22.有限本
「――ジン、いるか?」
デモナクを最新刊から過去に遡って読んでいた俺は声をかけられ顔を上げた。
「あ、ミカ。……おかえり?」
先刻、窓を突き破り空の彼方へ飛び立った堕天使ことミカだった。
「取り乱して悪かった。驚いたわよね?」
「さすがに驚くなというのは無理だな」
たとえばポルターガイスト現象が発生する事故物件に住んでいたとして、不可思議な音とか物が飛ぶぐらいは認識していたとする。
だが、今日は花瓶が飛ぶ程度で済むのか、それともベッドが飛んできて窓から突き落とされるレベルなのかまでは見当がつかない。
ミカの感情が高ぶると翼を広げて飛んでいってしまうと知っていても、部屋の窓を突き破る程度なのか、廊下に飛び出して廊下の窓も突き破るのか、はたまた壁を粉砕してしまうのかはそのときにならないとわからない。〝降水確率は百パーセントですが、傘を差すと大変危険かどうかは知りません! もしかしたら台風かも?〟という危険なことしかわからない状態だ。
「ところで、こんな時代遅れの部屋で何してるのだ? ご飯が不味くなる」
「逆に故郷を思い出して飯が進む可能性もあるだろう? 実家の味というか、おふくろの味とか」
ミカは怪訝そうな顔をしたあと「おふくろねぇ」と呟いた。おふくろの味の概念がわからないようなので後回しにする。
「この国、この世界、ユー・レティシアについて確認していたんだ。俺の知識がどこまで合ってるか心配になってな。親父が好き勝手脚色するから、どこからどこまでが正しいんだろうってな」
「やはりそういうことか。では、これを読むがよい。この世界について大体理解できるようになるぞ」
今度は得意気な表情で俺に一冊の本を差し出してくる。歴史書とか図鑑の類いなら、厚さ一五センチ越えの紙で出来た鈍器――を想像するのだが、これは厚さ二センチ程度。少し大きめの手帳といった感じだ。
「いくら何でも薄すぎないか? 普通、用語を書きこんだらページ数が跳ね上がると思うんだが」
「フフン、もちろんページは文字数に比例するが、最先端の魔法技術で圧縮してある。試しに開いてみるといい。これが我々の世界の新常識だからな」
俺は近くのソファーに腰掛け、ミカから受け取った本〝天界と魔界の物語〟を試しに開いてみるが、目次以外のページは白紙で何も書かれていない。しかし圧縮してあると言っていた以上、これが完成品なのだろう。
(あぶりだし、ではないな)
白紙を見てふと思い付く。白紙に文字を浮かび上がらせるといえば、あぶりだしである。ミカン果汁などを紙に染みこませて火で熱すると、その部分が先に焦げて浮かび上がる仕組みである。不正解ではあると思いつつ匂いを嗅いでみるが、案の定何も起こらなかった。
「その嗅ぎ方だと、毒で真っ先にやられてしまうぞ。嗅覚で情報を得ようとする行動自体は悪くないが」
「あ、いや、なんかこう、ちょっと反射的に」
話しかけられ、ハッとする。ミカは本の匂いを嗅ぐ俺を見て苦笑いを浮かべている。変なところ見せてしまった。
「この本は《有限本》と呼ばれる魔法方程式で作られている。有限本とも呼ぶ。ジン、読みたい章の目次を何度かなぞるのだ」
俺の隣にミカが座り、本を覗き込んでくる。言われるまま、目次の〝第一章 終末の世界〟というタイトルを指で何度かなぞる。
「よし。では、目次以降のページを開いてみよ」
白紙だったページに文字が浮かび、俺の良く知る本になっていた。
「えっ! なんだこれ、読めるようになってる」
目次にもう一度戻って〝第二章 狭間に生まれし者〟をなぞって開き直してみる。予想通り本文は第二章になっていた。二章最後のページを捲れば、自動的に最初のページに戻り三章となる。紙の本と電子書籍のいいとこ取りをしたアイテムに心が躍る。
「紙に文字を書けば文字の文だけ紙が必要になる。だが魔法方程式を使えば、六分の一ぐらいだったかな? このように縮められると」
