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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
四章 少女達の戦い
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少女達の戦い(2)

 その日の放課後、バイトに向かう梢と校門で別れた明莉は、一人家路に就いていた。

 足取りは軽く、心は早速一ヶ月後のイベントのことで一杯になっている。様々なしがらみを一時忘れて、彼女はすっかりと浮かれていた。


 それ故に、自分を待ち構えるように通学路に立つ人影に、直前まで気付くことができなかった。


 大柄で頭を丸めた、桶布高校の制服を着た男子だった。

 普段ならば明莉が自宅近辺で他の生徒を見かけることは少ない。更にその男子生徒は明莉へとはっきり視線を向けていたため、その存在に気付いてしまえば、意識しないようにするのは無理だった。


「ちょっと待てよ、門原」


 それでも気のせいかもしれないと、平静を装ってその男子の横を通り抜けようとする明莉だったが、はっきりと名指しで呼び止められてしまった。


「えっと、誰……ですか?」


 見上げるほどの身長差のある男子の顔は夕日の逆光を受けて、まだ幼さの残る風貌に濃い陰影を刻んでいた。少し身を引いて訊ねる明莉に、その男子は重たげに口を開いた。


「山岸。木野内のクラスメイトだ。あいつから、何か聞いてないか?」

「…………いえ、ごめんなさい」


 明莉は思い出そうとしてみたが、山岸という名前に聞き覚えはない。彼女の反応に不服そうに、その男子――山岸は眉間に皺を寄せた。


「山岸くん……。それで、わたしに何の用?」


 まるっきり初対面の男子に気後れする気持ちを抑えて、明莉は改めて訊ねた。わざわざ梢の名前を出したところに気に掛かったのもある。

 そして彼女の予感通り、山岸の用件とは梢がらみの事だった。


「最近お前、木野内とよくつるんでるよな。どういうつもりなんだ?」

「え……?」


 何を訊かれているのか意味が解らない。というのが率直な感想だった。


「あの……ごめんなさい。どういう意味ですか……?」


 戸惑った明莉は素直に問い返した。伝わらず、期待した答えが返らなかったことに山岸が眉間の皺を深くする。


「……お前さ、皆瀬にちょっかいかけられてんだろ?」

「……!? なんで……」

「部活で……六組のやつもいるからな。噂程度に聞くんだよ」


 ちょっかいとぼかした言い方をしているが、それが指す内容は明らかである。息を呑む明莉に、山岸は続けた。


「お前がどういうつもりかは知らないけどな……木野内を巻き込むなよ」


 思いも寄らないその言葉を理解しきれず、明莉が一瞬固まる。一度吐き出した言葉の勢いは止まらず、山岸は捲し立てるように言い募った。


「皆瀬とは一年のとき同じクラスだった。そのときも、あいつは気に入らない女子にちょっかい出してた。今はその女子、学校に来てないみたいだけどよ……とにかく、ヤバい奴なんだよ」

「ちょっと待ってください! なんでそんなこと……わたしに言うんですか……」

「だから……お前のいざこざに、木野内を巻き込むなって言ってるんだ……!」


 その主張に、明莉は今度こそ色を失った。


「お前がどんなつもりで木野内に近付いたのかは、もう訊かない。けど頼むよ。あいつを巻き込むのだけはやめてくれ」

「……なんなんですか。梢とは友達で……どうしてあなたに、そんな風に言われないといけないんですか!」

「友達……? だったら、なおさらだろ。あいつの事情を考えれば、余計な事に首を突っ込ますわけにはいかないことくらい分かるはずだ」

「事情?」

「知らないのか……? いや……そりゃそうか。好き好んでするような話じゃないだろうからな……」


 勝手に一人で納得したような事を言う山岸だったが、明莉には解らないことだらけだった。

 山岸と梢の関係も。彼が口走りかけた梢の事情も。

 ただ、現時点で明莉が唯一理解できたのは、山岸は梢のことを危ぶんで自分に警告をしにきたという事実だけだった。


 イジメの標的になっている明莉と仲良くすると、梢にも害が及ぶ。だから関わるのをやめて欲しい。


 彼の主張をまとめれば、そういう事なのだろう。意味が理解できてしまうのが悲しかったが、明莉は納得まではしなかった。


「山岸くんの言いたいことは伝わりました……でも、誰に何て言われても梢はわたしの友達です。それをやめるつもりなんてありませんから」


 きっちりと目を見返して主張し返した明莉に、山岸は少したじろいだ様子だった。

 おそらく、以前の明莉ならば何も言い返せなかったに違いない。しかし、いまは恐れよりも怒りの方が強かった。

 ここで彼の言い分を受け入れてしまえば、梢の優しさを侮辱する。こんな自分の側に一緒にいてくれる少女の心根を否定するような真似だけはしたくないし、させないと明莉は強く思うのだった。


「用はそれだけですか? それじゃあ、わたし急ぐんで……」

「おい! 待てって!」

「――痛いっ! 離して!」


 立ち去ろうとする明莉の腕を咄嗟に山岸が掴んで引き止める。男の腕力に本能的な恐れを抱き、明莉は身をよじって抵抗した。彼女の大声に、山岸も慌てた様子で手を離す。


「人を、呼びますよ……」


 距離を取って警戒の色を強めた明莉は、スカートのポケットに忍ばせていた防犯ブザーを山岸に見せた。これもイジメの対策として持ち歩くようにしようとしたものだが、こんな形で役に立つことになるとは彼女自身も思っていなかった。


「……わ、わかった。わかったから、しまってくれ」


 狼狽えた山岸も明莉から離れて、それからしばらく睨み合うような時間が過ぎる。


「……とにかく、伝えたからな……。ちゃんと考えておいてくれよ」

「……知りません。早く行ってください」


 折れたように溜息を吐く山岸へ、明莉は冷淡に告げる。まだ諦めきれない空気を残しながらも、説得するのは困難とみたのだろう。大きな背中を明莉に向けて、とぼとぼと去って行った。 


 冷たい夕暮れの静寂に、迷子のように取り残される。明莉は早まる鼓動を耳にしながら、地面に伸びる己の影を見つめていた。



 その後、明莉は山岸との間に起こった出来事について、梢に話すタイミングを逸していた。何となく胸にもやもやとした感情が残り、うまく話せる自信がなかったのである。

 あの様子からして、知り合いなのは間違いないのだろう。だが、ほんの少し梢との会話を意識してみても、そんな知り合いがいることを彼女は口にしなかったし、影も見えなかった。

 友達にはなれた。だが、梢について知らないことはまだまだある。その事実が、明莉の心に灯りかけた勇気にほんの少しだけ影を差す。


 いつか話すべき時がくれば話してくれるのだろうか。そんな淡い期待を寄せながら、明莉は忘れようとして、それからの数日間も梢と変わらぬ時間を共有していった。


 きっと、それは予兆だった。


 一時的な平穏は、残酷な現実が姿を見せる前の猶予期間のようなものでしかなかったのだ。


 十一月が終わり十二月となった、そのとき。


 明莉は残酷にも見せつけられる。

 現実は彼女の前に、最悪の形で梢の抱える闇を曝け出したのだった。

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