第42話 ひとみのこすぷれ
「一本場、お願いしまーす!」
サナエちゃんがひと声かけ、積み棒を1本加えた。
しかし、私はナナミちゃんの宇宙を思わせる真っ黒な眼に吸い込まれそうな思いでいっぱいだった。
――目つきが違う。
いつからかは気づかなかったが、第1局とは明らかに眼光の鋭さが違っていた。
シーパイが終わり、牌山がすっとせりあがる。サイの目は10だ。
サナエちゃんの第一打は西。リーパイもそこそこに早々と切り出した。
それを見送ってナナミちゃんが牌山にそっと触れる。彼女の所作の1つ1つが丁寧で、落ち着きがある。
て手牌の上で牌を滑らせながら、カチャリ、カチャリとリーパイを進める。その手つきはすでに何年も麻雀を打ってきたような貫禄があった。
私とハルメちゃんのリーパイが終わるのを十分に待って、切り出した牌は西。差し出す指先まで静かな思いが詰まっているようだった。
続けて、ハルメちゃんも手元から西を差し出した。
南一局 一本場 一巡目 北家 マリコ 47100 ドラ表示:二萬
一萬 二萬 三萬 三筒 五筒 三索 四索 八索 西風 北風 北風 北風 緑發
ツモ:一索
配牌リャンシャンテンで、ジカゼがアンコーで入ってきた。文句なしの速攻手だ。
本来ならば西を切り出すのがセオリーだ。しかし、この一巡に限って言えば違う。
スーフォンツレンターが成立する条件が整った。スーフォンツレンターとは、全員の第一巡目の捨て牌が同じ風牌だった時に流局が成立し、シーパイからやり直すというルールだ。その性質上、成立するかどうかの決定権は北家にあると言える。
現在、全員の第一巡目の捨て牌が西。ここで私が西を捨てればスーフォンツレンターが成立し、この良好な手が闇に葬られることになる。
もちろん答えは出ている。西は切らない。
そうなると、何を切るかが問題になる。高めのサンショク、チャンタの芽を取っておきたいから自然と八索を切りたくなるが、目の前の少女に攻めの姿勢を気取られるのも厄介だ。かといって欲を出さずに一索ツモ切りももったいない所がある。
何の迷いもなく切れるはずの西が、切れない。そのために余計な思慮が必要になる。
そんな麻雀の奇妙な巡り合わせが、楽しみの1つでもあるのだ。
結局私は、サンショク、チャンタへの道が捨てきれず、八索を表に向けて卓の中央に寄せた。
――いや、荒れ場となっている今なら、届きそうでならないのだ。
トップ目の私にはもう高い手はいらない。それは分かっていても、ついつい欲をかいてしまうのが人間だ。
そんな空気を察したのか、ナナミちゃんは二巡目にして五筒を切り出した。暴牌とも呼べる明確な攻撃態勢だ。
その行動が運命の器を揺らしたのか、引き(ツモ)にも勢いが生まれてきた。發が重なり、西を切る。かと思えば二索を引いてあれよあれよとテンパイだ。もちろん、サンショク、チャンタを生かす四索切りだ。
しかし、流れがいいときに限って、相手も流れがよいものだ。
「ポンです!」
南一局 一本場 四巡目 南家 ナナミ 13900 ドラ表示:二萬
副露:上白板
打牌:三索
ホー ナナミ
西風 五筒 八筒 三索
何かに導かれるような、迷いのない所作で繰り出される暴牌が、私の心にひやりとしたものを感じさせた。
二翻縛りで役牌フーロは、ホンイツ、チャンタ、トイトイのいずれかが絡んでくる。チャンタの線は薄そうだから、ホンイツか、トイトイだろう。
その後に続く二索切り、七索のトイツ落としで捨て牌だけ見ればほぼ萬子のホンイツで確定である。
南一局 一本場 七巡目 北家 マリコ 47100 ドラ表示:二萬
一萬 二萬 三萬 三筒 五筒 一索 二索 三索 北風 北風 北風 緑發 緑發
ツモ:三萬
そんな相手に対して、このドラ三萬は通しづらい。ポンでもされればハネマン確定の大きな手になる。
私は冷静に五筒を落として身を引く。五筒はナナミちゃんに対してアンパイだし、しばらく様子を見ておきたい。
しかし、ここで河のある異変に気付いた。
――中と南が、生きている。1枚も誰からも切られていない。
こうなると、中か南をナナミちゃんが抱えていることも考えられる。特に南はダブナンなので、ツモったら最悪下りることも考えないといけない。
そんなことを考えている間に、ナナミちゃんが手牌から南を追放した。
瞬間、閃光がひらめく。心のさざ波がさっと広がる。
――張った、かしら?
