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ナナミ -The Gifted Challenger- ~天才少女の麻雀挑戦記~  作者: 蝶捕銀糸
第5半荘 はなさく、どらどらどら
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第69話 せいあいのはな

前話より約2年後の更新となります。

細かい文体などに違いが出ているかもしれませんが、気にせずお付き合いいただけると幸いです。

「やった~! 終わった~!」

 午前中の授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた直後、わたしの前の席に座るサナちゃんが両手を上げて大きく伸びをした。

「サナちゃん、まるで今日の授業が全部終わったみたいな言い方だね」

「そっか、午後も授業あるんだっけ? がっかり。でもでも、せっかくのお昼休み、楽しまなきゃ! ほらナナみん、ご飯食べに行こうよ!」

 ジェットコースターのようにテンションをアップダウンさせるサナちゃんが、わたしの肩をがっしりとつかみ、キラキラした大きな瞳で見つめてくる。

 いつもリアクションがオーバーなサナちゃんに少し呆れつつも、わたしもお腹が空いてきているので同意することにした。

 けれど、昇降口まで来て気分は憂鬱になる。

「ナナみん、雨だね」

 サナちゃんは物かな師げそうな声を出した。

「無理もないよ。もう梅雨だし」

 とはいいつつも、食堂や購買は別棟になる。ちょっと雨が降るだけでも食事には不便になってしまう。私学なのだから、傘がなくてもせめてご飯ぐらいは雨に濡れずに食べに行けるような造りにしてほしかった。

 天気や女学院に愚痴を言っても仕方がない。わたしとサナちゃんは走って食堂まで向かうことにした。

 食堂は思ったより込んでいて、多くの生徒でにぎわっていた。小雨とはいえ、傘を持っている生徒が何人もいる。

 ただ、いつもと雰囲気が違う気がする。少し落ち着かない、何かを期待するようなそわそわした空気が満ちていた。

 そう思ったのもつかの間、背中の方から黄色い歓声が上がり、凪いだ湖面に広がる波紋のように大きな流れとなって食堂に響いた。

 わたしは後ろを振り向いた。長い髪がはらりと揺れる。

 その先にいたのは、わたしもよく知っている人物だった。いや、見かけるといった方が正しい。

 サナちゃんのツインテールにも負けない左右に蓄えられて腰まで伸びる大きな亜麻色の巻き髪、遠くからでもはっきり分かる大きな瞳、整った鼻立ちに愛くるしい唇。艶めかしさと上品さという二律背反を可能にしたまるで芸術品の様な体躯。

 歩を進めるたびに食堂の空気が浄化されていくようなオーラを放つその女性の名前を、わたしは知らない。

 希望の象徴である黄色のセーラー服と、高貴さを表すパープルなスカーフに裏打ちされた存在感と権威が先行させる肩書きが強すぎて、彼女の名前が思い出せないのである。

「会長様!」

「生徒会長様―!」

 周りの生徒たちが彼女を取り囲むように集まり、口々に喜びに満ちた声を上げる。それに対して彼女は丁寧に向き合って答え、時に握手を交わして生徒たちの期待に応えていく。

 その様子は、熱烈なファンに愛されるアイドルというよりは、国民から強い信頼を寄せられる大統領を彷彿とさせた。

「あれ、ナナミとサナエじゃん。意外だね、あなたたちはあんまり興味ないと思ってたけど、見に来てたんだ」

 不意に後ろから声がかかったので振り向くと、クラスメイトのライちゃんが食事を済ませたトレイを持っておもしろそうなものを見る目であたしたちを見つめていた。

「おお、ミラいん! 見に来たって、どゆこと?」

 サナちゃんがわたしも抱いていた疑問を口にする。対するライちゃんは、なんだやっぱりと言いたげな笑みを見せた。

「今日は生徒会長さんが1か月ぶりに下界に降臨して食堂に来るって噂だったからね。会いたい人はみんないろんなとこで待ち伏せしてたって感じ」

「なんかいろいろと大げさだね」

「それがね、そうでもないみたい」

 わたしのあきれた言葉をライちゃんは否定した。

「どういうこと?」

「何でもね、生徒会長の仕事部屋と自室は時計塔の最上階にあるみたいなんだけど、ここ最近はずっと時計塔に引き籠って仕事をしていたみたい。食事もずっと取り寄せていたから、食堂にきて食べるのは珍しいんだって」

「へぇ~、なんかすごいお偉いさんって感じだね」

 サナちゃんが感心顔で生徒会長さんに視線を移した。わたしもつられて生徒会長さんの方を見る。

 親しみやすさと思慮深さがあふれ出る生徒会長さんの笑顔を見つめていると、真っすぐな瞳と視線がぴったり重なった。

 一瞬、時が止まったように感じた。それはまるで、運命の人と巡り合った瞬間のような、世界が劇的に変化するような感覚だった。

 そして、生徒会長さんは取り囲んでいる生徒たちに一言ずつ声をかけて回ると、わたしの方へ歩みを進めた。

 そのままわたしの目の前に来ると周りの声も気にしないで立ち止まった。

「あなたが、キタナカナナミさんね。一度お会いしたかしら?」

 慎ましくも人を十分魅了する笑顔を見せた。

 わたしは、はっと短く息を吸う。

 確かに、生徒会長さんと話をするのが、これが2回目である。前に一度、女王ホムラに借りを返す時に居場所を尋ねたのだ。

 けれど、普通覚えているだろうか?

