第70話 ななほしのすたー
放課後になり、わたしとサナちゃんはしとしとと降る雨の中部室棟へ向かった。わたしもサナちゃんも傘を持っていなかったので必然的に早足になる。
「うわ~、結構ぬれちゃったよ~!」
サナちゃんが犬のようにぶるぶると身体を震わせ、露払いをした。わたしもスカートについた雨粒をぱんぱんと払う。
昇降口では縄跳びをしている生徒とシャドウボクシングをしている生徒がいた。また、野球部『星愛トレジャーズ』のメンバーらしい人が交代でストレッチをしていた。運動部は雨の日は大変だなぁ、と軽く同情してしまった。
わたしとサナちゃんは雨よけをしている運動部員たちを横目に4階にある部室へと向かった。
「あーっ! 先輩、『NANA☆HOSHI』のホープ、『無敵の女神』ですよ!」
不意に後ろから声がかかって、心臓を掴まれた気分になった。『無敵の女神』の噂には慣れていたつもりだったけれど、露骨に声をかけられることはなかったので驚きであった。
わたしたちが振り向くと、キャンバスや画材の入っているらしいカバンを持った1年生と2年生の生徒がいた。どうやら美術部らしい。
「おお! アズにゃんだ!」
「ちょっと、指差さないでよ。それに、そのあだ名は何とかならないの?」
サナちゃんが笑顔で美術部員の1年生に指を差す。どうやらサナちゃんの知り合いらしい。
1年生の生徒が今度はわたしに向かって嬉々とした声で言う。
「新聞見ましたよ! 委員会以外で1面に乗るなんてすごいですね!」
「ナナみん、新聞に載ったの!?」
サナちゃんも上機嫌になってわたしの顔を見つめてくる。
けれど、わたしにとっては寝耳に水である。もちろん、取材など受けたことはない。
「うちはね、新聞紙も有効な資源だから部員全員が読む習慣があるんだけどね、うちの部長も『こんなこと、初めてだ!』って驚いてたよ」
「あ、ありがとうございます」
先輩のちょっと意味をつかみかねる言葉に、わたしはますます恐縮してしまう。
聞いた話によると、星愛女学院の生徒の半数以上は部活動ではなく委員会に所属しているらしい。新聞自体も放送委員が作っており、どうしても話題は委員会が主体になってしまうとのことだ。
かくいう部活動は大会やコンクールで活躍すると新聞には載るらしいが、1面に載ることはまずないらしい。部活動が乗るとすれば3面かコラムの『今月の部活動』ぐらいとのことだ。
「とにかくね、うちでも部活動でも1面とれるんだ! ってことで部長が妙に張り切っちゃってね。いい刺激になってるよ。あたしも一肌脱がないとね」
「先輩はガチで脱ぐのでやめてください」
美術部の1年生は先輩を怖い顔で睨み付ける。けれど先輩は動じた様子も見せないで笑っている。
「あたしたちも読んでみたいね! ナナみんの新聞!」
「別にわたしの新聞、ってことじゃないと思うけど、確かに気になるね」
「部室に新聞あるかもよ! 急いでいこうよ!」
美術部の2人を見送ったあと、サナちゃんはわたしの手を取って早足になった。ぷにぷにとわたしの手をもてあそんでいる仕草がなければいいのだけれど。
部室に向かう途中の3階で、再びわたしたちの歩みを止める声が聞こえてきた。
「あら、ナナミちゃん! 新聞見たわよ!」
裁縫部『メタモる!』のキリネさんだった。この人は裁縫の腕はもちろん、写真の腕もぴか一である。
「きょ、恐縮です」
ここまで星愛女学院の生徒たちが校内新聞を読んでいることにも驚きである。
それよりも、こんなに一躍有名になってしまったのだから、その肝心の記事を読みたくなってきた。
「でも、『メタモる!』もこの前新聞に載っていたじゃないですか。かっこよかったですよ!」
サナちゃんの言葉にキリネさんは苦笑いを見せる。
「ありがとう。でもまあ、『今月の部活動』だからね。」ナナミちゃんに比べたら大したことないわよ
「そんなにナナみんすごいんですか?」
「個人で1面に載るのは生徒会長さん以来じゃないかしら?」
「へぇ~、あの生徒会長さんもすごい人なんだね」
サナちゃんは相変わらずの的外れなリアクションをする。先ほど生徒会長さんと直接しゃべったことも影響してか、あまり実感がないんだろう。
けれど、わたしは少し落ち着かない気分だった。
あのシオリさんと肩を並べられた感触は心地よくもあり、恐れ多くもある。
キリネさんと別れた後は『NANA☆HOSHI』の部室へ直行する。部室にはすでにナギホさん、ヨミちゃんヒメちゃんがそろっていた。
「師匠! これを見るッス!」
わたしを認めたヨミちゃんが、新聞片手に駆け寄ってきた。
「ちょうどよかった! あたし、見たかったんだよね~!」
サナちゃんが新聞を受け取ると、すかさず1面をあらわにした。わたしも横からそれを見る。
「わ~、すごい! ナナみんだよ!」
「ちょっ!」
サナちゃんのテンションが一気に駄々上がった。
1面の隅っこの小さな記事とはいえ、きちんとわたしの写真も入っている。というか、いつ撮られた写真なのだろうか? ブルマ姿でぜえぜえ走っているわたしの写真だ。
はっきり言って、ものすごく恥ずかしい!
