第54話 はじめてのそちゃ
『星愛トレジャーズ』との準備運動を終えたわたしたちは、『NANA☆HOSHI』の部室に帰ってきた。――正直、わたしにとっては準備運動どころではなく、今日1日の体力を使い果たした感じだ。『トレジャーズ』との準備運動を初めて1週間近くたとうとする今でも、体力が付くどころか、疲れがたまってきているようにさえ感じる。
一方で、無駄に体力が有り余っているサナちゃんをはじめ、他のメンバーはきっちりとメニューをこなしていた。
「あら、手紙が届いているわね」
部室の鍵を開けようとするナギホさんが、扉にかかっている新聞受けの中身に気が付いた。すいっとそれを取り出したところ、和紙でできた古めかしい手紙のようなものが顔を出した。
部室に入ると、ナギホさんはパソコンデスクの椅子に腰かけ、それを読み始める。わたしたち1年生4人は、とりあえず一戦やろうという話になった。
東、南、西、北の4枚の牌を伏せ、適当にかき混ぜる。それを各人が1枚ずつ選んで席順を決めるのだ。
わたしが引いたのは北。東がサナちゃん、南がヒメちゃん、西がヨミちゃんに決定した。
ここから、仮親であるサナちゃんがサイコロを振って親番を決める。
サナちゃんがダイスボックスに手を伸ばした時だった。
「ナナミちゃん、ちょっといいかしら?」
ナギホさんが手紙片手に呼びかける。
「何でしょうか?」
「悪いんだけど、今から『大和撫子』にお使いを頼んでもいいかしら?」
「はあ、お使いですか」
意図をつかみかねているわたしに、ナギホさんは手紙を渡してきた。
上質な和紙に墨汁でこう書かれていた。
拝啓 NANA☆HOSHI御中
春の陽気が一層深まり、花々が咲き乱れる時節、いかがおすごしでしょうか。
先日、貴殿の正装を拝見いたしましたところ、我が星愛女学院の風紀に似つかわしくないという意見が多数寄せられました。
大和撫子の判断といたしましては貴殿の正装の差し押さえを検討しておりますが、貴殿の意見もうかがいたくご連絡差し上げた次第であります。
つきましては、本日中に大和撫子本部、天頂庭園までお越しくださいますよう宜しく申し上げます。
風紀委員 大和撫子 委員長
敬具
――あのユニフォームはどうかと思っていたわたしの感覚は間違っていなかったようだ。何だかんだで流れで着ていたけれど、やっぱりあの格好は恥ずかしいわたしにとっては渡りに船だ。
わたしとしては、ぜひとも差し押さえしてほしい。
けれど、ナギホさんは熱弁をふるう。
「いい? あのユニフォームはあたしたちにとって『NANA☆HOSHI』発足時から受け継がれたとても大切なものなの。しっかり守ってきてね!」
そうは言われても、わたしは交渉事が苦手だ。
「」でも、どうすればいいんですか?」
「簡単よ。きっと麻雀の勝負を挑んでくるから、しっかり勝って来ればいいの」
ナギホさんが自信たっぷりにそう答えた。
麻雀の勝負、か。それなら確かに自信があった。
けれど、また大きなものを背負った戦いになりそうだ。
「これ、持っていきなさい」
ナギホさんはわたしに小冊子を渡してきた。見たことがある。入部試験の時にもらった星愛女学院公式ルールブックだ。
「あの、一応わたし持っていますけど」
「あれは標準ルールでしょ? これはサンマの標準ルールよ」
――サンマ。聞いたことがある。文字通り、3人でやる麻雀だ。
「でも、わたしサンマ初めてですけど」
そんな状態で大切な試合を任されても困る。
けれど、ナギホさんはヒマワリのような笑顔を見せた。
「あら、『無敵の女神』にはたやすいお仕事でしょ?」
期待を込めた瞳が眼鏡の奥からのぞいていた。
――やっぱり、そうなるのね。
わたしはサンマのルールブックと手紙を片手に、『大和撫子』の本部へ向かうことになった。サナちゃんも行きたいとごねたが、結局わたし1人で行くことになった。
風紀委員、『大和撫子』の本部は他の委員会とは違い、時計塔ではなく、体育館横の建物にあるらしい。
わたしは部室棟から少し離れた体育館へと向かう。そよぐ春風は湿気を多分に含んでおり、次の季節を知らせてくれた。
体育館の横を覗き込むと、そこにあったのは純白な漆喰の壁だった。その上には立派な屋根瓦さえある。
――えっと、どこから入るんだろうか。
とりあえず、壁沿いを歩いてみる。けれど、行けども行けども壁が続いている。
ただでさえ広いと思っていた星愛女学院の敷地内にこんなにも広い建物があるとは、いくら丘の上の私学とはいえ、やりすぎである。
ほどなくして、建物の入り口らしいところにたどり着いた。まるで武家屋敷のような、木製の大きな門だった。その大きな門に人が通り抜けられる勝手口が付いている、かなり本格的だ。
――けれど、どうやって入ればいいのだろうか?
