08.非現実的
(さすがにこの状況はシュールだな……)
俺は今、得体の知れない魔法陣の上に寝転がっている。これから儀式を始めるといわんばかりに愛梨さんが魔法陣に遺灰(本物じゃないと思いたい)を撒いて歩き回っている。
まだ社会を知らない若者を狙ったマルチ商法とか、美人局が一枚噛んでいる自己啓発系宗教詐欺にあっている気分だ。……あながち間違いではない。親父の考えた最強の設定(宗教)だもんな。
いい年して何してんだろうと正気に戻って恥ずかしくなりそうな自分を心の隅に追いやり、白い天井を眺めているとふわふわのウェーブヘアが目に入ってきた。――愛梨さんが、横たわる俺に乗ってきた。
「は、えっ、ちょっと」
突然のことに驚く俺をよそに、愛梨さんは首の両脇に手をついてきて距離がぐっと縮まる。愛梨さんは戸惑う俺を大人の余裕でじっくり観察した後、明るい笑顔が妖艶なものに変わった。
「――ねぇねぇ、仁ちゃん。愛梨と一緒に遊んで暮らす気はないかな? おいしいご飯にお酒、楽しいお遊び。愛梨とならいろんなことができるんだよ」
――なんて説明したらいいのか分からないが、すっと細められた潤んだ瞳に唇、おねだりに聞こえる甘い提案。
俺は反射的に「はい」と言いそうになった自分の唇を必死に噛み締めた。このまま愛梨さんを見ていると何をしでかすか分からない。この状況に大変混乱している。
何とか目を逸らすことに成功したが、逸らした視線の先が胸元だった。白い肌とたわわな胸が見える。下着を身に着けておらず、布と柔肌との境界線ギリギリまで俺の視界を攻めてくる。
苦手意識はあるが愛梨さんはかわいい。普段は明るく振る舞っているが、ふと気を抜いた時に見せる寂しげな表情なんか女子の特権かななんて思ったりもする。
だが、俺はこれ以上煩悩を刺激されないよう目を閉じた。
(ダメだ。なんか変な気がする――)
そんな親父がベタ惚れするのも納得な愛梨さんにドキリとした――のだが、俺はそれ以上に何か恐ろしいものを見てしまった気がして冷や汗をかいていた。
色気で片付けてしまうには違和感がある。一呼吸おいてなるべく平常心を保ってたずねる。
「愛梨さん、どうしたんです――んっ!?」
――が、返事の代わりに両頬を掴まれキスされていた。突然のことに引き離そうとするが、愛梨さんの華奢な腕からは想像できない力で掴まれて離れない。俺は成す術もなく、舌を受け入れた。初めてのディープキスに息継ぎが出来ず、苦しさのあまり体をよじる。
「――っは」
ようやく解放され息を吸い込んだ。……気持ちよさとかすごいとか、頭がおかしくなりそうとかいろいろ感想はあるが、言葉の綾ではなく本当に窒息しそうだった。俺は涙を拭い、愛梨さんを睨んだ。
「急に何をするんですか。……あんなこと。俺が下手とかそういうのじゃなくて、本気で死ぬかと思って――」
そう抗議すれば、愛梨さんの艶めかしい表情が見る見るうちに曇っていった。理由は分からないが、心底残念そうに恨めしい表情を浮かべている。
「――やっぱり仁ちゃんに効かない。絶対、感情激重な女にマーキングされてる。ううっ……! 親子二代をボロ雑巾になるまでかわいがる、愛梨ちゃんの計画が潰えた……」
「ちょ、ちょっと、何言ってるんですか。というか、あの泣かなくても――」
「泣いちゃいますよー、泣いちゃいますって」
ボロ雑巾になるまでかわいがることが果たしてかわいがることになるのか俺には分からなかった――だが、俺は愛梨さんの変化に気付いてしまった。
「――え? 狐耳?」
狐耳。幻覚を見ているのか、何なのかさっぱり理解できていないのだが、愛梨さんの頭に狐耳が生えていた。それも白い毛並みのピンと立ったお耳である。
狐耳だと認識した途端、愛梨さんの髪がひとりでに編み込まれていき、大きな蓮の花の髪飾りが咲いた。
身につけている衣服も部屋着のキャミソールと同じく胸元が大きく開いているのは変わらないが、中華モノで見かける唐服や漢服といった物に変わっていた。仕上げにふわふわと透き通ったストールのような布が浮いていて、いよいよ非現実感が増した。
俺の目の前には、歴史の教科書に載っているような中国美女――狐耳の美女がいた。