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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
三章 《黒猫》再訪
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《黒猫》再訪(8)

 日曜の昼下がり。迷うに迷った末に、沓掛は《黒猫》を訪ねることにした。

 昨日の失敗から顔を出すのはまずかろうという思いもあったが、昨晩自宅に戻ってから、彼の携帯に梢から連絡があったのだ。

 

『見せたいものがあるから、明日来れるなら《黒猫》に来て欲しい』


 内容は要約するとこうだった。他ならぬ梢からの呼び出しであるのなら是非もない。

 そして要望も一つ付け加えられていた。それは沓掛に職員としてではなく、一人の常連客として来て欲しいということだった。

 そのため、今日の沓掛はスーツではなく平服だった。理由は明かされなかったが、何か考えがあってのことに違いない。

 疑問は残るが、ここまで来たらもう確かめた方がはやい。沓掛は昨日とはまた違った心境と面持ちで、入口のドアを開けた。


「いらっしゃいませ~。お一人様ですか~?」

「こんにちは、園花さん。お言葉に甘えさせてもらいましたよ」


 店内では、昼を迎えて休息に足を伸ばした常連の姿もちらほら見受けられた。沓掛は出迎えてくれた千香と挨拶を交わし、軽く会釈をする。


「い、いらっしゃいませ!」


 そこへ、やや上擦った声でもう一つの挨拶がカウンターの方から聞こえてきた。沓掛が顔を向けると、コーヒーを淹れるマスターの傍らには、千香と同じデザインの制服を着た少女がいた。


「門原さん……?」


 一瞬我が目を疑う沓掛だったが、緊張に頬を染めるその少女は門原明莉に間違いなかった。これはどういうことなのかと千香に目で問うと、含み笑いを返されて、彼は昨日と同じ、周囲に会話が聞かれない端のテーブル席へと案内された。