切り札の南が必要ないということは、ホンイツか中を抱えた役牌2つかの可能性が非常に濃厚になってくる。
ハルメちゃんも、我慢していたのか、続けて南を切り出す。牌の安全度は一瞬一瞬によって大きく変わってくる。ここまで南が危険だったと判断していたハルメちゃんの実力も十分高いことが言える。
私は牌山から1枚持ってくる。
南一局 一本場 八巡目 北家 マリコ 47100 ドラ表示:二萬
一萬 二萬 三萬 三萬 三筒 一索 二索 三索 北風 北風 北風 緑發 緑發
ツモ:一萬
今まで芳しく感じていた甘い香りが、より一層強くなった。
チャンタ、ペイに加えてイーペーコードラドラ、ダマッパネ(メンゼンのハネマン手)の完成だ。
私は何のためらいもなく、三筒を河に捨てた。
ナナミちゃんに動きは見られない。
それで、ほぼ確信した。萬子のホンイツか、中を抱えた二翻手か。
後者は街を読み切ることは難しいが、2300点の上がり。この点差なら振り込んでも多少問題はない。
注意すべきはドラを絡めた萬子のホンイツ。最悪、ハネマンまで点数が伸びる可能性がある。
しかしそれは、逆に私の上がり牌である二萬も出づらいということだ。
こうなったら萬子のツモり合戦だ。
しばらくの間、私とナナミちゃんはツモ切りを繰り返す。ハルメちゃんはさることながら、さすがのサナエちゃんも萬子を出し渋るようになってきた。
そして、運命の時が来た。
南一局 一本場 十二巡目 北家 マリコ 47100 ドラ表示:二萬
一萬 一萬 二萬 三萬 三萬 一索 二索 三索 北風 北風 北風 緑發 緑發
ツモ:緑發
――最悪のツモだ。
北も發もまだ生きている。ホンイツ相手には地獄待ちがあり得るのでとてもじゃないが立ち向かうことはできない。
だからといって、これ以上面子はいらない。
一萬や三萬を捨てればテンパイは維持できるが、相手は萬子のホンイツ濃厚だ。もちろん切れない。
――下りましょう。
ここまできれいな手がそろうと忍びないが、深追いしすぎて失点したら元も子もない。
一索は最後まで持っていきたいし、他の牌の危険度はどれも同じくらい。
三索はサナエちゃんが捨ててるし、ナナミちゃんは手変わりしていないから通りそうである。
私がなぞるように三索を河に置くと、すっと流れるようにナナミちゃんの手牌が倒れた。
「ロンです! ハク、チュン、トイトイ、ホンイツ、サンアンコー、八翻、バイマンの一本場は16300です!」
ホーラ形 ナナミ ドラ表示:二萬
二索 二索 二索 三索 九索 九索 九索 紅中 紅中 紅中
副露:上白板
ロン:三索
ハク 一翻
チュン 一翻
トイトイ 二翻
ホンイツ 二翻
サンアンコー 二翻 40符 八翻 倍満 16000
積み棒:1本
マリコ 47100-16300=30800点
ナナミ 13900+16300=30200点
サナエ 28400点
ハルメ 10600点
私は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
――萬子のホンイツ、じゃなかったの?
ましてや、一、三、四索待ちというタメンチャンだ。その手を山越しで上がってきた。
リーチをかけないテンパイの時は、フリテン(捨てた牌で上がれないルール)が一巡だけ成立する。本来なら、サナエちゃんが三索を捨てているので、上がれない。しかし、山越しと言って自分の番が回って来ればフリテンが解消され、上がれるようになるのだ。
山越しは、誰かから上がるという明確な目的がないとおこなわない。
つまり、私を狙い撃ちしてきたということだ。
しかもこの期に及んでバイマン手。上がり牌が出たら誰からでもいいから上がっておきたいという点差でやってのけるプレイではない。
――底が見えない。彼女の志向の根底が見えない。
暴牌、そして無理な山越し 闘志に満ちた真っすぐで純粋な彼女の芽が、何かを着飾っているように見えた。




