第102話 やみをきりさくあおいとり
わたしは、打倒シオリさんの目標を掲げて、ホムラさんとの特訓をすることになった。
特訓と言ってもすることは、しばらくホムラさんの部屋に厄介になって、雀荘、白詰荘のメンバーとしてお手伝いすることだった。
わたしが白詰荘で働くことを知ったルミコさんは、ものすごく不機嫌な顔になった。短期とはいえ、ガサが入れば一発アウトなのだから、ルミコさんの心情を察するに余りある。
けれど、ホムラさんは心配すんなと言うだけで、無理やり事を進めてしまった。
閑散期の昼間はメンバーとしてお客さん相手に打ち、繁忙期の夜はサービス対応に追われる、というのが主なスケジュールだった。
たまにヒカリさん、コオリさん、ハガネさんが開店前のVIPルームにやってくる。この卓が最も経験値が溜まるけれど、凌ぎ切るので精一杯だ。三人に本気で来られると、マイナスで終わることも珍しくなかった。
そして、一日の業務が終われば、VIPルームでホムラさん直伝の特訓が始まる。
「――お前、麻雀の三要素を知ってるか?」
初めての深夜レッスンの時、ホムラさんが尋ねた。
わたしが首を横に振ると、一応丁寧に説明してくれた。
「――麻雀の三要素は、デジタル、オカルト、そしてイカサマだ」
「はぁ、まあ一応どれも聞いたことのある言葉ですけど」
「――黙って聞いてろ」ホムラさんが人差し指を立てる。「まずはデジタル。確率と統計を基準に打つ技術、いわば最も効率的な打ち方をする技術だ。牌効率や場況判断、勝負の押し引きなんかがここに当たる。この技術が最も平等で、努力に比例して伸びる。俺が教えるより教本読んだ方がよっぽどためになるから、ここは勝手に勉強しろ」
聞いた限り最も大事そうな技術は、あっさりと自習になった。
ホムラさんは気にする素振りを微塵も見せず、二本目の指を立てる。
「――二つ目はオカルト。強運を引きずり込む力や運命を操る力だ。人によっては能力だの特性だの呼び方はいろいろあるが、超常的な力全般のことだ。インターハイで勝ち残るために最も重要な能力だが、持って生まれるか否かですべてが決まる。努力で何とかなるのは、自分の能力を伸ばすことだけだ。だから、自分で見つけて自分で鍛えろ」
また無責任な説明である。さすがに黙っていられなかった。
「あの、そもそもそんな力、本当にあるんですか?」
「――見てろ」
ホムラさんは誰もいない全自動卓を操作し、サイコロを振る。そして、出目に従って自分の取るべき場所から配牌を取って、手牌を開いた。
ホムラ
南風 東風 東風 西風 六筒 北風 東風 南風 九筒 北風 西風 三筒 南風 北風
「えっ!?」
わたしは愕然とすることしかできなかった。またホムラさんお得意のイカサマじゃないかと思った。
「――これぐらいのことは訓練すればできるようになった。ただ、一日に何度もできるもんじゃねぇし、実践じゃあ他のやつの影響もあるからこんなすんなりはそろわねぇがな」
「わたしにも、似たようなことできるようになるんですか?」
「――さぁな。俺は長年打ってきて、風牌に好かれて三元牌に嫌われることが分かってな。だから、寄せただけだ。小娘に何ができるかなんざ、俺が知るわけねぇだろ」
「じゃあ、牌の癖、みたいなものを探せばいいんですか?」
「――だろうな。特定の牌だったり、色だったり、メンツの構成だったり、役だったり。何に好かれて何に嫌われるか分かると、自分の持っている点運ってのは見えてくるもんだ」
「分かりました。これからは少し意識して打ってみます」
「――じゃあ最後だ」ホムラさんが指で三を作る。「三つめはイカサマ。通しやすり替えなんかの裏芸はもちろん、場を乱すようなチョンボやノーテンリーチなんかを使う技術がここになる。普通のやつは軽視しすぎるが、こいつが使えるか否かで力量差は歴然となる」
何か、薄々これが重要だと言い出すんじゃないかと思っていたけれど、案の定だった。ただ、ノーテンリーチなんかの罰符のリスクを負うテクニックもここに分類されるのが意外だった。
ホムラさんは、次が重要だと言いたげに目を細め、続きを語り始めた。
「――いいか、麻雀の三要素は三すくみの関係、つまり、ジャンケンと同じだ。デジタルは脳味噌を形作るグー、オカルトは強運をつかみ取るパー、イカサマは指を見せつつ怪しさを握り込むチョキ、といった具合だな」
「ジャンケン、ですか?」
「――ああ。デジタルはイカサマを封じることができる。オンラインなんかはそもそもイカサマできねぇし、リアルでも不審な動きや異常な牌姿なんかはすぐに気がつく。ルールに忠実なデジタルは、ルールに反する行動を取るイカサマに敏感で、簡単に現場を押さえられるってことだ」
