第16話 おもわぬおくりもの
「ナナみ~ん、おっはよ~!」
激闘の翌朝、わたしが1年E組の教室に入った直後、サナちゃんの襲撃が待っていた。
「ちょっ。抱きつかないでよ、サナちゃん!」
「この柔らかさがたまんない――違う違う。部長から聞いたよ! ナナみん、勝ったんだって!?」
「分かったから、早く離れてよ」
サナちゃんの熱烈なハグが終わるのに五分くらいかかった。
そのままわたしは窓側にある自分の席へ向かう。サナちゃんはわたしの席の前なので、サナちゃんもわたしについてきて自分の席に着く。
「そういえば、――はい、サナちゃん」
わたしは鞄から昨日受け取った麻雀部の鍵をサナちゃんに渡した。
「わぁ~っ! ありがとう!」
サナちゃんはツインテールを揺らしながらキラキラした笑顔を見せる。たまにいい笑顔を見せるんだけどなぁ、と心が温かくなるけれど、正直エロバカは治ってほしい。
「そうだ!」今思いついたかのようにサナちゃんが言う。「どうせならさ、ナナみんもおいでよ! 麻雀部!」
サナちゃんがわたしの両手をつかんで、瞳を輝かせて見つめてくる。このさりげないボディタッチには下心があるのだろうか。
けれど、わたしも麻雀部を見学するつもりだったし、特に異議はない。
「う、うん。いいよ」
「やった~! じゃ、決まりね!」
そして、サナちゃんがまたもや抱きついてきた。
――このハグは、何なんだろうか。
わたしは時間を見つけては、スマホで麻雀のルールや役を調べてみた。
けれど、意外と麻雀のルールにはローカルルールが多いらしい。ずいぶんとまあ、わたしは軟弱な規則の元で戦っていたのかと思うと、今でもよくあの女王ホムラに勝てたなぁ、と我ながら感心してしまう。
そして放課後のチャイムが一日の終わりを告げた頃、サナちゃんに連れられて廊下に出だ。
「さあ、部室へ出発~!」
テンションだだ上がりのサナちゃんに比べてわたしは少し緊張していた。
――初めての部活か。初めての部活の先輩に、初めての部室……でもないか。
麻雀ももう初めてではない。もうすでに一度やった。まあほとんど初めてに近いけれど。
そんな期待と不安を混じらせながらサナちゃんの後ろについていく。
そんな時だった。 ゾクリと背中に悪寒が走った。
――誰かに、見られている。
廊下の空気も急速に変わっていく。あわてて顔を伏せたり逃げ出すように会談へ向かう生徒もいる。
そして、背中から突き刺すような冷たい声がかかった。
「――おい、小娘」
この場を圧倒的に支配したオーラと声音。気配から覚えがあったと直感していたけれど、まさかこんなところで出会うとは思わなかった。
怯えながら後ろを振り返る。
赤黒くくすんだシミのある青のセーラー。地面にこすれそうなほど長い黒髪。紅い右目と刀痕。
まるで、煉獄の女王のような威圧感。
――女王ホムラ。
その声は間違いなく、わたしを呼び止める声だ。
わたしは足がすくんで、そのまま動けなくなった。身体中が恐怖でおののく。
女王ホムラが一歩ずつゆっくりとこちらに向かってくる。彼女の鋭い眼光が、わたしの体を縛りつけているようだ。
その時、すっと司会にツインテールが入る。――サナちゃんがわたしと女王ホムラの間に割って入ったようだ。
「――どけ」
ドスの利いた低い声。わたしはとても前を向いていられなかったけれど、サナちゃんはひるまないでわたしをかばうように立ち向かう。
「あなたの目的はこれでしょ?」サナちゃんは右手に握っていた鍵を見せる。「ナナみんは関係ない。あたしが、麻雀部員のあたしが相手です!」
凛々しい声でサナちゃんが言い放った直後、激しくガラスが割れる音が響いたかと思うと、廊下の窓が粉々に吹っ飛んでいた。女王ホムラの右の拳によって。
それを皮切りに、廊下中の生徒がパニックになる。悲鳴を上げる生徒やあわてて逃げ出す生徒の喧騒でいっぱいになる。
わたしもあまりの出来事に腰が抜け、廊下にへたり込んでしまった。
「――どけって言ってんだろ」
彼女だけが唯一冷静でいた。
さすがのサナちゃんも今ので怖気づいてしまった。一歩後ずさりする。
だけど、サナちゃんは常にわたしと女王ホムラの間からは離れなかった。
「――めんどくせぇな」
「きゃあっ!」
女王ホムラはサナちゃんの襟首をつかみ、あっという間にサナちゃんを放り投げてしまった。あまりの一瞬の出来事に、わたしは何もできなかった。
「――おい、小娘」
女王ホムラが蛇のような目つきでわたしを見下す。とても巨大に見える彼女の体躯と長髪に、わたしは戦慄する。
のしかかってくるプレッシャーに体の奥底から恐怖が押し出されてくる。
あの、勝負の時とは大違いだ。――いや、変わっていない。あの、完全な臨戦体制の、麻雀を打っている時の女王ホムラと変わらない。
けれど、彼女は意外な言葉をつぶやいた。
「――勝者がそんな顔をしてたら、俺の立場がねぇだろ」
――えっ?
