第100話 むほうちたいのかんりにん
『NANA☆HOSHI』の特殊牌、青鳥牌を使った第一半荘目の青い鳥麻雀は、無事わたしのトップで終わらせることができた。
結果的には、ホムラさんのイリーガルなサポートのおかげで勝ったようなもので、純粋な麻雀の実力ではヒカリさん、コオリさん、ハガネさんの三人には遠く及ばないことを痛感した。
「じゃあ次、行こっか!」
ヒカリさんが当たり前のように次のゲームを誘う。チップの枚数で一番へこまされているのに、本人は全然へこたれていない。
新しく場決めもし直そう、ということになり、風牌の握り込みによる場決めを行う。
席を移動するために立ち上がった時、着替えを抱えたホムラさんが部屋に入ってきた。
「ナナミさん、着替えをお持ちしましたので、こちらにお着換えください」
「――ありがとうございます」
「おっ、本丸が来たわね! ホムラ、卓に入ってよ!」
「……二抜けすから、僕が抜けるんすね」
「あの、わたし着替えるので、よかったら抜けますけど」
「……そりゃどうもす」
「ナナミちゃん、勝ち逃げかー」
「別にいいじゃないかしら。いつものメンツで打つのも」
「ナナミさん、いいんですか?」
「はい。その代わり、打ち方見せてくれませんか?」
「ええ、構いませんよ」
わたしは着替えを受け取り、先ほどの対局における場代と青鳥牌の使用料、合計5枚のチップをホムラさんに渡す。
「あとヒカリさん、これ、お借りしたチップです」
「えっ? 別にここ出る時でいいけど?」
「わたし、今日はもう疲れたので休もうと思います」
「そう? じゃあ受け取るわね」
最初に受け取ったチップ100枚は、ヒカリさんに建て替えてもらったものだ。ヒカリさんにそれを返す。
これでわたしのチップの持ち数は74枚だ。
「なるほど、だから飛び役を引き受けたのですね」
「……じゃあ次も飛び役担ってもらうすか」
「ちょっと! 次はあたしがトップ取るんだからね!」
「本当にトップラス麻雀の好きな人ですね」
「ほっといてよ! それよりホムラ、チップは?」
「先ほどナナミさんから受け取りましたけど?」
「私たち相手なら5枚で十分、という宣戦布告ですね」
「へー、いい度胸じゃない」
「……ホムラさんのそういうとこ、好きすけどね」
わたしが着替えている間に、今までと変わらない雰囲気でヒカリさん、コオリさん、ハガネさん、ホムラさんの青い鳥麻雀が始まった。
ホムラさんが入っても、和気あいあいとした会話を続けながら打っている。あまりの変わらなさに、本当に通しを送り合っているのか疑問だった。
けれど、対局中にホムラさんの右手がすっと動いたのをわたしは見逃さなかった。
――三、六筒、テンパイ。
その時のホムラさんの手牌はこうだった。
東一局 七巡目 西家 ホムラ 25000点 5枚 焼鳥 ドラ表示:五索
六萬 七萬 八萬 一筒 二筒 三筒 四筒 五筒 青鳥 赤一索 五索 六索 七索
ホムラさんの上がり牌は三、六筒、つまり、差し込めという合図だ。
その時、初めてホムラさんの立ち位置が分かった。
わたしに教えてくれた通しは、この三人の誰か、あるいは全員が知っている。つまり、わたしとホムラさんの結託も筒抜けだったのだ。
それでなお、わたしの味方になってくれたということは、答えは一つだ。
――ダブルスパイ。
わたしに正しい通しを送って信用させ、裏切って要所で嘘の情報を流す。そうやって三人を信用させた上で、わたしに一撃必殺を仕込んで一泡吹かせてやったのだ。
一巡も回らないうちに、ヒカリさんから三筒がこぼれた。
「ロン。ピンフ、チンニャオ、アカドラの7700と2枚です」
「何よ! 最初から本気出しすぎじゃない?」
「……この勝負もヒカリさんのラスすか」
「ハガネ、覚えておきなさい!」
内々に通じているのはヒカリさんらしかった。
その人選も優れていると感じた。
わたしが大勝ちして一番痛くないのはヒカリさんだ。わたしのチップはもともとヒカリさんのもの。わたしが勝っても貸したチップが返ってくるだけだ。
だから、ヒカリさんは裏切られてもさほど痛くないし、協力するメリットを十分に享受できると思ったのだろう。
わたしは着替えた後、休憩スペースのソファーからホムラさんの手牌を眺めていた。
ホムラさんは基本的に、そろいがいい時は素直に打って、どうにもならない手は防御よりも迷彩を重視してブラフを作っている。傍から見ればいつもいい手が入っている強運の打ち手に見えるだろう。
だからといって、いつもそういう打ち方をするわけではない。ターチャが攻めてくれば上手に防御に転じるし、愚形のリーチや非効率のフーロなどセオリー外のトリッキーなプレイもする。
けれど、結局そういう打ち方は、基本となっているきれいな手役の上がりを引き立たせるための戦術にすぎなかった。
「あれ? もう2時かー。あたし、ラスハンで。今日7時出勤で、さすがに仮眠取りたいのよねー」
三半荘目が終わった頃に、ヒカリさんが一つ伸びを入れてラスハンコールをした。
麻雀はメンツが足りなくなると困るので、雀荘ではメンツの時間調整のために、次の対局で抜けるという合図のラスハンコールをするのが礼儀らしい。
「……別に僕はこれで終わりでもいいすよ。引け前のトレードできるすし」
「ではこれでお終いにしましょうか」
「助かるわー! じゃあお先ー!」
最後の半荘でトップを取ったヒカリさんが場代を払って立ち上がった。
