少女達の戦い(1)
十一月の末となり、秋が終わろうとしていた。
青い寒空の下、遠くに見える山の稜線は白く連なり、身を切るような空気に吐き出す息も白くなる。
門原明莉が《黒猫》に来た日からおよそひと月が経とうとする頃、そこかしこから、冬の気配が感じられるようになってきていた。
木枯らしも吹き寒さも増すそんな折りでも、梢と明莉は校舎の間の中庭で昼食の時間を過ごしていた。
二人以外にも同じようにベンチに座る生徒の姿はあるが、大半の生徒はこの寒さのため教室を選んでいるため、一ヶ月前と比較してその数は大分減っている。
しかし所属するクラスが違う二人にとっては、放課後を除けばこの時間だけが一緒にいられる唯一のときなのだった。
「梢は今日も《黒猫》だよね?」
「そうだな。明莉も来るか?」
ブレザーの下に学校指定のセーターを着込んだ少女二人の会話は、すっかり気安いものになっていた。前髪を切った明莉の表情も明るい。
「ううん、今日はやめとく。いつも城森さんに送ってもらうのも悪いし。お母さんにご飯も作らないとだしね」
「そっか。遠慮しないでいつでも来なよ。つっても、みんなアホみたいに明莉を歓迎するのは、そろそろ勘弁してもらいたいところだけどね」
「あはは……」
泊まりに行った日以来、明莉はちょくちょくと《黒猫》を訪ねるようになっていた。バイトとしてではなく、客としてである。
一日限定で働かせてもらったあの日は、色々と迷惑をかけたお詫びという意味と、変わりたいと願う明莉自身の意志からのことだった。
ちなみにその後、しっかりと働いた時間分の給金を渡された明莉が恐縮しきりだったのは別の話である。
本格的に《黒猫》で働いてみたいという気持ちは、明莉にもあるにはあった。母子家庭であるため、家計を助けるためだと理由を作れば学校側の許可も下りるだろう。
ただ、やはり母親に対する負い目がある。自分のために懸命に働いてくれている母親に対してバイトをするというのは、今の生活に不満を抱いていると思われるかもしれない。そんな風に考えもした。
「そんなもんかね。家計を助けるってんなら、ありがたがられるんじゃないのか?」
「どうかな……話してみないと分からないけど、あえて《黒猫》でバイトしたいって理由を考えるのも難しい気もするし……」
明莉が《黒猫》でバイトをしたいという動機は明確なのだが、それは個人的な想いによるものだ。そしてその経緯について母親に話す決心を、明莉はまだつけていない。
ただ、自分の事情を知り、それでも受け入れてくれる場所がある事実は、少女の心を大きく勇気づけていた。
「ま、ゆっくり考えればいいんじゃない? 今のところ、あいつらも目立って仕掛けては来てないんだろ?」
「あ……うん、そうだね」
話題が別の方向に移り、その内容故に明莉は神妙な顔になって頷いた。
金髪少女のグループから受けるイジメ。こうして二人が時間を共有しているのも、その対策の一環である。
皆瀬佳奈。
それが金髪少女の名前であり、明莉も梢に話すことを躊躇わなかった。
何がきっかけで明莉が目を付けられたのかは、彼女自身にも正直分からないとしか言いようがなかった。
皆瀬はあの見た目だ。人見知りである明莉にとっては苦手意識の強い相手であり、話し掛けられてもうまく返事ができなかった。たぶん、そうした態度が積み重なり、彼女の気を損ねたのではないかと明莉は振り返る。
貸したはずの筆記用具が返らないのが珍しくなくなったのはいつからだったか。日直のような持ち回りの雑用はたいてい押しつけられていた。
そうしているうちにそんな扱いが当たり前のようになり、明莉はもう嫌だと言い出せなくなっていた。
今にして思えば、皆瀬達は明莉が抵抗するかしないか、そのギリギリのラインを測ろうとしていたのだろう。限界を探りながらそれを広げ、味を占めた皆瀬達の仕打ちは次第にエスカレートしていった。
そうして行き着いた先が現状だ。
ずるずると傷ついた心を引き摺りながら、自分は大丈夫だと堪え続けた結果、あの雨の日へと繋がっていく。
だが、今になって皆瀬達は明莉へのイジメの手をぴたりと止めていたのだった。
「でも……どうしてなんだろう」
明莉にも理由はまったく解らなかった。たまに視線を彼女達から感じることはあるが、話し掛けられたりはしない。暴力のような直接的なものはなく、ただ無視をされている状況が続いている。
話を聞いたときは梢も信じられず、休み時間などの動ける時間にこっそりと明莉の様子を見に行ったこともあるが、概ね彼女の言う通りだった。
学校で梢達がとれる選択は少ない。だからこそ、心構えだけはしておこうと決意したばかりだというのに、肩透かしを食らわされたような気分になったのは否めなかった。
明莉が被害を受けないのは幸いだが、逆に不気味だとも言える。
膠着状態。あるいは冷戦とでも言うべきか。
「まさか、飽きたってわけじゃないんだろうけどな」
言いながら気休めにもならないと梢は首を横に振った。何よりも明莉を庇った放課後、自分は皆瀬から直接「楽しみにしていろ」と告げられている。
「ともかく、いつ動かれてもいいように警戒だけはしとかないとな」
「うん、そうだね……」
このまま二学期が終わり、年が明けて三学期にもなれば進級は近い。クラス替えになれば皆瀬達とも別れることができるかもしれない。
明莉は自分の望み通り、このまま事態が過ぎ去っていけばいいのにと願わずにはいられなかった。
「ま、これ以上は考えてもしょうがねえ。辛気くさい話はこの辺にしとこうぜ」
そこで梢は大袈裟に肩を竦めて、再度話を変える合図とした。
「ところで、明莉はクリスマスの予定空いてるか?」
「え? クリスマス……?」
唐突に出された単語に明莉は首を傾げた。言われてみれば確かに、あともう一ヶ月も経てばその日は来る。気の早いところでは、既にそれを思わせる飾り付けなんかも始める頃合いだろう。
「イブの日に、《黒猫》でパーティでもやろうって話をしててな。明莉もよかったら――」
「行く! 行きたい!」
「お、おう……。そうか。無理はすんなよ? 親もいるんだし」
身を乗り出して食い気味に承諾する明莉を気遣う梢だったが、明莉は勢いよく首を横に振った。
「大丈夫だよ。最近ね、梢のことを話すとお母さんも喜んでくれるんだ。きっと許してくれるよ」
「……余計なことを話してんじゃないだろうな?」
息を白く弾ませる明莉に、いったい何を話しているのやらと梢は疑わしそうに目を細める。
そして、そんな中庭の様子を見下ろす視線があることに、二人は気付いていなかった。




