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ナナミ -The Gifted Challenger- ~天才少女の麻雀挑戦記~  作者: 蝶捕銀糸
第2半荘 ようこそ、ななほしへ!
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第33話 りゅうのおたけび、そしてけっちゃく

 運命とも呼べるオーラス、南四局が訪れた。

 この一局でハネマンを上がるという壁はとてつもなく高い。

 加えて、あたしはピンフを付けなければならないので、よほどの幸運に恵まれていないと非常に難しい。

 みんなはゴールまでの道を全力疾走すればいいだけだが、あたしはみんなの百メートル後ろから重装備で追いかけるようなものだ。普通に考えれば追いつくのは夢のまた夢だ。

 しかし、絶望的ではない。配牌とツモ次第では十分に達成できる。

 それだけはあたしの実力を越えた領域。だから、願わずにはいられなかった。

 ――最高の配牌とツモを。

 洗牌が終わり、二段に重なった牌が出てくる。親のヒメリちゃんがサイコロを転がし、出た目は3のゾロ目。

 あたしは右から六番目の牌に境目を入れ、そこから4枚ずつ各人に配られる。

 この時、牌をもらってきたその場から立てる人と、親14枚、子13枚すべて配り終えてからまとめて立てる人の二種類に分けられる。

 かくいうあたしは後者だ。

 そちらの方が理牌には少し時間がかかるが、何といってもワクワクする。

 こんなに緊迫した状態でも、高まる鼓動がたまらない。

 あたしは手牌を起こした。


南四局 南家 ナギホ 14300点

九索 二筒 一筒 九索 紅中 三筒 緑發 三索 一萬 三筒 九索 三萬 二索


 瞬間、背筋に凍るような怖気が走った。

 その戦慄は有り余る喜びに似ていた。砂糖をそのまま口に放り込んだような、甘すぎて苦いとさえ感じる強力かつ飽和した衝撃に頭が焼かれるようだった。

 理牌するまでもなく、一目見ただけで分かる。

 ――明らかに、牌が偏っている。

 高めで数えてピンフ、ジュンチャン、サンショクで六翻。難しいと思われたハネマンが、この手の中にある。

 まるで、密かなる逆転劇を、運命が望んでさえいるかのようだ。

 確かにあたしはこの場をひっくり返すような奇跡を願ってはいたが、いざ目の前にすると心臓が止まってしまいそうだった。

 理牌を終えた頃、ヒメリちゃんが王牌を準備し、ドラ表示牌をめくった。

 顔を見せたのは、二筒だった。つまり、ドラは三筒だ。

 ドラが乗った。ここまで来ると、幸運なのか、不運なのか、それさえも区別がつかない。

 ただ言えることは、異常だ。

 あり得ないことだとは言わない。しかし、ここで舞い上がってはいけない。

 ヒメリちゃんが北を切り捨てるのを見送りながら、あたしは第一ツモへと手を伸ばす。


南四局 一巡目 南家 ナギホ 14300点 ドラ表示:二筒

一萬 三萬 一筒 二筒 三筒 三筒 二索 三索 九索 九索 九索 緑發 紅中

ツモ:二筒


 まるで夢を見ているようだった。

 2枚あるドラ三筒が生きる上、高めでイーペーコーまで付く。全部そろえばバイマン16000点、安く見積もってピンフとサンショクだけでもドラ2でツモればトップに躍り出るハネマン12000点だ。

 自分の気持ちが浮き足立っていることを肌で感じる。魂が雲よりも軽く、天高く昇ってしまいそうだ。

 ――落ち着いて! 冷静になって!

 自分に言い聞かせるその言葉がかえって焦燥感を煽り、指先の震えを誘発させる。

 あたしはやっとの思いで中の牌をつかみ、卓上の中央付近の川へと置いた。

「ポンです!」

 ナナミちゃんの宣言に一瞬ドキリとし、両肩が動きそうになった。いや、もしかしたらびくっと振るえたかもしれない。

 その本能的な反応を揺り起こすものの正体は、自ずと察しが付いた。

 ――恐怖。負けることの恐怖。先に上がられてしまう恐怖だ。

 ここにいる四人はもともと入部させるつもりだったので、あたしが背負っているものは何一つないに等しい。

 一方で、他三人は入部できるかどうかがかかっていると信じ込んでいる。ましてや、トイメンのナナミちゃんはサナエちゃんの入部もかかっているので、感じるプレッシャーは半端なものではないはずだ。

