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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
四章 少女達の戦い
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少女達の戦い(6)

 それからしばらくして、梢は家に戻ったそうだ。

 マスターから聞かされた明莉は安堵とは言い切れないものの、重い気持ちはほんの少しだけ軽減された。

 本当にただ気分を紛らわせたくて帰り道を外れていただけ。その意味では明莉達の懸念は杞憂に終わったとも言える。

 しかしそれだけだ。梢が置かれている現状は最悪であり、晒された彼女の情報は、たった一日で瞬く間に学校中に拡散していた。


「門原さん、大変だったね」

「この子あれでしょ? 昨日の騒ぎの――」

「ね、ね。実際、木野内さんとどんな話してたの? こそっと教えてよ」


 登校した明莉を待ち受けていたものは、目を輝かせて好奇心の塊となった、第三者達からの嵐のような質問攻めだった。


 二年一組の木野内梢は過去に凶悪な罪を犯しており、六組の門原明莉を毒牙にかけようとしていた。


 休み時間にもなれば、ひっきりなしに明莉の席へ押し寄せる野次馬達の間ででっち上げられた話は、概ねそんな内容だった。

 梢が自分に手を差し伸べてくれた理由が、そんなものでないことは明莉が一番よくわかっている。

 しかし、周囲はそんな明莉を許さなかった。

 いや、聞く耳さえも持とうとしなかった。


「可哀想にね。お金とか取られたりしたんでしょ?」

「もう木野内さんを庇わなくていいんだよ」

「そうそう。こんなに話が広まったんじゃ、向こうだって手を出してこないって」

「なんなら、この際やり返しちゃえばいいんじゃない?」

「え~? でも怖くない? だって木野内さんって、人を――」


 そんな台詞を聞く度に、明莉は耳を塞いで逃げ出したかった。

 明莉の周りに集まる生徒達は、彼女を気遣うようでいて、その実誰も彼女の気持ちを知りたいなどと思っていない。

 目の前にぶら下げられた娯楽エサに群がり、口々に言いたいことをいっているだけだ。

 その娯楽に興じることで、自分達が善人になったと思えるのであれば、なおさらそれは甘美なことだろう。

 明莉のためを思ってと集う生徒達の手によって、彼女はそんな彼等のための、都合の良い悲劇のヒロインとして祭り上げられようとしているのだった。


「みんな、そろそろ解放してあげなさいよ。困ってるじゃない」


 そしてこの状況を作り上げた張本人である皆瀬が、とうとう明莉の前にやってきた。

 皆瀬の鶴の一声で、明莉の周りに溢れていた雑音は波が引くように消えていく。その事実が、明莉にはこの上なく恐ろしく思えた。


「アカリ、気分はどう?」


 皆瀬が口にするのは明莉を気遣うかのような台詞だ。実際、他の生徒達にはそう聞こえたに違いない。


「顔色が優れないみたいね。保健室に行きましょうか」

「…………うん」


 それが自分を連れ出す口実だと理解しながら、明莉は皆瀬の誘いに乗った。問い質したいことは山ほどあった。

 保健室は校舎の一階にある。行くのであれば六組の教室のすぐ近くにある階段を下りればいいはずなのに、皆瀬はその階段を使わず、あえて反対側の端にある階段へと向かっているようだった。


「みんな薄情よね」

「え……?」


 俯き口を閉ざして歩く明莉へ、不意に皆瀬が話し掛けた。明莉が顔を上げると、皆瀬は冷たく湛えた微笑を彼女に向けていた。


「だってそうでしょ? 私達が明莉に構ってあげていたときは、だーれも、何も言わなかった」


 その弁に対する反論を明莉は持たなかった。それはいまも明莉が痛感していることだからだ。


「自分に害がないって安心できるなら、何でも言えるし何でもできる。それで簡単に良いことをした気分になれるんだから最高よね」


 皆瀬は心の底から楽しそうに、くすくすと笑っていた。


「でも、本質は何も変わっていないわ。みんなは見たいものを見ているだけで、本当のことは何も見ようとしないの。形を変えただけで、アカリが見て見ぬ振りをされているのは変わらない」


