第34話 しゅくはいのおにく
入部試験本選の半荘が終わり、無事麻雀部『NANA☆HOSHI』への入部が決まったわたしとサナちゃん、ヨミちゃん、ヒメちゃんはナギホさんに連れられて駅前の焼き肉屋さんに来ていた。
わたしは、焼き肉なるものは初めてだった。焼いた肉事態はもちろん食べたことはあるけれど、こういうお店に入って、みんなで網を囲み、お肉が焼き上がるのをわいわいしゃべり合いながら食べるのは友達とはもちろん、家族とも一度たりともなかった。
そもそも、人と食事をするのは家族やサナちゃんくらい。あまり親しくもない同級生や先輩と一緒にテーブルを囲むこと自体が初めてだ。
――まぁ、卓は卓でも雀卓を囲んだ仲ではあるけれど。
そうは言っても、度重なる初めての体験が肩をぎゅっとつかむような緊張感がわたしに襲いかかってくる。
目の前の勝負に集中して牌を使って心の会話をするのと、食事をしながら言葉を使って本音か建て前か分からない内容を交わすのとでは、わたしにとって圧倒的に前者が楽だった。
ナギホさんに導かれるまま、薄暗く少し煙たい店内の中をそろりそろりと縫うように移動する。
どこかしこからやってくる牛肉の焼ける匂いが鼻の奥を刺激したと思ったのも束の間、胃がぐるりと動いてよだれが口いっぱいにあふれ出した。自分の身体がこうも単純に食欲に乗っ取られてしまったことが、どこかふがいなく感じる。
「本日はどのようなコースになさいますか?」
「五人とも星愛コースで!」
テーブルに着くなり、若い店員のお姉さんが伝票片手に尋ねてきた。普通、飲食店では最初にお冷とメニューを出すんじゃないかとぎょっとしたけれど、ナギホさんはメニューも見ずにさらりとわたしたちの分まで決めてしまうし、他三人もさぞ普通のことのようにやり過ごして談笑している。軽いカルチャーショックだ。
次に、生徒手帳の提示を求められる。星愛コースなるものは星愛女学院の生徒限定のコースらしいけれど、制服を着ているのだから明らかに生徒だと分かるだろう。不服ながらも形だけ生徒手帳を見せた。
続いて、星愛コースなるものの説明が始まった。店員さんによれば、お肉は一部を除いて食べ放題、その他のメニューは制限なしで食べ放題、飲み物はアルコール以外は飲み放題らしい。飲み物はグラス交換制で、席は2時間まで、ラストオーダーは30分前とのことだ。
――何というか、ファミレスにしか行ったことのなかったわたしにとっては何もかもが斬新だ。
「お飲み物は何になさいますか?」
店員さんが尋ねてくる。初めて続きで緊張しきっていたわたしはとりあえず早くお水を持ってきてほしかった。
「じゃあ、まずはノンアル五つね!」
そんなわたしの気持ちはお構いなしといった感じで、ナギホさんがしれっと全員分注文する。
「ちょっと待つッス!」
「そうよ! 私はオレンジジュースがいいんだけど」
「あたし、ノンアルはじめて! 楽しみ~!」
同学年の三人が部長の決定に不満を漏らす。――いや、サナちゃんはまんざらでもないらしい。
わたしはノンアルなる飲み物は、見たこともない。サナちゃん同様楽しみである反面、ヨミちゃんとヒメちゃんのリアクションからうっすらと影を感じていた。
「いいじゃない! 最初の一杯ぐらい付き合いなさい!」
「そういうの、パワハラって言うんじゃないかしら?」
「そうッス! パワハラッス!」
「細かいことは気にしない! ガンガン注文するから、ガンガン食べてね!」
ナギホさんは眼鏡の奥の瞳を緩ませながら、強引に注文を取りつけた。加えて、メニューの確認もせずお肉やサラダなんかも流れるようにそらんじた。
そして、金色に輝く液体が満たされた五つのグラスが来た。グラスの縁までふわふわとした薄い小麦色の泡が浮かんでいる。
それは以前見たことがある、お姉ちゃんが陽気にあおっていたビールと呼ばれる琥珀色の飲み物に酷似していた。
「さあさあ、みんなグラス持って!」
銘々に話していた全員が一瞬静まり返り、グラスをつかむ。その間も若い店員さんは注文していた品々を丁寧にテーブルに並べていく。