 精神的には、初めからあたしが圧倒的に有利だったはず。

 だから、この心当たりのない恐怖は、あたしを心の奥まで震撼させた。

 しかし、この言い知れぬ感覚を拭い去らないとあたしの勝ちは幻になってしまう。

 運命が絶好の配牌という形であたしに味方してくれたのだ。上がってやらないといよいよ本格的に幸運に嫌われてしまう。

 あたしは仕切り直すように眼鏡のつるを右手中指でそっと押し上げ、ナナミちゃんの戦う瞳を見つめた。

 恐怖を退ける方法として最も有効なことは、現状を冷静に分析し、理解することだ。

 今起きている事態を事実に基づいて丁寧に分析し、正しく理解することで、自然と心は穏やかになっていき、今自分に必要なことが明らかになっていく。

 場は南四局、あたしは4位、逆転するにはハネマン以上のツモか出上がりのバイマンが必要。

 一巡目から3位のナナミちゃんが中をポンしてきた。

 ――今のナナミちゃんには化け物手はいらない。一翻でも上がればゲームセットなのだから。

 だったら、彼女の狙いは鳴きの速攻ね。

 もうすでにあたしは平穏を取り戻していた。二、三巡程度の無駄ヅモでは動揺しなかった。


南四局 五巡目 南家 ナギホ 14300点 ドラ表示:二筒

一萬 三萬 一筒 二筒 二筒 三筒 三筒 二索 三索 九索 九索 九索 緑發

ツモ:二萬


 一番欲しいところをツモってきた。ピンフ確定のイーシャンテン。この流れは大事にしたい。

 しかし、彼女はそれを許してはくれなかった。

「カンです!」

 鋭い口調でコールし、あたしの捨てた發を手中に収める。

 このゲームで、何回目のカンだろうか。ここまで来ると異常を通り越して、どこかあきれてしまう。

 それを差し引いても、明らかに常軌を逸したカンである。

 ナナミちゃんはこれ以上得点を上げる必要がないので、わざわざ一メンツできていることをターチャに知らせる意味はない。ましてや、不用意にドラを増やせばみすみすあたしに逆転のチャンスを与えてしまうだけだ。

 彼女の細くきれいな指先が、王牌をそっとなぞる。

 そして表に向けられた新ドラ表示牌は、八索。

 カンドラもろ乗りはもう驚かない。

 そのつもりだったが、その対象があたしとなると、また違った緊張感が出てきた。

 しかし、次巡のツモで心のざわめきがピークに達する。


南四局 六巡目 南家 ナギホ 14300点 ドラ表示:二筒、八索

一萬 二萬 三萬 一筒 二筒 二筒 三筒 三筒 二索 三索 九索 九索 九索

ツモ:白板


 ――まさかとは思うけど、張ってる?

 あたしはちらっと視線を上げた。

 中、發のフーロ。行方不明のションパイの白。

 この期に及んでナナミちゃんからダイサンゲンの気配がする。白、發、中の三つの三元牌でコーツを作ると成立するダイサンゲンは、役満32000点の大物手だ。そんなもの、もうすでにいらないはずだ。

 おそらく、發のカンはダイサンゲンを予感させるためのトラップだ。

 こんなフーロを見せつけられれば誰だって白は捨てられなくなる。

 そうなると、白をつかまされたプレイヤーはその瞬間から勝負の世界から退場させられる。途中で白が重なるまでろくな戦いができない。

 少なくともピンフ縛りのあたしは、上がりを放棄しなければならなくなる。

 それを見越しているからこそ、無理してでも發を持っていることをアピールしにきたのだろう。

 心中するぐらいだったら、下手に抱え込むよりも攻める!

 あたしにはもう迷いはなかった。ツモってきた白をそのまま卓上に叩き出した。

 ――さあ! 上がれるものなら、上がってみなさい!

 あたしは眼鏡越しに彼女を見つめた。

 夜の帳が下りたように、物言わぬ空気が辺り一面を覆い尽くした。

 指先を少しでも動かせばたちまち崩れ去ってしまいそうな、とても繊細な時間がゆっくりと時計の秒針を一つだけ進める。

 彼女はどこまでも透き通った瞳をまぶたの奥へしまい込んだ。

 短く息を吸う音が一つ。

 そして、世界を隔てていた薄い膜をそっと押し込み、シャボン玉を破るように腕が動いた。

 キヨミちゃんが壁牌から1枚牌を持っていく。

 ――通った!

