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ナナミ -The Gifted Challenger- ~天才少女の麻雀挑戦記~  作者: 蝶捕銀糸
第6半荘 しあわせのあおいとりをさがして
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第92話 ばすえのたくのじょおう

 次の日の朝、朝食もそこそこにわたしはヒカリさんに連れられて繁華街を歩いていた。

 朝の繁華街は夜と全く違う顔を見せていた。豪華絢爛だった夜を終えた朝の街並みは、まるで寝静まっているように静かだった。

 今は朝の7時だ。健康的な起床時間であるはずなのに、逆に睡眠不足で健康を害してしまいそうだ。

 それでもヒカリさんはばっちりメイクを決めて、ハイセンスな服飾に身を包み、鼻歌を歌うほどご機嫌だった。こういうのを目の当たりにすると、心身がタフな人はうらやましいと率直に思う。

「麻雀って、どこでするんですか?」

 やっとの思いでついて行くわたしの質問に、ヒカリさんはあきれた顔をした。

「どこって、雀荘に決まってるじゃない」

 言われてから気がついたけれど、普通の人が麻雀をするなら雀荘であるのは当たり前だ。部室に行けば当然のように麻雀が打てるわたしたちの方が世間的には稀なのだ。

 わたしはまだ、ヒカリさんに麻雀部であることを告げてはいない。星愛女学院を抜け出す口実もそこにあるのだから、街に来た理由をつぐむのであれば、自然とそうなってしまう。

「着いたわ。ここよ」

 しばらく歩いてたどり着いたところは、三階建ての小さなビルだった。一階が店舗で、二回以上が従業員の居住スペースといった感じの、周りのビルと比べると見劣りしてしまうような、繁華街の光が届かない場所に立つビルだった。外観からは、看板がなければ雀荘ということも分からなかっただろう。

 看板には『麻雀 白詰荘』と書かれている。

 けれど、営業時間は12時から24時と書いてあるし、お店の入り口にも『CLOSE』の札がかかっている。

 しかも、『十八歳未満の方の入店を禁止します』とご丁寧に書かれている。

「あの、ヒカリさん。わたし――」

「ナナミちゃん大学生だから大丈夫でしょ?」

 ヒカリさんのプレッシャーの強い笑顔に、わたしは黙ることしかできなかった。

 今のわたしは、服は制服ではなくヒカリさんに借りた服だし、ヒカリさんに無理やりメイクアップさせられたので、ぱっと見は高校生に見えないかもしれない。生徒手帳も今は携帯していないので、大学生と言い張れば十分にごまかすことができる。