門には特にインターホンらしきものはない上、西洋扉のようにノッカーもない。
わたしは試しに、勝手口を優しくノックした。
特に返事はない。
少し迷っていたが、そのまま入ることにした。
「し、失礼します」
勝手口の向こうは、タイムスリップしたような日本家屋だった。目の前には大きな日本家屋、右手には弓道場、左手には柔道や剣道をする掛け声と衝撃音が響いていた。
心臓をばくばく鳴らしながらも、日本家屋の入り口に向かう。そこにはありがたいことに文明の利器であるインターホンがついていた。
一呼吸おいて、ボタンを押す。聞きなれた発信音の跡、応対する声が聞こえてきた。
「はい。どちら様ですか?」
「えっと、『NANA☆HOSHI』のナナミです。風紀委員長にお招きいただきました」
妙にかしこまった敬語が口をついてしまった。
すると、柔らかな返事が返ってくる。
「どうぞお入りください」
促されるまま、引き戸を開けた。広々とした玄関に入ってしばらくすると、奥から2年生の先輩が現れた。かと思うと膝をついて星座をし、手をついて恭しく一礼した。
「『NANA☆HOSHI』のお方ですね。お待ちしておりました。わたくし、『大和撫子』で茶道を学んでおります、ヤナギと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「ど、どうも、ナナミです」
余りの出来事に、わたしはどぎまきして答えた。あとから思い返すとずいぶん無礼な挨拶だったような気がする。
「委員長が奥でお待ちです。どうぞお上がりください」
「は、はい」
わたしは今まで学んできた作法という作法を総動員した。靴を脱いできれいにそろえ、2年生の先輩――ヤナギさんに案内されるまますり足でついていった。
途中、日本庭園が臨める渡り廊下を歩く。何というか、ここまで和式な風景はもはや異世界にトリップしたような感覚に近かった。
再び屋内に入り、とある一室の前につく。ヤナギさんは襖の前で正座すると、とんとんと軽くノックした。
「失礼いたします。『NANA☆HOSHI』の方がお見えです」
「どうぞ」
凛とした、そして気品高く、それでいて人を和ませるような安らかな声が耳朶を打った。
ゆっくりと襖を開ける。
その奥にいたのは希望の星を表す黄色のセーラー服に、高貴な気品差を表すパープルのスカーフの学生が星座をして出迎えてくれた。
忘れもしない。入学式の時に見た、星愛女学院でたった7人しか着ることが許されていない制服――生徒会のメンバーを表す制服の3年生だった。
「わたくし、風紀委員長のカガミと申します。どうぞよろしくお願い申し上げます」
カガミさんがお辞儀をする。絹のように滑らかな漆黒の髪がはらはらと流れた。
「な、『NANA☆HOSHI』のナナミです。どうぞよろしくお願いします」
先輩方の丁寧すぎるおもてなしの連続に、わたしはどうしていいのかほとんどパニック状態だった。
「ヤナギさん、お客様にお茶を。ナナミさん、どうぞおかけください」
「は、はい」
わたしはカガミさんに倣って星座で向かい合う。
ししおどしの音が鳴った。その風流さを感じるにはいささかわたしの心に余裕はなかったようだった。
その後は、部屋の中を静けさが流れていった。あまりの緊張に、30秒も持たず、足がしびれてくる。
「どうぞ、楽になさってください」
瞳を閉じて微動だにしないカガミさんが柔らかな言葉を放つ。
「あ、ありがとうございます」
楽にと言われても困る。どういう体制が失礼に当たらないかどうかばかり考えていて、足のゆく場に迷ってしまう。あまりそわそわ動かしていても礼儀に反するような気がして、結局女の子すわりに落ち着いた。
気が付けば、部屋の隅でヤナギさんがお茶の準備をしていたようだ。
「粗茶ですが」
「ど、どうも」
わたしは出されたお茶を口に含む。温かくのど越しの良い苦みが口いっぱいに広がったあと、すっと喉の奥を流れていった。
――苦い。
「」こちら、お茶請けでございます。どうぞお召し上がりください」
わたしのリアクションを察したのか、ヤナギさんはわたしが知らない和菓子を出してくれた。
一口食べてみる。ほんのりとした甘さが口の中で広がり、噛むとそっと溶けた。
「おいしいです」
かろうじて言葉を出すことができた。
「お粗末様です」
ヤナギさんがぺこりと一礼する。
――やっぱり、やりづらい。
カガミさんはわたしがお茶を堪能するのを十分に待ってくれた。その間、わたしは言いしれない息苦しさを感じていたのだけれど。
足を崩しているはずなのに、またしびれ始めた。
「本日は、足をお運びいただきありがとうございます」
恭しくカガミさんが一礼する。
「ほ、本日はお招きいただきありがとうございます」
わたしも慌てて居住まいを正し、頭を下げる。
「本日、足をお運びいただいたのはほかでもありません。『NANA☆HOSHI』の正装についてお尋ね申し上げたく存じます」
「は、はい」
わたしは一呼吸入れた。
ナギホさんの予言通り、こんな状況下で麻雀を打つのだろうか?
不安となれない緊張感に押しつぶされそうになりながら、わたしは身構えた。