ホムラさんが右手でグーを作ったりチョキを作ったりして説明する。
わたしはおもしろい例え話だな、と思って最後まで聞くことにした。
「だが、デジタルもオカルトには勝てねぇ。超常的な力で牌をいじられちゃあ、確率も統計もへったくれもねぇからな。インターハイに来るやつらはデジタルとオカルトを徹底的に鍛えてくるから、オカルトの強いやつが勝ち上がっていく。そりゃそうだよな、グーとパーだけで戦ってんだからな」
「つまり、チョキであるイカサマの技術が大切だって言いたいんですね?」
「――少し違ぇな。まあ最後まで聞け」
ホムラさんはポシェットから煙草の箱を取り出したけれど、じっとこらえてポシェットに戻した。
白詰荘はルミコさんが煙草嫌いということもあって、店内では全面禁煙なのだ。ホムラさんはルミコさんに配慮して店内では吸わないけれど、トイレに隠れて換気しながら度々吸っている。
「――あまり知られていねぇが、オカルトはイカサマにめっぽう弱ぇんだ。リンシャンで上がるのが得意なやつ相手ならリンシャンをすり替えればいいし、ドラ引きのやつならカン材とカンドラ仕込んでまとまらねぇドラを押しつければいい。相手の上がり牌を完全に読み切るやつ相手なら、リーチ後でも手牌をすり替えて上がり牌を変えればいいんだからな。どんなオカルト相手でも必ず弱点はあるし、何でも自由にできるイカサマならどんな弱点でも突けるからな」
「でも、大会でそれすると反則負けになりますよね?」
「――分かってねぇな。グーとパーしか出さねぇ相手なら自信を持ってパーを出せるが、チョキを出すかもしれねぇ相手ならパーを出すのも少しはためらうだろ? 実際にチョキを出すかは関係ねぇ。グーとパーしか出せねぇやつよりも、グーチョキパーどれでも出せるやつの方が強ぇってことだ」
「だから、チョキを出す練習をするわけなんですね」
「――ああ、だが、俺は大会でもチョキを出すがな」
「それでよく決勝まで残れましたね」
「裏芸なんざ使わなくても、ノーテンリーチ一つであいつらはビビるからな。大物手をチョンボで潰すのも、あからさまじゃなければしょっ引かれねぇし、それでペース崩れるやつも結構いるもんだ」
「そんなものなんですか?」
「――ああ、普通にインターハイ目指すやつらはチョンボやノーテンリーチの対処法なんざ練習しねぇからな」
何だか少し信憑性がないけれど、経験談なのだろうから何も言い返せない。
「――だが、シオリは違ぇ。あいつの頭にはノーテンリーチはもちろん、どこで裏芸使ってくるかすら織り込んでやがる。しかも反則ギリギリのラフプレーからちょっとした悪戯まで使いこなしてきやがる。デジタル、オカルトだけで優勝できるほど群を抜いて強ぇ癖に、イカサマもそこそこ強ぇから手が付けられねぇのさ。お前が勝とうとしているやつは、そういうやつだ」
わたしの脳裏に、清らかな笑顔がちらついた。
どこまでも抜け目がなく、勝利のためにあらゆる努力を尽くす。シオリさんはその領域を、デジタルやオカルトにとどまらず、イカサマにも広げてきた。
シオリさんのイカサマには、楽に勝ちたいという思想は微塵もない。どんな相手でも、いかなる技術を使われても、徹底的に戦って勝ち取るための手段の一つにすぎないのだ。
わたしは、そういう相手と『聖夜決戦』で戦う。
本当に、勝てるのだろうか。
「――今から案じても仕方ねぇだろ。お前には元々、グーである緻密なロジックを組み上げる頭脳と、パーであるここ一番で強運を引き寄せる度胸がある。それはお前自身が鍛えるとして、俺がチョキの出し方を教えてやるよ」
今までホムラさんに度々恐怖を覚えていたわたしだけれど、この時ばかりは頼りがいのある先輩に見えた。
ホムラさんは決勝で負けたということだから、わたしのサポートをしてくれるのはホムラさんなりのシオリさんへのリベンジなのかもしれない。
だから、その期待に応えたいと思った。
けれど、ホムラさんに教えられるのは、結局裏芸と呼ばれるイリーガルなイカサマばかりだった。
複雑な通しのサインはもちろん、牌を手の内に忍ばせる握り込み、手牌や牌山、河と場所を選ばないで牌を入れ替えるすり替え、挙句の果てには全自動卓では全く役に立たない牌山に自在に牌を並べる積み込みの技術まで、一通りはできるようになるまで教え込まれたのだった。
そんな忙しい日々は瞬く間に過ぎていき、気がつけば二週間は経っていた。
星愛女学院高等部の二大文化祭の一つである七夕祭の期間中は、結局わたしはずっと白詰荘にいた。高校生初めての文化祭に参加できなかったのは心残りだったけれど、ホムラさんやルミコさんと過ごす日々も充実していて不満はなかった。
