第40話 めがみのへんりん
勝負をする時は、いつも孤独だった。
今だってそう。わたしの目の前にはきちんと対戦相手がいるのに、それを感じさせない。
ここぞという時はいつだってそうだった。
わたしの本当の敵は内在する自分の存在という主観的なものと、目の前にある客観的な事実だけだった。
すぅっと心の奥底に、森林の奥深くにあるスンダ泉の水がしみわたるように、静けさだけが心を覆い尽くしていた。
サイの目が出て配牌が配られた。
東四局 一本場 一巡目 西家 ナナミ 9200点 ドラ表示:六筒
七萬 八萬 九萬 一筒 四筒 五筒 九筒 二索 七索 九索 東風 東風 白板
ツモ:白板
役牌が2つ、トイツで入ってきた。二翻縛りのわたしとしては絶好と言ってもよい展開だった。
形式的にはイーシャンテン。二翻つけてもリャンシャンテン。十分戦える手だ。
第1打に二索を選びながらも、わたしの頭はすっきりしていた。
――凡庸な二翻手で終わらせてしまうのはもったいない。
それは大きく開いた点差を縮めたいという欲望も含まれていたかもしれないし、客観的には冷静さを欠いた行動にも見えたかもしれない。
けれど、わたしはマリコさんの捨てた東を見送った。
――まだまだ、来る。
その予感めいた誘惑に身を預けるように二巡目から四、五筒を落としていく。
東四局 一本場 四巡目 西家 ナナミ 9200点 ドラ表示:六筒
三萬 七萬 八萬 九萬 一筒 七筒 九筒 七索 九索 東風 東風 白板 白板
ツモ:四索
当然だが、無茶な打ち方にはリスクが伴う。わたしの手牌は少しずつ不和を見せ始める。
けれど、不協和音が音楽に良いスパイスを与えるように、新たな可能性の目が芽生え始めていた。
――七、八、九のサンショク。トンかハクとチャンタが乗ってマンガンだ。
重たい手には変わりないが、十分射程圏内だ。
「ポン!」
わたしの跳ねのけた四索をマリコさんが手中に収める。打ち筋は概ね変わっていない。相変わらずの速攻だ。
「ポン!」
続いてサナちゃんもマリコさんの捨てた八筒をコーツで固める。このタイミングでサナちゃんが手作りを急いできたということは、単純にトイトイを狙いに行っていると解釈した方がしっくりくる。
次巡、白をツモってきて良好な流れが来たと思ったつかの間だった。
東四局 一本場 六巡目 西家 ナナミ 9200点 ドラ表示:六筒
七萬 八萬 九萬 一筒 七筒 九筒 七索 九索 東風 東風 白板 白板 白板
ツモ:東風
――意外と厄介な牌をツモってきた。
これでトン、ハクの二翻は確定。けれど代償としてサンショクは諦めなければならない。おまけに雀頭がなくなったのでそちらも用意する必要が出てきた。
代わりにハク、サンショクの三翻確定にするならば、この東は必要ない。けれど、わたしから見て東は4枚見えているのだから、もう後には戻れない。加えて八筒が3枚見えているのだから、サンショクを上がれる保証はかなり際どい。
二者択一の時が来た。
けれど、思った以上にわたしは落ち着いていた。
自然と指が動いて打七筒。サンショクを捨ててのファンパイ2つだ。ドラを切るにしてもすっぱりとした晴れやかな気分だった。
「チー!」
マリコさんがまたもや動いてくる。ハルメちゃんの捨てた一索を加えての發切り。
――もしかしたら、八索もすでにホンイツ狙いのマリコさんの手の中で使い尽くされているのかもしれない。そうなると非常に不利となる。
けれどそれは杞憂に終わった。
東四局 一本場 八巡目 西家 ナナミ 9200点 ドラ表示:六筒
七萬 八萬 九萬 一筒 九筒 七索 九索 東風 東風 東風 白板 白板 白板
ツモ:八索
こうなればもう考える必要はない。自分で言うのもためらわれるけれど、捨て牌からはチャンタの匂いが濃厚だ。出上がりは期待できない。
「リーチです!」
わたしは一筒を手元に残し、九筒切りでリーチをかけた。
大きな失点の次の曲は本当に難しい、と心の隅で感じていた。
わたしが全局、リーチ後に最初に持ってきた牌が一筒。そして、振り込んだのも一筒。
それはまるで呪いだった。
けれど、そういった類の呪いが邪気を払うのもまた、麻雀の面白さだとわたしは思う。
「ツモです!リーチイッパツツモトンハクチャンタ ――ウラが1つでバイマンの一本場は、4100・8100です!」
わたしは勢いよく手牌を公開した。
ホーラ形 ナナミ ドラ表示:六筒 裏ドラ表示:六萬
七萬 八萬 九萬 一筒 七索 八索 九索 東風 東風 東風 白板 白板 白板
ツモ:一筒
リーチ 一翻
イッパツ 一翻
メンゼンツモ 一翻
トン 一翻
ハク 一翻
チャンタ 二翻
ドラ 一翻 40符 八翻 倍満 4000:8000
供託:1本、積み棒:1本
マリコ 55200- 8100=47100点
ナナミ 8200+17300=25500点
サナエ 20900- 4100=16800点
ハルメ 14700- 4100=10600点
「えっ!?」
「あらあら」
「おぉ、ナナみんすごい!」
他家から驚嘆と称賛の言葉が飛んでくる。けれどわたしの心は動かなかった。
さぞ当たり前といった感じで点棒のやり取りを行い、さっと目の前の牌山を崩して卓の中央に空いた穴へと入れる。
何も変わっていないからだ。マリコさんのトップも、じぶんのおかれた不利な状況も。
――そして、得てして大物手を張った次の曲は難しい。上がったならなおのことだ。
ゲームは折り返しの南場へと移行する。マリコさんとの点差は21600点。それはとても大きな壁だった。ぜいたくを言うならば、もう一度バイマンを上がりたい。
けれど、勝つにはぜいたくであらねば。
そのぜいたくを叶えるだけの謀略を組まなければ。
もはや二翻縛りの言い訳も通じないところにわたしはたどり着いたのだから。




