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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
一章 《黒猫》の日常
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《黒猫》の日常(3)

「マスター、ホールの清掃終わりましたよ。表にも閉めの札、掛けときましたんで」


 店のドアを閉めた城森勇司が振り返り、マスターに報告する。雨はまだ降り続け、今夜は止む気配はなさそうだった。


「ご苦労様でした。一服どうぞ」


 カウンターの内側で飲み物の準備をしていたマスターが城森を労い、カウンターに白いカップを置く。透き通った黒さのコーヒーの香ばしい匂いが店内に香った。


「あ、どうも。頂きます。といっても、千香さんがほとんどやってくれてましたから、大した事はしてませんけどね」


 城森は苦笑しつつカップを手に取り、まずは入れ立ての香りを楽しんだ。続けて一口飲んで胃壁に液体の熱を感じ、口に残るコクのある苦みを堪能する。


「ところで、マスターはどう思ってます?」


 カウンターに肘を掛けてコーヒーを味わいながら、城森が何気ない風に訊ねた。話題の矛先はもちろん、突然の訪問者についてである。

 マスターは彼の問いに「そうですね」と思案顔を作り、視線を一瞬だけ天上に上向けた。二階にある浴室では、少女が冷えた身体を温めているところだ。千香から先にそっちを済ませると報告を受けており、男性二名は終わるまで待機である。


「いえ……やはり、事情が分からないうちは何とも言えませんね。下手な詮索は止しましょう」

「そうっすか。しかし、本当何ですかね? シュヴァルツが連れてきたって言うのは」

「本当だって」


 静かに首を振るマスターに、城森も深い追及はしなかった。所詮はただの暇つぶしの会話だ。どの道、話は本人から聞くことになる。

 そして、更に話の向きを変えようとする城森に、厨房から反論の声が上がった。


「勇司さん、あたしの言うこと信じてないの?」

「ああ、梢ちゃん。お疲れ様っす。そっちはもういいのかい?」

「うん。マスター、あたしにもコーヒーちょうだい」


 一仕事終えた様子の木野内梢は、微妙に不機嫌そうな面構えで城森を横目で睨みつつ、マスターの正面の席に陣取って飲み物をねだる。マスターは孫ほど年の離れた少女に優しく頷き、サイフォンのフラスコに一杯分の湯を入れた。


「あれ? 当のシュヴァルツはこっち来てないの?」

「彼女なら来ていませんよ。二階でご飯でも食べているのではないですかね」

「はあ、面倒を押しつけるだけ押しつけて。これだから猫ってのは」

「まあまあ。それで、あの女の子はシュヴァルツのお客様で間違いないんすね?」

「だと思いますよ。シュヴァルツにでもついてこないと、わざわざこの店の裏口になんて来ないでしょ」


「何にせよ――」湯の温度を確かめてロートを差し込みながら、従業員二人の会話にマスターが短く口を挟む。


「困っているのであれば、助けない理由はありません」

「そうっすね。じゃあ、俺はぼちぼち厨房の方も片付けますかね。梢ちゃん、大丈夫?」

「あ、ごめん勇司さん。厨房の方だけど、ちょっと汚しちゃったかも」

「え? そりゃ構わないっすけど、何かあった?」

「うーん……、鞄に泥とかついてたから、ちょっとね」

「ふぅん? まあ、大丈夫っすよ。気にしないで」


 城森はバツの悪そうに言葉を濁す梢を訝しんで首を傾げたが、笑って許容した。それからコーヒーを飲み干し、「マスター、ごちそうさま」とカップをカウンターに戻すと、自分の持ち場へと戻っていく。


「何かありましたか?」

「……何でもない」


 マスターの問い掛けに素っ気なく答えて、梢はカウンターに突っ伏した。マスターは彼女の態度を受け入れて、火を弱めて抽出を始めた。

 一分弱の静寂。マスターがフラスコを熱する火を止める。

 フラスコに黒い液体が溜まっていくのを、梢はじっと見つめていた。


「憂鬱ばかりが雨の日ではありませんが」


 フラスコに溜まりきったコーヒーをカップに注ぎながら、ふとマスターが口を開く。


「梢君にとっては、そうではないようですね」

「どういう意味ですか?」

「さて、どうですかね」


 はぐらかすように口端を持ち上げて、マスターは表情を作る。話しながらコーヒーとは別に温めていたミルクを加えて、出来上がったカフェオレを梢の前に差し出した。


「……ありがとうございます」


 カウンターから上半身を起こし、梢は湯気の立つカップを両手で包むように持ち上げる。従業員の好みを把握しているマスターへの信頼は厚く、掌に伝わる温かさと濃いミルクの香りが、一時の安らぎを彼女に与えてくれた。 

 二人が静けさに身を委ねていると、やがて階段を下りる二人分の気配がする。どうやら、入浴を終えた少女を千香が連れて来たようだった。


「みんな、お待たせ~」


 二階の住居スペースへ通ずる玄関のドアが開かれ、千香のマイペースな声がフロアに響く。


「――うわ、千香さん! その子に何着せてるんすか!?」

「え~、だってしょうがないじゃない。これしかなかったんだから」


 と、そこへ厨房から顔を出した城森の素っ頓狂な声が重なった。彼を軽くあしらう千香の笑い声も聞こえる。

 やがて、背後にぴたりとついてくる少女の手を握った千香は、マスターと梢の前にも姿を見せた。


「マスター、この子の着替えないんで、予備の制服借りちゃいました~」


 まるでお披露目をするかの如く、千香は少女の両肩を包んで自分の前へ押し出す。

 恥じらうように俯いた少女は、千香とお揃いの制服姿だった。ただし、ブラウスの上はエプロンではなく、クリーム色のニットのセーターを着ている。それに関しては千香の私物であり、サイズが合っておらずぶかぶかだった。


「あ、あの……ここは、どういった場所、なんですか」


 まごつきながら、少女が店内へ視線を彷徨わせる。その顔には自分が置かれている状況に対する不安がありありと浮かんでおり、まだ千香は具体的な説明をしていないようだった。


「見ての通りです。どこにでもある、ただの喫茶店ですよ」


 少女の疑問には、マスターが柔らかな声で答えた。その瞬間、ひらりと音もなくカウンターの上に黒い影が躍り出る。

 いつの間に忍び寄っていたのか、最後に合流した黒猫の姿に驚く少女に微苦笑したマスターは、慇懃に腰を折り曲げた。


「喫茶《黒猫シュヴァルツ・カッツェ》へ、ようこそいらっしゃいました。お嬢さん、まずは席へお掛けください」

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