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ナナミ -The Gifted Challenger- ~天才少女の麻雀挑戦記~  作者: 蝶捕銀糸
第2半荘 ようこそ、ななほしへ!
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第31話 ほのかなぎゃくてんのゆめ

 前局、場が大きく動いた。

 あたしがナナミちゃんに親バイを放銃して最下位転落。全員が入部条件を満たした。

 三人はもう無理をする必要がない。安い手で場を流し、順位を確定してしまえばいい。

 部長としては、三人――いや、サナエちゃんを加えた四人が入部することに対しては問題ないと考えている。

 しかし、このまま何もなく敗北してしまえば部長の威厳と沽券に関わる。

 ――勝ちたい。

 あたしにとってこれはもう入部試験ではない。

 ただただ、一人のプレイヤーとして勝利したい。その一心だった。


南三局 一本場 一巡目 西家 ナギホ 14300点 ドラ表示:五筒

二萬 四萬 七萬 赤五筒 五筒 二索 二索 六索 六索 八索 九索 南風 南風

ツモ:一萬


 ――トイツが四つ。普通ならスーシャンテン。今回は別にターツもあるのでサンシャンテンだ。しかし、チートイ狙いならリャンシャンテンになる。

 とは言っても、今回あたしのチートイはルール違反。本気で勝つつもりなら、南のトイツを落として様子を見るのがセオリー。

 しかし、あたしは九索を切り出した。

 ――どうせピンフは遠い。だったらさっさとテンパってカラテンリーチのブラフを張った方がいいわ。

 今、あたしがかなり負け込んでいるのは誰の目に見ても明らかだ。リーチをかければピンフで上がりに来たと思わせることができる。

 3位のヒメリちゃんとは12000点差。わざわざ1000点棒を対価に3000点拾いに行く局面ではない。

 しかし、ただ単純にあたしは知りたかっただけなのだ。

 あたしの実力が、『無敵の女神』に通用するかどうかを。

「ポンです!」

 ナナミちゃんがキヨミちゃんから西を取った。客風のフーロ。手がかなり限定される攻撃的な動きだ。

 彼女の狙いはホンイツかチャンタ、トイトイ、もしくは役牌バック。――前局と同じ展開ね。

 しかし、彼女の真意は分からない。

 だったら、あたしの真意も闇に溶かしてみせるわ!

 あたしはあえて五萬切りの強打を見せる。その後も六筒をツモ切り、手出しの七萬、四索ツモ切りと攻めの姿勢を貫く。

 そんな激しい打ち方を続けていると、四巡目辺りからヒメリちゃんが明らかに警戒し始めた。字牌をはさんでさらに巡目が進むと、キヨミちゃんも気になり始めたようだ。

 無理もない。あたしはピンフ縛りなのだから、チュンチャンパイは必須になってくる。それなのに序盤早々にチュンチャンパイ切りを続ければよっぽど手がまとまっているのではないかと疑わざるを得なくなる。

 しかし、トイメンのナナミちゃんの瞳は揺るがない。熱い気迫と闘志が溢れんばかりに滾っている。

「カンです!」

 ツモ牌に加え、手牌の一筒を表に向けてアンカンを宣言する。

 ――また、そういう打ち方をしてくるのね。

 そう、前局に続いてホンイツ、トイトイが絡んだ大きな手。しかも今回はチャンタの可能性さえも残っている。

 あたしの強引な手作りに加え、ナナミちゃんの神懸かり的な打牌。他二人はすっかり委縮してしまったようだ。

 すでに、あたしの心臓は早鐘を打ち始めていた。


南三局 一本場 十巡目 西家 ナギホ 14300点 ドラ表示:五筒、緑發

二萬 赤五筒 五筒 五筒 八筒 二索 二索 二索 六索 六索 八索 南風 南風

ツモ:南風


 これでアンコーが三つ目。サンアンコー、ナン、ドラ2のマンガン確定。

 いや、ここまで来たら違う世界が見えてくる。

 ――スーアンコー。アンコーを四つ作ると成立する最も出やすい役満の一つ。

 それが現実味を帯び始めた手だ。

 もちろん、あたしはこれを上がることはできない。――入部試験のルールを忠実に守るのであれば。

 結構な数をこなしていれば、役満32000点を上がる経験をする人も少なくない。

 しかし、あたしは役満とは無縁だった。もともと現実主義的な打ち方を好むあたしは確率の低い役満を狙うこともなかったし、そもそも役満を上がらせてくれるほどあたしの対戦相手は優しくなかった。