ある日の深夜特訓の後、上階にあるホムラさんの部屋で、ホムラさんが煙草をふかしながら口を開いた。
「――俺も、そろそろ卒業しねぇとな」
何を見るわけでもなく、遠い目で灰を落とす。
わたしは目に染みる焦げ臭い煙に慣れることはなかった。けれど、部屋に泊めてもらっている以上、やめてほしいとも言い出せずにいた。
「ホムラさん、どうしてずっと留年してたんですか?」
それは、ずっと気になっていたことでもある。
ホムラさんは、見た目こそ柄が悪くて怖いけれど、物覚えもいいし頭の回転もいい。卒業できないのではなく、卒業しないという選択をし続けてきたのは明らかだった。
「――まあ、いろいろあってな。だが、ルミコのこともあるし、シオリやナギホも今年で卒業だ。ナスカのことは気がかりだが、もうJKも潮時だな」
煙草をもみ消すと、ホムラさんは立ち上がってクローゼットを開ける。
「――出かけるぞ。着替えろ」
「えっ? 今からですか?」
わたしの問いに答えることもなく、わたしのセーラー服を放り投げてきた。ヒカリさんに返してもらってから、一度も袖を通していない。
ホムラさんも、自身の制服に着替える。所々が裂けて血がにじんでいる青のセーラー服だ。
行き先は、自然と分かった。
――星愛女学院高等部。わたしたちのいるべき場所だ。
「女学院に帰るんですね?」
「――ああ、そろそろ期末考査だからな。さすがに出ねぇと卒業できねぇしな」
「あっ!」
そう言われれば、そろそろそんな時期だ。わたしはすっかり忘れていた。
「――お前も進学してぇんだろ?」
「もちろんです! でも、今日はもう終電終わりましたよね?」
疑問を口にしつつも、セーラー服に腕を通す。
やっぱり制服は着替えると、心も引き締まる思いがした。
「――いいからついて来い」
言われるがまま、ホムラさんの背中を追って白詰荘を後にした。ルミコさんに一言くらい挨拶したかったけれど、もう寝ているらしかった。
賑やかな繁華街を抜け、雑居ビルが立ち並ぶ路地を歩く。
そして、とある一画にたどり着くと、けたたましくシャッターを叩き始めた。
しばらくして、シャッターが開き、タンクトップの女性があくびをかみ殺して出てきた。
「なんだいホムラ? うちはとっくに店じまい済んでるんだけど」
「――俺のじゃじゃ馬に用があってな」
「ああ、整備も済んだし、ガソリンも入れておいたよ。あたしに言わせりゃ、優秀な駿馬だけどね」
「――今から出る。連れの分のメットも頼む」
「全く、どっちがじゃじゃ馬か分かったもんじゃないね」
タンクトップの女性は、わたしと目が合ったけれど、特に何か尋ねるわけでもなく、ホムラさんからお金を受け取って奥へと消えた。
ホムラさんはガレージの奥へと向かう。ついて行くと、競走馬ほどの大きさのある青い大型バイクがあった。
「まさか、このバイク――」
「――ああ、俺のだ」
「運転できるんですか?」
「――まあな。次の免許の更新はさすがに引っかかるだろうがな」
ホムラさんは、左手に息を吹きかけながら開いたり閉じたりを繰り返す。
彼女は左手を負傷しているのだ。おまけに右目が見えていない。心配を挙げればきりがなかった。
タンクトップの女性がヘルメットを二つ抱えて戻ってきた。促されるままにかぶって、ホムラさんに続いて乗車する。
ホムラさんの愛馬がうなりを上げた。
「ホムラ、グッドラック!」
「――また世話になる」
「ああ、待ってるよ!」
「――小娘、しっかりつかまってろ」
「はい!」
ホムラさんが大地を蹴ると、勢いよくバイクは走り始めた。
腹の底まで伝わってくるものすごい振動と、体全体にのしかかってくるGを感じながら、ホムラさんの愛馬は風を切って疾走する。
初めの頃はしがみつくのに必死だったけれど、時間が経つにつれて疲れるどころか楽になってきた。
風がすべてを洗い流してくれるように流れ、何物も追いつけない速度で走る疾走感がたまらなく爽快だった。
まるで、鳥になって飛んでいるようだった。
街の明かりは見る見るうちに遠ざかり、静かな草木のざわめきが聞こえるようになってきた。
次第に東の空が明るみを帯び始め、山間からわたしたちを照らし始める。
「ホムラさん!」わたしは風に負けないように声を張り上げた。「すごく気持ちいいですね!」
ホムラさんはそれに応えるように速度を上げた。
どんなに上り坂が続いても、力強く走っていく。
――きっとみんなが、わたしを待っている。
感謝の心も、謝罪の言葉も、みんなに伝えたいことはいっぱいあった。
けれど、『NANA☆HOSHI』のみんなに会ったら、素直な気持ちで言おうと思った。
――ただいま、と。