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幸せの黒猫喫茶へようこそ  作者: 尾多 悠
二章 少女達の事情
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少女達の事情(5)

 その日の夕刻、喫茶《黒猫》の厨房は荒れていた。


「梢ちゃん。そう、いつまでもぷりぷりされると気まずいんすけどね」

「うるさいな。暇なら手伝ってくださいよ」


 流し台で洗い物をする梢は、いかにも怒ってますという語気で、己の隣で休憩している城森勇司に言い返した。


「梢ちゃんの仕事を取るわけにはいかないから。ほらほら、食器は乱暴に扱わないように」

「それくらい分かってるってば」


 泡立った食器をすすぎ、食器置きへと並べる梢の手元を見た城森の注意が飛ぶ。

 精神を落ち着かせようと、無心になる努力をするが上手くいかない。全てはホールで働いている園花千香げんきょうのせいである。


「勇司さんも、千香さんのこと酷いと思いませんか?」


 学校が終わり、身支度を調えてバイトにやってきた梢は千香に一言文句を言おうと思っていたのだが、この日に限ってそこそこ客入りがあり、そういうわけにもいかなかった。

 仕方なく、裏で大人しく仕事をしながら機会を待つ間、一通り城森に愚痴をぶちまけたのである。


「そうっすねえ。千香さんの言動は一見読みにくいっすけど、意図するところは割とストレートだと思うよ」

「どこが? あたしには全然わかんないですけど」

「要するに、明莉ちゃんを放っておけないってことでしょ。ん~、いや、ちょっと違うか」


 城森が適切な言葉を探して首を捻る。そして思い当たった風に、優しい面持ちで笑みと共に頷いた。


「拾った以上は、最後まで面倒見なさいってところかな」

「……そんな、犬猫じゃないんだから」

「でも、梢ちゃん言ったじゃないすか。シュヴァルツが迷子を一人拾ってきたって」

「いや、確かに言ったけどさ。言葉のアヤでしょ」

「でも、最初に助けようと思ったのは君だろう? それとも、助けたことを後悔してる?」

「そんな訊き方はずるいよ」


 それを言うなら、少女を連れてきた黒猫にこそ世話を焼く義務があるというものだ。口を尖らせた梢は最後の皿を洗い終えて、流し台に掛けられたタオルで手を拭う。

 門原明莉を一目見たとき、行き場を失った迷子のように見えたのは事実だ。どう見ても厄介事の気配がする。しかし、明莉にも言ったことだが、だからといって見過ごすのは違うだろう。

 その点に対して、後悔などあるはずがない。

 問題は、要らぬアフターケアまで求められていることだ。


「それについては、諦めた方がいいかもっすね。なにせ、もう明莉ちゃんはシュヴァルツのお客様なわけだから。黒猫のオーダーを聞いたのは梢ちゃんだ」

「そうそう。お客様は丁重にお持て成ししないとね~」


 ホールが落ち着いたのか、そこへ黒猫を抱いた千香が、モデルのような足運びで厨房へと入ってきた。話題の主が同時に現れた形である。


「ああ、千香さん、お疲れ様。なんでまた、シュヴァルツを……」

「一仕事終えたあとの、癒やしよ、癒やし。梢ちゃんも、お疲れ様~」


 梢はありったけの念を込めて千香を睨むが、まるで通用しない。例によって、片目をつむって受け流された。


「千香さん、あたしが何を言いたいのか解ってます?」

「ん~? 梢ちゃんは何をそんなに怒っているのかな? もしかして、下着を勝手に貸してあげたこと? いいじゃないの。それに~、貸したのだって、もとは私が梢ちゃんに買ってあげたのだったし~」

「ちょ……なに言って」

「でも、ブラのサイズが合わなかったのが残念だったわ。私のだと大きかったし、梢ちゃんのだと小さいしでね~。明莉ちゃんって、けっこう良いスタイルしてたわよ」

「だああ! 黙ってください!」


 完全にからかわれていると分かっていても、梢は声を荒げずにはいられなかった。城森に目を向けると、彼はもう「自分は何も聞いてません」と言わんばかりに両耳を塞ぎ、明後日の方へ身体を向けてしまっていた。


「それで、次に明莉ちゃんはいつ来るの?」

「は?」

「下着のことも図星みたいだったし~。そんなに怒ってるってことは、明莉ちゃんと話したんでしょ?」

「まあ……一応。ちゃんと生徒手帳も返しましたよ」

「ふふ、ありがと。ちゃんとお友達にはなれた?」

「友達って……そんなんじゃないでしょ。ともかく、借りた服を返したいから明日来るそうです。あたしが道案内もしますから、少し入るのが遅れると思います」

「了解よ。業務連絡なら、ちゃんとマスターにも言っておきなさいね」

「そのつもりですよ。今から言って来ます」


 どうあってもこの女性ひとには口では勝てない。色々と見透かされて閉口した梢は、きつい一瞥を返して彼女の横を通り過ぎようとした。


「あん! ちょっとシュヴァルツ、どうしたの?」


 と、くすぐったそうに千香が身をよじらせる。今まで大人しく抱かれていたはずの黒猫が、彼女の腕から逃れようともがいたのだった。

 あえなく千香は黒猫を手放し、着地した黒猫はぐっと前脚を突き出して伸びをする。そして、梢の足下に擦り寄り始めた。


「なによ、シュヴァルツ。あたしのご機嫌でもとろうっての?」


 足首にすべすべとした毛並みを擦りつけられた梢は、両手を腰に当て、お生憎様と黒猫を睨み下ろす。


「言っとくけど、全部あんたのせいでもあるんだからね」


 言葉を理解しているのかいないのか、黒猫は一通り梢の足下を回り終えると、興味をなくしたかのようにホールの方へと行ってしまう。その後を、「待ちなさいよ」と梢も追いかけていった。





「千香さん、梢ちゃんをあんまりからかっちゃダメっすよ」

「あら、心外ね。あの子はああやって、感情を発散させてあげた方がいいのよ」

「だからって、怒らせていい理由にはならないと思いますけどね……」


 梢が去った後、厨房に残った二人が言葉を交わす。苦笑混じりに城森が窘めると、両腕を組んだ千香は悩ましげに吐息した。


「あの二人、私はうまくいくと思うんだけどな~。勇司君はどう思う?」

「梢ちゃんと、明莉ちゃんっすか?」

「もちろん」

「本人達次第としか。性格は正反対な気がしますけどね。千香さんは、明莉ちゃんが梢ちゃんを変えてくれると?」

「それもあるけど、両方かな~。でも……期待するのはまだ先かな。まずは明莉ちゃんをケアしてあげないと」

「……まるで千香さんには、最初から明莉ちゃんがどういう状態か、分かってたみたいな口ぶりっすね」

「勘だけどね~……学校がらみかなって。だから家に帰したんだし。保護できたのは不幸中の幸いだったわよ。相当思い詰めてたみたいだから」


 長い睫毛を伏せて、千香が憂いを帯びた声で呟く。城森も長嘆し、彼女の思いに同意して首を縦に振った。


「そうっすね。俺達も、動けるところは動かないと」

「ええ。なにせ二人とも、大事な大事な黒猫のお客様ですから」


 二人は互いに目を合わせて、意思の通じた微笑みを重ね合わせた。

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