耳たぶまで火照ってくるのが自分でも分かった。
記事の内容自体は取り留めのない内容だった。要するに『NANA☆HOSHI』にとても麻雀が強い人が入ってきたというものである。
「でも、そんなに騒ぐことかしら?」
盛り上がってるサナちゃんヨミちゃんをよそ目に、ヒメちゃんが冷ややかな視線を向ける。
「ええ~っ! だって1面だよ!?」
「そうッス! 部活動で、しかも個人が載るって異例のことだって聞いたッスよ!」
「そうじゃなくて、麻雀部に強い人がいる、ってだけで1面に載るような話題ではないと思うんだけど」
ヒメちゃんの指摘はもっとものように聞こえた。
確かに、どこの部活動にも能力が抜きんでている人はいてもおかしくはない。その人が大会に何度も出場して活躍したり、対外的に有名になれば、自然と注目が集まってくることも理解できる。
けれど、わたしは大会で活躍したわけでもないし、学校のみんなの前で何かをやったわけでもない。ただ普通に部活動に興じていて、それで他の人よりは少しばかり強いだけである。校内新聞とはいえ、1面にピックアップされる理由などないのだ。
「まあ、うちの部は特殊だからね」
部長のナギホさんが不敵の笑みを見せながらわたしたちの会話に入ってきた。
「特殊、ですか?」
わたしの問いかけにナギホさんは眼鏡のつるを押して答えた。
「やっぱり麻雀てイメージ悪いじゃない? 少なくとも、普通の人にとっては女学院の風紀が乱れるとかなんとか反対する人が多かったのよ」
「まあ、気持ちは理解できますね」
わたしたちはゲームとして麻雀を楽しんでいる。けれど、世間的にはまだまだ市民権を得たとは言えない。ギャンブルとしての側面や過去に負ってきた麻雀の暗いイメージはぬぐい切れていないのだから。
それでも、それはすべてではない。
わたしにとって麻雀は、サナちゃんとの絆のきっかけだった。よい先輩や同級生とのつながりにもなった。
初めて日は浅いけれど、麻雀はわたしに大切なことを教えてくれたのだ。
その思いは、わたしだけでもないらしい。
少なくとも、ナギホさんもわたしの気持ちを理解しているような顔だった。
「そこであたしたちは条件を出したの。毎年12月に行われる聖夜祭で部の存続を賭けた勝負を生徒会相手に行う。勝てば存続、負ければ廃部の一発勝負を。その代わり、その間は不正な理由で廃部にしないという条件をね」
ナギホさんの言葉でわたしたちの間に緊張が走った。
それはあまりにも危うい『NANA☆HOSHI』に定められた運命だったのだから。
そして、わたしたちとは無関係とは呼べない。
「もしかして、今年もあるんですか? その勝負」
聞いてはいけないような、それでも避けては通れないような気がして、わたしは言葉を紡いだ。
「ええもちろん、今年もあるわ」
それはさぞ当たり前と言った感じの答えだった。
わたしの背筋に緊張が駆け巡る。
むせ返るような思いがのど元をせりあがってくる。
他の1年生が息を飲むのも肌で感じられる。
「はいはい、そんなに緊張しないで!」ナギホさんがぱんぱんと手を叩く。「聖夜祭まではまだ半年もあるのよ。今から緊張してどうするのよ!」
「……それもそうね」
「そうッス! 今からもっと強くなればいいッス!」
「そうだよ! みんなでがんばろう!」
ヒメちゃん、ヨミちゃん、サナちゃんが口々に鼓舞の声を上げる。
「だからね、生徒会としては『NANA☆HOSHI』に強い人がいるってだけで委縮しちゃうのよ。だからナナミちゃんが1面に載ったんじゃないかしらね?」
「そういうことですか」
わたしは臓腑にできた重いものをゆっくりと溶かしていった。
ちやほやされるのはあまり慣れてはいない。
誰かの為に、チームのために戦うことも慣れてはいない。
けれど、わたしには力がある。天賦の才能とまで呼ばれた勝負に対する強い思いがある。
その最後の勝負の時の為に、わたしはそれを磨いてみよう。
こんなにも優しい先輩と、一緒に戦う仲間がいるのだから。
人に与えられた名誉に軟化、負けない!
「それじゃあ、早速打とうよ!」
サナちゃんの呼びかけに、1年生が同調する。もちろん、わたしも大歓迎だ。
わたしたちが卓に向かおうとした時、部室のドアがコンコンと鳴った。
「はい、どうぞ」
ナギホさんが応対すると、「失礼いたします」と礼儀正しい口調の跡に、ゆっくりと扉が開かれた。
その聞き覚えのある声に、わたしは胸を突かれた思いだった。
おそるおそる振り返る。
礼儀正しく気品のある態度。それは人間に与えられた様々な所属を超越した真の意味での平等を尊重するような清らかな態度だった。
そして、左右に蓄えられた大きな亜麻色の巻き髪と、すべての生を育んできた大海原のような群青色の瞳。
何者にも冒されていない慈愛に満ちた身体と立ち振る舞い。
それは繊細な乙女というよりは、邪悪なものを一切寄せ付けず打ち砕いてきたかのような芯の通った強さとやさしさを連想させた。
だからこそ感じる。畏怖の念を。
「シオリ……」
ナギホさんが彼女の名前をつぶやいた。
黄色のセーラー服にパープルのスカーフの彼女は柔らかな微笑みを返した。
「ナギホ、お願いがあるの」
天使の奏でる竪琴のような声音が辺りを震わせた。
「今すぐ部室を畳んでくれないかしら?」