 だから、この上がれそうな役満を狙いたい。たとえ、四人の入部を認めてでも。

 問題は、目の前の彼女があたしの一欠片の欲望を瞬間察知し、それを回避して自分が上がってしまうかどうか。

 ――そう、これはあたしと彼女の真剣勝負。

 独りよがりな夢を追い続けるあたしと、地に足が付いた栄光を求める彼女の一騎打ち。

 それを考えると、背筋の奥がぞくぞくする。緊張と興奮で身体中の筋肉が震えているみたいな感覚があたしを包み込む。

 取り零してしまわぬように、あたしは丁寧に八筒を指でつまんだ。

 ピンズのホンイツも結構あるナナミちゃんには簡単に切れる牌ではない。

 しかし逆に言えば八筒はナナミちゃんの手の内で使い尽くされているかもしれない。

 キヨミちゃんやヒメリちゃんは無理してこないだろうし、仮に彼女たちが八筒をつかんだら二度と出てこないだろう。

 本当にスーアンコーの上がりを目指すなら、通さないといけない牌だ。

 ――まだ、間に合うはず。

 ナナミちゃんはリャンフーロした直後。通すチャンスがあるとすれば、今しかない。

 ――通れっ!

 声になりそうなほど強く念じて、あたしは八筒を河へ叩き出す。牌を差し出す指先が緊張で震えそうだ。

 ナナミちゃんは一呼吸置いて瞳を閉じた。

「カンです!」

 ナナミちゃんはあたしの八筒を加えてカンツを作った。

 ――そう、この子はこういう打ち方をしてくる。

 ナナミちゃんは現在2位で、あたしとの点差も十分ある。普通、そういう状態なら逆転される可能性が増すカンはすべきではない。

 しかし、そういう危険な橋を平気な顔で渡ってくる。

 傍から見れば自分で自分の首を絞めているはずなのに、なぜかこっちが精神的に追い込まれている。

 ナナミちゃんはすらりと伸ばした人差し指で新ドラ表示牌を弾いて表にする。

 新ドラは七筒。三度のカンドラもろ乗りである。

 毎度のこととは言え、彼女の無神経なカンは確実にこの場にいるみんなに心の奥にしまわれた本能的な恐怖を揺り起こしつつある。

 しかし、あたしに焦りはない。なぜなら、彼女の行動は予想の範疇だったから。

 とにかく、これで一筒、五筒、八筒が死んだ。ピンズのシュンツは二、三、四筒しか作れない。

 ここまで来たら彼女の狙いはただ一つ。

 あたしを飛ばすこと。あたしに振り込ませてゲームセットに持ち込むことだ。

 それは彼女にとってとても簡単なことだろう。ハネマン以上の手を作ればいいのだから。

 一番濃厚なのはホンイツ、トイトイ、ドラ4のバイマン。しかしホンイツのような見え透いた手はわざわざ作ってこないだろう。あたしにとって対策があまりに簡単すぎるからだ。

 チャンタの線は八筒カンで消えた。ミンコーが二つだからサンアンコーも不可能。

 気を付けるべきは、トイトイのタンキ待ち。これが一番読めない。

 打てる対策は現物を処理するか、3枚晒されている牌を捨てること。ションパイはかなり危険度が高いが、ナナミちゃんならジゴクタンキも平気でしてくるだろうから2枚見えていても安全度は高くない。

