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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
二章 少女達の事情
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少女達の事情(6)

 翌日の放課後。

 梢は校門前で独り、次々に帰りゆく生徒達を眺めていた。


 明莉はまだ来ていない。具体的に何時に集合とは決めてはいなかったが、放課後になってから随分と経っている。

 いくらなんでも遅すぎる。梢が痺れを切らすには十分な時間だった。

 嫌な予感がするのは気のせいか。真っ先に梢の脳裡を過ぎったのは、先日絡まれそうになった金髪少女の嫌らしい笑みである。

 明莉が普段から彼女達とどういう付き合いをしているのかは、詳しく聞いていない。それでも、あの鞄の中身を見てしまった以上、想像するのも胸が悪くなるのは確かだ。

 何はともあれ、迎えに行くべきだと梢は校舎へと引き返した。行き違いになるならそれでもいい。思い過ごしであるのに越したことはないのだから。


 しかし、梢が二年の教室が並ぶ二階に着くや、期待は呆気なく裏切られた。


「早くしなよ、アカリ。ゴミがまだ残ってるでしょ」


 生徒がほとんど帰った放課後の校舎に、その甲高い声はよく通った。

 梢は反射的に身を低くし、六組の教室へと急ぐ。廊下側の窓ガラスから覗き見ると、予期した通り中には四人の少女達がいた。

 全席を前へと移動させてスペースを作った教室の後方で、箒を持った明莉と、彼女を取り囲む金髪女子を中心とした三人組。


「あの、もう、本当に……終わらせてください。約束、してるんです」

「はあ? わたし達が悪いっての?」


 か細い明莉の声に、壁に背を預けてにやにやと笑う金髪女子の声が被せられる。


「さっさと掃除できないノロマなのが悪いんでしょ。逆に帰れなくて、わたし達の方が迷惑してるんだけど?」

「そうよ。口答えしないで手を動かしたら?」

「だいたい約束ってなんなわけー? どうせ相手も、すっぽかされたと思って帰ったでしょ」


 やはり、明莉は揉め事に巻き込まれていた。

 状況を把握した梢は掠れた舌打ちをする。掃除当番を押しつけられた上に、邪魔までされて思うように進められていないと言ったところか。

 多勢に無勢。口々に心ない言葉を浴びせられても明莉は言い返せず、懸命に教室の埃を集め始める。そんな彼女を金髪少女の取り巻きの二人がこつき、足を引っかけたりして妨害する。

 明莉は抵抗するよりも、早く掃除を終わらせようと必死だった。そうして、どうにか掃き終わり、ちりとりに集めた埃をゴミ用のポリバケツに捨てるまでに至った。


「……お、終わりました……」

「はあ? 何言ってんのよ。まだゴミが残ってるじゃない」

「え……でも、ちゃんと……」


 指摘を受けて、おろおろと明莉は辺りを見回す。そのとき、金髪少女が仲間の女子二人へと目配せするのを梢は見た。


「はは、本当ね。でっかいゴミが残ってたわ」

「ホントだー。こんなの、気付かない方がおかしいじゃん」


 嫌な空気が色濃くなる。三人の少女達に見つめられ、無意識に明莉が後ずさった瞬間だった。


「ゴミはゴミ箱に捨てないと―――だよねえ!」

「きゃあ!?」


 細身の女子が歓声を上げて、いまさっき明莉が集めたゴミを捨てたポリバケツを両手で掴み、明莉に被せるように中身をひっくり返す。一日で溜められたクラスのゴミが容赦なく降り注ぎ、少女を汚した。


「ぅ……ぁ……」


 髪に降りかかる埃を払おうとする明莉の手に、べとりした甘い匂いのするソースのようなものが付着する。誰かの昼食のゴミが、運悪く当たったのだ。


「ダメじゃない、アカリ。ゴミが捨てられるのを嫌がっちゃ」

「あーあ、ゴミのくせに抵抗するからうまく捨てられなかったじゃん」

「責任とって、ちゃんと捨て直しなよ、ホラ!」


 肉付きのよい方の女子が、机や窓を拭くために用意されていたバケツに掛けられた雑巾を投げつけた。


「ちゃんとキレイに磨けよな。くさいんだよ」


 ろくに搾られていない汚れた水気を含んだ雑巾が明莉の顔にぶつかり、散らばったゴミの山に落ちた。哄笑にさらされ、俯いた明莉は一瞬躊躇って動きを止めたが、ぶるぶると全身を震わせながら雑巾を拾い上げる。


