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ナナミ -The Gifted Challenger- ~天才少女の麻雀挑戦記~  作者: 蝶捕銀糸
第5半荘 はなさく、どらどらどら
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第72話 ぬれたきずあと

『4月、ここで賭博麻雀が行われたでしょ?』

 一夜明けても、シオリさんの言葉が頭に残っていた。

 あの時は全く意識していなかった罪の意識が、時を経るごとに増してゆく。

 ほんの些細なことかもしれない。

 犬に噛まれたと思って忘れてしまえばいいのかもしれない。

 けれど、わたしの頭を鈍らせて、わたしの心を縛るには十分過ぎた。

 だって、わたしが初めて法に触れた瞬間だったのだから。

「ナナみん、どうしたの? 今日元気ないよ?」

 放課後になっても気持ちが晴れないわたしの空気を、相変わらずというかサナちゃんは察してくれることもなく、ハテナマークを浮かべた顔でのぞき込んでくる。

 ――この子は、昨日何があったのか忘れてしまったんだろうか?  あるいは、わたしを元気づけようとしているのか?

 いつもと変わらないあどけない表情でツインテールを揺らしている。

 毒気のない純粋な振る舞いだった。だからこそ、今のわたしには癇に障った。

 わたしは不貞腐れた顔を見せてそっぽを向くけれど、サナちゃんはわたしの視線の先に移動して瞳を見つめてくる。

「――昨日のこと、覚えてないの?」

 わざといらだった感情を含ませた視線でサナちゃんに詰問する。

 サナちゃんは少し動揺を含ませた表情を見せた後、大慌てで首を振って否定した。

「お、覚えてるよ! でもさ、あたしはナナみんは何も間違ったことはしてないと思うよ!」

「間違ったことって、何? 賭博は間違いじゃないの?」

「うぅ……」

 わたしの意地悪な質問に、サナちゃんは言葉を詰まらせた。

 委縮したサナちゃんの向こう側の窓には、相変わらずどんよりとした曇り空が広がっていて、今にも雨が降り出しそうだった。

「師匠、サナエ殿、大変ッす!」

 教室の喧騒をかき分けるようにヨミちゃんの声が聞こえたかと思うと、他のクラスであることを全く気にする素振りも見せずにヨミちゃんがわたしたちのもとに駆けてきた。

 もちろん、わたしたちの険悪な雰囲気ももろともせずに。

「どうしたの、キヨみん?」

 救われた、とばかりにぱっとサナちゃんの表情が明るくなる。

「相変わらずサナエ殿のその顔は愛くるしいッスね~! 実はすっごくびっくりなニュースがあるッす! とりあえずこれを見るッす」

 そして、右手に持っていた新聞を差し出した。

「これ、ナナみんが1面に載っている校内新聞だよね? なになに、『七夕祭模擬店申請迫る 希望者は生徒会へ』……」

「いや、1面じゃないッス。もっと中の方ッス」

「『美術部員の秘密のスケッチ 放課後に咲く百合の花』……おお、なんだか胸がきゅんきゅんするよ!」

「この写真、ピントがぼけてるッスから余計気になるッス! ……って違うッス! こっちの記事ッス!」

 妙に盛り上がっているこの2人のやり取りを見ていると少しは気の慰めにはなった。

 元気印な2人のエネルギーは、いい意味で回りに伝染するのかもしれない。

 そんな中、サナちゃんが件の記事を読み上げ始めた。

「えーっと、『今年もアツい! 夏の全国大会一覧』……って、これ、運動部の全国大会のスケジュール表だよね?」

「そッス! ここ見るッス!」

 ヨミちゃんが新聞の一角を指さす。

 わたしからは広げている新聞紙の中を見ることができないので、サナちゃんのリアクションを待つことにした。

「8月9日から8月15日まで、全国高校女子麻雀選手権……ってこれ、麻雀の全国大会!?」

 サナちゃんが素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 ――全国、大会?

