第90話 ほしのないそら
星牌というオールマイティーを用いた星愛麻雀での『NANA☆HOSHI』を取り戻すためのシオリさんとの一騎打ち。
シオリさんが勝負手を打ってきた。
わたしも、歩みを止めるわけにはいかない。
東一局 六巡目 東家 ナナミ ドラ表示:三索
八萬 九萬 一筒 一筒 二索 三索 八索 九索 一星 七星 金日 銀月 銀月
ツモ:七萬
――張った! 願ってもない展開だ。
ここでペンチャンを確定させる牌をツモるのだから、流れはこちらにある。
これでわたしは、シオリさんがデモンストレーションで見せたような星牌多面張を作り上げた。
まず、一星を一筒として扱えば、一、四索待ち。四索では上がれない片上がりだから、それだけは注意したい。
次に、一星を一索として扱えば、一筒と月のシャンポン待ちになる。どちらでもチャンタ確定の良形だ。
しかも、シャンポンの片方は月。同じ月だけでなく、白、發、中のどれでも上がれるのだ。
わたしがチャンタで上がれる待ちは一索、一筒、月、白、發、中の六種類。
対するシオリさんは星牌を使わないブラックホールなので、わたしのような多面張は作れない。
上がり牌の数では、圧倒的に有利だ。
――これなら、シオリさんを超えられる!
わたしは日牌を切って迷わずテンパイを取った。ツモ上がりも可能な普通のルールであればリーチをかけたいくらいだ。
そして、わたしはこの一打で重力場の最初の束縛、マンガン縛りを脱却して二翻縛りに切り替わる。
わたしの手はメンゼンのチャンタがある。だから、この重力場は振り切れる。
わたしの捨て牌を見たシオリさんが、ふふっと笑みをこぼした。
「攻めてきたわね。そろそろ張ったかしら?」
シオリさんが天井の竪琴のような清らかな声を発する。
動揺を誘うとか、わたしの反応をうかがうとか、そんな邪念は一切感じられない。ただ素直に自分の気持ちを表現しただけのようだった。
「急にどうしたんですか?」
わたしは平静を装って尋ね返した。
「いいえ、素直できれいな牌運びだと思って」シオリさんが山から牌をツモる。「星愛麻雀の恐ろしさを知らない、素直で純粋な打ち方がうらやましいわ」
意味深なことをつぶやいたシオリさんが切り出したのは、四星だった。
――上がれない。わたしの上がり牌の一つではあるけれど、役がない。
それを分かって売っているとは思えないけれど、不吉な感触は拭いきれなかった。
わたしは手を伸ばし、ツモ牌をすくい取る。
東一局 七巡目 東家 ナナミ ドラ表示:三索
七萬 八萬 九萬 一筒 一筒 二索 三索 八索 九索 一星 七星 銀月 銀月
ツモ:四索
――うっ……!
シオリさんの不吉な言葉に導かれるように、最悪な牌をツモってしまった。
通常ならツモ上がり。安めであっても一応上がりなのだ。
けれど、このサドンデスでは星牌があるとツモ上がりが認められない。だからこの上がりは崩すしかないのだ。
素直にこの四索をさばけば、フリテンがものすごく足を引っ張る。すさまじい数の上がり牌は、そのまますさまじいフリテンを意味するのだ。
仮に、シュンツを確定させるために一星を捨てるとする。すると、フリテンにより、一筒や月はもちろん、白、發、中どれもフリテンになってしまうのだ。
しかも最悪なのは、この手牌のどこを切り崩してもフリテンの呪縛から抜け出すのに時間がかかってしまう点だ。オールマイティー牌が生み出す柔軟さは、どこまでもフリテンがまとわりつく嫌な手へと変貌してしまうのだ。
けれど、打開策を考えなければならない。
役なし上がりの張り直しは、ジャントウを崩すのが基本だ。シュンツやコーツを崩せばフリテンと付き合い続けなければいけないけれど、ジャントウを崩して違う牌でタンキ待ちにすればすぐにフリテンは解消されるからだ。
けれど、この手のジャントウは月。チャンタが成立しなくなった以上、月のコーツで二翻を稼ぎたいからうかつに切れない。
まだ現実的なのは、一筒のトイツ落としだ。月をツモって一、四索待ちのノベタンに切り替えられればまだ活路はある。そこまでくればもっと上がりやすいタンキ待ちに切り替えることだって可能だ。
運が良ければ二順で張り直せる。それしかない。