「ナナミちゃん、これからどうする?」
わたしのもとに来たヒカリさんが尋ねる。
どうすると聞かれても、正直何も考えていなかった。
「ヒカリさん、とりあえず今日は私がナナミさんのお世話をしますよ」
ホムラさんが青鳥牌と赤一索を回収しながら答えた。
「ルミコの次はナナミちゃん? あんたも好きよねー」
「あまり無理をしないでくださいね。私たちもいつでも力になりますから」
「……そうすよ」
「私たちって、あたしも入ってんの?」
「当たり前でしょう。そもそも、『家出少女拾ったー』って言い出したのはあなたじゃないですか」
「まあねー」
ヒカリさんが笑顔で部屋を出て行った。みんなも続いて部屋を出て、それでお開きになった。
残ったチップをカウンターにいるルミコさんに返却すると、『わたしが預けていたお金』として分厚い封筒を渡されて身が震えた。トイレでこっそり改めると、74万円入っていてさらに悪寒が走った。
その後、どうしていいか分からないわたしは、ホムラさんに言われるまま店内に残って雀荘の様子を眺めていた。
昼間は大学生らしいグループ一卓しか動いていなかったけれど、夕方から夜にかけてはそこそこ繁盛していた。ルミコさんの料理目当てで来るお客さんも多くて、飲食店みたいに料理だけ食べて帰る人も結構いた。
日付が変わる少し前にお客さんはいなくなり、閉店してから店内の掃除を済ませ、ホムラさんの勤務が終わった。
「ホムラ、今日もありがとう」
ルミコさんがホムラさんにねぎらいの言葉をかけた。その時だけは、無愛想な表情から年相応の感謝の笑顔になっていた。
「いいえ、それが私の仕事ですから。では、着替えてきますね」
一言残して、ホムラさんがバックヤードに向かった。
「ホムラから聞いたわ。あなた、星愛女学院の高校生で、あたしより年下なんですってね」
昼間働いている時の姿とは打って変わって、ルミコさんは優しい声で語りかけてくる。
「……あの、すみませんでした」
「別にいいわ。あなたは悪くないもの。悪いのは全部、あの三人なんだから。でも、あたしも同罪ね」
こんなにもきれいな同年代の女性の愁いを帯びた表情を見るのは初めてだった。
「その、本当にすみませんでした」
「そうじゃないの」グラスに口をつけて、ルミコさんは続ける。「うちはね、テンゴって言って、レートは1000点で50円なの。でもあの三人の卓は、その200倍の超高レートな卓なのよ。違法なのは分かってるけど、200倍の場代のおかげでこの店が持っているようなものだし、ホムラの友人だから無下に断れなくて」
複雑な心境を吐露するルミコさんの吐息に、わたしは何と答えていいか分からなかった。
「実は、あなたみたいな人は初めてじゃないの。あの三人も本気でむしる気はないみたいで、学校にも行かずに遊んでいる学生を誘っては怖い思いをさせて学校に帰すんだって。そのやり方もどうかと思うけど、学校に行きたくても行けないあたしはそういう子にもあんまり同情できないし」
「でも、どうしてわたしにそんなことを……?」
「今はそういう気分なの。あの卓をプラスで終えたのは、あなたが初めてだったから」
「でも、あれは――」
「ホムラの助けもあったから、でしょ? グラスが割れる音がしたら入って来い、ですもの。それぐらいの後片付けやってよ、って思ったけど、きっと何かあるんだな、とは思ったわ」
わたしがブッコ抜きをする瞬間を作ってくれたルミコさんの訪問も、ホムラさんの戦略のうちらしかった。
すると、あの役満は何もかもが抜け目なく仕組まれていたことになる。
すり替えや積み込み、それをするためにワゴンをぶつけて牌山を崩したのはもちろん、仕込まれた青鳥牌や赤一索はそもそもホムラさんのものだから予備をいくつも持っていてもおかしくないし、ブッコ抜きをしたことのないわたしがそれをする隙を作るところまで手を回していたのだから、恐ろしく緻密に計画して実行されたことになる。
「そんな顔しないで。誰かを味方につけるのも、実力のうちよ。まして、あのホムラを味方につけるなんて、普通の人にはできないわ」
わたしが浮かない顔をしていると、妖艶な表情で慰めてくれた。
わたしと一歳しか違わないのに、ルミコさんはずいぶん大人びて見えた。
それがとても魅力的だったから、ついわたしは尋ねてしまった。
「ルミコさん、どうして開店中はいつも不機嫌そうな顔してるんですか?」
「えっ? ああ、あれね。ツンデレって言うの? ホムラがそうした方がお客さんにウケるって。それで何人か常連さんもできたし。まあ実際、あの三人には腹立つけどね」
何かものすごくいろいろと突っ込みたいけれど、お客さんにウケているようだから、わたしがとやかく言うべきではないと思った。
「――おい小娘、メシに行くぞ」
バックヤードから出てきたホムラさんは、わたしの知っている姿と声をしていた。
床にこすれそうなほど長く赤黒い髪に右目の刀痕、そして、その奥にある紅い瞳。
服装こそ違うけれど、紛れもない煉獄の女王だった。
「えっ? 今からですか?」
「夜食ぐらいあたしが作るけど?」
「ちょっと小娘と話がしたくてな」
ホムラさんはわたしたちを一瞥しただけで、そのまま雀荘の出口に向かう。
「ちょっと、ホムラさん!? ルミコさん、今日はお世話になりました」
「いいえ、卒業したらまた遊びに来てね」
わたしはあわててホムラさんの背中を追いかけた。