《黒猫》再訪(3)
「突然すまないね、梢ちゃん。来てしまったよ」
テーブルの上で両手を組んだ男性は、向かい合って座る少女二人に対して、まずは梢に謝罪してから明莉に名乗った。
「門原明莉さんですよね? 私は沓掛と言いまして、しがない公務員をやっているものです。どうぞよろしくお願いします」
砕けた口調で梢に話し掛けたかと思えば、明莉にはやけに物腰が低くなる。ぺこりと頭を下げられて、明莉は困った顔で梢を見た。
梢はわざとらしく溜息をついて、しらけた目を男性に向けた。
「三文芝居はいいですよ、沓掛さん。何の用ですか?」
明莉の名を知っているという時点で、彼がこの場に必要と判断されて呼ばれたのだと梢はあたりをつけていた。口をへの字に曲げて腕を組む少女の態度にも、気分を害した様子もなく沓掛は笑った。
「芝居とは酷いな。お察しの通り、ここに今日来たのは偶然じゃないけれど、昨日の今日だったし、こっちもばたばたとしていたんだって。連絡しなかったのは悪かったよ。この通り!」
「もういいですよ」
両手を合わせる沓掛に、梢は冷めた声で応じた。
「悪いね、門原。妙なことに付き合わせちゃって」
「ううん……わたしは大丈夫。えっと……沓掛さん、はじめまして。門原明莉です。その、どうしてわたしの名前を……?」
「ええ、まあ……それは追々話します。まずはお昼にしないかな。お腹減ってない? ここは私が出すんで好きに頼んでくださいよ」
「え、いやその……初対面の人にそんな」
「大丈夫だって。このオジさん、お金は持ってるから」
「はは、いかがわしい言い方はやめてくれよ。でも、遠慮は無用だからね。同席してもらっているお礼とお詫びも兼ねてということで。女性二人の食事代を出せないほど、甲斐性なしではないつもりだよ」
と、そこへ様子を見に来たのか、話を聞きかじった千香がやってきた。
「あらまあ、沓掛さん。それなら今度、私ともお食事しませんか?」
「ははは、魅力的な提案ではあるのですが、園花さんとご一緒すると洒落になりませんので勘弁してください。なにぶん妻子持ちですので」
艶然とした笑みを咲かせ、沓掛へとアプローチするような台詞を言う千香に対して、そんな彼女との会話も慣れたものなのか、沓掛は彼女と負けず劣らずの笑みで受け流した。
梢はほとんど聞き流しているに近い状況だったが、あれよあれよと進められていく話についていけていない明莉は戸惑いっぱなしだった。
「あら残念。ところで、ご注文はお決まりですか?」
「はい。では、私は日替わりランチを願いします。食後のコーヒーと、彼女達にはデザートもつけてください」
「かしこまりました。そちらのお客様はいかがなさいますか?」
「あたしは、このパスタのセットにしようかな」
軽い会話の応酬の後、沓掛はさらっと注文をすませ、梢もそのあとに続く。慌ててメニューを開いた明莉は、手頃なサンドイッチのセットを選んだ。
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ~」
注文を繰り返した千香が厨房へ伝えに去って行く。ほっと胸を撫で下ろした明莉の様子を見て、沓掛が屈託なく笑いかけた。
「門原さんは、真面目な方のようですね。いやしかし、梢ちゃんに君のようなお友達ができて、私も嬉しいですよ」
「きょ、恐縮です」
「沓掛さんまで勝手なことを言わないでよ。そういう大人達の反応には飽きてますんで」
「おや、違うのかい?」
「ノーコメントです!」
「否定はしないと。よかったですね、門原さん」
「え? ええと……ど、どう答えればいいのでしょうか」
むっつりとする梢を気遣って明莉が反応に窮する。常に丁寧だが遠慮を感じさせないやり取りからして、この男性は梢とそれなりに親しい間柄に位置しているのだろう。
いったいどういう関係なのだろうか。またしても、梢に関する興味が明莉の中でむくむくと膨らんでいく。
「あの……沓掛さんは木野内さんと、どういう……」
沓掛が醸し出す話しやすそうな空気が、自然と明莉の口は軽くなっていた。言ってから「まずかったかな」と顔に後悔の色を出す彼女に、沓掛は優しく口端を持ち上げた。
「私は構いませんよ。梢ちゃんはどう?」
「……あたしは、あまり気が進まない」
ややあって梢から出された返答。言葉こそ濁されてはいるが、それは紛れもない拒絶だった。
言葉を出せず、明莉の心が落胆に重くなる。
「ふむ……そうか。弱ったな。今日の私の目的を考えると、少なからずお話する必要があるんだけれど」
「は? どういうことですか?」
「実は用があるのは梢ちゃんではなくて、門原さんなんだよね」
「……わたし、ですか?」
「うん。坂本さんから個人的に相談を受けたんだ。みてもらいたい子がいるとね」
カウンターで仕事をしているマスターを一瞥して、沓掛は困惑する少女二人に自分の目的を開示した。
「……やっぱり、マスターの差し金かよ」
「そう言わないで。私が来たのは、坂本さんが門原さんを心配した結果だからだよ。今回は君のことがなくても、こうなっていたさ。私も立場上、子供相手に嘘をつくわけにはいかないからね。きちんと身分は明かさなければいけない。わかってくれないかな?」
あくまでも明莉のためを思えばこそ。そう真摯に訴えられては、梢に断る道理はなかった。我が儘を言っているのがどちらかは、彼女にも解っている。
梢は両手を高く挙げて、行儀悪く両足を投げ出して椅子にもたれかかった。
「あぁ、もう、わかったよ。はいはい、わかりましたよ。沓掛さんの仕事を話すのはいいよ。でも、あたしのことは勝手に話さないでよね」
「うん。それはもちろん配慮する。ありがとう」
「だから、いいって。もういいだろ。ったく、門原を泊めようって話の裏がこんなんだとは思わなかったよ」
「ね、ねえ……木野内さん、さっきから、どういうことなの?」
「あんたはいいから、後で沓掛さんに話を聞いてもらいな。それなりに頼りになるのは、あたしが保証しとくよ」
「話って……何を」
「あんたが抱えてるもんだよ。迷子になってた訳とかな」
梢に横目で睨まれて、明莉は息を呑む。
何を言われているか表面上の意味は理解できたが、何故話さなければいけないのかと混乱する。
マスターから相談されて、なおかつ梢にそこまで言わせるとは、いったい何者なのだろう。今日会ったばかりの人に、自分の何を話せというのか。
「梢ちゃん、そう身構えさせないで。大丈夫ですよ、門原さん。あくまで雑談程度のことだと思ってください。私の職については、あとでちゃんと説明します。まずは食事をしてから。二人とも、それでいいかな?」
そうして話していると、できあがったランチが千香の手によって三人のもとへと運ばれてきた。
料理は確かに美味しかったが、すっかり気もそぞろとなった明莉にとって、それは勿体ない時間となってしまった。