わたしはあっけに取られて、彼女の顔を見上げた。その深い傷を負った顔は、麻雀を打っている時の無表情と変わらなかったけれど、わたしには孤独で寂しげな表情に見えた。
「あ、あの……」
「――忘れ物だ」
そう言うと彼女は封筒を床に叩きつける。そして、それ以上は何も言わず、そのまま立ち去ってしまった。
長い黒髪を揺らして歩く彼女の後姿は、勝利にこだわる勝負師にはふさわしくない威厳と誇りを重んじる背中をしていた。
「大丈夫っ!? ナナみん!」
サナちゃんが呆けているわたしを心配してきた。
「いやいや、サナちゃんこそ大丈夫?」
「あたしなら平気だよ~!」
サナちゃんはキラキラと宝石のような笑顔を見せる。いつも通りの姿に戻って少し安心する。
「それより、これなぁに?」
「さ、さあ……」
わたしは何気なく女王ホムラが置いていった封筒を取り、中身を確認した。
中身は、一枚の紙と、――お金!?
わたしはあわてて明細書と書かれた紙を見た。
明細書
最終得点
ナナミ 130000点(+100)
ホムラ 33600点(+ 4)
キヨミ - 14200点(- 44)
ヒメリ - 29400点(- 60)
※オカは20000、ウマは10000・20000とする。
収支
ナナミ 106400円
キヨミ - 4400円
ヒメリ - 6000円
ホムラ 96000円
※レートはテンピン、ナナミとホムラは点差のサシウマとする。
――な、何、この金額!?
「ちょっ、ナナみんっ!? どんなレートで賭けしてたの!? しかも大勝ちしてるじゃん!」
「わ、わたし知らないよ!」
サナちゃんがかなりあたふたした様子でわたしに問いかけるけれど、わたしにだって状況がよく分かってない。
確かに女王ホムラとはお金を賭けるとは言っていたけれど、それはあくまで女王ホムラが勝った時の話だ。わたしが賭けていたのは鍵だ。
しかもこの紙によると、一緒に打っていたキヨミやヒメリもお金を賭けたことになっているらしい。
こんなお金、受け取る義理はない。
「わたし、このお金返してくる!」
「で、でも、ここに書かれている三人の学年やクラス、知ってるの?」
「そ、それは……」
分かっていることといえば、制服の色からキヨミとヒメリはわたしたちと同じ1年生、ホムラは3年生ということだけだ。
キヨミやヒメリはわたしのいるE組ではない上に、ポニテとカチューシャくらいしか記憶に残っていない。
対して、女王ホムラは見れば一発で分かるけれど、もうどこかへ行ってしまった。3年生のクラスを回って探すのも緊張する上、彼女がきちんと授業を受けているかどうか分からない。――わたしの偏見だけど。
そんな時だった。
「キヨミちゃんは1年D組、ヒメリちゃんは1年a組、ホムラは3年C組よ」
戸惑っているわたしたちに、優しい声がかかった。
声のする方を見ると、青いセーラー服の先輩が立っていた。
眼鏡をかけて、髪はセミロングのいかにも優等生といった雰囲気の先輩だ。
彼女の正体は、サナちゃんの一言で察しがついた。
「部長っ!」
「サナエちゃん、聞いたわよ。この子が噂のナナミちゃん?」
彼女はわたしの方を興味深そうに見てきた。興味本位な視線でちらちら見られることはよくあったけれど、この人の視線はそんな不快感はない。
――部長ってことは、この優等生みたいな人が、麻雀部の部長なんだ。
「そんなことより、行かなくていいのかしら? お金を返しに行くんでしょ?」
部長さんに言われてはっと我に返る。
今は放課後。教室から次々と生徒が出てきている。クラスが分かっても、もう教室に残っているとは限らない。
「行こう、ナナみん!」
「ちょっ、サナちゃん! これはわたしの問題だからわたしが――」
「いいからいいから!」
わたしは半ば強制的にサナちゃんに引っ張られて、キヨミのいる隣の1年D組の教室に入る。
教室では生徒たちが思い思いの過ごし方をしていた。委員会や運動部はすぐに活動が始まるから人数は少ないけれど、文化部は始まる時間もまちまちで、少し教室で油を売ってから部室に行く人も多い。
――いた! ポニテのキヨミだ!
