第79話 めがみとおとひめ
シオリさんが席替えを提案してきた。
今回の三つ星戦では、誰かが提案しない限り席替えは行わない、ということになっている。
お互いにとってベストなポジションにいるのだから、誰も席替えの提案なんてしないだろうと思っていた矢先である。
つまり、シオリさんには何かしらの意図がある。単純に流れを変えたいだけかもしれないし、わたしたちの動揺を誘いたいのかもしれない。
けれど、深追いはしない。こういうところで心理戦を吹っかけて、神経を疲れさせるのが目的であろうことはナギホさんから聞いていたので、不要な詮索はしない。
「別にいいわよ」
ナギホさんも無駄な抵抗は見せず、素直に提案を受け入れた。
立会人のサナちゃんとミハギさんが準備し、再び席決めを行った。結果的には物理的な座る場所が変わっただけで、席順は全く変わらなかった。
サイコロの二度振りで親決めをして、起家はシオリさんになった。シーパイが終わった山からシオリさん、ナギホさん、わたし、カズハさんの順に手牌を作っていく。
わたしたち『NANA☆HOSHI』は、あと星1つ獲得すれば勝利である。1位になるか、ハコテンにさせるか、役満を放銃させるか、そのどれでもいい。
一方で、この局は役満の放銃にだけは気をつけなければならない。その一撃ですべてを決してしまうのだから。
ましてや起家はシオリさんだ。油断は全くできない。
「ファー」
その第1手目、シオリさんは何の躊躇もなく花牌を抜いた。普通に考えれば前の対局のわたしたちと同じ、主導権を握らせないための速攻だ。
普通に考えるべきタイミングだから、普通に考える。
澄み切った白い指の動き、竪琴のような気品のある声、きれいな群青色の瞳、シオリさんの一挙手一投足がなぜか深い洞察を要求してくるような気がするから、強く意識しないと余計なことを勘繰ってしまう。
そして、シオリさんはリンシャンパイをそのまま河へ送る。
あらわになった表に刻まれていた文字は――四索。使いやすい牌、かつ、この局のドラである。
――確実に、揺さぶりにきている。考えろと、誘ってきている。
神経を張らずにやり過ごすのが、とても難しい。なぜなら、今わたしは神経を張ってシオリさんの行動の真意を探らないようにしているのだから。ある種のパラドックスである。
ナギホさんのノータイムの西切りを見送って、ようやくわたしの番になる。
東一局 一巡目 西家 ナナミ 25000点 ドラ表示:三索
一萬 一萬 四萬 七萬 四筒 四筒 一索 二索 五索 南風 南風 西風 緑發
ツモ:五索
役なしドラなしスーシャンテン、花麻雀ではあまりよろしくない手だ。速攻を目指すのもあまり向かない。
いや、チートイを目指せばリャンシャンテン、か。他の役もドラも絡んでいないのであまり得点は伸びないし、もともとチートイは速度勝負には向かない。
他の人の出方をうかがいながら回して打つにも、シオリさん相手には分が悪い。
――だったら、シオリさんの手のひらで踊ってあげよう。
わたしは四萬を叩き出す。ドラか否かという違いはあるけれど、第1手はシオリさんと同じ4の数字で迎え撃つ。
「おっ、最初から攻めてきよったな」
カズハさんがわたしの捨て牌を見て、少し驚いたような表情を見せた。
――通し、ではなさそうな気がする。もともとこの人はしゃべるのが好きそうだし、しゃべりながら打つのが彼女にとって最も居心地のいい打ち方なのだろう。
今さら指摘したところで大きな影響はないし、ナギホさんも咎めているわけでもないので、もう相手にしないことにした。
そして、シオリさんの番。淀みない所作で牌山から1枚ツモり、手の内から五索を切り出した。
全く、なぜ最初からドラ含みのリャンメンターツを落とすのだろうか。チャンタかホンイツ、トイトイを狙うにしたって、普通もっと慎重に打つだろう。ましてや、親番かつ速攻が大切な局面でするような手ではない。
なんか、もう疲れてきた。
わたしはサイダーを1口飲み込んだ。火照った喉を冷たいサイダーが潤していく。
ナギホさんは、静かに發を切り捨てている。シオリさんに動じない丁寧な字牌さばきだ。
東一局 二巡目 西家 ナナミ 25000点 ドラ表示:三索
一萬 一萬 七萬 四筒 四筒 一索 二索 五索 五索 南風 南風 西風 緑發
ツモ:冬花
得点の伸びる抜きドラの花牌をつかんだ。手役の弱いわたしにとってありがたい攻撃のカードだ。
けれど、ここにきてようやく花牌の有効利用の仕方が分かった気がした。
まず、これは絶対アンパイになる。様子を見たい時や下りる時は非常に有効である。
そして、目的地の決まった打ち方をする上において、危険な余剰牌を早めに処理する動機になる。
今わたしは、シオリさんと鍔迫り合いをするように攻撃姿勢を貫いている。けれど、これは自分の手を高得点に導くからではなく、相手を心理的な罠に追い詰めるものだ。わたしが示すべき態度は、完全な攻撃態勢ではなく、どっちつかずの不安定な立ち位置だ。