 その言葉がゆっくりと脳内に染み渡っていき、意味を理解したところではっと目が覚める思いをした。

「サナちゃん、それって、つまり――」

「インターハイだよナナみん! それも、麻雀の!」

 サナちゃんのボルテージが一気に跳ね上がる。

 それと呼応するように心臓から熱いものがこみ上げてきた。頭の中を支配していたどんよりとした気持ちが少しずつ流されていく。

 けれど、そんなわたしの中で罪悪感が首をもたげる。

 ――わたしに、全国大会に出る資格はあるのか?

 全国大会は、きっと麻雀に青春を捧げている人たちが頂上を夢見て切磋琢磨する場所。

 そんな栄光を賭けた場所に、わたしが挑戦してもいいのだろうか?

 気が引ける思いが表情に出そうになった瞬間、サナちゃんがわたしの両手を握りしめた。

 そして、いつものようなあどけなく晴れやかな笑顔を見せる。

「あたし、行きたい! 全国に!」

 彼女は、今まで見たこともないような澄んで輝いた瞳をしていた。

「あたしも行きたいッス!」

 ヨミちゃんもサナちゃんに同調するように黄色い声を上げた

「で、でも今は『NANA☆HOSHI』の存続の危機だよ?」

「ナナみんなら、大丈夫だよ! 何とかしてくれるでしょ?」

「そうッス! 何とかしてくれるッス!」

「そんな、無責任な……」

 普段なら2人の明るい言葉は勇気になるのだけれど、今のわたしには重荷にしかならない。

「麻雀部の地方大会は――7月19日からだから、結構スケジュールはタイトッスね」

「そうだね。七夕祭も愉しみたいから、結構時間ないかも」

「それはちょっと詰め込みすぎッス。サナエ殿、青春してるッスね」

 サナちゃんとヨミちゃんが嬉々として語る明るい未来は、あくまで部活の存続の危機を回避したら手に入るものだ。

 2人はきっと、生徒会長のシオリさんとの戦いに勝つことを信じて疑っていないんだろう。

 普通に考えれば、楽観でも傲りでもなく、勝つことはそんなに難しくないだろう。

 けれど、わたしは全く安心できない。ナギホさんの強い警戒心、シオリさんの余裕の態度、それらを推し量ると、万が一負けるかもしれない、という確率をはるかに超えて敗北するという未来が訪れるかもしれない。

 サナちゃんの「部室に行こう!」という言葉を皮切りに、そのまま3人で『NANA☆HOSHI』の部室に向かった。

 部室にはすでにナギホさんとヒメちゃんが卓を挟んで座っていた。宅の中央には何やらA4サイズの紙が1枚置かれていた。

「あ、みんな、ちょうどよかったわ。生徒会との一戦のルールが決まったの」

 ナギホさんはA4の紙を持って立ち上がり、わたしたちの方に向き直った。

「勝負は2対2の三つ星戦、ルールは花麻雀よ」

「三つ星戦?」

 ナギホさんの言葉に、サナちゃんは疑問符を浮かべる。『NANA☆HOSHI』のルールブックを頭に叩き込んでいるわたしには分かるが、普通はまあそういうリアクションになると思う。

 そんなサナちゃんと、同じように疑問を浮かべるヨミちゃんに、ナギホさんは笑顔で丁寧に説明してくれた。

「星愛女学院で使われる勝負方法の1つよ。ゲームの勝敗内容によってチームに星が与えられて、先に3つ星を集めた方が勝ちなの」

「どうやって星を集めるッスか?」

「星が与えられる条件は3つ。まずは半荘終了時に1位であること。ただし、チームメンバーが4位の場合は無効なの」

 この条件は簡単である。2人1チームだから、どちらか一方が1位になればいいだけだ。ただ、チーム戦なので一方を勝たせるためにもう一方が差し込む――つまり、点数をそっくりそのまま渡すことを認めてしまっては、勝負にならない。だからそのような形、一方が1位になってもう一方が4位になる場合は『勝ち』にはならないのだ。

