第99話 うんめいごろしのあおいとり、そしてけっちゃく
前局、わたしはようやくものにした。
バイマンも、一人ヤキトリの回避も、連荘も。
そして、『無敵の女神』の勝負勘も。
ヒカリさん、コオリさん、ハガネさんの包囲網を突破し、やっとこの半荘で上がることができた。
そのおかげで、わたしが一人だけヤキトリ状態という最悪な事態は脱したのだ。
もっとも、焼き直しが成立したので、全員ヤキトリ状態に戻った。そこは注意しなければならない。
そして、わたしはトップであるコオリさんからバイマンを出上がり、大量の点棒を奪取した。
あとは残り局数を早上がりで流すだけでいい。
けれど、このメンツ相手にそれは険しい道のりである。
加えて、問題点はもう一つある。チップの枚数だ。
わたしは前局、大きな上がりを見せたけれど、チップは1枚しか動いていない。
このままゲームが終了すれば、トップの30枚に加え、素点が+13ポイントなので、43枚のチップを獲得できることになる。
大きくチップを取り返せるけれど、合計で84枚。最初の100枚には届かない。
残りの16枚以上を獲得するとなると、チップ4枚以上のツモ上がりが必要になる。
だから、これからの勝負はチップを意識したツモ上がりを重視した方がいいだろう。
わたしは開門のサイを振る。出目は8。カミチャのハガネさんの前から配牌を始める。
東四局 一本場 一巡目 ナナミ 44900点 41枚 焼鳥 ドラ表示:八萬
一萬 二萬 三筒 八筒 二索 二索 四索 四索 五索 六索 南風 西風 白板 紅中
配牌は役もドラもないスーシャンテン、か。
早上がりは期待できない。リーチをかけるにしても、待ちの多い多面張は難しそうだ。
とりあえず今の段階では、メンゼンで手を回して、良形テンパイになったらリーチをかける、というのがわたしの考えうる最善の戦術だ。
まず、わたしは西を切り出した。
「ちょっとホムラ、ウーロン茶ちょうだい!」
ヒカリさんがツモりながら、本棚の整理をするホムラさんに注文した。
「では私もアイスティーをいただきましょうか」
「……梅昆布茶を頼むす」
「あんた渋いわね」
「……いや、僕冷たい飲み物ダメなんすよ」
「そういえばあんた、真夏でも熱いお茶飲んでるわよね」
「去年の夏、みんなでビーチに行った時も、海の家の人に頼み込んでいましたね」
「あー、あったあった! あれはさすがに引いたわー」
「……いいじゃないすか、別に。それより、ナナミさんも何か頼んだらどうすか?」
「えっ? それじゃあ、――コーラをお願いします」
相変わらず通しなのか本当に単なる雑談なのか、傍から聞いているだけではまるで区別がつかない。
「かしこまりました。少々お待ちください」
ホムラさんも相変わらずの恭しい対応で部屋を出て行った。
彼女がわたしの味方らしいことは、前局で明らかになった。
この場に味方が一人いるのは心強い。
けれど、そうすると再三ホムラさんに注文するヒカリさんが不自然に見えてくる。
まるでわたしとホムラさんの内通関係を疑い、ホムラさんが部屋に長居しないように注文しているように見えてしまう。
東四局 一本場 六巡目 ナナミ 44900点 41枚 焼鳥 ドラ表示:八萬
一萬 二萬 三筒 二索 二索 四索 四索 五索 六索 八索 九索 白板 紅中
ツモ:四索
手をソーズに寄せていったおかげで、結構形がまとまってきた。
わたしの捨て牌はソーズが高いからそのあたりが出てこなくても、まだマンズやピンズ待ちの可能性も残っているので、そちらを出上がり候補にもできる。
ツモの可能性が高い多面張ができればツモ狙い、マンズやピンズが余ったらロン狙いでリーチをすればいい。
この局でチップは期待できなくても、連荘すれば次につながる。
ファンパイもそろそろ落とし時だ。
わたしは中を丁寧につまみ、河へ差し出した。
「ポン!」
すかさず、ヒカリさんが鳴いてコーツを固める。
――ここに来て、リーチばかり仕掛けていたヒカリさんがフーロ、か。
ヒカリさんは10200点の最下位だから、少しくらい素点を回復したいのだろう。
わたしが一人だけヤキトリでなくなった今では、三人にとってヒカリさんをハコテンにしてゲームを終わらせるメリットはない。
裏を返せば、わたしがヒカリさんを飛ばしてしまえばいい。一回のツモ上がりではなかなか厳しいけれど、出上がりを狙えばマンガンでいいのだ。
それは、ヒカリさんだって分かっているから、早上がりで流しにきたのだろう。
前のめりになっている今がチャンスだ。
そう思ったけれど、そんな簡単な話ではなかった。
「ポン! やっとあたしにもツキが回ってきたんじゃない?」
ヒカリさんが再び鳴きを入れる。その牌は、コオリさんの捨てた發だった。
――まさか!