わたしは一筒を河へ送った。
その時はまだ、わたしが麻雀で一番してはいけないミスをしていることに気づかなかった。
麻雀で最も危険な行為。それは自らの手牌だけで捨て牌を選ぶことだ。
そして、シオリさんはそれを許さなかった。
「ロン。3900」
今までとまるで変わらない声音で、今までとまるで変わらない簡潔な申告をして、シオリさんは手牌を倒した。
和了形 シオリ ドラ表示:三索
一筒 三筒 四筒 五筒 五筒 六筒 七筒 八筒 八筒 八筒
副露:上南風
ロン:一筒
ナン 一翻
ホンイツ 二翻
30符 三翻 3900
わたしは呆然とした。
シオリさんは四星切りのテンパイだから、わざわざ多面張を捨てて一筒タンキ待ちを選んだことになる。
シオリさんくらいの実力者なら、わたしがチャンタ狙いであることは看破できるだろう。
けれど、もしそうであればわたしがシオリさんの上がり牌である一筒を使い切る可能性だって十分にあり得ることは想定できるし、オールマイティーである一星はわたしから絶対に出てこないことは計算に入れているはずだ。
ましてや、タンキ待ちの出上がりを狙うのであれば、日で迎え撃てばすべての風牌が上がり牌なのでそちらの方がいいはずである。
とても理解できない。
悔しさのあまり涙でにじんだ視界の一点に、シオリさんの思惑を見つけた。
――九星切り? そうか。
シオリさんは一度上がっていたのだ。おそらく、それはこんな手牌だ。
シオリ
三筒 四筒 五筒 五筒 六筒 七筒 八筒 八筒 八筒 四星 九星 南風 南風 金日
文句なしのツモ、メンホン、ナンのマンガン手。早い巡目から重力場を振り切る強力な上がりだ。
けれど、今回のルールでは星牌があるのでツモ上がりができない。
だから、シオリさんは考える。このフリテンでがんじがらめの手を上がる方法を見つけ出す。
まずは、日を切り出す。
タンキ待ちの切り替えなら八筒の方が望ましいけれど、シオリさんにはブラックホールが計算に入っていた。ピンズのホンイツなんてわたしにバレようものならロン上がりなんて期待できない。だから、ツモ上がりができるブラックホールを意識していたのだ。
次に南をポンする。食い下がりしたってホンイツなら二翻あるのだから、比較的早く重力場から脱することができる。フーロはためらわないだろう。
そこからの九星切り。日に次いでチャンタ狙いのわたしに危険な牌だ。どうせ星牌をすべて落としていくのだから、早めにさばいておきたい。
そこで一筒をツモれば、当然タンキ待ちに受ける。ましてやフリテン会費で出上がりもできるのだから、ためらわないだろう。
シオリさんの行動は、何もかもが理に適っていた。唯一異常な点があるとするなら、極めて速い巡目でピンズのホンイツをテンパることくらいだ。
――わたしの、完全な負けだった。
わたしは歯を食いしばって、涙と一緒にあふれ出しそうな感情を抑えることで必死だった。
「それじゃあ、部室の片づけはわたしがしますね」シオリさんが立ち上がった。「星愛麻雀は『聖夜決戦』の目玉でもあるから、最終対局は星愛麻雀って決まってるの。ナナミさんと本当の勝負をしたいから、『聖夜決戦』の最終対局で会いましょう」
シオリさんの慈愛に満ちた笑顔と声で、あたしの心は限界を超えた。
「――なんで?」
涙で濡れたわたしの声に、シオリさんはケースを取り出して牌をしまう手を止める。
わたしはたまらず、立ち上がって泣き叫んだ。
「なんでみんな、わたしに優しいんですか!? なんでみんなわたしに期待するんですか! わたし、負けたんですよ!? 大切なものを守れる大一番で、勝たなきゃいけない大事な局面であっけなく負けた敗者なんですよ!?」
「ナナミ、さん?」
「勝ったら褒められて、負けたら責められる、それが勝負の世界でしょ!? なんでわたし、勝ってる時は妬まれて、負けてる時に気遣いされるの!? わけ分からないよ! そんなことされたらわたし、もう勝てないよ! 勝ちたくないよ!」
わたしは激情の赴くままに部室を飛び出した。シオリさんの呼び止める声を振り切って走った。
わたしは流れ星になりたかった。一瞬夜空に輝きを放って、跡形もなく燃え尽きる流れ星になりたかった。




