第64話 かえされたわな
わたくしと『無敵の女神』の少女との点差は26400点です。何事もなければひっくり返ることはないでしょう。バイマン以上を直取りされなければいいのですから。
整えられる壁牌も最短であと2回です。
ここを乗り切れば、わたくしの勝利はもう目の前です。
南二局 一巡目 南家 カガミ 60900点 ドラ表示:西風
九萬 三筒 八筒 一索 一索 一索 三索 四索 四索 九索 南風 西風 白板
ツモ:四筒
配牌スーシャンテンです。上がるには少し遠いですが、不要牌がわたくしの手を上手に隠してくれます。
第1打は問題なく九萬です。
しかし、気になります。
再び、ドラが風牌です。しかも今回は北がドラです。抜いてしまえばドラ1としかカウントされませんが、持っていてもドラ1なのですから、すぐに抜いてしまうという判断はよろしくないでしょう。
万が一にも北が3枚そろえばそれだけでペイ、ドラ3の絶好手になるのですから。
「ペイです!」
と思ったのの束の間、『無敵の女神』の少女はためらいもなく北を抜いてしまいました。
「あら」
それも1枚ではありません。2枚同時抜きです。
配牌でドラ北が2枚入っていることにも驚きましたが、それを攻撃の手段にしないであっさり抜いてしまうのも驚きです。
もしかして、勘違いをしているのではないでしょうか?
ルールによっては北がドラの時に抜いたらダブドラとして1枚で二翻つくというルールもあります。
しかし、星愛女学院のサンマでは抜きドラは常に1枚一翻です。
それを指摘してあげようかという気持ちにもなりました。
けれど、後の祭りです。今教えてあげたところで、手を変えることは許されません。
いわゆる、待ったなしです。
仮に、それを承知で抜いてしまうということは、何か策があるのかもしれません。
とにかく、彼女の一挙手一投足が不気味に映ってしまいます。
ワンパイから2枚牌を補充して、即座に切り出したのは、中。今回彼女は字牌には期待していないように見えます。
後輩も、滑らかな手つきで發を切り出します。
おそらく、今一番苦しい戦いを強いられているのは、彼女でしょう。
事前に、勝敗は気にしないであなたの打ち大洋に打ちなさい、とは言ってあります。しかし、9600点と落ち込んでしまってはよい気分ではないでしょう。
逆に、この戦いがそれだけ壮絶なことを物語っています。
これは、事実上わたくしと『無敵の女神』の少女との一騎打ちです。もっと言えば、風紀委員『大和撫子』と麻雀部「NANA☆HOSHI」の戦いなのですから、こちらは圧倒的に有利なのです。
にもかかわらず、少女は原点誓い34500点です。わたくしと彼女の応戦が激しかったのに、得点的にはほとんど後輩からわたくしに流れているだけに見えます。
異常と言ってもよいでしょう。
しかし逆に、このままの戦い方を続ければ、わたくしの勝利で収まるわけです。
あの北2枚抜きが、今までの戦いを大きく変える布石なら、彼女はどんな謀略を忍ばせてくるのでしょう。
わたくしの想いとは裏腹に、場はいたって平静な立ち上がりを見せました。目の前に座る少女も、左に座る後輩も順調に字牌を整理て行きます。
南二局 五巡目 南家 カガミ 60900点 ドラ表示:西風
三筒 四筒 八筒 九筒 一索 一索 一索 三索 四索 四索 五索 九索 南風
ツモ:五索
またテンパイへと足を1歩進めるよい牌が来ました。しかも高めでイーペーコーが付きます。
気になるのは、この南が切れるか、です。
南は役牌な上、ションパイでもあります。北2枚をドラに変えているのですから、あと1つ役が乗ればマンガンまで伸びてしまいます。
もし万が一にも二局連続でマンガンを振り込むようなことがあれば、逆転されてしまいます。
それを考慮すると、攻撃の好機は与えたくありません。
わたくしにとって最も大切なことは、誰にも振り込まない事です。
少女の連荘の機会はもうありません。
だからこそ、守り抜けばよいのです。
わたくしは待ちの悪いペンチャンを落とすことを優先します。八筒を卓の河へ寄せました。
次の彼女の番、細くて白い指がそっと牌に触ります。
その姿を何度見たでしょう。
それにもかかわらず、彼女の指先には微妙な変化が感じ取れます。
そう、ちょうど今はまっすぐに幸運をつかみ取りに行きそうな指です。
頭の中で何かが弾けるような感覚がしました。
彼女がツモ牌を手牌に重ねた直後、不敵な笑みを見せました。
瞬間、怖気が全身をぞっと駆け巡りました。
今までゆるぎないポーカーフェイスを見せていた女神が笑ったのです。
それは女神の微笑みと言うよりは、悪魔の企みのようでした。
「カンです!」
3枚の一萬を晒したかと思うと、ツモ牌も加えて4枚西、右に寄せて両端をひっくり返しました。
「まあ」
――一萬を、アンカンですか。
その天使の指先とも悪魔の爪先ともとれる人差し指が、ワンパイの新ドラ表示牌をめくります。
それは、九萬でした。
「あらあら」
わたくしは右手を口元へもっていきます。
感情がすぐに表情に現れてしまうわたくしのことです。きっと驚きで瞳孔が反応していることでしょう。
カンドラが、もろに乗ってしまいました。まさに爆弾です。
彼女はドラだけで六翻もつけてしまいました。バイマンなんて、もう手が届くところにまで来ています。
リンシャンパイを手中に取ると、手牌の上に重ねて異なる牌を河へと送り出します。
そして、再び沈黙を破ったのです。
「リーチです!」
捨て牌を横へ向けると同時に、1000点棒が卓上に躍り出ました。
驚きのあまり、大きく息を吸い込んでしまいました。その音が自覚できるほど重く耳朶を打ちました。
場はたった1手で極限まで緊張感を高めてきました。
――七翻、ハネマンの確定手。
さらにこの一巡に限ってイッパツが付くのでバイマン手。
途端に心臓が暴れ始めます。
脳内に一気に血液が昇ります。
息苦しさにめまいがしそうです。
後輩は迷うことなく、六筒を合わせ打ちました。目に見える守備耐性です。
わたくしは自分の手と彼女の河を見比べました。
南二局 六巡目 南家 カガミ 60900点 ドラ表示:西風、九萬
三筒 四筒 九筒 一索 一索 一索 三索 四索 四索 五索 五索 九索 南風
ツモ:三索
ホー ナナミ
東風 紅中 西風 二筒 七索 六筒リーチ
さて、困ったものです。どの牌が切れるでしょうか。
わたくしの手を進めるならば、九筒か九索切りです。九筒子はスジなので理想的ではあります。
しかし、この期に及んでたやすくスジが通用するでしょうか?