キヨミもその一人だった。知らない生徒と笑いながら軽い断章をしている。
「――あの人だよ」
サナちゃんにアイコンタクトを送る。
「よし、じゃあ行こう!」
わたしのアイコンタクトを受け取った直後、行動力抜群のサナちゃんがわたしを引っ張りながらキヨミの元へ駆け寄る。
「キヨミさん、ちょっといいですか?」
サナちゃんがさっさと口火を切る。キヨミははてなマークのついた顔でこっちを見たけれど、わたしを見つけた途端、苦い顔をした。
「げっ!? 『無敵の女神』っ!?」
わたしとキヨミの間に緊張が走る。サナちゃんがわたしの背中を叩きながら、「がんばって!」と耳元でささやいてきた。
「あ、あの――」わたしは封筒からキヨミの支払った分のお金を取り出す。「これ、お返しします」
「ほんとッスか!?」
キヨミは一気に笑顔になる。何だろう、果てしなくサナちゃんと同類の臭いがする。
そして、わたしが答える前に、キヨミはお金を持ったわたしの手を両手で握った。
「昨日の半荘、すごかったッスよ! あたしら、ホムラさんには全然勝てなかったッスからね!」
「は、はぁ……」
キヨミはつかんだわたしの手を興奮しながらぶんぶん上下に振った。
「ぜひ、ナナミさんの弟子にしてほしいッス!」
そしてキヨミは続けざまに意味不明なことを言った。
「わ、わたしの、弟子!?」
「そッス! あたし、もっと強くなりたいッス! だからぜひ、麻雀部に入ってナナミさんに強くなる方法をたくさん教えてほしいッス!」
「えっと、その……」
とにかくわたしは困った。何だか気に入られてしまったのはあまり悪い気分ではないけれど、わたしは麻雀部員でもなければ、人に教えられるほど麻雀を知らない。
「じゃあぜひ麻雀部に入ってください!」
けれど、調子のいいサナちゃんが部の勧誘を始めてしまった。
「マジッスか!? うれしいッス! じゃあよろしくお願いするッス!」
「いいよいいよ! ぜひおいで!」
二人ともにこにことまあ、すっかり意気投合してしまったみたいだ。そしてわたしはすっかり蚊帳の外になってしまった。
けれど、大事なことは忘れてはいけない。
「サナちゃん、ヒメリさんにもお金を返さないと」
このまま部室に行こうとするサナちゃんを引き留める。けれど、答えたのはキヨミだった。
「ヒメリならあたしのルームメイトッスから、あたしが渡しとくッスよ?」
「あ、いや、でも金額が金額だし――」
「何スか? あたしが信用ならないッスか?」
「そうだよ~ナナみん! キヨミちゃんに任せちゃって早く部室行こうよ~! 部長も待ってるよ!」
わたしは心底思った。――この人たちは相当なお人よしか、相当なバカだと。
そして、わたしは深い溜め息を一つついた。




