第76話 たくのうえのはんにんさがし
東二局十巡目、ナギホさんの罪を告発する鋭い言葉が響いた。
一瞬、部屋中の空気が凍り付いたように感じた。シオリさんも山に伸ばした手をピタリと止めている。
ナギホさんの眼光が突き刺しているのは、カズハさんの馴れ馴れしい笑顔だった。
「八萬? 三筒? なんやそれ?」
カズハさんがとぼけて見せるけれど、ナギホさんは揺るがない。
「通しでしょ? 頭文字を使った単純な言葉通しね。1拍目は数字を、2拍目は牌種ね」
ナギホさんの指摘に、カズハさんは笑顔を強張らせた。おそらく、図星なのだろう。
カズハさんのセリフはこうだ。
『はは、参ったわ。さすが『NANA☆HOSHI』、とても勝てる気せぇへんわ』
最初のセリフの頭文字は、1拍目が『は』、2拍目が『ま』だ。なるほど、これは確かに『八萬』ともとれる。
けれど、次のセリフの1拍目と2拍目は『さ』と『と』だ。それはわたしの中では『三筒』にはつながらない。
わたしは発現してもいいのか戸惑いつつも、この場の雰囲気に乗じて尋ねることにした。
「あの、ナギホさん。八萬は分かるんですけど、三筒はどういうことですか?」
「知っている人にとっては大したことないわ。筒子は昔、『トンズ』と呼ばれていたの。今回はピッタリはまっているみたいだけど、萬子ならま行、筒子ならた行、索子ならさ行、ってとこかしら?」
それでわたしも合点がいく。そう考えれば、カズハさんのセリフは通しと指摘されても文句は言えない。
「問題は八萬と三筒が何を示すかってこと。上家にいるあなたが鳴くための有効牌を要求するとは考えづらい。シャボ待ちやポン材の要求も考えられるけど、八萬は2枚見えているから可能性は低い。――おそらく、あたしの上がり牌の予想、といったところかしらね?」
ナギホさんは不敵な笑みで追及するけれど、わたしはあまり納得できなかった。
――ナギホさんの上がり牌の予想? そんなことを伝えて意味があるのだろうか。
現時点でナギホさんの手牌が見える人はナギホさん自身と、後ろで控えて立っているサナちゃんだけだ。光の加減でナギホさんの眼鏡に移り込んだ手牌を見て上がり牌を伝えた、と言われた方がよっぽど納得できる。
けれど、前局わたしがリーチをした時も、カズハさんは何か言っていた気がする。カズハさんの行動に一貫性を持たせるとするならば、ナギホさんの指摘はもっともなのかもしれない。
それでも、やはり予想を伝えることにどれだけの意味があるのか測りかねる。
百発百中の予想を建てることはどんなにがんばってもできることではない。実際、ナギホさんが八萬と三筒のシャボ待ちで待っているとは考えづらく、その予想にはあいまいさが残ってしまう。
「ほんま、ナギホはんには敵わんわ」
けれど、カズハさんはあっさり認めてしまった。ぺろっと舌を出しておどけていた。
「言ったでしょ? 三味線は自重してってね」
「はいはい、自重しますわ」
ナギホさんとカズハさんの間の嫌な緊張を残して、とりあえず場は丸く収まったようだった。
「続けていいかしら?」
シオリさんが自分のツモる予定の牌をこんこんと人差し指で小突く。
「ちょっと待って!」その時声を上げたのは、立会人のサナちゃんだった。「通しって、イカサマでしょ? このまま続けていいの?」
サナちゃんはあわてふためいているが、その問いの答えはこの部屋の中にいる人はサナちゃん以外みんな知っていた。
ナギホさんがあきれたようにため息をつく。
「サナエちゃん、ルールブック確認しといて、って言ったじゃない。星愛女学院公式ルールでは、イカサマを概ね認めているわ。もちろん、バレたらそれなりの罰則付きでね。今回みたいな卓内の人間同士の通しは、基本的にお咎めなしよ」
「お咎め、なし? じゃあなんで指摘したの?」
「簡単な話よ。あたしは『通しはダメでしょ』、じゃなくて、『あなたたちの通しは筒抜けよ』って言ってるだけなのだから。自重して、っていうのはただのお願いよ」
サナちゃんは幾分か不満な表情を浮かべて口を噤んだ。気持ちは分かるが、ルールブックには末恐ろしいことが書いてあるのも事実だ。
