな弦楽器の旋律と女性の歌声が響いて来た。
「テレサさん、あの人はルシオラですか?」
噴水の近くで座布団を敷き、そこで弦楽器を奏でている女性に子どもたちが集まっていく。
「あれは、吟遊詩人。物語を歌って聞かせる人よ」
「初めて見ました」
姪の瞳は興味津々と言った風でとても輝いている。吟遊詩人を知らない人間なんて、このグッタにいるとは想像もつかない。
「聴きに行ってみる?」
「いいんですか?」
「私も気を晴らしたいし」
そして私たちは集まった子ども達の後ろで吟遊詩人の歌を聴くことになった。
ポロンポロンとつま弾かれる弦の穏やかな音に沿うようにして語られる物語は、青騎士と聖女の悲恋だった。
病に倒れた聖女は目を覚まさない。青騎士は目が覚めるまで何年も何年も聖女の傍らで見守り続ける。雨の日も雪の日も暑い日も寒い日も病める日も一日たりとも離れない。青騎士が年をとって白髪のお爺さんになっても聖女は目を覚まさない。
青騎士が傍らで息を引き取っても聖女はとうとう目を覚まさなかった。
ルシオラが弔いの歌を歌いにやってきて、青騎士の魂を呼んだ時、聖女の魂も一緒に体から出てきた。そして二人は光になってようやく再会することが出来た。というお話。
「もう一回歌って」
子どもたちが吟遊詩人に呼び掛けるが、「次は違うお話」と言って別の音楽が奏でられ始める。不満そうな子どもたちと同様に、姪も青騎士と聖女の話をもう一度聞きたげな表情だった。
「良いお話ですね。もう一度聴きたかったです」
「もしかして、青騎士と聖女の話を初めてきいたの?」
「はい。もしかして有名なんですか?」
次の曲が始まったので、私は姪を吟遊詩人から少し離れた場所に連れて行く。
「有名どころじゃない。このお話ならグッタ国民なら知らない人はいないの」
「そうなんですか」
「貴女、どこから来たの?」
私はてっきりアーザム出身だとばかり思っていた。こんなに知らないことだらけなら、違う国から来たとしか考えられない。
「それが分からないんです。自分がどこで生まれて、誰に育てられたのか」
「分からない?」
「忘れているだけだって、出会った人たちは言ってくれますが、どんなに思い出そうとしても何の片鱗も思い出せません。ということはもともと無いんだろうなと思えてきました」
もともと無いなどという事はありえない。誰しも親がいて、生まれた国や育った場所が必ずある物だ。突然どこからともなく発生したり、変化したりなどしない。
「変な事を思い込まないの。忘れているだけに決まっているわ。貴女が存在するという事は必ず親がいるんだから」
姪は遠い目をして少し、虚し気に笑って「そうですよね」と頷いた。
「あ、そうだ。あの物語の眠り続けている聖女って巫様みたいですね」
無理矢理に話題を変えようと、姪はわざとらしい明るい声音を出す。
「もちろん、あの物語は巫リーベ様のお話なのよ。リーベ様にはアシリ様という青将星――つまり護衛がついていたの」
「そうだったんですか」
「アシリ様はとても腕の立つ方で、ケルウスがこの国に攻めてきたときも、少数精鋭で撃退したっていう伝説を残している」
私は噴水広場から南の方に聳え立つ、石造りの塔のてっぺんを指さした。
「あの樹の向こうにある塔が見える?あれはアシリ様が守った砦の一角を移築したもの」
昔の人はさも簡単に大きい物や重い物を自由自在に動かしたり、形を変えたりする。魔法があったと言われているが、私には想像もつかない。
「戦いに勝利した記念に大聖堂の近くに移築され、自由や勝利の象徴になったの。巡礼地の一つで、あの塔でアシリ様に感謝して、そのまま大聖堂の奥にある神殿前でリーベ様にお目覚めくださいと祈るとのが巡礼者の一連の流れらしいわ」
「でも、もうリーベ様はいないんですよね」
姪も昨日ニト様の手紙を読んでいるので、リーベ様失踪は知っている。
国民には、リーベ様の眠る硝子箱の老朽化に伴い、神殿の中へ移動したと伝えていた。
当たり前に眠っていたあの可憐な巫様がいなくなったと聞いたら、国民は神教の信者はどんな行動をとるのだろうか。
「多くの人がお目覚めくださいと祈り続けたのだから、叶ったのよ。もしかしたら良いことの始まりかもしれないわ」
「でも、アシリ様はもうここには居ないんですよ。あの歌の様に再会することはもうない」
二百六十年という長い月日を越えて、リーベ様は目覚めた時どんな気持ちだったのだろうか。私のような一般の人間では巫様の心中を察するのは恐れ多すぎる。
「そもそも、目が覚めたかも分からない。箱を壊されて攫われたのかも」
誰もリーベ様が立ち上がって歩いている所を見ていないのだから、もしかしたら攫われたと解釈する方が正しいのかもしれない。
「もしかして、あの人が誘拐したとかではないですよね」
「まさか。そこまで馬鹿ではないでしょう」
と笑って、目の前の誘拐された少女を見つめた。罪悪感もなく、簡単に人を連れてきたのは以前にも似た罪を犯したことがあったからなのでは?
そんな最悪の妄想を振り払って、私は買い物かごを抱えなおす。
「さあ、バシーノさん探しを続けよう」
「テレサさん、その気になったんですか?」
「あのね、バシーノさんに貴女をかえすためだからね」
「あ、そうでしたね」
二人で向かい合って笑い合ったのはこれが初めてだったと思う。少しはこんな私に心を許してくれたのかもしれないと感じて、この胸は仄かに温まった。