コホン、とナギホさんが決まり切ったような咳ばらいを一つ。そして順々に1年生の顔に視線をやる。
「サナエちゃん、キヨミちゃん、ヒメリちゃん、そしてナナミちゃん。入部おめでとう! ようこそ『NANA☆HOSHI』へ!」
続く乾杯の唱和に合わせてみんなのグラスが、かちゃんと音を鳴らした。
それが戦闘開始のゴングに聞こえなかったのは、わたしだけだったらしい。
気がつけばあれよあれよと網の上に肉が並べられ、焼き上がった端からみんなの胃袋に消えていく。その壮絶な速さに唖然としている間に、ナギホさんだけでなくサナちゃんやヨミちゃんも次々と追加の肉を注文する。
その光景は、まさに弱肉強食という言葉がぴったりだと素直に感じた。グラス一杯のノンアルと第一線から遠く離れた網の片隅で微妙に焼けていた肉を拾って食べただけで、何だか胸の中がいっぱいいっぱいだった。
戦況が一段落した頃にラストオーダーが入った。ここから30分なんてどう過ごしていいか分からずそわそわしていたけれど、ナギホさんやサナちゃんのリードのおかげで何とかみんなの話についていくことができた。そうなったら30分なんてあっという間に過ぎ去ってしまっていた。
他愛のないおしゃべりは店を出てからも続いたけれど、十数分もすれば自然と解散する流れになった。
わたしはサナちゃん、ヨミちゃん、ヒメちゃんとは別の寮だ。自然と別れる流れになったけれど、ナギホさんはわたしと同じ方角へ歩いてくる。そこで初めてナギホさんと同じ寮であることを知った。
それもそのはず、わたしは寮の南棟だけれど、ナギホさんの部屋は北棟にあるらしい。
同じ寮だということで盛り上がったのも束の間、次の会話のネタが見つからず、しばしの沈黙が訪れる。
わたしは半歩前を歩く先輩に歩調を合わせるようにただただ黙ってついていった。
けれど、ナギホさんも春の夜の静けさに気を遣うわけでもなく、さもそこにあるのが当然といった感じでさっそうと歩いている。
まだひんやりと頬をなでる風が、わたしの髪を柔らかく揺らす。
「ナナミちゃんは、どうだった?」
不意にナギホさんは立ち止まったかと思うと、何とも返しずらい質問をしてきた。
「はぁ、楽しかったです」
差し障りない質問には差し障りない回答を。ある意味わたしの得意なスタイルでもあり、牽制のつもりでちらっと上目遣いでナギホさんを見た。
けれど、ナギホさんはすんと鼻を鳴らしただけで表情をほころばせた。
「あたし、役満二回も上がっていたのよ。しかもオーラスも高めで数え役満テンパイ」
それは子供が母親に自分のすごい体験を得意げに話しているようだった。四つ葉のクローバーを見つけたとか、友達にありがとうって言われたとか、ほんの些細な幸せを分けてあげたいという気持ちがいっぱい詰まっていた。
わたしの脳裏に今日の半荘がよみがえる。ピンフ縛りという条件の中でも悠々と打つプレイスタイル、相手のチャンスを丁寧に摘み取って自分のトップは譲らない繊細さ。たまに大物手を張っている気配はしたけれど、非常に調和したきれいな打ち方だった。
だからこそ、そのペースを乱すのがわたしが勝てるかどうかの最大のポイントだった。
きっとナギホさんのことだから、わたしがピンフで上がってもサナちゃんを入部させるつもりだったのかもしれない。いや、きっとわたしたち全員を入部させるつもりだったかもしれない。
けれど、あえてわたしたちに試練を突きつけた。そしてその試練を上手に乗り越えさせてくれた。甘えでも何でもなく、最初からルールという形に組み込むことで、それを上手に操っていたのだ。
そんな感じの、笑顔に見えた。だからあたしも嬉しいのよ、と言いたげな。
「――これから、もっと楽しくするし、もっと楽しくなるわよ」
言葉に詰まっていたわたしを慮って、ナギホさんのヒマワリのような笑顔が咲く。
月光に輝く眼鏡の奥の瞳が、とても鮮やかに映った。
「――はい、これからもよろしくお願いします」
それがわたしの精一杯の回答だった。
けれど、わたしも自然と笑顔を作ることができた。
きっと、これからみんなでもっと笑顔をいっぱい咲かせるんだと思うと、今夜は眠れそうもなかった。




