第27話 えーすぷれいやー
器用貧乏。
それがあたしのアイデンティティだった。
中等部の頃から勉強は苦手ではなかった。数学も英語もできるし、ついていけない授業はなかった。
しかし、どの科目もテストの点はいつも70~80点台。クラスでもよい方ではあったが、一番ではなかったし、一番になったこともなかった。
絵を描くのもそれなりにうまいし、歌を歌ったり楽器を演奏したり料理をしたりするのも練習すれば人よりはできるようになった。
しかしコンクールに出たり、賞を取ったりといった、特筆するような実績はなかった。
スポーツだってどちらかと言えば得意だ。バレーやテニスといった球技も、陸上や水泳などの個人競技も人からすごいと言われたことはあるが、一番にはなれなかったし、誇れるような結果も残せなかった。
――ナギホちゃんの特異なことは何?
その質問はあたしにとって恐ろしいものだった。
何でもそつなくこなすし、何だって楽しめるあたしには、誇れるような特異なものがなかった。それがないことが、あたしの自信のなさにつながった。
何でもできるってことは、何もできないのと大差なかった。
そんな自分を慰めるように何かを求めている中、彼女に出会った。
――ボクと遊ぼうよ!
彼女が教えてくれたゲームは、麻雀だった。
女の子が麻雀なんて……と思ってはいたが、やってみると意外と面白い。
あたしはいつものように比較的早くルールを覚え、コツをつかんで物にした。
ある程度習得したと実感した後も、麻雀には深みがあった。
このゲームには、常勝はあり得ない。
だから、無理に一番になんてならなくてもいい。
それがあたしの心の支えとなっていた。
しかし、実力は数字となって弾き出される。
ホーラ率、テンパイ速度、平均得点、平均順位。いろんな数字があるが、オンライン麻雀でもしない限り、そんな数字をいちいち計算する人などほとんどいない。
リアルに麻雀牌を触れて打った時の実力をいちいち記録しているのはあたしぐらいのもので、それを意識して打つ人も少ない。
意識している人と意識していない人の差は歴然だ。
あらゆる数字は他人を越え、好成績を収めていった。
あたしはやっと、自信を取り戻した。
――ボクと、麻雀部を始めようよ!
高等部に上がって、天真爛漫な彼女はあたしをその楽しいイベントに誘ってくれた。新しい友達を二人連れて。
――部長は、ナギホちゃんね!
彼女のその言葉がきっかけで、何だかんだで部長をやることになった。
あたしは充実していた。高等部になって初めての麻雀を打つまでは。
――勝てない。
一人はかなりの長身で赤黒い髪は地面にこすれそうなぐらい長い。この世のものとは思えないほどおぞましい顔の傷と紅い右目に、あらゆる修羅場を映してきた左の黒く鋭い瞳。
『煉獄の女王』。火力の高い上がりと、揺らぐことのない精確な勝負感を武器に戦う勝負師。
――勝てない。
一人は亜麻色の長くて大きな縦ロールに色気と品位を兼ね備えた完璧なボディライン。大海原を思わせる深い群青色の瞳に湛えるのは、人のものとは思えない純粋さと誠実さ。それを信じる強さと優しさ。
『深海の乙姫』。嵐のような速攻と、深海のような沈黙で場を支配する時の番人。
――勝てない。
あたしを麻雀に導いてくれた彼女。小さな体躯に円らな瞳。
『福音の愛娘』。神と幸福に愛された、人智と摂理を超えた強運の持ち主。
この三人と卓を囲むと、全く勝てなかった。何度やっても四位だった。
あたしは直に感じていた。
天才と、凡才の圧倒的な差を。
あたしは再び自信と誇りを失った。
しかし、それはただ単にあたしの心が未熟で弱かっただけだと思い知った。
『煉獄の女王』は、その天才的な勝負強さのせいで、孤独だった。
『深海の乙姫』は、その天才的な感覚の鋭さのせいで、窮屈だった。
『福音の愛娘』は、その天才的な強運のせいで、退屈だった。
そんな心の内が、対局を重ねるうちに分かっていった。
そして、気づいた。
あたしは、その天才的な器用貧乏のせいで、無冠だった。
能力の差こそあれ、天才と凡才は何も変わらなかった。天才も、人の子だった。
それに気づいてからは、三人と卓を囲むことも嫌ではなくなった。
自分が天才ではないことも、嫌ではなくなった。
それからはみんなに『エースプレイヤー』なんて呼ばれるようになった。
天才と一緒に戦える凡才として……なのかは分からないけど。
だからこそ、気になる。
目の前の『無敵の女神』と呼ばれる小さな天才のことが。
彼女は天才的な何を持っているのか?
彼女はその天才的な何かのせいで、どう苦しんでいるのか?
