01.愛の巣
三月二十五日、午前十時。
場所は都心の高級マンションの十一階。俺は親父と若妻の愛の巣の前にいた。
部屋に行くまでに三回鍵を使用し、二十四時間常駐の管理人室前を通過しなければならない高セキュリティをクリア。そして〝1121 黒沢〟と書かれた部屋のチャイムを押した。
合鍵を持っているため、そのまま入ることもできたが住人の都合もあるだろう。少しするとガチャガチャ、と受話器を取る音が聞こえ、インターホンが起動する。「今開けるね」と声がしてドアが開いた。
「仁ちゃーん~! 一昨日ぶり。飲み会どうでした? 誰かと朝までお楽しみできたかな?」
「うわっ!」
部屋の中から茶髪ロングの美女が現れ、素足のまま抱きつかれた。親父の編集担当で内縁の妻〝狐塚愛梨〟さんだ。
愛梨さんは二十代後半に見えるが、実際の年齢は異なる。俺よりも年上なのだが『女の子に歳を聞いちゃいけません!』と怒られたため実年齢は不明。日本人の童顔は凄まじいなと思う。
俺は桃色のパイル地のキャミソールとショートパンツという、ルームウェア姿の義母(?)を剥がし、少ない荷物を玄関に入れドアを閉めた。
「ちょっと愛梨さん。ちゃんと服を着てください」
「ええ~、いいじゃん……寝起きだし、お部屋あったかいし。あ~! もしかして、仁ちゃん意識しちゃった? 愛梨とってもかわいいもんね!」
「あーもう、からかうのは止めてくださいってば」
抱きつかれた際にずれたサングラスを直そうとするが愛梨さんに奪われた。素顔になった俺を見て愛梨さんは言う。
「ほ~! 仁ちゃん紺ちゃんの面影がでてきましたね。愛梨、仁ちゃんの将来が楽しみだなぁ~」
俺と親父は背格好が似ている。以前、愛梨さんが寝ぼけて俺を父親だと勘違いし――襲われかけた程度には。
よくよく考えると大変美味しいシチュエーションだったのかもしれないが、まだ無知だった中学一年の俺には強烈過ぎたらしく、それからどうも愛梨さんが苦手だ。……もちろん性的な意味で。
愛梨さんの事件をきっかけに親父と間違われないよう、俺はファッションとして伊達眼鏡やサングラスをかけ始めた。正直なところ、視力はいいが眼鏡に憧れがもあったから、理由をこじつけた気がしなくもない。
当時はそんな理由もあったが、今や生活日常品の一つとして眼鏡をかけている。スマホやパソコンのブルーライトカット用眼鏡、趣味の3Dアクションゲームをきっかけに始めたエアガンシューティング等の保護眼鏡などなど……素顔のほうが珍しい状態になっている。
「似たくないですよ、あの二次元的存在には。てか、グラサン返してください!」
俺はサングラスを取り返そうと手を伸ばすが、すんでのところで別の方に移動され上手く掴めない。猫じゃらしと猫の構図が出来上がっていた。玄関先で何してるんだろう。
「いーやっ! 仁ちゃん、ツンデレなんだから! 仁ちゃんで遊ばせてよ~」
「ツンデレ全然関係ないな!」
あと俺、愛梨さんにデレた覚えはない。
ツンデレというよりは、どっちかというと常に緊張してたのと、親父の嫉妬が怖かったし……。
「紺ちゃんの性格はツンデレじゃなくて根っからのタラシで優顔の鬼畜だから似てないけど。……でも、年下のツンデレもいいなぁ。――ねぇねぇ、お父さんの財産で一緒に暮らさない?」
「……愛梨さん、全然悲しそうじゃないですね」
「そう?」
(落ち込んでるかと思ったら、大丈夫そう)
いつもの調子でちょっかい出してくる愛梨さんを見て俺はほっとした。
――喧嘩するほど仲がいい。その言葉の通り、愚痴を聞いたり喧嘩の仲介を頼まれたりはするが、二人は熱々のカップルに違いなかった。
見ていてこちらが恥ずかしくなるというか、見せつけられて辛かったりしたが、そんな伴侶を亡くしたのだから、すっごい落ち込んでいるのではないかと心配していたのだ。……やっぱほら、友達みたいだけれど母親ポジションな訳だし。
「まぁ、入って~。ご近所迷惑になっちゃうし」
そう愛梨さんは言って俺にサングラスを返してくれた。俺はサングラスをかけるかどうか少し悩んだ。だって、そもそもの切っ掛けである俺と親父を区別する必要がないからだ。
(……ま、かけるしかないだろうな)
俺はため息をついてサングラスをかけた。
親父よ。俺に感謝しろよ。俺は愛梨さんとのフラグをちゃん曖昧にすることなく、完全に折ることにしたんだからな。