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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
五章 黒猫の願い事
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黒猫の願い事(2)

「うん……うん。わかった。伝えておくね……。ありがとう、お母さん」


 明莉は《黒猫》二階の洋室にて、母からの電話でその報せ受けていた。

 通話を切った携帯をいったん膝の上に置いた後、やや気が抜けた息を吐いた彼女は、そばで見守ってくれていた友人へ満面の笑みで向き直った。


「やったよ、梢。手応えはあったって。これで皆瀬さんとの交渉もうまくいくんじゃないかな」

「あ、ああ……そうか」

「……嬉しくないの?」


 胡座をかいた梢の顔は、喜びを隠さない明莉とは対照的に冴えがないように見えた。嬉しさも半減したようで、明莉が笑みを引かせる。


 事件後、無用な事態の混乱を避けるために、事件により近いしい生徒は自宅で謹慎処分を言い渡されていた。明莉もそのうちの一人である。


 ただ、彼女と梢は現在、自宅ではなく《黒猫》に雲隠れするように身を寄せていた。

 学校側から無用に事件を吹聴するなと箝口令のようなものは敷かれているが、口さがないのは一定数必ず出てくる。

 加害者とされる梢と、梢を庇った明莉に関しては特に身の回りに関して注意が必要だった。そのために、誰にも知られていないはずの《黒猫》を頼ったというわけである。


「いや、そういうわけじゃねえよ。あたしのために、みんなが動いてくれてるのは素直にありがたいと思う。ただ……あたしが皆瀬に傷を負わせたのは事実だ。それだけは反省しないといけないし……明莉にも危ない橋を渡らせてる」

「そんなの……気にしなくていいよ。でも、やっぱり梢は強いね」

「……? どういう意味だよ」


 そういって微笑する明莉の表情に、ほのかな侘しさを感じた梢は首を傾げた。


「だって……いつだって、いまだってそう。自分一人で傷を抱え込もうとしてる。どうせ、それができれば一番いいとか思ってるんでしょ?」


 自分の事を話そうとせず、明莉を助けるために一人で悪役に甘んじていたときもそうだった。

 明莉は恨みがましそうに膨れて見せると、梢の肩に手を添えて、ことんと額を彼女の胸に預けた。


「そうやって……強い梢は一人でも生きていけるんだろうね。でも、わたしには無理だよ。弱いわたしは一人じゃ生きられない。だから、そばにいてよ。どこにも行かないで。もう無茶はしないで」


 ようやく見えてきた光明に、明莉の緊張の糸は切れようとしていた。

 しっとりと声を湿らせる友に梢は呆れ、それでも放っておけず、しょうがなさそうに背中を叩いてやる。


「ったく……明莉って、会った頃より甘ったれになったよな」

「そうかも……ごめんね」

「いいよ、別に。もう諦めたから。あーあ! ほんと、面倒なのに捕まっちまったよな」

「そ、そこまで言わなくてもいいんじゃ――!?」


 抗議しようとした瞬間、明莉の身体が浮かび上がって視界が縦にぶれる。彼女の背を抱えたまま、梢が仰向けに倒れ込んだのだ。

 すぐ近くには、天井を見つめる梢の横顔がある。

 明莉は彼女の首筋にうずめるように顔を近づけた。


「わかったよ。無茶はしないって約束する。これでいいだろ?」

「……うん」

「ごめんな……。散々巻き込んじまって」

「そんなの、全然平気だよ」

「明莉が平気でも、あたしは嫌だ。もしも交渉がうまくいかなかったらどうする? あたしのことはまだいいよ。晒されても仕方ないことをしたんだ。でも、明莉は違う。今からでも遅くないから、考え直せよ」

「だから、大丈夫だってば……そりゃ、平気じゃないかもしれないよ。傷つくことだってあるかもしれない。でも、もう怖がらないって決めたんだもん」


 おそらく傷つくことに慣れなんてない。

 どれだけ平気なふりをしてみても、傷の大きさも、痛みも小さくなりはしない。

 ずっと抱え続けることで、傷の多さに立っていられなくなっていることにさえ、気付かないときだってある。


「弱くなっていいって言われたんだ。どれだけ傷ついたって、わたしは傷を晒していい場所を見つけたから」


 そろそろ認めて欲しかった。自分も彼女の傷を癒やしたい。彼女にとって安らげる居場所でありたいと願った。


「わたし、梢のためならなんでもするよ」

「何でもって……あんたね、平気でそんなこと言うなよ。調子にのんな」


 顔を上げて宣言する明莉と、苦笑する梢の視線が絡む。少しの間を置いて、二人は無言で笑い合った。


「あ~、熱い熱い。昼間からラブラブね~。まったくもぅ」

「――!!」

「わっ!?」


 唐突に部屋の入口から聞こえた声に、くわっと目を開いた梢が明莉を放り出して立ち上がった。


「い、いたいよ……」

「あ……わ、悪い。つい」


 鼻を押さえて涙目となる明莉と、彼女を慌てて抱き起こそうとする梢。

 くすくすと――何をやっているのやら――と笑われて、梢は憤慨した様子で振り返って大声を出していた。


「千香さん! ノックくらいしてよね!」


 以前にも似たような状況があったような気がしたが、狙ってやっているのか。千香は口に手を添えて笑い続けている。


「ごめんごめん。お昼ができたから呼びに来たのよ。席は空いてるけど、こっちで食べる?」

「いえ、行きますよ。報告することもできたし。な、明莉」

「うぅ……はい。そうします」

「わかったわ。それじゃ、下で待ってるから」


 さらっと身を翻し、颯爽と髪を靡かせて千香は去った。いまも《黒猫》は営業中である。本当に仕事の合間に声を掛けに来ただけなのだろう。


「えっと……それじゃ、わたし達も行こっか」


 妙にできてしまった間を取り繕うように明莉が梢に声を掛ける。しかし梢の返事はなく、明莉はいやに静かになった友人を不思議に思った。


「梢?」


 まさか本気で千香に腹を立ててはいないはず。明莉が梢の前に回り込もうとすると、先に梢が顔を振り向かせた。


「なあ、明莉」

「は、はい」


 その顔があまりにも真剣だったため、思わず明莉はどもってしまった。


「あんたさっき、あたしのためなら何でもするって言ったよね」

「え」

「言・っ・た・よ・ね?」

「い、言ったけど」

「よし、言質はとったわよ」


 真剣な表情から一転、悪童のように梢が笑う。

 明莉は激しい不安に襲われた。梢の顔はどう考えても、何かよからぬことを企んでいる。


「梢……一応言わせてもらうけど、無茶しないでって約束もしたよ?」

「大丈夫だよ。無茶なことじゃない。ちょっとだけ、付き合ってくれればいいだけさ」

「……何をする気なの?」

「それはだな――」


 明莉の心配をよそに、梢は自分の考えを楽しそうに友人へと打ち明けるのだった。

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