第6話 おやばん
わたしに親番が回ってきた。
麻雀で親番は最大のチャンスだ。
親は子よりも上がった時の点数が高い。これほど攻撃に向いている条件はない。
そして、親が上がると、再び親としてゲームが再開される。連チャンというやつだ。
わたしの得点は4100点、女王ホムラは53700点だ。その点差は49600点、逆転するには果てしなく遠い。
けれど、親番のわたしなら、高い得点と連チャンを駆使すれば、その点差をひっくり返すことだって可能なのである。
ここが、わたしにとって最後にして最大の正念場だ。
東四局 一巡目 東家 ナナミ 4100点 ドラ表示:西風
四萬 七萬 八萬 四筒 五筒 六筒 六筒 七筒 五索 六索 九索 東風 南風 白板
問題なのは、いわゆる50000点の壁だ。
麻雀では全員の持ち点の合計が10万点、それを四人で取り合うゲームだ。そのうち50000点以上を女王ホムラが持っているということは、キヨミやヒメリの得点をすべて奪ったとしても、50000点は超えないことになる。
つまり、少なくとも女王ホムラから一度くらいは、厳密には3800点以上は奪わなければならない。それが一番難しい。
わたしは一番いらないと判断した南の牌を切り出した。
この一手が、最後の勝負の口火を切った。
顔を上げれば、女王ホムラの鋭い視線が突き刺さってくる。
この人は、今でもわたしを警戒している。圧倒的な有利なんてまるでないように、微塵も隙を見せない。
――この人もよく知っているのだ。少しの油断がきっかけで致命傷を受ける可能性があることを。
だから、彼女はいついかなる時でも隙を見せてくれないだろう。
女王ホムラを屠るチャンスはそう多くないかもしれない。
わたしも、気を引き締めていこう。
静かな部屋の中で、牌が打ち鳴らす音だけが響いていた。その音が、わたしの緊張感を少しずつ高めていく。
東四局 四巡目 東家 ナナミ 4100点 ドラ表示:西風
四萬 六萬 七萬 八萬 四筒 五筒 六筒 六筒 七筒 五索 六索 九索 東風
ツモ:東風
――ここで東が重なった、か。
女王ホムラが最初に高い手を上がった時も東3枚を持っていた。親にとって強力な牌なのだから、わたしも持っておきたい。
けれど、手牌全体を見ればタンヤオが見える。そして、四、五、六のサンショクも狙えそうである。もしかしたら先ほどの女王ホムラのような高い上がりの可能性も夢ではない気がする。
タンヤオを狙うのであれば、逆に東が邪魔になる。ドラを示す牌は西だから、おそらく今回のドラは方角の書かれた牌のどれか。ドラによる得点の跳ね上がりは期待できない。
だったら、決まっている。
「ポンです!」
「げっ!?」
わたしはすかさず、キヨミの捨てた東をポンする。キヨミは露骨にしまったと言わんばかりの顔をした。やはり親にとってこの東の牌は強力なのだろう。
横目でちらっとヒメリの様子を見る。キヨミほどあからさまではないにしても、雲行きの怪しい目をしているし、表情からも少し動揺が見える。口数は少なくても、顔に出てしまうタイプか。
けれど、女王ホムラは違う。表情一つ、しぐさ一つ変えない。やはり、この人だけ別格だ。この人の捨て牌で上がりを掴むのは、かなり難しそうだ。
「チーです!」
東四局 六巡目 東家 ナナミ 4100点 ドラ表示:西風
四萬 六萬 七萬 八萬 六筒 六筒 五索 六索
副露:三四五筒、下東風
ヒメリの捨て牌を呼び込んで、とりあえず理想的な形に持ってきた。ここで四萬を切れば、四、七索待ちのテンパイになる。
けれど、三人が捨てた牌の中には四索が2枚、七索が3枚ある。麻雀では同じ牌が4枚しかないのだから、裏を返せば残っているのは四索2枚と七索1枚の計3枚しかないことになる。
一方で、五、六索を崩して仮に五萬を持ってくるようなことがあれば、三、六、九萬と上がりの幅が広がる。三、五萬はまだ卓の上には1枚も現れていないし、九萬は逆に3枚捨てられている分、いらない牌として捨てられる確率は他の牌より高そう、つまり、女王ホムラから直接得点を奪えるチャンスになるかもしれない。
少し遠回りにはなりそうだけれど、上がる確率を考えたらここで無理にテンパイを取るより一歩引いて打った方が合理的かもしれない。
わたしはこの場でのテンパイをあえて見送り、五索を切る。
部屋中に少しだけ緊張が走るのを感じて、わたしは次の番を待った。
東四局 七巡目 東家 ナナミ 4100点 ドラ表示:西風
四萬 六萬 七萬 八萬 六筒 六筒 六索
副露:三四五筒、下東風
ツモ:四索
――うっ!