だから、今は花牌を抱えつつ、適当なタイミングで河へ捨てる。シオリさんのことだから、わたしが捨てる花牌が、配牌時から合ったものではないことぐらい覚えているはずだ。
そうすれば、攻めているのか、守っているのか、どっちか分からないように見える。今までのシオリさんの打ち方のように。
だったら、チートイなんて絶好な役ではないか。わたしの進んでいる道は間違っていない。
わたしはほんの少しだけ時間を置いて、花牌を抜かずに七萬を捨てる。
次巡、シオリさんはツモった牌を見ることなく盲牌だけで河に送る。
出た牌は北。不要な字牌はさっさと切る、普通の打ち方だ。今までのわたしなら何かしら勘繰ってしまうところだけれど、気にしないようにする。
その後は、静かな巡目が続く。途中、ナギホさんとカズハさんが花牌を1枚ずつ抜いたくらいで、特に目立った動きはなかった。
東一局 九巡目 西家 ナナミ 25000点 ドラ表示:三索
一萬 一萬 六萬 四筒 四筒 二索 二索 五索 五索 南風 南風 白板 冬花
ツモ:竹花
2枚目の花牌をつかんだ。チートイだってドラ2で6400点、リーチでウラが乗ればハネマンまで伸びる。
花牌はトイツになり得ないので、これでテンパイというわけにはいかないが、ここまできたら、さすがに攻めに転じたくなってくる。
シオリさんの様子をうかがいたいが、どうせ河を見たって何かわかるとも思えない。
わたしはちらっとカズハさんの河を見た。
ホー カズハ
西風 南風 九筒 二索 紅中 七筒
東風 一萬
萬子の染め手の気配が強い。けれど、その割には字牌の出が早い気がするし、タンピンをベースに意外と手広く構えているのかもしれない。
チートイで張り合うなら、リンシャンパイ次第になってくるだろう。白は1枚見えだし、六萬はわたしのウラスジとマタギスジ、今持っている牌で攻めるなら、リーチの出上がりは期待できない。
――そう、カズハさんは防御はできるのだ。前の対局では、少なくともリーチ後の対処は完璧に近い。それまでアンパイを抱えていることも含め、そこはしっかり練習してきているのだろう。
だから、生半可な攻めでは崩せない。
わたしは手牌の花牌を切り出し、ツモった花牌を手に加えた。花牌の空切りだ。
「はぁ?」
カズハさんがきょとんとした目でわたしの捨て配を見ている。すぐに自分もツモるが、さすがに動揺は簡単に隠せないみたいだ。
次巡、六萬をツモった。なら、もう迷う必要もない。
「ファーです!」
わたしはここらでリーチでも吹っかけてやろうと思った。けれど、意に反してツモったリンシャンパイは白だった。
――これでも、十分不気味か。
「ツモです! リンシャン、ツモ、チートイ、ドラ1はマンガン、2000・4000です!」
ホーラ形 ナナミ ドラ表示:三索
一萬 一萬 六萬 六萬 四筒 四筒 二索 二索 五索 五索 南風 南風 白板
抜き:竹花
ツモ:白板
メンゼンツモ 一翻
リンシャンカイホウ 一翻
チートイ 二翻
ドラ 一翻 25符 五翻 満貫 2000・4000
ナナミ 25000+8000=33000点
ナギホ 25000-2000=23000点
カズハ 25000-2000=23000点
シオリ 25000-4000=21000点
「あちゃー、ナナミはんまで会長みたいな打ち方しとるやん! こんなんされたらうちらたれへんて!」
カズハさんが芝居がかったしぐさで天を仰ぐ。
その気持ちはよく分かる。今日一番最初の局にわたしも感じたのだから。
「さすが『無敵の女神』ってとこじゃないかしら?」
ナギホさんが不敵に笑う。チームメイトを誇りに思っての言葉だと思うと、心がすっと軽くなっていく。
手牌と残った山を崩し、宅の中央に寄せる。次の親番が回ってきたナギホさんが卓の穴を開け、シーパイを始めてサイを振る。
しおりさんが、小さなため息をついた。
「わたしも、そろそろ本気出さないとね」
不吉なセリフだった。今までと寸分も狂わない、天上を流れる竪琴のような声音なのに、肝が冷えるような言葉だった。
「あら、あなたはもう本気じゃなかったかしら?」
ナギホさんが虚勢を張るように茶々を入れる。
けれど、シオリさんは清らかな笑みを見せて返した。
「第二形態、ってところかしらね」
「どこのラスボスよ」
「あら、魔王は第三形態くらいまであるんじゃなかったかしら?」
「あなたは魔王じゃなくて乙姫でしょ?」
くすっと笑って、「それもそうね」とシオリさんが付け加えた。
その様子を見ているカズハさんが対照的にけらけら笑った。
「会長、やっぱ『NANA☆HOSHI』の方が合っとるんちゃう?」
「そうかもしれないわね。けれど、今すぐ生徒会長の座を降りるわけにもいかないでしょ?」
サイコロの出目に合わせて配牌が行われる。目線でシオリさんの手を追いかけたけれど、きれいな指と所作をしていた。