 けれど、本を正せば今の境遇は女王ホムラとの賭博麻雀が始まりなので、また罪を重ねると思うと心苦しい。

 そんなわたしの思いをくみ取るはずもなく、ヒカリさんは扉に手をかける。

「で、でもほら、営業時間まだみたいですし……」

「大丈夫よ。ささ、入りましょう!」

 わたしの心配もどこ吹く風でヒカリさんはためらいなく入り口の扉を開けた。

 喫茶店のようなカランカランというチャイムの音が鳴り、中に入るとカウンターと五卓ほどの全自動麻雀卓が目についた。

 そして、カウンターには不貞腐れた顔でわたしたちを睨む女性店員がいた。

「あのさ~、何度言ったら分かるの? ヒカリさんバカなの? 営業時間に来てっていつも言ってるよね?」

 店員さんはびっくりするくらいのド直球の毒舌をヒカリさんに放り投げてきた。

 この店員さんは、見た目も、背丈も、声色も、しぐさも、わたしと同年代に思える。あどけないような、それでいてしっかりしているような少女だった。

 だからこそ、ストレートな物言いは強烈に印象に残った。

「ルミコちゃんいつも堅いんだからー。いつもこの時間に打ってるんだから、いいでしょ? いつものことだから。――ほら、チップちょうだい」

 やたらに『いつも』を強調して、ヒカリさんはハンドバッグから封筒を取り出した。妙に分厚くて嫌な予感がする。

「うちの店、レートはテンゴっていつも言ってるでしょ?」

「あら、あたしたちの卓はいつもデカデカで打たせてもらってるじゃない」

「いい加減やめてよ。あたし、この店なくなったら路頭に迷うんだから」

「じゃあ、いつも通り、大金持ち歩きたくないから預かっててくれる?」

「……」

 ルミコと呼ばれた店員さんは満面に不満をにじませて、封筒を受け取って乱暴にチップの入ったケースをカウンターに叩き出した。

 そして、わたしの方に視線を移した。

「それで、この人が例の家出少女?」

「な、ナナミです。よろしくお願いします」

 どうやら、ヒカリさんの知り合いたちには、わたしのことは家出少女としてすでに伝わっているらしい。

 わたしが自己紹介をすると、ルミコさんは大きなあくびを一つして、面倒くさそうに答えた。

「あたしはルミコ。ここのオーナーよ。よろしくね。で、あなたも大金預けるの?」

「あたしが立て替えているわ。だからナナミちゃんの分のチップもお願いね」

 わたしが言葉を濁す間もなく、ヒカリさんが口をはさんだ。

「あっそ」ルミコさんがわたしのチップを乱暴に叩き出す。「大学生があんな額を持っているとは思えなかったけど。せいぜいカモられないようにね」

「は、はい……」

 ルミコさんに気圧されつつも、わたしはチップを受け取った。

 箱の中に入っていたのは、100枚の黄色いチップだった。1枚いくらに相当するのかは考えないようにする。

「あと二人は少し遅れるみたいだから、今日の本指はルミコちゃんとホムラで!」

 いつもの調子で話すヒカリさんの言葉に、わたしは息を呑んだ。

 ――ホムラ?

 知っている名前がわたしの頭の中を反響する。

 わたしが初めて麻雀で戦った相手。地面にこすれそうなほど長く赤黒い髪と右目に走った刀痕の奥にある深紅の右目を持つ煉獄の女王の姿が、わたしの脳裏の奥から呼び起こされる。

 ――けれど、そんなことはあるだろうか?

 いくら消息不明で神出鬼没の生徒とはいえ、星愛女学院からこんなに離れた雀荘で頻繁に出入りしているとは思えなかった。

「あのね~」ルミコさんは深い溜め息をつく。「うちはそういう店じゃないの。ヒカリさんのお店と一緒にしないでくれる?」

「いいじゃない。それとも、ルミコちゃんはあたしたちの卓に入るの怖いの?」

「怖いに決まってるでしょ。そもそもバレたら即逮捕に営業停止なのよ? それでなくても、カモられたら破産して営業できなくなるわ」

「あはは、分かったわ。でもホムラはよろしくね。サンマでもいいから」

「はいはい」

 あきれと不満と面倒くささに満ちた渋面を作って、ルミコさんはカウンターにある電話の受話器を取った。ホムラさんと連絡を取っているのだろうか。

「じゃあいつものVIPルーム借りるわね」

 相変わらずの調子でヒカリさんはルミコさんに声をかけると、奥の部屋の扉に向かった。

 わたしもあわてて追いかける。

「ヒカリさん、VIPルームって……」

「ただの個室よ。でも、あたしたちはそう呼んでいるわ」

 手慣れた様子で個室に入ったヒカリさんは、個室の中央に置かれている全自動麻雀卓につく。

 VIPルームと呼ばれたその部屋は、『NANA☆HOSHI』の部室より少し広いくらいだった。卓にはサイドテーブルと少し上等そうな椅子、少し離れたところにはカラオケ店にありそうな大きなソファーとガラス製の机、壁には時間をつぶすためのマンガが詰まった本棚があった。大人数で過ごすにも十分な設備である。

 わたしはヒカリさんに促されるまま、ヒカリさんのカミチャの位置に腰かける。

「ナナミちゃんは雀荘のルール知ってる?」

 ヒカリさんがわたしの緊張をほぐすような声で語りかける。

「雀荘のルールですか?」

「ハウスルールって言って、雀荘ごとにルールが決まっているの。食いタン後付けアリとか、そういうルールもそうだけど、やっぱりチップを使ったルールが普通の家庭麻雀とか競技麻雀とは違うわね」

 そういえば、受け取りはしたもののチップの使い方は分からない。

「チップはどう使うんですか?」

「チップはね、いわば点棒みたいなものなんだけど、半荘が終わったらポイントを計算するでしょ? 1ポイント1枚で計算して、対局後にチップのやり取りをするの」

「じゃあチップ1枚は1000点にあたるんですね?」

「そうそう。でも対局中にもチップのやり取りをすることがあるの。ご祝儀って言って、ここでは、イッパツ、裏、赤、役満には1枚渡すルールなの。ロンなら放銃者から1枚だけど、ツモなら全員から1枚ずつだから、ツモ得ね。もちろん裏や赤は重なれば重ねた分だけもらえるの」