普通に四萬を切ってテンパイしていれば上がっていた。さすがにわたしでも、悔しさのあまり表情に出てしまったかもしれない。
親なのだから、上がれば連チャンでもう一度親としてプレーできる。テンパイできるのならテンパイを取るのが鉄則だったか。
さて、わたしはまた同じ選択を迫られている。
けれど、状況はまるで違う。今四萬を切ってテンパイすれば、上がりは五索のみ。しかも五索はすでにわたしが1枚捨ててしまった。
――今さらもう、引き下がれないか。
わたしは持ってきた四索をそのまま切る。
その後は特に大きな動きもなくゲームが進行する。わたしが上がるわけでもなく、他の三人が動く様子もない。
けれど、微妙な気が張りつめているのを感じる。
キヨミもヒメリも、そして女王ホムラも捨てる牌は大体はわたしの捨てた牌だ。しかも、山から持ってくる牌がそういうものばかりという感じではなく、自分の手の内から無理やり出している時もあるように感じる。
――妙だ。まるで上がりを目指している気配もない。
東四局 東家 十五巡目 ナナミ 4100点 ドラ表示:西風
四萬 六萬 七萬 八萬 六筒 六筒 六索
副露:三四五筒、下東風
ツモ:五萬
一応、望みの形のテンパイになったけれど、山の残りの数も少ない。
結局、わたしは策に溺れてしまった。策士策に溺れるとはまさにこのことだ。
麻雀は他のゲームとは違う。計画や作戦を立てたとしても、運に頼ってしまう部分が大きいから、結果的に何かを持ってくることを前提にした策略は水の泡になりやすい、ということだ。
竹の六を切り、ようやく目的の形になった。残りのツモ数は少ないけれど、上がり牌は卓上から推測するに三萬が1枚、六萬が3枚、九萬が3枚の計7枚。それらの牌をツモるか他の3人の手牌から出てくれば、次こそ上がる。
わたしの捨てた牌を見て、キヨミ、ホムラ、ヒメリともに竹の牌を捨てる。
――参ったな。この調子じゃ3人ともわたしが少なくとも竹では上がらないと考えている。最悪、女王ホムラには三、六、九萬で待っているのもばれているのかもしれない。
そして、ついにわたしの最後の牌に手を伸ばす。これが、最後のチャンスだ。
上がれば、女王ホムラとの点差が縮まる。
上がれば、連荘で、わたしの唯一の逆転の可能性に届く。
――上がる! 上がってみせる!
手にした牌の表面を親指でそっとなぞる。
親指の腹だけでは分からない。見るしかない。
その牌を手牌の上に重ねて確認する。
東四局 十九巡目 東家 ナナミ 4100点 ドラ表示:西風
四萬 五萬 六萬 七萬 八萬 六筒 六筒
副露:三四五筒、下東風
ツモ:四萬
最大のチャンスを逃してしまった。雷に打たれたような衝撃が全身を駆け抜ける。
ましてや、三、六、九萬待ちに切り替えなければ、わたしは上がっていたのだ。それだけにショックが大きい。
――これが、麻雀の恐ろしさ、なのかな。
運の要素がこれほど大きく作用するとは思いもしなかった。
確率的に、わたしは確かに間違えてないはず。上がる確率は今の手の方が明らかに高かった。
けれど、その誘惑に誘われてしまったからこそ、わたしは上がりを逃してしまったのだ。
渋々冷静を装いながら、手にした四萬をさばく。
最後の牌はキヨミが持っていき、中を切って終わった。
牌の山がきれいになくなった。あとはドラを示す牌がある14枚の分けられた牌だけを残すだけだ。
「「「ノーテン」」」
三人は手牌を隠すように伏せた。
そういえば、牌がすべてなくなった時、ゲームがどうなるのかわたしは知らない。
ノーテンとは、何だろうか。テンパイしていないということなのだろうか。
だったら、テンパイしているわたしは手牌をみんなに見せればいいのだろうか?
「――お前、手牌は?」
低く高圧的な女王ホムラの声が催促する。
「あ、すみません」
あわててわたしは手牌を表にした。
「テンパイです!」
そう宣言すると、三人とも赤い丸の刻まれた点棒を一本ずつ渡してきた。
流局 荒牌平局
ナナミ 待ち:三萬、六萬、九萬
四萬 五萬 六萬 七萬 八萬 六筒 六筒
副露:三四五筒、下東風
ホムラ 不聴 53700-1000=52700点
キヨミ 不聴 29000-1000=28000点
ヒメリ 不聴 13200-1000=12200点
ナナミ 聴牌 4100+3000= 7100点
この点数のやり取りは一体何なんだろうか。牌がなくなった時点でテンパイしているかどうかで点数が行き来するということらしい。
問題は、わたしが連チャンできるかどうか。
――きっと、連チャンだ。わたしは得点したのだから。
そんな直感が頭をよぎった。
わたしはさりげなく手牌を中央に寄せる。他の三人も同様に寄せた。
わたしがボタンを押すと、卓の真ん中に穴が開き、牌がじゃらっと流れ込む。すべての牌を入れたのを確認して再びボタンを押すと、じゃらじゃらとうなりを上げ始め、きれいに並んだ牌がせり上がった。
女王ホムラが不敵な笑みを浮かべた。
「――早く積み棒置けよ。逆転するんだろ? 俺を」
――言ってくれるじゃない。
この人は、わたしに怯えていない。
確かに46600点も点差があれば余裕の表情を見せるのも当たり前だし、自分が負けるだなんて思いもしないのは自然なことだろう。
けれど、女王ホムラは違う。そんな安全圏から見下ろすような安っぽい余裕ではない。
あれは、戦う者の目。勝負の渦に自ら身を投じ、ただ勝つために、ただただ相手を圧倒して勝つために全力を注ぎ込む勝負師の目だ。
そして、身を削り、勝利を目指して手を伸ばすことが喜びなのだ。その気持ちが痛いほどよく分かる。
――だって、わたしもそういう人間だから。
わたしは女王ホムラがした時のように、黒い丸の点棒を一本握りしめ、卓上に置いた。
「一本場、お願いします!」
わたしは真正面に座る女王ホムラを睨みつけた。
『無敵の女神』の異名を持つ、勝負師の目で。