 同時に、あたしの緊張が弾け飛んだ。

 心のどこかでは彼女がダイサンゲンを張っているのではないかという疑念がどうしても残っていたが、すべては杞憂に終わったのだ。

 麻雀はたった一打で局面が大きく変動する。それに呼応するように心理的に揺さぶられる。

 このジェットコースターのような目まぐるしい変化に適応することがどれ程難しいことか。

 チャンスが転じてピンチになる。ピンチが転じてチャンスになる。このシーソーゲームで自分がチャンスの渦中か、ピンチの渦中か、それを見極めることが非常に重要だ。

 そしてあたしは今、間違いなくチャンスの渦中にいる。


南四局 七巡目 南家 ナギホ 14300点 ドラ表示:二筒、八索

一萬 二萬 三萬 一筒 二筒 二筒 三筒 三筒 二索 三索 九索 九索 九索

ツモ:一筒


 ナナミちゃんの中、發フーロに対して白を通した直後、ジュンチャン、サンショク、イーペーコー、ピンフ、ドラ4のサンバイマンの化け物手をテンパイした。

 安めの四索ヅモでもピンヅモドラ4でハネマン確定。文句なしの逆転手だ。

 しかもあたしの捨て牌はこうだ。


河 ナギホ

紅中 緑發 北風 西風 東風 白板


 すべて字牌だ。あたしの上がり牌は絶対に予測することができない。

 しかし、ここまで来てしまうと欲が出てしまう。

 リーチをかけて一索をツモれば届く。夢にまで見た役満32000点に。

 今までの上がれなかった幻の役満とは違う。ピンフ縛りという条件でさえ上がることが許された数え役満だ。

 ここはもう、仕掛けるしかない。

 一人の勝負師として。

 目の前の天才を迎え撃つ凡才として。

「リーチよ!」

 あたしは力強く宣言して、九索を横に向けて切り出した。

 びくっと一瞬、キヨミちゃんとヒメリちゃんが身震いを見せる。

 無理もない。九索以外のすべてが危険牌なのだから。

 まさかいきなり四索を振ってくるなんてことはないだろうけど、もしかしたら一索はひょっこり出てくるかもしれない。そっちの方が本命とも知らずに。

 あたしは1000点棒を供託するために点箱に手を入れた。

 直後だった。

「必要ありません」

 それは、勝負の獣の獰猛なうめきのようにあたしの耳をつんざいた。

 あたしの手が止まった。まるで命が潰えたかのように。

「ロンです!」

 ナナミちゃんは手牌を晒した。

 それ以上の情報は、もはや誰にとってもいらなかった。


和了形 ナナミ ドラ表示:二筒、八索

一索 一索 一索 九索 白板 白板 白板

副露:対明槓緑發、対紅中

ロン:九索


ダイサンゲン

役満 32000


ナナミ 26100+32000= 58100点

ヒメリ              29900点

キヨミ              29700点

ナギホ 14300-32000=-17700点


「ダイサンゲンは役満、32000て――ちょっ!? サナちゃんっ!?」

「やった~! ナナみん、勝ったよ~!」

 ナナミちゃんが点数申告している間に後ろで控えていたサナエちゃんが大絶叫を上げながら鷲が飛び立つ時のように諸手を大きく広げ、ナナミちゃんにダイブして抱き着いた。

「やったッス! 勝ち残ったッス!」

「はぁ、乗り切ったわ。トップでラス親は緊張するわね」

 それを皮切りに、キヨミちゃんとヒメリちゃんも歓喜や安堵をにじませた言葉を次々と口にする。

 あとはもうてんやわんやの狂喜乱舞。1年生は銘々に心の内に秘めていた感情を思いっきり解放して、喜びを分かち合っている。

 あたしはただ、この子たちを温かく見守っていた。

 しかし、ナナミちゃんの最後の手、やっぱり化け物手だった。ダイサンゲンとはいえ、やりすぎな手牌である。

 中を鳴かずにいればショウサンゲンでもトイトイ、ホンイツ、ホンロウトウ、サンアンコー、ドラドラで数え役満。結局役満である。

 しかもあたしの本命上がり牌である一索をばっちり抑えた上であたしの溢れた九索で上がるという芸当。神懸かっているとしか言わざるを得ない。

 ぐうの音も出ない文句なしの上がりだ。

 あたしが彼女たちとはまた違った軽いトランス状態に呆けていると、ブルブルッとスマホのバイブを感じた。

 あたしはおもむろにスマホを取り出して、メッセージを確認する。とりわけ仲の良い友人の一人であるマリコからだった。

『何だか賑やかだけど、いいことあったの?』

 あたしは足を組んで、メッセージにさっと返信をする。

『入部試験が終わったのよ』

『まあ! 今年は随分と人数が多いみたいね』

 返信はすぐに来た。しかも、ピエロが笑った顔で『お疲れさま!』といったスタンプのおまけ付きだ。

『今年は生きがいい子ばっかりよ。近々お世話になるから、面倒見てあげてね』

『あなたが勝てない相手じゃあ、可愛がられるのは私の方よ』

『あなたもある種天才なんだから、普通に渡り合えると思うわ』

『あなたのそういうところ、嫌いよ』

 彼女のそのメッセージには、いつもドキリとさせられる。ましてやハートマークの絵文字を付ける辺りがなお一層気持ち悪い。

 それも、気心の知れた仲だから、本当の意味が分かる。器用貧乏で無冠なあたしのグチを聞いてくれてた頃の名残だ。

 あたしが逡巡していると、マリコからの連投が来た。

『あなただって、みんなを笑顔にさせる天才じゃない!』

「確かにね」

 頭の中を反応的によぎった言葉を口に出した後、メッセージにしてマリコに送った。

 スマホをポケットにしまい込んだあたしは、少しの間きゃんきゃんと黄色い声を上げて騒ぐ元気いっぱいな1年生をうっとり眺めていた。

「――約束、守れそうよ」

 彼女に届かないとは知りつつも、そっとあたしの口から言葉が零れ落ちた。


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