 相手は学年を束ねる生徒会長だ。それでなくても、1度会った下級生のことを覚えていることがあるだろうか?

「は、はい、そうですけど……」

 声が上ずってしまう。自然と会話することでさえ畏怖の念を覚えてしまいそうだ。

「ナナみん、知り合い?」

 サナちゃんは不思議そうに目の前の先輩を見つめる。

 正直、この子が羨ましいほどバカであることを思い出してしまった。

「サナちゃん、話聞いてた? 生徒会長さんだよ。まあ、知り合いというか、しゃべったことはあるけど」

「シオリでいいわよ」

 恐れ多くも、生徒会長のシオリさんは笑顔を見せて名前で呼んでもいいと言っている。けれど、正直自信がない。

 さらに、恐れ多い状況は続く。

「せっかくだし、ちょっと一緒にランチでもどうかしら?」

「は、はい!?」

「お友達も一緒にいいかしら?」

「うん!」

 わたしのあわてふためく言葉を肯定ととらえたのか、シオリさんは先導するように食堂のカウンターへ向かった。わたしはふわふわした当惑と心地よい緊張に身体を委ねながらシオリさんの後についていき、Aランチを頼んだ。その間サナちゃんはずっと不思議そうな目でわたしとシオリさんを交互に見比べていた。

 群衆の好機な視線がわたしたちに向けられる中、昼食会が始まった。サナちゃんはそんなこと気にする様子を微塵も見せなかったけれど、わたしはその空気ですでに満腹だった。

「ここで食事をするのも久しぶりね」

 何とリアクションしていいかわからないシオリさんの慎ましやかな声が耳朶を打つ。

「生徒会長さん? はいつもご飯どこで食べてるんですか?」

 それにもかかわらず、サナちゃんは果敢に会話を続ける。というか、その生徒会長と言う単語を理解していないような利き方はやめてほしい。

 そんなことは気にかける様子もなく、シオリさんは笑顔を見せた。

「わたしは普段、生徒会調室で摂ることが多いわね」

「生徒会調室? 生徒会室じゃなくて?」

「ええ、女学院では生徒会が会議をする生徒会室とは別に、わたし専用の部屋があるの」

「へぇ~、すごい!」

 サナちゃんの驚きには同意である。ライちゃんからそれっぽいことは聞いていたが、いざ本人の口から出てくるとやっぱり重みが違う。つくづくお金の使いどころを間違えている私学だと思った。

「あなたの所属はどこかしら?」

 シオリさんはサナちゃんにも興味を持ったようで尋ねてくる。星愛女学院で所属と言えば、部活動のことを指している。

「あたしもナナみんと一緒で『NANA☆HOSHI』だよ!」

「そう、『NANA☆HOSHI』ですか」

  シオリさんはサナちゃんのタメ口も気にせず、暖かな笑顔を見せた。

 けれど、一瞬背中をひやりとしたものが走り過ぎた。

 悪寒と言うか、怖気と言うか、プレッシャーのようなとても嫌な感覚だった。

 わたしはその理由を生徒会長さんの笑顔から探した。

 深海のような黒く透き通った瞳、形の整った鼻、柔らかで血色のいい唇。どれをとっても女性として魅力的な趣があった。

 けれど、見つからない。

  聖女のような顔立ちにはとても悪意は感じられない。

 それでも、気のせいで流すにはあまりにもはっきりとした感覚だった。

「ナナミさん、どうかしたかしら?」

「」ふぇっ!?

 突然の問いかけにわたしはびくっとした。まあ、じろじろと見ていたのはわたしの方なので、シオリさんの反応としてはもっともなのであるが。

「な、何でもありません」

「そうですか」

言い繕う言葉にシオリさんは何の疑いも浮かべなかった。

「さて、わたしはそろそろ戻ります」

 箸を置き、シオリさんが立ち上がった。

 気が付けばシオリさんの食器はすでに空になっていた。緊張しすぎて箸が止まり、時間感覚が狂ってしまっていたようだ。

「『NANA☆HOSHI』の皆さんには近日中にお世話になることでしょう。その時はどうぞよろしくね」

 その同性も魅了してしまうほどの魔力のあるたたずまいは、わたしたちとは別次元の存在であるかのような主張をしていた。

 いや、きっとそう感じたのはわたしだけだろう。

 高嶺の花は凛として美しいというか、美しいバラにはとげがあるというか、とにかく1輪の花を連想させられた。

 生徒会長の一挙手一投足に、黄色い声がこだまする。食器を下げたシオリさんのもとにまた周りの生徒たちが集まってきた。

「ナナみん、すごくきれいな人だったね」

 サナちゃんがご飯を片手にわたしを見つめてきた。

「そうだね」

 わたしは内臓に石を抱えるような感覚で答え、1口のご飯を口の中に放り込んだ。

 食堂から見える遠くの中庭にはたくさんのアジサイが咲き誇っていた。


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