「要するに、3回勝った方が勝ち、ってこと?」

「概ねサナエちゃんの言うとおりね。でも他にも条件があるわ。2つ目の条件は、相手チームの誰かをハコテンにさせること」

 ハコテンとは、持ち点がマイナスになることだ。麻雀では25000点持ちだが、ハコテンになることは珍しいことではない。

 厄介なのは、ハコテンになればゲームは終了し、順位が決まるということだ。三つ星線では、相手をハコテンにして1位になれば、おのずと星2つ獲得することになる。

「そして、最後は相手チームに役満を放銃させることよ」

 これはあまり頻繁に起こるケースではないが、相手の捨て牌で役満を上がればそれだけで星がもらえるのだ。星愛女学院公式ルールでは役満に関するルールはかなり厳格で、今回は数え役満や普通の役満のツモ上がりでは対象にならないし、ダブル役満を上がっても星2つとはならない。それでも、ゲーム終了を待たずに星が得られるので、確率が低いからといって無視するわけにもいかない。

「なるほど」

 サナちゃんが感心顔になる。バカなサナちゃんでもすぐに理解できたみたいだ。

「でも、役満なんてそうそう見ることはないッスし、ハコテンに注意すればいいってことッスよね?」

「そうね。ただ、一発で勝負が決することもあるわ。東一局に役満を振り込む、とかね」

 そう、三つ星戦で最も気をつけなければならないことは、役満への振り込みである。たいていのケースでは役満に振り込めば32000点が動くので、上がった方は1位になりやすいし、放銃した方はハコテンになりやすい。たった一度の上りで星3つ獲得する、ということがあり得るのだ。

 だからこそ、相手の役満気配をいち早く察知し、徹底的な防御態勢を貫く能力は非常に重要になってくる。

 ナギホさんが提示した最悪のケースに一瞬部室内が凍り付くが、いつの間にかわたしたちの輪に加わったヒメちゃんが口火を切る。

「私はもう一方のルールの方も気になるわ。花麻雀、だっけ?」

「ああ、そっちね。そっちはもっと単純よ。普通の麻雀に花牌8枚を抜きドラとして加えるだけだから」

「8枚、ですか?」

 花牌といえば、よく麻雀牌のセットに付属している春夏秋冬の1文字と花の絵があしらわれた牌だ。けれど、わたしは4種類1枚ずつ入っているものしか見たことないので、8枚がピンとこなかった。

「そうね、普通は春夏秋冬しか知らないと思うけど、本来はそれに梅蘭菊竹の4種類を加えて8種類あるの」

「へぇ、そうなんですね」

 花牌の種類はともかく、8枚も抜きドラがあると点数がインフレしかねない。

 抜きドラは、手牌に加わった時、宣言と共にその牌をさらし、手牌から抜くことでドラ1扱いになる。そんな牌が8枚も入っているのだ。ハコテンを避けたい戦いを強いられるのだから、花牌の行方には注意したいところだ。

「うちのルールでは、花牌を抜いた時の補充牌はリンシャンパイだからテンパイの時は積極的に抜けばいいし、花牌を河に捨てることもできるから絶対アンパイにもなる。要は花牌も使いよう、ってことね」

 わたしの表情を読んだのか、ナギホさんは「心配しないで」と言いたげな笑顔を見せてくれた。

「そして、肝心な『NANA☆HOSHI』代表メンバーは――」

 たたずまいを直したナギホさんは1拍置くように一呼吸した。

 部室の存続がかかった戦いなのだ。ここで改まらなくても、生徒会と戦うメンバーはこの場にいる人にはみんな分かっていた。

 ――わたしも、覚悟を決めなければ。

 決して楽な戦いではない。けれど、今までだってそうやって勝ってきた。

 それに、今回は一人ではないのだ。今までだって『NANA☆HOSHI』のみんなのためにと、ひとりで戦ってきたつもりはなかったけれど、今回は心強い味方が一緒に卓に入ってくれるのだ。今までと比べてずっと勇気をもらえる。

 ナギホさんの眼鏡の向こうには、闘志と覚悟を湛えた瞳があった。

「――あたしと、ナナミちゃんで行くわ!」

「はい! よろしくお願いします!」

 わたしは、わたしの闘志と覚悟を言葉に込めた。



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