それを見極めたい。
もちろん、キヨミちゃんやヒメリちゃん、サナエちゃんも大歓迎。
――この試練を突破できたら、ね。
部室を出て行ったナナミちゃんとサナエちゃんが、しばらくして帰ってきた。
「二人で作戦会議かしら?」
あたしの問いかけに、ナナミちゃんは椅子に腰かけながらにっこり笑って答えた。
「まあ、そんなところです」
ナナミちゃんが何を考えているかを探るのは、結構大変だ。
しかし、サナエちゃんが少し涙目になっているところを見ると、おそらくピンフ禁止について話し合っていたことは察しが付く。
――そしたら、ナナミちゃんはピンフで上がってくる可能性がありそうね。
南一局の親はあたし。気を引き締めないと、痛い目見そうね。
南一局 一巡目 東家 ナギホ 45100点 ドラ表示:八萬
一萬 五萬 八萬 三筒 八筒 一索 赤五索 六索 南風 南風 北風 白板 白板 緑發
――あらら、これはつらい配牌ね。
テンパイが遠い上に字牌のトイツが二つ。この局から南も役牌だからピンフのアタマにはできない。
カラテンリーチのブラフはもう利きそうもないし、普通にアンパイ候補を残しながらテンパイを目指して、ターチャのテンパイ気配を感じたら下りることにしましょう。
北、發、一萬を順当にさばき、手を整えていく。
その後もゲームは落ち着いて進行する。ナナミちゃんも何か仕掛けてくる気配がない。
――いや、あまりに気配がなさすぎる。
今までは迷いながらも、攻撃の意思と防御の意思がしっかり見えていた。
しかし、六巡目を終えてもまだ何をしているのか分からない。
麻雀はフーロがなければ一人のツモは東家と南家で十八巡、西家と北家は十七巡となる。だから大きく分けて六巡目までが序盤、七巡目から十二巡目が中盤、十三巡目以降が終盤と位置づけることができる。
序盤が終わって動きはなし。配牌やツモが悪ければこういうこともよくあるが、かくいうナナミちゃんは今までの打ち方的にそんな状態でも何らかの行動をにおわせてきた。
しかし、今は全くそんな素振りさえ見せない。
――打ち方を変えてきた?
一瞬、彼女とホムラの対局を思い出した。
あの時も南場に入った直後から神懸かり的な打牌が始まった。
考えたくはないが、あの時と同じスイッチが入ったのかもしれない。
――そうなると、かなり厄介ね。
南一局 七巡目 東家 ナギホ 45100点 ドラ表示:八萬
四萬 五萬 八萬 三筒 五筒 八筒 赤五索 六索 七索 南風 南風 白板 白板
ツモ:白板
――これでイーシャンテン。上がれなくても防御面では結構堅くなってきた。
白1枚と南2枚はすでに場に出されている。コクシムソウ気配もないし、アンパイが5枚はあることになる。
とりあえず、この局は様子見。
手堅くテンパイを取りに行って、あわよくば流局時のノーテン罰符を拾う。
リーチがかかったり、テンパイ気配を察したら、手を崩してでもアンパイや字牌を落としていく。
それで、ターチャの動向を、特にナナミちゃんの動向を見たい。
八萬を指で摘まみ、卓の中央へ寄せる。かくいうあたしもこれが初めてのチュンチャンパイ切りだ。他三人にはピンフの手が進んだように見える。
あたしはナナミちゃんの顔を、彼女の一挙手一投足を見つめる。
彼女の番、切り出したのは、五索。
――攻めてきたわね。
「ポン!」
さらに、その五索をヒメリちゃんが手中に収める。
場はこの一巡で劇的に変わった。
あたしはそう直観する。
――無理はしない方がいい。ここは順当に下りましょう。
次巡、あたしは赤五索をためらいもなく切り出す。
ナナミちゃんには現物、ヒメリちゃんはポンした張本人だし、キヨミちゃんはこの一順に限りフリテン。安全度の高い字牌はできるだけ取っておきたいし、この手の危ない牌は切れる時に処理しておきたい。
下りる時の基本は、手を崩すことをためらわないことだ。
上がりという幻想に惑わされずに、冷酷なまでの判断で、振り込まない牌を捨て続ける。
初心者にとっては、それが心苦しくてなかなかできない。
だからこそ、できる者とできない者には大きな差が出る。
しかし、あたしの創造とは異なり、勝負はあっさり決まってしまった。
「ロン。タンヤオ、ドラ1は2000点よ」
和了形 ヒメリ ドラ表示:八萬
二萬 三萬 三萬 四萬 四萬 赤五萬 三筒 四筒 四筒 四筒
副露:上五索
ロン:三筒
タンヤオ 一翻
ドラ 一翻
30符 二翻 2000
ナギホ =45100点
ヒメリ 23300+2000=25300点
キヨミ 18100点
ナナミ 13500-2000=11500点
――あら?
ラス親のヒメリちゃんは、自分の番までにできるだけ点数を稼いでおけば、楽にラス親を迎えられるので、安手でも上がっておきたい気持ちは分かる。
しかし、こうもあっさりと振り込んだナナミちゃんの行動は分からない。意図が全く読めない。
計画して差し込んだのか、ただただ油断して振り込んでしまったのか。どちらにしても、ナナミちゃんはこれ以上失点できない状況のはずだ。
それなのに、この振り込みはあまりにお粗末だ。
――だからこそ、そこに彼女の意思があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
残りは三極。そこから彼女がどう逆転していくのか、あたしは心のどこかで楽しみにしていた。




