第77話 そこはまだおもわくのなか
場は東二局一本場。それにもかかわらず、わたしたち『NANA☆HOSHI』チームは非常に不利な状況に立たされている。
ナギホさんの持ち点が7000点しかない。東一局に親かぶり、東二局に親への振り込み。その結果だけ聞けばおのずとそうなってしまう理由も分からなくはない。
けれど、チーム戦で一蓮托生なわたしにとっても他人事ではない。
仮に、この局、ナギホさんがシオリさんに振り込んでハコテンになったら、勝利に必要な星3つのうち、星2つをいきなり取られてしまうことになる。
それだけは、どうしても避けたい。
わたしのベストプランは、3位のカズハさんを飛ばしてしまうことだ。カズハさんの持ち点は23000点。一撃で飛ばすにはバイマンの直撃が必要だが、親なのだから何も一撃で飛ばさなくてもいい。それができれば、こちらに星2つ入るので、文字通り逆転打。
プランBは、シオリさんからできるだけ点数を奪って独走状態にして、場合によってはナギホさんに差し込んで点数調整をする。そうすれば星1つの勝ちが見えてくる。
一方の生徒会側は、ナギホさん狙いなのは見え見えだ。シオリさんが飛ばせば星2つ、カズハさんが飛ばしても星1つ、場合によっては星2つなのだから。
わたしと生徒会でもう1つ大きな違いがある。生徒会側はツモ上がりでも全く構わないが、わたしはとてもツモ上がりできる状況ではない。ナギホさんから得点を奪うことは、自分の首を絞めることになるのだから。
そう考えると、ナギホさんが一番厳しい立場だ。誰から上がってもいいけれど、誰からも上がられてはいけないのだから。いくらナギホさんが防御が得意だといっても、ツモ上がりまではなかなか防ぎきれない。相手のツモを防ぐ早上がりなど、危なくて簡単にできることではない。
だから、親であるわたしが鍵を握っている。
配牌と理牌を済ませ、わたしは自分の手牌を睨みつけた。
東二局 一本場 一巡目 東家 ナナミ 36000点 ドラ表示:九索
二萬 三萬 四萬 九萬 六筒 七筒 七筒 八筒 九筒 一索 一索 北風 夏花 菊花
ピンフの見える配牌ドラ4、攻撃力は申し分ないが、どうも一筋縄ではいかない気がする。
カズハさんを飛ばすなら、得点は高いに越したことはない。
けれど、前局は簡単に花牌を抜いてしまったせいで、結果的にナギホさんに大きなダメージを与えてしまったのも事実である。うかつに花牌は抜きたくない、という思考が脳にこびりついているのだ。
――ドラ4? そうか、だったら……。
「ファーです!」
わたしは口に溜まった唾液を飲み込んで、手元の花牌を2枚同時抜きする。初手に親がドラ2確定。これは十分に脅威になるはずだ。
ツモったリンシャンパイは八索と白。わたしは何も考えずに北を切り出した。
ここまではまだ平凡な手。誰もわたしの策略には気づかないだろう。
二巡、三巡と静かな立ち上がりを見せる。
「ファー」
シオリさんが珍しく、少し訝しげな表情で花牌を抜く。ここでこの表情はやっぱりおかしい。
平凡な手、平凡な河、平凡な立ち上がり。何もおかしいところはない。
それなのに、シオリさんはおかしいと感じている。自分が花牌を抜いてドラ1をつけているのに、納得できないといった目をしている。
一方、カズハさんはあまり様子が変わっていない。自分のペースで打っている。
そして、ナギホさんも変わっていない。序盤から不要な字牌をきれいにさばいている。
――そう、それがおかしいのだ。
ナギホさんは、今この局に限っていえば、防御に回るべきなのである。予め脂っこくて高い手に振り込みやすい牌を捨てて、安い字牌なんかを抱え込まなければならないのである。
なのに、普通に打っている。
それが不思議でたまらないのだ。少なくとも、シオリさんはそう感じている。