嫌な予感が喉元をせり上がってくる。
發と中のポン。行方知らずのションパイの白。
ここで急に顕在化してきた役満ダイサンゲンの気配。
そのせいで、わたしの手牌は瞬く間に生気を失った。
とてもではないけれど、わたしの手中の白はもう切れない。白タンキ待ちに構えても出上がりなんて夢のまた夢だ。
――また、足を止められてしまった。
幾度となく大物手の気配を臭わせて、下りる、または回す手を選ばせてくる。
今回ほど露骨でなくても、今までずっとこの三人にはそういう打ち方をされ続けていた。
積極的なリーチ、的確で効果的なフーロ、そして打ち方を柔軟に変化させて相手を翻弄する立ち回り。
そうやってプレッシャーをかけ、危険な気配を察知して防御に回れば、その隙をついて上がってくる。
この卓にいる三人はその技術がとてつもなく優れているのだ。
――だから、ホムラさんはわたしに通しを教えてくれたんだ。
どんなに高得点を臭わせた手だって、どんなに巧みなブラフだって、上がり牌が分かってしまえば怖くない。
本来は、修練を重ねて手に入れた技術と、実践を積み上げて身につけた経験が、相手のプレッシャーに打ち勝って上がりに向かう自信を支えてくれる。
けれど、今のわたしには足りない。
そんなわたしに、ホムラさんは付け焼き刃の勇気を与えてくれたのだ。
止まってしまうわたしの足を進めるための、背中を押す彼女の支援が、今は欲しい。
東四局 一本場 八巡目 ナナミ 44900点 41枚 焼鳥 ドラ表示:八萬
一萬 二萬 三筒 二索 二索 四索 四索 四索 五索 六索 八索 九索 白板
ツモ:七索
――いよいよ、正念場だ。
ヒカリさんのダイサンゲン気配のせいで白は切れないにしても、他のソーズ以外の牌もそう簡単に切れない状況だ。
コオリさんの河はマンズが高い。おそらく、マンズの染め手。しかも發を捨てたということは、最悪チンイツをテンパったかもしれない。
ハガネさんは他の二人に上がりを譲るような引いた打ち方をしている。彼女にはどんな牌も通りそうだけれど、油断はできない。
かろうじて三筒は通りそうだけれど、それを切ってしまうといよいよ打つ手がなくなってくる。
どうせソーズを崩して回すなら、今のタイミングがいいかもしれない。
――いや、違う。弱気になっちゃダメだ。
白とマンズが切れないなら、この手はどう考えても三筒切りだ。
わたしは三筒を叩き出した。
ここでソーズを切り出せば、三人は確実にわたしの心理を読み切るだろう。
ソーズの染め手を張ったとは思わない。染め手を諦めて回したと嗅ぎつけてくる。
だからまだ、ここは前へ進む。
わたしが打牌すると、煉獄の女王が戻ってきた。
「失礼します。飲み物をお配りしますね」
ホムラさんがワゴンを押しながら、卓を回り始める。
次巡、わたしはツモって手牌にツモ牌を重ねる。
引いてきたのは三萬。ここで要所を引き入れた。もちろんテンパイは見送って回す。
その時、ガタン! と卓が揺れた。
ホムラさんがワゴンをわたしの左側にあるサイドテーブルにぶつけ、その振動が全自動卓まで伝わったのだ。
その衝撃で、牌山の端が至る所で崩れる。わたしの手牌の上に載せていたツモ牌もポロっとこぼれ落ちた。
さらに、ガチャンとコオリさんのアイスティーが倒れて床に落ちた。
「ちょっとホムラ、何してんのよ!」
「ご、ごめんなさい!」
ホムラさんがあわてふためきながらわたしの目の前の山の左端を積み直す。
コオリさんは卓の下にかがんでグラスを確認し、ヒカリさんとハガネさんも自分の山や河の牌を補修する。
わたしも、崩れた牌山と倒れた手牌を元に戻す。
その時、ホムラさんの魔法がかかった。
東四局 一本場 九巡目 ナナミ 44900点 41枚 焼鳥 ドラ表示:八萬
赤一索 赤一索 二索 二索 四索 四索 四索 五索 六索 七索 八索 九索 白板
ツモ:六索
――えっ!?