 そこが、限界だった。


「あんた達、何してんの?」


 努めて冷静な自分を意識して、梢は教室のドアを開けた。

 邪魔など入ると思ってなかったのか、明莉を嬲る少女達の驚いた顔を、梢は鋭い眼差しで一巡する。


「……あなた、木野内さんだったよね」


 いち早く驚きから立ち直ったのは、金髪少女だった。


「そういえば、自己紹介がまだだったよね」

「必要ねえよ」


 梢は金髪少女に一瞥もくれず、敵意の眼差しを向ける残り二人の間を通り過ぎて明莉の前に進んだ。


「なかなか来ないと思ったら、何やってんだよ」

「っ……」


 明莉はまともに顔を上げることも出来ず、肩を震わせている。梢は迷いなく彼女の握る雑巾に手を伸ばし、強引に引き剥がしていた。


「おい。あんた達は、もう帰っていいよ」


 そして、三人の少女達を振り返る。


「掃除の手が必要なんだろ。あたしが手伝ってやるから、さっさと帰れよ」

「はー? いきなり割り込んできて何言ってんの。調子に乗ってんじゃ――!?」


 威勢よく大口を開けて迫り来る肉付きの良い女子に対して、梢は不意をつく形でその顔面に手にした雑巾を押しつけていた。汚れた水が口内に飛び込み、たまらず少女の悲鳴が上がる。


「てめえ! 何すんだよ!」

「ああ?」


 唾を飛ばす少女を、梢はまさに汚物に向ける冷眼で睨み下ろし、ハスキーな地声を更に低く唸らせた。


「汚いのは磨くんだろうが。てめえのクソ汚い化粧面を綺麗にしてやろうってんだ。ありがたく思えよ」

「……っ! 許さない!」


 顔を真っ赤にして掴みかかろうとする少女を、梢は明莉を素早く抱えるようにして横に避けた。そのついでに少女に足を引っかけて、散乱したゴミに突っ込ませる。


「この……この! 絶対に許さない! 許さない!」

「うるせえな。お前はオウムかっつーの」


 全てが一瞬の出来事のように感じ、目を白黒させる明莉を背後に庇いながら、梢は立ち上がる少女と睨み合う。

 事の成り行きを見ていた金髪少女が手を叩き、笑みを含んだ声を出したのは、そんなときだった。


「はいはい、そこまでにしときなさい」


 大儀そうに凭れていた壁から離れた金髪少女は、皮肉っぽい笑みを浮かべている。梢は注視する対象を変更し、彼女の方へと向き直った。


「木野内さん、掃除しておいてくれるのよね?」

「……そう言ってんだろ。文句あんのか?」

「ううん、ないわ。ありがとう」


 金髪少女は梢に笑いかけると、瞳だけを動かして明莉を一瞥した。だが、それだけで何も言わず、そのまま連れの少女二人に呼び掛ける。 


「お言葉に甘えて、行きましょうか」

「ちょっとカナ! それでいいわけ!?」


 あっさりと引き下がろうとする彼女に、納得がいかないのは梢にやられた少女の方だ。梢もその真意を計りかねて疑わし気に眉間に皺を寄せる。

 しかし、次に金髪少女から返された答えを聞き、納得と同時に心が粟立った。


「だって、私は喧嘩したいわけじゃないし」


 分かり切った事を確認するように、「そうでしょ?」と仲間に問う。状況を割り切った冷静な声だった。


「……面白いことになるんでしょうね」

「もちろん。ねえ、アカリ?」


 肉付きの良い女子の怒りを滲ませた声に、金髪少女がゆったりと頷く。そこで、不意に彼女は明莉へ声をかけた。


「知らないみたいだから教えておいてあげる。その子、実は結構ヤバい子かもしれないわよ」

「え……?」

「行くならさっさと行けよ」


 持って回った言い方をする金髪少女の言葉を遮り、梢は威嚇するように一歩前に踏み込む。肩を竦めた金髪少女は、睨みを利かせ続ける仲間の二人を呼び戻すと、ようやく梢達に背中を向けた。


「楽しみにしてなさいね。木野内さん」


 単なる捨て台詞とも思えない不穏さを残して、金髪少女達は教室を去った。ドアが閉められる乱雑な音が、教室に残る僅かな熱を揺らして余韻となる。


「おい、大丈夫か――って!?」

「ご、ごめん……。気が、抜けちゃって……」


 不意に右腕が少女一人分の重みに引っ張られて、梢はたたらを踏んだ。体勢を立て直して、膝から崩れ落ちそうな明莉を胸で支える。


「腰抜かしてる場合かよ。まだ後始末が残ってんだから」

「……うん。あの、ごめん……約束……行けなくて」

「謝るのはそこじゃねえだろ」


 手近な椅子を引いて、梢はとんと明莉を突き放すようにして座らせた。


「ダルいんだよ。学校でまで面倒事は背負い込みたくないってのにさぁ」


 見下ろされる瞳に込められた感情に、明莉は身を竦ませて何も言えなくなる。


 そんな弱い姿をさらす少女に、梢の胸はどうしようもなく掻き乱されていた。

 望んで助けたわけではない。全部成り行きに過ぎない。確実に状況に流されつつある現状に危機感だって抱いている。


「てめえがボロボロの癖に、他人に気を遣ってんじゃねえよ」


 吐き出される言葉は辛辣だ。しかし、もう心は諦念に支配されている。

 言うべき文句を出し切った梢は、宣言した言葉を嘘にせず、黙々と散らかった教室を片付け始めた。

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