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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
三章 《黒猫》再訪
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《黒猫》再訪(6)

 泣き震える明莉に対して、梢はどうしやることが最善なのか解らず動けなかった。


「悪い。あたしは、あんたの気持ちを汲んでやれない。でも、これだけは言えるよ。あんたは何も悪くない」


 だからせめて、自分の中で渦巻く感情をできる限り言葉にして伝えようとした。


「親の愛情がどんなものなのか、あたしには皆目見当がつかないんだ。だから……ごめん。何を言ってやればいいのか解らない」

「大丈夫だよ。聞いて欲しいっていったのはわたしだから」


 梢と絡ませていた方とは逆の手で目元を拭うと、明莉は寝返りを打って身体を横に向ける。そうして落ち込んで俯く梢と瞳を合わせた彼女は、くすりと笑った。


「だから謝らないで。これじゃ、いつもと立場が逆だね」

「ああ、そうかもな」

「木野内さんのお陰でだいぶ楽になった気がする。ありがとう。誰かに聞いてもらえるだけでも、心は軽くなるんだね」

「…………だな。あぁ……そうだ。ついでに言っとくよ」


 明莉につられて口もとを緩めた梢は、ふと何かを思いついたように間延びした声を出し、迷った末に言った。


「苗字で呼ぶのはやめてくれ。実はあたし、自分の苗字が嫌いなんだ」

「え……それって……」

「あたしもあんたのこと、明莉って呼ばせてもらうからさ。いいだろ?」


 梢は多くは語らず、明莉も訊こうとはしなかった。

 お互いに重ね合った掌に力がこもる。やがて頷いた明莉は、気恥ずかしそうに小さく口を動かした。


「こ、梢……さん?」

「なんでだよ」


 梢が苦笑する。


「丁寧なのは偉そうだから嫌だって言っただろ。呼び捨てでいい。いや、そうしろ」

「……梢」

「ああ。上出来だよ、明莉」


 まだ違和感を覚えるくらいに拙い言い方だったが、梢は返事をして力強く明莉の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。


「く、くすぐったいよ」

「うるせえ。面倒なこと聞かせてくれやがって。これくらい甘んじて受け入れろ」


 有無を言わさず明莉の髪を乱し、梢が声を弾ませる。明莉も決して嫌がりはしなかった。

 ふたりの意識の外をつくように部屋のドアがノックされたのは、丁度そのときだった。


「梢ちゃん、明莉ちゃん。入るわよ~」

「千香さん!?」


 叫んだ梢が高速でベッドから飛び退く。さっきまで明莉と繋いでいた右手には汗が滲み、彼女はそれを背中に隠した。


「ちょっと暗いわね。電気付けるわよ~」


 千香は断りを入れてからドア横にある電灯のスイッチを入れた。照明の白い光が、ぱっと部屋に広がる。


「ん~? 梢ちゃん、顔が赤いわね。楽しそうな声が聞こえていたけど、何かいいことでもあったのかしら?」

「……何でもないです。何の用ですか?」


 頬の熱気を振り払うように梢はかぶりを振った。明莉も布団で半分顔を隠すようにしており、これでは何かあったと言っているも同然だった。


「そろそろお夕飯の準備もしないとだからね。明莉ちゃん、何か食べられそう?」

「あ……は、はい。だいぶ気分はよくなりました。大丈夫だと思います」

「それならよかったわ」

「ちょっと待ってください。千香さん」


 さらりと流してしまいそうだったが、会話の中に聞き逃せない台詞があり、梢が待ったをかける。


「夕飯の準備って、千香さんも泊まる気なんですか?」

「あら、ダメ?」

「いや……別に、そういうわけじゃ、ないんですけどね」


 梢に付き添う形で千香が《黒猫》に泊まるのは、別に初めての事ではなかった。その行為そのものに問題があるわけではない。

 ないのだが、梢の目に映る千香の笑みは、何か企んでいるものだった。


「何も企んじゃいないわよ。私は女子高生二人と親睦を深めたいだけなんだから~」

「言ってますよね!? はっきりと!」

「いいじゃない。なんだかいつの間にか、二人とも良い感じになってるんだもの。私も混ぜてよ~。ねえ、明莉ちゃん」

「え!? あ、あの、その」

「ちょっと千香さん! 病み上がりなんだから明莉にちょっかい出さないでください!」


 すすっと音もなくベッドに近付いて来た千香に、明莉は実に分かりやすく慌てふためく。そこへ梢が割って入ったのだが、言った瞬間彼女は自分の失言に気付いてしまった。

 千香は口もとに指を添えてにんまりと弧を描くと、あっさりと身を引いていた。


「ほ~ら、やっぱり仲良くなってる。いいわよね~、青春って。私も十年くらい戻ってやり直したいわ~」

「~~!」


 口を開けばその数だけ墓穴を掘らされてしまう。梢は唇を噛み締めてますます顔を紅潮させた。


「…………ふふっ」

「あら?」

「明莉?」


 そのとき、唐突にくぐもった笑い声が聞こえる。千香と梢が声のした方を見ると、布団を顔にまで被せた明莉が、ぷるぷると必死で笑いを堪えようとしていたのだった。


「ご、ごめんなさい。でも、もう無理です……おかしくて」

「あんたねえ、あたしがからかわれているのがそんなに面白いわけ!?」

「あはは……そ、そうじゃないんだけど……うん、でもそうなのかな。わかんないや」

「いいのよ、明莉ちゃん。楽しいときに笑っちゃいけない理由なんてないんだから、遠慮しなないでどんどん笑ってね~」

「は、はい……そう、します」


 布団から顔を出した明莉が、初めて心からの笑顔になる。それは待ち望まれていた蕾が、ようやく可憐な花を開かせた瞬間だったのかもしれない。


 ベッドの傍らで我関せずと伏せた黒猫が、ぴくりと耳を動かしていた。

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