星愛女学院公式ルールには、『禁止する』という文言は一切書かれていない。『~をした場合は、~とする。』という文言が多用され、何をした時にはどういう罰則が与えられるか、ということが淡々と書かれているのだ。もちろん、中には一発退場クラスの厳しいものだってあるが、中には罰則のない行為もある。
つまり、場合によってはマナーもへったくれもない。『ルールに従うことがマナー』なのだ。
どちらにしても、カズハさんはこれで通しをしづらくなっただろう。
「もう一度聞くけれど、続けていいかしら?」
再びシオリさんが微笑みを見せて、自分のツモ牌を人差し指で小突く。
「いいけど、あなたも一枚かんでいるんでしょ?」
「ナギホの洞察にはいつも驚かされるわ。わたし、全く気づかなかったもの」
シオリさんの態度はものすごく白々しい。そんなはずなのに、なぜかこの人が言葉にすると不思議と本当にそうではないかと思わせる魔力があった。
「はいはい、お上手ね。続けていいわよ」
ナギホさんは嘆息交じりに肩をすくめて、シオリさんを促した。
何事もなかったかのようにシオリさんはツモ牌を手牌の上に重ねると、そのままツモ牌を切り捨てた。
「リーチ」
そして、一言と1000点棒を付け加える。
――このタイミングで、ツモ切りリーチ。シオリさんの行動は相変わらず奇々怪々としか言いようがなかった。
通しが明るみになったこのタイミングで何かを仕掛ければ、当然その行動も疑われる。ましてや、ツモ切りリーチは全く理にかなわない行動だ。何かを企んでいる、と考えた方が自然だ。
ナギホさんも訝しげな顔をする。ナギホさんも、シオリさんが何か仕掛けているというのを感じているのだろう。
そして、ナギホさんがツモった牌をさらす。
その牌は、二索。わたしの上がり牌だ。
けれど、上がる必要なんて微塵もない。チーム内での点数の授受なので効率が良くない上、4位のナギホさんから直取りすれば、余計にわたしたちの勝利が遠ざかってしまう。
見送ってもどうせ山越しになるので出上がりはできる。さらにツモ切りを続ければ、アンパイとしてカズハさんかシオリさんが捨てる可能性は十分あり得る。
だから、ここは動かないのがセオリーだ。
けれど、それをさせてくれない人がいた。
「ロン」
シオリさんが優しく発声した。
リーチ、イッパツ、手役やドラが乗れば、点数はもっと高くなる。
「――ロン、アタマハネです。タンヤオ、ドラ3はマンガン、12000です」
一瞬ためらいつつも、わたしは苦笑い交じりに手牌を倒した。
ホーラ形 ナナミ ドラ表示:二萬
三萬 四萬 五萬 二筒 三筒 四筒 五筒 六筒 七筒 二索 二索 五索 五索
抜き:梅花、春花
ロン:二索
タンヤオ 一翻
ドラ 三翻 40符 四翻 満貫 12000
供託:2本
ナナミ 22000+14000=36000点
シオリ 34000点
カズハ 23000点
ナギホ 19000-12000= 7000点
星愛女学院公式ルールでは、2人のロンが出た時は上家のロンのみを有効とするアタマハネを採用している。だから、シオリさんのロンはわたしのロンで不成立となるのだ。
とりあえずはこれで1位には上り詰めた。
ナギホさんがハコテンすれすれになるのはあまり気が進まないが、最悪の事態は避けられたと思う。
ナギホさんが防御に徹すれば堅い。凌ぎ切ってさえくれればあとはわたしが何とかすればいい。圧倒的な差をつけて1位になればナギホさんに差し込んで点数を配ればいいのだから。
しかも、わたしの連荘だ。積み棒は増えるし、攻撃力は1.5倍だ。まだまだ攻められる余地がある。
点数の授受を終えた時に、ナギホさんが「それでいいのよ」とうなずいてくれた。認識は共有できているようで少し安堵する。
気になっていたのでふと目をやると、シオリさんは手牌を伏せていた。
本来、ロンはあくまで発声と手配公開で成立する。だから、慎重な人は一度発声して、アタマハネがないことを確認してから手牌を公開する。アタマハネがあれば、ロンが不成立なので、手牌を公開する必要がないのである。