 ヒカリさんの説明で何となく分かった。

 チップはカウンターでお金と交換していたみたいだったから、最終的にはチップの奪い合いということになるのだろう。

 対局の最終結果だけでなく、ゲーム中もチップの授受があるのだから、ゲーム中にどう振る舞うかがカギになってくる。

 しかも、イッパツや裏ドラでチップが動くのだから、必然的にリーチをかけることが有効になる。役なしでもリーチを仕掛けた方がいい局面が多くなるということだ。

「あとは、オカ20のウマはゴットーね」

 オカ20とはいわゆる25000点の30000点返し、トップが20000点もらえるというルールだ。

 ウマはゴットー、ということは、順位点が10000点と5000点、1位と4位、2位と3位でやり取りするから、1位は+10000点、2位は+5000点、3位は-5000点、4位は-10000点ということになる。

 つまり、1位になるだけでチップ30枚得られることになる。僅差でもいいので1位を狙った方がいいことになる。

 4位から3位になるだけでもチップ5枚分は得することになるので、順位は常に気にした方がいい。

 けれど、これはあくまで四人打ちのルールだ。後でメンツがそろうとはいえ、しばらくはサンマ(三人打ち)で時間をつぶさないといけない。

「しばらくはサンマですけど、オカとウマはそのままですか?」

「あっ、そっかー。35の40返しだから、オカは15ね。ウマはゴットーだから、1位がプラス15、2位、3位がそれぞれマイナス5とマイナス10になるわ。それと、サンマだから北は抜きドラで、チップ1枚のご祝儀アリね」

 ヒカリさんがサンマの時のオカとウマを補足する。サンマでも1位にはやはりチップ30枚入るから、1位と2位では結果は雲泥の差だ。

 こういう時の点数の言い方でも、ヒカリさんとの文化の違いを感じる。

 わたしたち『NANA☆HOSHI』は、記録の上でこそオカやウマを加算するけれど、基本的には素点と順位で競っているので、素点を基準に計算をしている。

 一方のヒカリさんは、普段から雀荘で打っているようなので、順位点を考慮したポイント、特にチップの枚数で勘定している。

 チェスやオセロが標準語のゲームとするならば、麻雀はいわば方言だ。ルールが文化圏の影響を受ける面白さがある反面、言語が違う時は意味のすり合わせをしないとトラブルのもとになりかねない。

 星愛女学院公式ルールしか知らないわたしにとって、これはある種の異文化コミュニケーションなのだ。

「まあ、こんなところかしらね。また何か疑問があったらいつでも聞いてね!」

 ヒカリさんの説明が終わった直後、コンコンと部屋をノックする音が聞こえた。

 わたしは思わずどきっとしてしまった。

 ついに、煉獄の女王、ホムラさんに再開すると思うと、否が応でも緊張してくる。

 わたしはつばをごくりと飲んだ。

「失礼します」

 丁寧な女性の声がして、部屋の扉が開いた。

「――えっ?」

 わたしは思わず驚きが声になる。

 すらりと長身の女性が入室する。

 普通の人よりは長いけれど、腰までしかない黒髪に、シンプルで落ちついた色のワンピース。額から頬にかけての刀痕はないし、右目も紅くない。背丈こそホムラさんに近いけれど、全く別人の印象を受けた。

 ――何よりも、殺気がない。勝利を貪欲に欲して戦う者の、幾重もの修羅場をくぐり抜けて魂にまで染みついた勝負師としての威圧感がまるでない。

 同名なだけで、別人なのだろうか?

「ご指名ありがとうございます。ホムラです」

 ホムラと名乗った女性は、丁寧な所作でぺこりと頭を下げた後、笑顔を見せた。

 わたしはすっかり毒気を抜かれて固まってしまった。

「待ってたわよ、ホムラ」

「ヒカリさん、いつもありがとうございます」

「もう、そんなかしこまらなくてもいいわよ。サンマでいいからやりましょう!」

「ええ、分かりました。今準備しますので少々お待ちください」

 ヒカリさんの砕けた言葉を軽くあしらって、ホムラさんは卓を操作して二から八までのマンズを抜き、全自動卓の設定を三人用に変更する。

 わたしはただ茫然とその様子を眺めていた。

 けれど、ホムラさんと目が合って、彼女が発した言葉を聞いた瞬間、わたしは目の前の女性が紛れもなく煉獄の女王であることを悟った。

「当店は十八歳未満のお客様は入店できませんので、そちらの方はお引き取り願えませんか?」


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