――ここまでは、事前の打ち合わせ通りだ。短期集中の練習が利いてきている。
「ファーです」
わたしは3枚目の花牌を抜き、リンシャンパイをツモる。
――張った。
「リーチです!」
わたしは六筒を叩き出して、リーチ棒を供託する。
そして、瞬間的に脳内回路が形を変える。――ダメ押しの一撃を加えるために。
シオリさんは、表情からは特に警戒しているといった様子は見せない。
けれど、お互いに感じているはずだ。何を考えているのか分からない、ということは。
カズハさんはちらっとわたしの方を見ただけで、素直に次の自分の番の行動をとる。
そして、小さくため息をついて、西を捨てた。
「急に静かになりましたね、まさか他に何か企んでいるんですか?」
わたしはさりげなくカズハさんに尋ねた。
「えっ? ちと勘弁してぇや。うち、何も言わへんだけでそんな疑われる筋合いまではないで!」
カズハさんは言われもない疑いに戸惑い始める。
無理もない。わたしには別の目的があるのだから。
一瞬、シオリさんと視線が交錯した。外見にはわずかな変化も見られない。
けれど、通じ合ってしまった。それはお互いに一目惚れして両思いであることに気づいた瞬間のようなものだったから。
ナギホさんもわたしの意図を組んでくれたようだ。口の端がかすかに上がったのが分かった。
――そう、通しである。
わたしはさっきのセリフに、ナギホさんが暴いた通しと同じ暗号を施した。『きゅう』と『ま』――そう、わたしは九萬のタンキ待ちだ。
カズハさんは前局で通しを見破られたばかりなのだから、わたしがリーチを仕掛けても黙っていることは予測できる。だから、予め先のセリフを準備し、手牌を九萬タンキ待ちに整えればいい。
ナギホさんが平凡な打ち方をしていたのはもっと単純な話。わたしに差し込むための上がり牌を用意するためだったのだ。わたしの捨て牌からゴール地点を予測して、予め上がり牌候補となる者をかき集める。多少は無理しなければいけないところではあるが、そこは立ち回りの上手いナギホさんの腕の見せ所だ。そして、それにしっかり応えてくれた。
そして、仕上げとなるのは三つ星戦のルールそのものだ。
星を獲得する条件に、『相手チームの誰かをハコテンにさせる』というのがある。そう、ハコテンに『させる』必要があるのだ。相手チームの誰かから点数を奪ってハコテンにする必要があるので、相手チームの誰かがハコテンになっただけでは星はもらえないのである。
だから、わたしがナギホさんを飛ばす。
そうすれば、わたしが1位で終わる代わりに、ナギホさんは4位だから星は獲得できない。一方で、生徒会側はナギホさんをハコテンにさせたわけでもなければ、1位になったわけでもないので星は獲得できない。
そう、つまりは対局のリセットだ。圧倒的に不利な状況から、起死回生の一撃ですべてがなかったことになるのだ。
逆に、生徒会側が不利になる。せっかく星が取れるチャンスをみすみす逃すわけだ。その上、確実に流れは『NANA☆HOSHI』側に傾いてしまう。生徒会側にとっては、ただリセットするわけではないのだ。
そして、わたしは花牌3枚抜きでリーチ、ドラ3のマンガン12000点が確定。ナギホさんを飛ばす能力があることは、誰の目にも明らかだ。
シオリさんが1枚牌山からツモって、手牌の中の1枚を指で挟む。
そして、打九萬。
――そう、シオリさんが、生徒会側がその最悪な事態を防ぐ方法はただ1つ。
わたしに差し込むことだ。
ナギホさんがわたしに差し込めば、順番的に誰も止めることはできない。その前に振り込んでしまえば少なくともこの局は凌げることになる。
しかも、ご丁寧にわたしは通しを使ってナギホさんに上がり牌を伝えているのだ。だから、止めようと思えばまず間違いなく止められるのだ。