ただ、これはロンと発声してロンをしない『カラロン』という罰則付きの行為になりかねない。けれど、仮にカラロン認定されても罰則はその局の上がり放棄なので、今回の場合はあまり意味を持たない。
それらを考えても、今回のシオリさんの行動は疑わしいことづくめである。
――そう、ノーテンリーチを仕掛けてきたのではないかという疑念がある。
テンパイしていないのにリーチをかける『ノーテンリーチ』は発覚すれば8000点払いの罰符である。けれど、手牌が公開されないなど発覚されないケースではお咎めなしなのだ。
だからこそ、シオリさんはノーテンリーチを仕掛け、カラロンでわたしのアタマハネを誘い出した。そういうハイリスクで荒唐無稽な戦術をしてきたのではないかという勘繰りができてしまう。
普通ならあり得ない疑い。けれど、あり得ないことを成し遂げすぎていた前局を思い出せば、それは現実的な可能性になる。
「――チェック」
ナギホさんが不敵につぶやいた。
それは、不正指摘の宣告である。イカサマに寛容な星愛女学院公式ルールが認めるイカサマへの対策法である。
シオリさんが、くすっと笑った。今までに声に出した笑いは初めてだった。
「わたしにノーテンリーチの疑いがある、ってことでいいかしら?」
「ええ、そうよ」
不正指摘は、見逃されたらお咎めなしの行為に対して、それの是非を確認することができる。指摘に成功すれば罰則を与えることができるが、失敗すれば指摘した側にそれなりのリスクを背負わされることになる。
「その手牌を、開いてちょうだい」
ナギホさんの言葉に、小さなため息を1つ零して、シオリさんは手牌を公開した。
シオリ
二萬 三萬 四萬 六萬 六萬 二筒 三筒 四筒 三索 四索 六索 七索 八索
「――っ!」
ナギホさんが言葉を詰まらせて歯噛みした。信じられない気持ちは、わたしも同じだった。
タンピンサンショクドラ1、リーチにイッパツも乗って上がればハネマンの、誰も文句の言えないきれいな手だった。
だからこそ、余計に分からなくなった。シオリさんの花牌切りやツモ切りリーチが。
花牌切りは、わたしたちに違和感と疑念を植え付けるためにドラ1を犠牲にした。
ツモ切りリーチは、イッパツで上がるタイミングを狙っていた。
そう結論付けることしかできない。
それとも、すべての布石がこの最後のチェックによる手牌公開と、わたしたちに気持ち悪い感覚を芽生えさせるためだというならば、何手も先を読まれた、絶対的な実力差を見せつけられた気分だった。
「残念ね」シオリさんが白くてきれいな指で手牌を崩す。「チェックは失敗で、ナギホは得るものなし。わたしも見せる必要のない手牌を見せて、推定ホーラはナナミさんの上がりで無効。誰もがよくない結果で、本当に残念ね」
「ほんと、慣れないことはするもんじゃないわね」
心底残念そうな表情のシオリさんとは対照的に、ナギホさんは開き直った表情をしていた。
わたしは卓上のボタンを押して、中央の穴を開けた。各人がそこに牌を滑り込ませていく。
「でも、ナギホがチェックをかけるなんて、いつ以来かしらね?」
気がつくと、シオリさんはいつも通りの清らかな笑顔に戻っていた。
「さあね。ただ、本気のシオリやホムラはガンガン仕掛けてくるから、いつだって警戒していたわ。でも、今はまだ本気じゃないみたいね」
「まさか、いつだってわたしは本気よ」
2人とも、昔を懐かしむような声で語らっていた。けれどその奥には、確かに『あなたには負けない!』という強い意志が見え隠れしていた。
「ほんま、『NANA☆HOSHI』には全然勝てる気せぇへんわ」
すっかり蚊帳の外にいたカズハさんがため息交じりに苦笑いしていた。
正直言うと、わたしも精一杯だ。脳と心の疲れが、とてもたった2局とは思えないほど溜まっている。
けれど、まだまだ序盤、気合を入れ直さなければ。
「一本場、お願いします!」
わたしは積み棒を1本置き、次局の準備を行うボタンを押した。
けれど、その時わたしの脳は勝利を貪欲に求める獣が覚醒するようにうごめき始めていた。