 ――そう、あたしならここまで考える。あたしがここまで考えることを彼女は必ず読んでくる。

 だったら、トイトイを蹴ってでも3枚見えている牌で待つ可能性が一番高い。

 しかし、もしそうなら何の役を付けるか。

 ――あたしには見当がついていた。


南三局 一本場 十一巡目 西家 ナギホ 14300点 ドラ表示:五筒、緑發、七筒

二萬 赤五筒 五筒 五筒 二索 二索 二索 六索 六索 八索 南風 南風 南風

ツモ:二索


 ここでこの手。これであの子の動きを止めることができる。

「カンよ!」

 あたしは二索4枚を晒してアンカンを宣言した。

「えっ!?」

「マジッスか!?」

「な、ナギホさん!?」

「ええーーーっ!?」

 1年生全員がお化けでも見たように叫び声を反響させる。キヨミちゃんやヒメリちゃんはもちろん、あのナナミちゃんやその後ろで見ていたサナエちゃんまで愕然とした表情をしている。

 それも当然だ。こんな事、絶対にあり得ないのだから。

 ピンフ縛りのあたしがフーロするということは上がりを放棄することに他ならない。

 こんな絶体絶命の点差で上がりを放棄するなんて、常人の考えることではない。

 ――これで少しでも天才に近づけるなら光栄なことなんだけどね。

「ナギホさん、いいんですか?」

 ナナミちゃんが恐る恐る尋ねる中、あたしは構わず新ドラ表示牌をめくり、リンシャンパイを持ってくる。

「いいのよ」

 あたしは笑顔を見せて彼女と相対した。


南三局 一本場 十二巡目 西家 ナギホ 14300点 ドラ表示:五筒、緑發、七筒、一萬

二萬 赤五筒 五筒 五筒 六索 六索 八索 南風 南風 南風

副露:暗槓二索

ツモ:六索


 そして、スーアンコーのテンパイが入った。あたしの初めての役満テンパイだ。

 予想以上に胸の鼓動をが高まってきた。誰にでも見て分かるほど顔が紅潮しているんじゃないかと思うぐらい体が火照ってくる。

 しかし、今のアンカンは何もあたしの自己満足を達成するためだけのものではない。

『無敵の女神』を牽制する、そして、動きを封じるためにカンをしたのだ。

 おそらく、彼女の狙いはサンカンツ。カンを三回することで付く二翻役だ。

 ナナミちゃんはすでに二回カンをしている上、西をポンしている。彼女が最後の1枚を握っていれば、いつでも三回目のカンを宣言できることになる。

 サンカンツ、ドラ4のハネマン手を、何としても封じ込める必要があった。

 それができるルールが麻雀にはある。

 スーカイカン。二人以上のプレイヤーでカンが四回成立した場合、流局になるというルールだ。

 つまり、現在あたしのカンで三回目。あと一回カンが発生し、リンシャンカイホウで上がらなければ流局になる。

 すなわち、この局が終わる。

 だから彼女がカンをしてサンカンツの条件を満たしても、リンシャンカイホウで上がれなければ、どんな化け物手も水泡に帰すのだ。ましてや、あたしが彼女に振り込むことなどあり得なくなる。

 珍しく、ナナミちゃんの顔に動揺が見えた。その顔は一瞬で、すぐに勝負の時の顔に戻ったが、彼女の心の奥底を推し量るには十分だった。

 今さらあたしが上がれない状況になっても、キヨミちゃんやヒメリちゃんが崩した手を立て直すには遅すぎる。

 このままホワンパイピンチューを迎えてノーテン罰符を拾うのもいいけれど、彼女ぐらいの実力者ならサンカンツ、リンシャンカイホウでさらにドラを付けてサンバイマンーーいや、役満ツモだってあり得るかもしれない。