「ふふ、まずは何も聞かずに接してあげてください。ご注文がお決まりになられましたら、呼んでくださいね~」


 千香はそれだけ言うと、優雅にお辞儀をして離れていく。まだ狐につままれた気分だったが、沓掛は言われた通りまずは注文を決めることから始めた。

 手早くコーヒーを一杯頼むことにして、「すみません」と声を掛ける。するとやってきたのは、千香ではなく明莉だった。


「はい。ご注文をおうかがいします」


 間近で見た明莉は、昨日とはずいぶん印象が変わっていた。

 まず大きく見た目が違った。《黒猫》の制服姿であることは言うまでもなく、明莉の目元を隠す前髪は思い切ったように切られていたのである。

 少し声は硬いものの、はっきりと口を開けて声は通しているし、怯えて影のある雰囲気はいまの彼女にはない。

 そう思わせる一番の要因も、やはり表情に目が加わったことだろう。いまも懸命に接客をこなそうとしている少女の意思は容易に伝わり、好感を生む手助けをしていた。


「ええと……では、ホットコーヒーをお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」


 手にした伝票に注文を書き込んだ明莉は、ぺこんと頭を下げてカウンターの方へ戻り、マスターと言葉を交わしていた。

 そんな少女の様子を見守る、どこか微笑ましいような空気が今日の《黒猫》からは感じられる。

 これがどういう試みなのか、沓掛は薄らと理解し始める。それから少しして、注文の品を持った明莉が戻ってきた。


「お待たせしました」

「ありがとうございます」


 明莉が沓掛の前にカップを置く。その注文からの一連の流れを終えたところで、ほっと彼女が緊張を緩めた気配がした。


「…………あ、あの」

「や、沓掛さん。どうだった? 明莉の接客」


 丸いトレイを両手で抱えて口ごもる明莉は、何か言いたげだった。

 明莉からの言葉を待つか、口を開くか。沓掛が迷っていると、そこへ彼女の背後からもう一人の少女が現れた。


「梢……」


 気負わない笑みを浮かべた木野内梢だった。顔を振り向かせた明莉が、梢をの顔を見て笑みを零す。

 それだけのやりとりで、沓掛は委細を理解した。求められているものに対して、率直な感想を述べることにする。


「そうですね。バイトを始めたばかりで緊張している、少し人見知りの新人さん……といった感じかな」

「なるほど。ま、新人じゃなくて本日限定だけどね。及第点は採れてたと思う?」

「もちろん。特に問題があるようには思えなかったね」

「だってさ。よかったじゃん、明莉」

「うん……。沓掛さん、ありがとうございます。それから、昨日はすいませんでした」


 そこで梢と交わした笑みを引いて、明莉は真剣な顔で沓掛に頭を下げていた。


「いや、止してください。門原さん、あなたに落ち度はありません。悪いのは全部私ですから。ほら、頭を上げて」

「あーあ、いたいけな女子高生に頭を下げさせて、沓掛さん最低だね」

「梢ちゃん……茶化さないでくださいよ」


 憎まれ口を叩く梢に、沓掛は哀れみを求める。だが、これが彼女なりの距離の取り方なのだと彼にも解っていた。


「あたしも、その、かっとなって悪かったよ。お互いに悪かったってことで、昨日の件は水に流す。それでいいよね?」

「……わかりました。二人がそれで良いと言ってくれるなら」


 少女二人の心遣いに深く感謝して、沓掛は頭を垂れた。


「それで、見せたいものというのは、やはり門原さんの……?」

「ああ、そうそう。それと、聞いて欲しいこともあってね」


 明莉を促しつつ、梢は彼女とともにテーブルの席に着いた。丁度昨日の再現のような形となる。最初からそうする予定だったのだろう。二人の行動にマスターも千香も口を挟んだりはしなかった。


「沓掛さん、昨日はお話できませんでしたけれど、わたしは学校で問題を抱えて……イジメを受けています」


 そして明莉が切り出した。


「でも……ごめんなさい。そのことを親や学校側に言う決心は、まだついていません。知られず解決できればいいって、今も思ってます」

「門原さん、それは……」

「馬鹿げてるって思われても仕方ないです。けど、わたしは一人じゃなくなりました。だから……あと、もう少しだけ、頑張りたいと思うんです」


 テーブルの下、トレイの上で握られる明莉の小さな拳。そこへ梢が片手を添えた。


「沓掛さんの立場から考えたらまずいってのは解るよ。でも、許してやってくれないかな。クラスも違うし、いつもってわけにはいかないけど、あたしもなるべく一緒にいるようにする。それでもダメなときは、ちゃんと相談するって約束する」


 少女二人の目は真剣だった。きっと自分達なりの最善を考えようとして出した結論が、今の言葉なのだろう。


「…………正直に言うと、二人とも甘いと思う」


 長い時間、沓掛は注文したコーヒーが冷めることも忘れて黙考した。そして深い深い息を吐き、少女達の決意に真摯に向き合った。


「二人が問題を表沙汰にしたくないという気持ちは解った。ただ、そうなると門原さんの立場は何も変わらない。学校に行かないという選択もあるんだ。それを自ら捨てることになる」


 親に知られたくないのなら、明莉はこれまで通りイジメに堪えるしかないのだ。仮にかつての放課後のように、梢が腕力に訴えて抵抗としても、それが原因でイジメが学校側に伝わる可能性だってある。


「梢ちゃんはダメなときは相談すると言ったけれど、その判断は誰がするんだい? 人が追い詰められるのに明確な基準なんてないんだよ? 曖昧な判断は手遅れに繋がる。門原さんには……もう言ったことだね」


 保護された明莉はまだ運が良かった。自分のことであるため、明莉には沓掛の言葉は痛いほど身に染みた。


「決意は買うけれど、本来なら学校側に報告して、然るべき教育機関と親御さんとも連携をとって対処にあたるべき案件だよ。子供達だけで解決しようとするべきじゃない」

「それじゃあ、沓掛さんは反対なの?」

「ああ、反対だ。当たり前じゃないか。ただ……それ以上のことを言う権利もない」


 沓掛は心底悔しげに口を曲げ、声を落とす。


「残念だけど……学校の領分になると、私の職掌の範囲を出る部分もあるからね。それに、こんな事は言うべきじゃないが、公にした結果かえって事態を悪化させて、君達を余計に傷つける結果に繋がることも、考えられないわけじゃない。私の言ったことは正攻法だけれど、この問題には、はっきりとした正解がないのが辛いところだよ……」


 そしてどこか眩しいものでも見るように言うのだった。


「どうか周りに頼ることを忘れないで。それは、一人でも二人でも変わらない。自分達だけで抱え込んで自滅だけはしないでくれ。私が君達にお願いできるのはそれくらいだ」


 ぐっと頭を下げる沓掛に二人は「はい」と声を揃え、殊勝に頷いた。

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