彼女がバイマンまで手を伸ばしてきたのは偶然かもしれませんが、少なくともわたくしから直接点棒を奪い取ろうとは考えるはずです。
そこで手出しの六筒切り。逆にスジは危険になってしまいます。
考えるのです。
彼女は少なくとも、カンをする前まではリーチ、ドラ2の手でした。わたくしからマンガンを奪い取ろうとするならば、最低でもあと一翻は欲しいはずです。
捨て牌からは何とも言えません。チャンタっぽいともいえば、トイトイっぽくも見えます。
けれど、彼女の手牌はこうです。
南二局 六巡目 西家 ナナミ 34500点 ドラ表示:西風、九萬
フーロ:暗槓一萬
抜き:北風、北風
一萬でアンカンしていますから、ピンフやタンヤオは不可能です。加えて、ホンイツの可能性は限りなくゼロで章。
チャンタやトイトイを狙っていたならば、初手で北を2枚抜いてしまうのはあまりにも愚行と言えます。
サンシキはわたくしの手の内に一索のアンコーがありますから無理です。
可能性があるとするなら、ファンパイかサンアンコー、あるいはリーチのみの手。
そうなると待ち牌を読むのはお手上げしてしまいます。
しかし、仮にリーチのみだとしましょう。リーチをかけるぐらいだから、少しはツモ上がりしやすい待ちを用意するでしょう。よくてタメンチャン、悪くてもリャンメン待ちにしたいはずです。
ならば、やはりスジの九筒が一番安全ということになります。
もうもはや自己矛盾です。
けれど、選ばなければなりません。
ムスジの他の数牌や役牌である南を切るぐらいなら、きゅうぴんの方が幾分もましです。
――決めました。
わたくしは勢いよく丁寧に九筒で向かい打ちました。
幾度となく訪れる緊張の一瞬に、辺りの空気は一気に凍り付きます。
心臓がきゅっ、と一拍します。
手が、足が、頭が締め付けられるようにしびれます。
そう、辺りは沈黙なのです。
それが答えであったとしても、心にしみわたった怯えはぬぐえません。
何事もなかったかのように、少女は1枚牌を持ってきて、そのまま卓上に置きます。
――通った!
思ったのもつかの間、ゆるりと一巡が巡ってきます。
南二局 七巡目 南家 カガミ 60900点 ドラ表示:西風、九萬
三筒 四筒 一索 一索 一索 三索 三索 四索 四索 五索 五索 九索 南風
ツモ:北風
ふぅっ、とため息が漏れます。
ここでこの牌は非常にありがたいです。
抜いてしまって安牌を求めるよりは、これをそのまま安牌としてさばいてしまった方が気が楽です。
わたくしは何の気なしに捨ててしまいました。
勝負の渦中は、決して緊張の糸を切らしてはいけないのに。
「ロンです!」
彼女の言葉にどきりとさせられました。
ホーラ形 ナナミ ドラ表示:西風、九萬
二筒 三筒 四筒 二索 三索 四索 八索 八索 八索 北風
フーロ:暗槓一萬
抜き:北風、北風
ロン:北風
リーチ 一翻
ドラ 八翻 70符 九翻 倍満 16000
ナナミ 34500+16000=50500点
カガミ 60900-16000=44900点
ヤナギ 9600点
「リーチ、ドラ8はバイマン、16000点です!」
彼女の続く言葉は、死刑宣告のように心臓をつんざきました。
バイマンを、振り込んだ?
一瞬、頭の中が真っ白に染め上げられました。
それは、恐れていた結果でした。
しかし、こんなことがあってもいいのでしょうか?
彼女はまさかの北タンキ待ち。ということは最初から3枚北を持っていたことになります。
ましてや、配牌では二筒がトイツになっていたはずです。わざわざ雀頭候補を崩して、そんな芸当ができるでしょうか?
放っておいてもペイ、ドラ3のマンガン手。それを崩しての強奪のような上がり方。
一番点数が欲しいはずの彼女が、遠回りして地獄待ち。
わたくしの理解をはるかに上回る打ち筋でした。
「なん、で?」
思わず声が零れてしまいました。いや、今まで気づかずに漏らしていたのでしょうけれど、今回は自分でもはっきり知覚しました。
彼女はにこやかな笑顔を浮かべた跡、答えてくれました。
「簡単です。この局で一番安全な牌は北です。わたしはただ裏をかいてそれで待っていただけです」