多少の失点を負ってでも、次局にナギホさんを飛ばしてしまえば星を獲得できるのだ。それぐらいの痛みは耐えられる。
――そう、シオリさんならそこまで考える。
今までわたしを混乱させ、流れも感覚もつかんでいると奢っている。だから、その選択肢を選ぶことができる。
その油断を、突く。
「ロンです!」
わたしは手牌を倒して、ありったけの強運を叩きつけた。
2位のシオリさんでさえ一撃で屠ることのできる一撃を。
ホーラ形 ナナミ ドラ表示:九索、裏ドラ表示:秋花
一萬 二萬 三萬 九萬 七筒 七筒 八筒 八筒 九筒 九筒 一索 一索 一索
抜き:夏花、菊花、梅花
ロン:九萬
リーチ 一翻
イッパツ 一翻
ジュンチャン 三翻
イーペーコー 一翻
ドラ 六翻 40符 十二翻 三倍満 36000
供託:1本、積み棒:1本
ナナミ 35000+37300=72300点
カズハ 23000点
ナギホ 7000点
シオリ 34000-36300=-2300点
「リーチ、イッパツ、ジュンチャン、イーペーコー、ドラ6はサンバイマン、36000点の一本場は36300点です!」
わたしの申告に、場の空気が目まぐるしく変わるのを肌で感じた。
『無敵の女神』の一撃に、誰もが見惚れることしかできなかった。
たったこの一撃で、わたしは1位、シオリさんはハコテン、『NANA☆HOSHI』が星2つ獲得である。
そう、わたしたちの『対局リセット』を許せば、こんな強大な一撃はただのパフォーマンスに終わってしまうだけだった。この結果は、それを許さなかった生徒会側に対する罰である。
むしろ、わたしたちにとっては、こちらの結果の方が望ましかったのだ。星2つ奪われる窮地から、逆に星2つ奪ったのだから。
文字通り、大逆転である。
ぱちぱちぱち、と手を叩く音が耳朶を打った。
シオリさんが、満面の笑みで拍手をしていた。
「おめでとう! さすが『無敵の女神』ね。その実力を肌で感じることができて、わたしも嬉しいわ」
心からの祝福だった。
バクン! と大きく心臓が跳ねた。
バチッと、頭の中がスパークした。
心が、体が、頭脳が、感覚が、すべてのわたしが警鐘を鳴らしていた。
わたしはこの一撃ですべてを屠ったつもりだった。頭脳明晰、容姿端麗、徳高望重の生徒会長を麻雀の勝負という枠内でだけでも超えたと思っていた。
直感した。
屠ってなどいない。超えてなどいない。
まだわたしは、シオリさんの手のひらで転がされている。
こんなにも気持ち悪い上がりは初めてだった。
えずいてきた。
「まだ3局しかしていないけれど、疲れたでしょう? きりもいいし、ここで15分間の休憩にしましょう」
シオリさんは誰にともなく、そう提案した。けれど、誰も動かなかった。
マイペースなのか、他人事なのか、今のシオリさんを表す言葉が見つからなかった。
「ミハギ、申し訳ないのだけれど、時間になったら教えてくれないかしら? 理事長と校長に今日の会食で使う資料を送らないといけないし、他にも仕事を片付けたいの」
「――はい、分かりました。時間になったらお声かけします」
呆気に取られていた生徒会側の立会人、ミハギさんも、シオリさんに声をかけられてやっと正気を取り戻したようだった。
そして、シオリさんは入ってきた時と同じ足取りで、特別会議室を後にした。
ただ沈黙が部屋を満たしていた。
「えっと」その沈黙を破るようにミハギさんが咳払いをした。「『NANA☆HOSHI』のお三方は、隣の生徒会室をご利用ください。この部屋は何かと出入りが不自由ですので」
「――そうさせてもらうわ」
ナギホさんがようやく声を振り絞って、そう言った。
「ナナみん、大丈夫?」
サナちゃんも動けるようになったらしく、わたしの元へやってきて、背中をさすってくれた。
ただ、わたしはもう少し動けそうになかった。




