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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
一章 《黒猫》の日常
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《黒猫》の日常(2)

 千香から受け取った淡い水色のタオルを覆い被せるようにして、梢はわしゃわしゃと濡れた黒猫の身体をくまなく拭いていった。


「相変わらず、変に大人しいやつだよな。こっちは助かるけどさ」


 しゃがんだ体勢の黒猫は一度も鳴き声を上げず、されるがままとなっている。ある程度拭き終わり、床に雫を散らさない事を確認した梢は、黒猫を解放して立ち上がった。


「ん、あんたはもう行っていいよ」


 軽く首筋を撫でてやると、黒猫は梢にちらりと視線を送って見上げた後、厨房を去って行った。おそらくマスターの待っているホールへと向かったのだろう。散歩が長かった分、腹でも空かせているに違いないと、梢はぼんやりと想像する。


「千香さん、そっちは終わった?」


 一仕事終えた梢は裏口の扉近くを振り返る。そこでは厚手のバスタオルを持った園花千香が、濡れに濡れた少女の介抱をしているところだった。


「あ、あの、ひとりで出来ますから……その……」

「だめだめ、ちゃんと全身を拭かないと。ひとりでやると雑になっちゃうでしょ~」


 豊満な肢体で少女を包むようにして、千香は壊れ物を扱うみたいに少女の髪から足首まで優しく拭いていた。口調は穏やかだが有無を言わせぬ響きをもっている。

 中々の包容力というか、破壊力のある光景というべきか、始終しどろもどろになっている少女に対し、梢は同性として微かな同情心を芽生えさせた。


「ん~、でも、これは先にお風呂に入った方がいいわね。梢ちゃん、悪いけど後はよろしくお願いできるかしら?」

「了解です。なんなら千香さんも一緒に入ってきたらどうですか?」

「それもいいわね~。じゃあ、行きましょうか」


 ややあって、一通り少女を拭いはしたが、千香は満足しなかったようだった。やれやれと梢は吐息して、砕けた態度で応じる。


「あ! あの! 本当に大丈夫ですから!」


 だが、ここで少女が強い抵抗を示した。自分を風呂場へ連行しようとする千香の手を振り解き、逃げるように後ずさる。

 梢はこのとき、少女の顔を初めてまともに見た。

 長い前髪で隠れがちになっているが、目は大きく顔立ちは整っている。弱り切っている今は危うい儚さが際立っているが、蕾のような幼さを残した容貌は、笑えばさぞ可憐なものとなるだろう。


「あ、あ……ごめんなさいっ」


 自分のしてしまったことに、後悔の念をありありと顔に浮かべた少女は、怯えたように身体を縮こまらせていた。

 頭を下げられて千香は僅かに目を瞠らせる。しかし、すぐに優しげな笑みを浮かべて首を横に振った。


「大丈夫よ。こっちこそ、調子に乗っちゃったみたいでごめんね」

「い、いえ、そんな……」

「でも、ちゃ~んと温まっていきなさいな」

「えぇ!? で、ですから、もう十分良くして頂きましたし……」

「ダメ。それとこれとは、話が別」


 あくまで辞退しようとする少女の言葉を、にこりと千香の笑みが遮る。


「あなた、傘も持ってないんでしょ。せっかく拭いたのに、外に放り出したら台無しじゃないの。そんなことしちゃったら、私達が悪者になっちゃうじゃない」

「…………ぅぅ」

「はぁ……あんた、さっさと諦めた方がいいよ」


 少女は返す言葉が見つからずに狼狽えるが、中々首を縦に振ろうとはしない。埒があかないなと思った梢は、これみよがしに溜息を吐いて見せ、横から口を挟んだ。

 事情はあるのだろうが、押しに弱いのは見ていて気の毒になるくらいに分かる。ならば、さっさと受けてしまえばいいのだ。


「時間の無駄だよ、無駄」

「梢ちゃん、きつい言い方しちゃダ~メ。大丈夫よ~、なんにも怖いことはないから、ね?」

「……わかり、ました。でも、お風呂は一人で大丈夫ですから」

「オッケ~、それじゃ行きましょ」


 少女は梢と視線を合わせようとせず、浅い会釈を挨拶として、千香に引っ張られていった。どうやら怯えさせてしまったようだが、梢は特段悪いとは思わなかった。


「さてと、あたしもマスターに報告しなきゃね……っと?」


 雨の残り香が漂う厨房に残された梢は、何の気なしに辺りをざっと見渡す。すると、視界の端に放置された学生鞄スクールバッグを捉えた。


「ったく、面倒だなぁ」


 水浸しになっているナイロン製のボストンバック型の鞄は、少女の物に違いない。千香も持ち物にまで気が回っていなかったのだろう。放置して千香に任せてしまってもいいのだが、気付いてしまった以上、不真面目になるわけにもいかなかった。

 一応中の物も乾かしておくべきか。しかし勝手に見てもいいものかと梢は逡巡したが、まあいいやと開き直る。

 プライベートな部分ではあるが、鞄にはアクセサリーの類いは一切付けられていない。外見通りの真面目さであれば、鞄の中身も教科書やノートしか入っていないだろうと適当な言い訳を心の中で呟きつつ、鞄のファスナーを開け――


「げ」


 その軽率な己の行為を、即座に後悔した。

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