第83話 びんぼうくじをひくのはだれだ
「――えっ?」
「はっ?」
シオリさんのチェックの宣言に、ナギホさんとカズハさんがあっけに取られる。誰の、何に対するチェックなのか全く分かっていないようだった。
凍りついた空気の中、わたしとシオリさんの視線だけが熱く交錯していた。
わたしが目線で促すと、シオリさんが言葉を紡いだ。
「ナナミさん、あなた、ノーテンでしょ?」
「――わたしが?」
「とぼけても無駄よ。カズハの手牌を見て気づいたの。わたしの見えているすべての牌、捨て牌から推定できるナギホとあなたの手牌、あらゆる可能性を考慮しても、あなたはテンパイしていない。そう結論できたの」
シオリさんは自信に満ちた声で平然と恐ろしいことを言ってのける。
「――本当、なの?」
ナギホさんが戦慄をにじませた声でわたしに尋ねた。
わたしは小さくため息をついて、手牌をさらした。抗うことはできなかった。
わたしの手牌にかかった魔法は解けてしまったのだ。
ナナミ ドラ表示:四索
一萬 一萬 二萬 四萬 四萬 七萬 八萬 二筒 五筒 二索 南風 南風 白板
ノーテンリーチ 罰符 2000・4000
シオリ 55400+2000=57400点
カズハ 22800+8000=30800点
ナギホ 15400+2000=17400点
ナナミ 6400-8000=- 1600点
「――ッ!」
ナギホさんが瞳を丸くして、小さく息をのんだ。
「嘘、やろ? 自分ら、レベル高すぎやわ」
カズハさんも、もうついていけない、とあきれ返った表情をしている。
この半荘の勝負が決した。
シオリさんの1位で、わたしはシオリさんのチェックでハコテン、生徒会側に星2つである。
けれど、この時、初めて決して見えない深海の底に触れたような気がした。沈められた錨が届いた気がするのだ。
わたしの逆転はここからだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。
「――嘘、ですね」
わたしはそっとつぶやいた。シオリさんが手牌を崩す手を止めた。
この場の誰もが何が起こっているのか分からない、という顔をしていた。そこにシオリさんが加えられていたのが、わたしにとって唯一の意外な出来事だった。
「シオリさんは、わたしが手牌を開けるまでノーテンだとは知らなかったはずです」
「どういう、ことかしら?」
わたしの言葉に疑問を投げかけたのは、シオリさんだった。
「わたしがテンパイかノーテンか、そんなことは些細なことです。この局面で大切なのは、わたしが役満を張っているのかどうか、です」
「役満か、どうか?」
「ええ。カズハさんの上がり手を見れば、ほとんどのヤオチュウハイが死んでいることは分かります。字牌が死んで、多くの役満はない。九萬が死んで、チューレンポートーやコクシムソウ、チンロウトウもない。唯一警戒すべきスーアンコーも、これほどトイツを目にすれば、自分の手牌と合わせて可能性がないことを推察するのは、シオリさんには簡単でしょう」
「確かに、役満かどうかくらいは分かりそうね」
「それさえ分かれば、わたしの手を開けばいい。ノーテンならわたしを飛ばせるし、テンパイしていて推定ホーラが成立しても逆転はされないのだから」
「さすが、鋭い洞察ね」
シオリさんが満面の笑みで拍手をする。
けれど、わたしはひるまない。
「でも、それをわたしに見抜かれたことは致命的でしたね」
わたしは不敵に笑った。
シオリさんは黙ってわたしの次の言葉を待っている。その表情が、今までで一番冷たかった。
「シオリさんの強さは偶然と虚構の産物です」わたしは言い切った。「思い返せば、第1荘東一局、あの不可思議な上がりは、あれもただの偶然で、上がろうと上がらまいとどちらでもよかったんですね。上がれば神懸りの打牌に見えるし、上がらなくても何か裏があるのではと勘繰るのだから、疑念を植え付けるのが目的ならどちらでもいいんです」
「――」
「それがうまくいけば、もうあとは好きなように打てばいい。勝手に疑って、勝手に疲れて、勝手に自滅していくだけですから。それに加えて技術の高い打ち回しやちょっとしたイカサマを仕込めば、もう止まらない。シオリさんの強さを神格化してしまうから、勝てる勝負も勝てなくなる」
「――いつからそう思ったの?」
シオリさんが少し声色を変えて問うた。この尋ね方も上手である。「いつから気づいていたの?」ときけば、わたしの言い分を認めたことになるが、まだ認めていない。そこすらもあいまいにして幻影を作ろうとしている。
「さっきのチェックで確信しました。わたしが失点した時に手を開けさせて、大言壮語なハッタリをかましてきたら、間違いないだろうと思っていました」
わたしのセリフには幾分かの挑発も含まれていた。まるで本来のシオリさんは無能だと聞こえるように言った。
けれど、わたしはそんなことを微塵も考えていない。この手の人は、誰が相手でも全力で迎え撃ち、手加減も容赦もなく戦う類の、狩場で殺し合う獣だ。
だからこそ、わたしもそうやって相対する。
わたしの言葉を最後に、嫌な沈黙があたりを支配した。
けれど、わたしには分かっていた。この場で動ける人は、わたしとシオリさんだけだということを。
シオリさんの口の端が、ほんの少しだけ歪んだ。それは怒りや悔しさといったエネルギーの高い感情ではなく、苦痛に悶えるような生物として宿命づけられた反応のように見えた。
シオリさんが強い所以が現れる。次の瞬間には嘘偽りのない満面の笑みを浮かべていた。
「あなたみたいに、肉を切らせて骨を断つ戦い方を選べる人は好きよ。あなたが相手で本当に楽しいわ。だって今わたし、前荘のあなたのように、自分の最大級の攻撃で星2つ獲得したのに、気持ち悪くて仕方がないもの」
その言葉はシオリさんがわたしに向けた、最大の賛辞に聞こえた。自分と対等に立って戦える敵と認めてくれたようなものだった。
さて、と一拍置いて、シオリさんが言葉を紡いだ。
「いよいよ次が大詰めですし、少し休憩を取りましょうか」
「必要ありませんよ」
一瞬緩みかけた空気を蹴り飛ばすようにわたしは即答した。
「――そうね、さっさと決着をつけましょう」
次に口火を切ったのは、ナギホさんだった。わたしとシオリさんのやり取りで、今が攻め時と感じ取ったようだった。ナギホさんはこのあたりの勝負勘がいいので、本当に頼れる先輩だ。
「うちは休憩ほしいっちゅうか、この勝負お腹いっぱいっちゅうか――」
「分かったわ。続けましょう」
カズハさんのおどけた弱音を一周して、シオリさんがサイコロを振る。トップ者が次の勝負の親を決めるための最初のサイコロだ。
「わたしも、そろそろ本気出さないとね」
そうつぶやくシオリさんの顔は、柔らかな笑顔ではなく、戦場に赴く一騎当千の騎兵のように鋭い目をしていた。
わたしも『無敵の女神』の名に恥じない闘志を湛えた瞳で迎え撃った。




