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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
一章 《黒猫》の日常
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《黒猫》の日常(4)

 マスターに勧められるがまま、少女はぎこちない足取りでカウンターの席へと着いた。梢の座っている場所から右へ一つ空けた所が、彼女の選んだ位置だった。


「門原明莉です……。ご迷惑をお掛けして、すいません……」


 まずは自己紹介からというくだりになり、マスターから提供されたココアを飲んで一息ついた少女は、消え入りそうな声で俯きがちな顔をなお下げて、そう名乗った。

 続けて梢、千香、城森の順で、最後にマスターの番となる。


「僕は坂本宗平です。皆からはマスターと呼ばれていますがね。この店の、店主代理を務めています」

「代理……ですか?」


 どう見ても一番の年長者であるマスターだが、他にも従業員がいるという事だろうか。怪訝に首を傾げる明莉に、マスターはカウンターの存在に視線を落とした。


「はい、店主は彼女ですので。名前はシュヴァルツです」


 マスターが上向けた掌で示すのは、お座りの姿勢でカウンターに佇む黒猫である。ちらちらと会話から聞こえてはいたが、明莉はやっぱりそうだったのかと黒猫を見やる。

 彼女と言うからには、きっと雌なのだろう。暗い雨の中で見たときのような不気味さはなく、店の照明を吸い込むような黒い毛並みは艶やかで美しかった。金色の両眼は理知的な冷たさを帯びており、明莉の視線に気付いたのか、彼女の目に合わさるように動かされる。


「言っとくけど、場を和ますためのマスターの冗談とかじゃないからな」

「そ、そうなんですか?」


 横から釘を刺すように梢が言うと、明莉は明らかに困惑していた。梢も彼女の気持ちは解らないでもない。いくら綺麗だからといって、猫を店主と言われて、あっさりと納得はできないだろう。


「ふふ、シュヴァルツのことは話半分ってとこかしらね。さてと、明莉ちゃんでいいわよね?」

「え……と、はい……」

「お互いに名前も分かったことだし、確認なんだけどね。ちょ~っと強引にしちゃったけど、私達が怪しい者じゃないって解ってくれたかな?」

「…………はい」


 ここまで明莉と一番に接してきた千香が代表して、変わらぬ笑みを浮かべて訊ねる。

 まだ怯えに近い緊張が抜けきらなかったが、明莉にも彼等が何らかの下心をもって自分に接しようとしていない事くらいは解っていた。

 同時に、それくらい自分は酷い醜態を晒していたのだとも。


「よかった。それじゃあ、どうして傘も差さずにうろうろしていたのか、教えてくれる?」

「それは……その」


 だから、当然訊ねられるであろうことは予想できた。暖かな場所に身を置き、心が冷静さを取り戻すにつれて、息苦しさに胸が詰まる。

 迷惑を掛けて申し訳ないと思う気持ち。けれど、彼等の親切心を裏切る形になってしまう事に対する罪悪感だ。

 黙り込んでしまった明莉を見守る空気が、次第に重くなる。その重圧に押し潰されそうで、少女はますます小さな身体を屈折させた。


「わかった。話したくないなら無理に言わなくてもいいわ」

「すいません……」

「なら、お家に連絡できる? ご家族が心配していらっしゃるかもしれないわ」

「えっ……と、親は働いていて、いつも帰りが遅いんです。だから、大丈夫です。いま連絡しても、逆に迷惑になっちゃうんで……」


 口調こそ控えめだが、明莉から発せられる言葉は拒絶の意を含んでいる。儚げで、いまにも折れそうな少女を追及する事は躊躇われた。


「あの……本当に、色々と親切にしてくださって……感謝しています。ここの場所を教えてもらえませんか。そしたら、帰りますから……!」

「う~ん……、明莉ちゃん。もう言ったと思うけど、やっぱりそれは難しいわ。もう暗いし、あなた一人で帰すわけにはねぇ」

「で、でも……」

「ああもう、面倒くさいな。千香さん、甘やかしたらダメですよ」


 このまま長々と押し問答をしていてはきりがない。痺れを切らした梢が横槍を入れて、きつい目で明莉を見据えた。

 悪感情を向けられて、明莉が「うっ」と肩を縮める。だが、構わず梢は舌鋒鋭く問い詰めだした。


「あんた、桶布おけの高校でしょ」

「え……な、なんで」

「制服。あたしも桶布だから。そんでもって、ここは学区外なわけ。意味解るよね?」


 明莉は制服姿でこの近辺をうろついていた。下校の寄り道にしては足を伸ばし過ぎだろうし、自宅からも大分離れていると予想できる。

 もちろん、例外もあるし、学区内でも端の方で意外と家も近所だったりするかもしれないが、そこまで口が達者という風にも見えない。この少女は下手な嘘はつけないと踏んだ上で、梢は鎌を掛けてみた。