「な、なるほど……」
慣れるまで時間がかかるかもしれないがこれは大変便利な技術である。辞典なんかは絶対こっちの方がいいだろう。重し代わりになったり、流れ弾を受け止めてくれそうな厚みを誇る日本語国語辞典がかなりスリムになる。強度を保ちながら紙の薄さを調整したり、小さくても見やすいフォントをなどを選んでも越えられない壁――物理法則を超越した文明開化である。
ユー・レティシアでは〝厚い本を持ち歩いていると頭が良さそうだから〟という理由で五キロ近い辞典を持ち歩く少年少女たちの愚行は少なくて済むだろう。別に古い装丁の厚い本を持ち歩いたって構わないが、トートバッグが本の重みに負けて肩紐が縫い目からちぎれると放課後に悲惨な目に遭う。
「〝有限本〟の名の通り、現時点で圧縮できる割合は決まっている。この魔術を生み出した魔科学研究所では《無限本》と呼ばれる新しい術式が研究中らしい。紙にとどまらず一つの物体に何千ページにも渡る情報を収めることが目標だったか……細かい事は魔科学研究所の研究資料を見返さないとわからん」
「魔科学研究所?」
「その名の通り、魔法と科学を研究している機関だ。魔力も自然も無限ではないからな」
「思ったよりも現実的なんだな」
中世ヨーロッパ風(という名の近世西洋風)の剣と魔法のイメージが染みついているが、俺の居た世界から起算するとユー・レティシアは未来になる。
そう考えると俺の言語感覚、文化観がある程度通じる雰囲気にも納得できる。断片的とはいえ、過去(現代)の流れを踏襲しているからだ。
「――ま、昔は魔力なぞ無限だったのだがな。生きづらいんだか、生きやすいんだか我には判断できない」
「今は違うらしいが、この本に書いてるか?」
「多少は」
なら読んだ方が早いと第一章に目を通すが、五、六行目で止まってしまう。
(……やべぇ、わからない単語がある)
専門用語なのか、いわゆる現代語・流行語なのか? 親父から教わったユー・レティシア言語には無かった単語がいくつか出てくる。
俺が忘れている可能性も大いにあるが感覚的には、
〝この景色はとても美しい〟
と記すところを
〝この景色、いとおかし〟
あるいは、
〝この景色、めちゃめちゃヤバイ〟
と表記しているように思える。
前後の文章で言わんとしている事は察せられるが、絶妙にわかりそうでわからない語句が俺の国語力を試してくる。一章につき一日二日見積もった方がいいだろう。今後の予定もあり、ミカに訊ねる。
「――ところで〝魔境の宴〟に行ったラングはどうなったんだ? 歓迎会をすると言って嬉々として出かけてたけど」
ミカは溜め息交じりに語り始める。
「帰りに覗いてみたが大層な騒ぎになっていた。店の前どころか『コンラートの息子の帰還祝い 酒一杯目・無料』とか書いてあったわ。〝魔境の宴〟どころか街中ね。コンラートごときに浮かれすぎよ。服屋なんて、国家カラーだかイメージカラーだか、紫と黒い服の在庫処分してたわよ。……で、ジンは黒いドレスは好きかしら? ツヤツヤな光沢に滑らかな生地で背中が大胆に開いた一着なんだけれど」
「便乗する気満々じゃないか」
野球のプロリーグ優勝記念じゃねぇんだからと内心ツッコミつつ、それぐらいの喜びだろうなと考えを改める。史上最強の国家元首《漆黒の魔王》コンラートの近況息子経由でもたらされるのである。――まてよ、そんなお祭りムードの中、俺はどんな顔して『魔王コンラートは死んだ』って報告すればいいんだ? 〝神は死んだ〟なんて哲学チックに宣言すればいいのか?
「本人が着く頃には、皆できあがってるでしょうよ。もう少しだけ時間を潰してから行きましょう。ダンカンに街の警備――整備隊を手配させてる。今行ってももみくちゃにされるだけだ」
「わかった。じゃ、少し読むことにするわ」
「ええ、それがいいわ」
ミカの提案に俺は一時の安堵を得た。