 しっかり抑えられる時に、殺しておきましょう。

「カンよ!」

 あたしは次巡にツモってきた六索を使って再びカンをした。


南三局 一本場 十四巡目 西家 ナギホ 14300点 ドラ表示:五筒、緑發、七筒、一萬、東風

二萬 赤五筒 五筒 五筒 南風 南風 南風

副露:暗槓六索、暗槓二索

ツモ:二萬


 リンシャンパイをツモった瞬間、あたしの脳髄の先から足の指の先まで衝撃的な電流が走った。

 ――麻雀は、本当に面白い。上がれない時にそろってしまうのだから。

 役満スーアンコー。それどころか、あたしたち『NANA☆HOSHI』がスッタンモと呼んでいる上がりだ。

 スーアンコータンキ待ちのヅモ上がりはスーアンコーの中でもきれいな上がり方で、ダブル役満64000点とするルールも少なくない。かくいう星愛女学院公式ルールでも七つのダブル役満の一つとしてスッタンモという役名で採用されている。

 ――上がったのだ! このあたしが役満、いや、ダブル役満を上がったのだ!

 しかも、カンした時にツモるリンシャンパイで上がるリンシャンカイホウのおまけ付きだ。

 何万分、いや何億分の1といってもいいぐらい希少な確率で出てくる幸運の片鱗に、あたしは触れることができたのだ!

 あたしはこの胸の奥からあふれ出す喜びを表現できなかった。今までこんな情動を感じたことがなかったのだから。

 全能感。存在証明。あたしがあたしであることの幸福。それでいて心の隅でよぎる冷たい中毒性の予感。そして首をもたげる新世界への好奇心と処女喪失の恐怖心。

 交錯するあらゆる感情のすべてが心地いい。

 あたしは切ない溜め息を一つ漏らした。

 ジンジンと軋む脳髄をやっとの思いで回転させる。

 ピンフ縛りとか、入部試験とか、そんなこの世の有象無象はどうでもいい。

 上がりたい。すべてを捨ててでも上がりを宣言したい。だってあたしはそれを目指していたのだから。

 あたしが上がればもちろんあたしはハッピー。そして、入部試験はあたしのルール違反でみんなの入部が決定してみんなもハッピー。みんなが幸せになれるウィンウィンな結果だ。

 ただ、一つ気がかりだった。

 大きなプレッシャーを跳ねのけ、身を削りながらでも策を練り、ここまで生き残ってきた彼女たちが、あたしの暴走一つで望みもしない形で入部できて、本当に幸せなのだろうか。

 例えば、欲しいバッグがあったとして、そのために毎日コツコツ貯金して、あと少しで買えるという時に不意に同じバッグをもらうことになって、そのバッグに愛着が湧くだろうか。

 もちろん、多少は嬉しいだろうが、心のどこかでは虚しさを感じるだろう。

 だって、あたしもそうだから。

 あたしはおもむろに南の牌をつかむ。

 ――あたしの初めてのダブル役満は、あたしだけのものにしましょう。

 アルバムを閉じるように、そっと南を卓の真ん中に置いた。

「さて、上がる人はいるかしら?」

 あたしは悪戯っぽく尋ねた。

 キヨミちゃん、ナナミちゃん、ヒメリちゃんは順番に手牌を伏せていく。

「スーカイカン成立ね」

 あたしもみんなに倣って手牌を手前に倒す。


流局 四開槓

ナナミ:明槓八筒、暗槓一筒

ナギホ:暗槓六索、暗槓二索


 ――結局、流局を選んだけれど、これでよかったのかしらね?

 恍惚とした気分に浸りながら、あたしは伏せた手牌と残った山を卓の中央に寄せる。

 目覚ましに起こされた直後のような夢うつつを行ったり来たりするふわふわしたこの感情にずっと身を預けていたかった。

 しかし、それは叶わぬ夢。

 ――少なくとも、あの天才に一矢報いるまでは。

 あたしは深い溜め息を一つ零して、集中力を取り戻す。

「さあ、次、始めましょう」

 あたしは右の人差し指でコンコンと卓を軽く叩き、彼女を促す。

「は、はい! 二本場、お願いします!」

 ナナミちゃんは我に返って二本目の100点棒を卓上に置いた。


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