 明莉と向き合った皆瀬が、視線を横にある教室へとずらす。つられた明莉も彼女の視線を追い、はっと息を呑んだ。


 そこは一組の教室だった。


 教室の中の空気は、廊下からでも肌に刺さるくらい、異常なまでにひりついたものとなっている。

 その原因は、教室の奥で遠巻きにされている木野内梢だ。

 梢は席に座り、誰とも変わらずに窓の外へと顔を向けていた。明莉は自身の目に映るその席の惨状に、言葉をなくしていた。


 机の表面は刃物で切り裂かれてズタズタになり、ペンによる落書きのようなものも見えた。中からは詰め込まれて溢れたゴミが席の周りを汚している。

 明莉にとっては身の毛もよだつ、おぞましい光景でしかなかった。


「こず――!」

「何をする気?」


 思わず友人の名を叫び、明莉は教室に飛び込もうとする。しかしその直前で、皆瀬が身体を張って明莉の前に立ちはだかり、その行動を阻止していた。


「木野内さんを庇うつもりなら、やめておいた方がいいわ。逆効果にしかならないから。だって、アカリが木野内さんを友達だと思ってることくらい、みんな本当はわかっているはずだもの」

「な……」


 愕然とする明莉の肩に手を置いた皆瀬は、ぐっと顔を近づけて前に出ようとする彼女を廊下側に押し戻した。


「見て見ぬ振りっていうのはそういうことよ。まあ、中には本気で信じてる子もいるかもしれないけどね。でも、流れに乗って楽しんでいるのがほとんどなんじゃないかしら」


 そして優しく噛んで含めるように、いまの状況を説明していく。


「もう悪者は木野内さんになってるのよ。アカリが何を言ったって、脅されていたあなたは彼女を怖がってそう言っているだけなんだって、そう思うようになっているの」


 思えばおかしな話だった。明莉のクラスメイト達は、彼女が皆瀬達からイジメを受けている事を知っているはずだ。それなのに、彼等の中で今の悪者は梢なのだ。皆、口々に梢を悪く言い、皆瀬達は梢の悪行を暴き糾弾したのだと、どこか英雄視しているような雰囲気さえあった。

 そしてその流れにクラスの内情を知らない他クラスの生徒も混じり、中には噂を鵜呑みにして本気で梢に腹を立てている者だっているかもしれないのである。


「イジメを知りながら何もしないのも、同罪だって言うじゃない? きっとみんな、アカリのことを知らない振りして本当は心が痛んでいたのね。私がこうして罪を償う機会をあげれば喜んで乗ってくれたわ」


 クラスメイト達が少なからず明莉に抱いていた罪悪感。そして皆瀬達に対する悪感情。

 それらすべてを、梢を悪人に仕立て上げて向けさせる。皆瀬はここまで見越して生徒達を扇動したというのだった。


「だからね? アカリが木野内さんを庇ったりすると、みんな白けちゃうわけ。でも、どうしてもって言うなら私は止めないわ。そのときはみんなこう思うだけよ。『この状況でここまで木野内さんを庇うなんて、門原さんはどれだけ酷い目に遭わされていたんだ。木野内さん、許せない』ってね。もしくは、『門原さんは本当に木野内さんの友達で、だとしたら犯罪者の友達の門原さんも同罪なんじゃないのか――』とかかしら」


 どちらのシナリオでも構わないとでも言いたげに、皆瀬はにぃと笑みを深めていた。


「どちらにしても、木野内さんにもアカリにも得はないわ。だったら、大人しくみんなから同情されているのが賢い選択よ」

「賢いとか……賢くないとか、そんなんじゃない。わたしは、梢を――」

「助けたい? アカリには無理よ。できるわけがない。そんな風に前髪を切ってもね、人はそう簡単に変われないのよ」


 明莉の意気地を挫かせるように怪物の指先が彼女の前髪をさらりと撫で、頬を這って顎を掴む。くいと顔を持ち上げられた明莉は、まさしく蛇に睨まれた蛙だった。


「本当に顔色が悪くなってきたわね。やっぱりちゃんと保健室に連れて行ってあげましょうか?」

「…………! いらない……。一人で行けるよ」

「そう。じゃあ、私は教室に戻るわね。気をつけて行ってらっしゃい」


 明莉は金縛りを無理矢理解くようにして、皆瀬の手を振り払うと踵を返す。

 すぐにでも梢のもとに駆け寄りたかった。しかし、自分の不用意な行動一つが梢を追い詰める悪手となり得るのならば、堪えるしかなかった。

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