 そして予想した通り、梢の追及を受けた少女は見るからに目を泳がせた。何事か言い訳をしようと口だけをもごもごと動かすものの、結局言葉は出てこない。語るまでもなく落ちた少女に、更に問いが重ねられる。


「で、家はどこにあんのよ?」

「……西、桶布です」

「はあ!? 学校から真逆じゃん。何考えてんのよ!」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい……!」

「こらこら、梢ちゃん。それ以上脅かしちゃあ、めっよ」


 思わず席から腰を浮かす梢に、泣きそうな顔で明莉が謝る。すかさず二人の間に割って入った千香が、仁王立ちとなって梢を見下ろした。


「別に脅してませんよ。呆れてるだけです」

「どっちにしても、怒鳴るのは可哀想っすよ。梢ちゃん」

「すみません、門原さん。この子は少し口が悪いですが、あなたを心配しているだけなので、許してやっては頂けないでしょうか」

「ちょっとマスター! 勝手なこと言わないでよ!?」

「い、いえ。迷惑をお掛けしているのは、わたしの方なので……そんな」


 喧々囂々。にわかに騒がしくなる状況の中心で、不意に黒猫がくぁっと大口を開けて伸びをした。

 置物のようだった黒猫に、一様に皆が口を閉ざしてその動きを見守る。

 周りの視線などものともせず、我が物顔でカウンターを進んだ黒猫は、明莉の前で立ち止まった。そして、姿勢を前屈みにしたかと思うと、少女の膝の上へと飛び降りたのだった。


「え? えっ!?」


 自由な黒猫の行動に明莉が驚く。黒猫は居心地を確かめるように彼女の腿を数回踏むと丸くなってしまい、こうなると下手に身じろぎするわけにもいかなかった。


「あらあら」

「……は、あんたが諦めるまで帰すつもりはないってよ。残念だったな」

「そんな……」

「猫はお嫌いですか?」

「い、いいえ。動物は、好きですけど……」

「それでは、しばらく置いてやってくれませんか。なかなか強情な面もありまして、申し訳ありません」


 マスターのお願いを断れず、明莉は膝の上に視線を落とした。遠慮がちに黒猫に手を伸ばし、耳の後ろから首筋をなぞるように撫でてみる。重みのある黒い塊には柔らかな温もりがあり、指先が気持ち良かった。


「門原さん、あなたが話したくない事を必要以上に詮索するつもりはありません。ですが、未成年のあなたを何のあてもないまま放り出すのは、我々としても心苦しい。そこは、解ってくれませんか?」

「…………はい」

「ありがとうございます」


 落ち着いた様子で頷く明莉に、マスターは微笑んで頷く。


「そこで提案です。事情の詮索も、親御さんに連絡も致しません。その代わりに、あなたを家まで送らせてください」

「家に……ですか」

「はい。城森君、問題ありませんね?」

「全然大丈夫っすよ。安心の安全運転でお届けしましょう」

「というわけです。親御さんのお帰りは何時頃になるかわかりますか?」

「えっと……だいたい、いつも十時を過ぎてると思います。たまに日が変わることもあったりで……」

「そうですか。なら、今からなら鉢合わせになる可能性は低いでしょう」


 マスターが視線を動かした先にある年代物の壁時計の針は、午後八時半を指そうとしていた。


「不安なようでしたら、近所まででも構いません。いかがでしょうか?」


 優しく諭すようなマスターの声音と、膝の上で腹を上下させる黒猫の存在が、不思議と明莉に冷静に考える時間を与えてくれたように思えた。

 仮に一人でこの場所から帰ることを想像する。雨の夜、右も左も分からない土地を歩くのは困難だ。電車かバスで家の近所まで行くにしても、たぶん親の帰宅時間に間に合わない。


「………わかり、ました。よろしく……お願いします」


 親への言い訳を考えるくらいなら、隠し通せた方がいい。それは少女にとってらしくない賢しらな打算だったが、選択を決断するに足る動機だった。

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