第81話 うんきのちょうりゅう
勝負のフェーズが変わった。
わたしも、置いてけぼりになるわけにはいかない。次のステージへ上がらないと。
わたしは、手元のサイダーを一気にあおった。今までの考えと共に飲み下し、口の端からあふれるものを袖で拭う。
「ナナミ、ちゃん?」
「自分、大丈夫かいな?」
左右からわたしに視線と不安が注がれるけれど、それは些末なことだ
わたしは正面の女性を睨みつける。今、このゲームを支配している乙姫の群青色の深い瞳を射抜く。
乙姫は、笑った。わたしの変化を、理解しているようだった。
下家がサイコロを振り、配牌が行われた。
全員の初手を確認し、わたしは牌山に手を伸ばした。
東四局 一巡目 北家 ナナミ 9000点 ドラ表示:四索
一萬 一萬 四萬 七萬 八萬 五筒 八筒 八索 南風 北風 緑發 紅中 竹花
ツモ:南風
はっきり言えば、最悪な配牌だ。
チャンタやサンショクが見える配牌だけれど、今の流れからだと遠い。萬子の染め手も手が届きそうだが、乙姫に感づかれるとつぶされる。
こうなれば、手広く構えても、決め打ちしても、ろくな手にはならない。
そんな状態から幸運を引きずり出したければ、普通に上がりを目指していても無駄だ。
わたしは八筒を切り出した。サンショクに未練などない。花牌は、今はまだそっとしておくべきだ。
ヤオチュウハイを出す順序とタイミングを間違わなければ、風向きが変わる。
二巡、三巡と時が進む。主だった動きは確認できない。
乙姫の適応力は高い。わたしの変化を敏感に感じ取り、打牌を調整してきた。下手な煽りや無駄な揺さぶりをかけてこない。素直な打ち筋を見せるが、あらゆる変化に対応できるようにしているようだった。
捨て牌だけからはそれを感じ取るのは難しいが、視線や表情、牌さばきを総合的に考えると、それがよく分かった。
つくづくこの人は、勝負が上手いと思った。
心の営みは、必ず体の反応となって態度として表れる。だから人は、心を推し量るために体の反応を観察する。
自分の信条を悟られないようと考えると、人は体を制御しようとする。反応を隠したり、あるいは欺いて偽の反応を見せようと躍起になる。そういう思考さえも体に現れていることに気づかぬまま、表面だけを取り繕おうとする。
けれど、乙姫は違う。体と同時に心をコントロールしている。
心の反応は、多くの場合複数の反応が混在している。例えば、テンパイした時には、期待や自信といったポジティブな感情と、不安や緊張といったネガティブな感情が混在する。それをきれいに分離することはほぼ不可能どころか、普通の人ならどんな感情が入り混じっているかを知覚することさえ困難である。
乙姫は、それをやってのけている気がする。自分の感情を知覚し、分析し、分離してある感情を増幅させて別の感情を減衰させる。そうやって、揺れ動く自分の心を制御している。
その上で、体の反応さえも制御してしまえば、もう彼女の思考や感情を見た目で推し量ることは決してできない。
そんなことができてしまうのだから、そんなこと到底できないわたしたちの中身なんて、手に取るように分かるのかもしれない。
けれど、それはあくまで彼女の独擅場。そこに乗ろうとしなければ、勝つ道が見えてくるはずだ。
わたしが読むべきは、乙姫の腹の底ではなく、勝負の流れだ。運やツキと言ってもいい。
東四局 四巡目 北家 ナナミ 9000点 ドラ表示:四索
一萬 一萬 二萬 四萬 七萬 八萬 五筒 八索 九索 南風 南風 緑發 竹花
ツモ:二筒
そうは言いつつも、悪いものは悪い。
チャンタ、ホンイツならスーシャンテン、約なしで攻めてもサンシャンテンだ。
花牌を抜けばそれぞれサンシャンテン、リャンシャンテンになるといえど、もはやそういう問題でもない。
勝負の流れが悪い時は、遅くて軽い手になってしまう。決まってそういう時こそ、相手に早くて重い手が入る。
その流れを変える方法は2つ。流れが変わるまで耐え忍ぶか、無理やりにでも流れを引き寄せるか、だ。
流れというものは、いわば引いては寄せる波である。必ずそういうリズムがあるので、必死に耐え忍んでいれば自ずとこちらにもチャンスが回ってくる。その変化のリズムは絶大で、簡単にどうこうできるものではない。
けれど、それは得てして短期決戦には向かない。流れが変わる前に勝敗を決しなければならない局面が多いと、悠長に待っていられない。
ただ、がむしゃらに動けば流れが変わるほど単純な話でもない。
当然ではあるが、流れに逆らうより流れに乗る方が簡単だ。そして、流れに乗っている人が新しい流れを生み出す以上、逆らう者にはそれ以上のパワーが必要なのだ。
けれど、流れは時に繊細で、ちょっとしたことで変わってしまうこともある。その変化に気づき、そこへ集中して動き出せば、その潮流はやがて大きな変化を生み出すのだ。
その兆候に、敏感でなければならない。
東四局 六巡目 北家 ナナミ 9000点 ドラ表示:四索
一萬 一萬 二萬 四萬 四萬 七萬 八萬 二筒 五筒 南風 南風 緑發 竹花
ツモ:五索
六巡目にしてこの手に足を引っ張るドラヅモだ。
ここまで流れが持っていかれると、にっちもさっちもいかないのが常である。
何か、流れが変わる運命的なことが起こらなければならない。
けれど、もうこの卓でそれを待っていても自然と訪れないのは明白だ。
だから、小さくても波を立てる。
わたしは花牌を切り捨てた。
抜くしか使い道のない抜きドラをバンバン捨てている卓だ。だから、今さらこれで局面が変化するとは思っていない。
けれど、変化の兆候は確実に表れている。
次巡、白をツモってドラ五索切り、二索をツモって二筒切り、一萬ツモって機が熟した。
「リーチです!」
わたしは發を卓上に叩き出してリーチ棒を突き出した。