わたしの手牌からマンズがすっかり消えていた。
ツモ牌は、もしかしたらこぼれた時に崩れた牌山と入れ替わってしまったのかもしれない。
けれど、左端2枚は明らかにおかしい。崩れた牌山と入れ替わったという次元をはるかに通り越して何者かの意図が乗り移ったような牌姿だ。
そういえば、わたしの牌山の左側はホムラさんが直していた。
普通、牌山に触ればそこに何か仕掛けをするのではないかと疑われる。
けれど、今は結構な惨事で、みんなそこまで気が回っていないようだった。
きっと、その一瞬の隙をついて、山を直した右手を引っ込める時に、わたしの手牌の左2枚をどこからか握り込んだ赤一索とすり替えたのだ。
わたしはホムラさんを横目でちらっと見た。
そのあわてふためく姿は作為があるどころか、無邪気であどけなくさえ見える。
さらに、ホムラさんはサイドテーブルに乗せていたコーラのグラスに手を引っかけて倒してしまった。
「きゃっ!」
幸い、グラスはわたしの太ももに落ちたので割れなかったけれど、盛大にコーラがかかってしまった。
「ナナミさん、ごめんなさい!」
「ちょっとちょっと! それ、あたしの服なんだから汚さないでよね!」
「……ホムラさん、落ち着くす」
てんやわんやの中、わたしの太ももに落ちたグラスを拾いながらホムラさんは耳打ちした。
「――左2枚をブッコ抜け」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
イカサマの一つに、ブッコ抜きという手法がある。前提として全自動卓ではなく手積みの卓で行うイカサマだ。
まず、自分の牌山を積む時に、牌山の左端2枚に予め欲しい牌を積み込んでおく。例えば自分が親ならば東2枚、といった具合だ。
次に、サイコロを振る時に配牌で自分の牌山がなくならないような出目を出す。
配牌を済ませ、他の三人が理牌に気が向いている隙を狙って、自分の手牌の不要な2枚、例えば浮いたヤオチュウハイなどを右手に握り込む。
そして、牌山を前にずらす動作をするように見せかけながら、不要な2枚を牌山の右端につけ、左2枚の牌を手中に収める。
そうすることで、不要な2枚を処理すると同時に、有効牌2枚を引き入れるのだ。
積み込みとすり替えを組み合わせた比較的簡単なイカサマで、素人でも簡単に覚えることができる。
けれど、今はまるで状況が違う。
まず、これは全自動卓なので左端2枚に有効牌を仕込むことができない。
そして、局が進行しているので、牌山に触れようものなら簡単にすり替えているのがバレてしまう。
――いや、逆に今しかないのかもしれない。
わたしの前の牌山は、左2枚がホムラさんの手によって修復された。つまり、有効牌が眠っている可能性が高い。
けれど、いくらみんなが浮き足立っているとはいえ、簡単にブッコ抜きはできない。
卓の下にいるコオリさんはともかく、ホムラさんに集中しているヒカリさんとハガネさんの視線をかいくぐるのはあまりに無謀だ。
「ちょっと、すごい音して騒がしいけど何かあったの?」
わたしたちの騒ぎが気になったのか、部屋の扉が開いてルミコさんが顔を覗かせた。
その一瞬、みんなの注意がルミコさんに向いた。
わたしは考える間もなく、手牌の右2枚を素早く握り込んで牌山の右につけ、左2枚を手のひらに収めた。
「ちょっとルミコ、おしぼりいただけるかしら?」
「えっ? ――ちょっとコオリさん! 片付けはあたしがしますから触らないでください!」
「すみませんオーナー!」
「いいからいいから、ホムラも動くと危ないからじっとしてて!」
ルミコさんがあわてて拭く物を取りに戻る。
「すみません、ナナミさん。上階の私の部屋から着替えを持ってきますので、少々お待ちください」
ホムラさんもルミコさんの言いつけを聞かず、部屋を出ていってしまった。
「いやー、久しぶりに見たね、ドジっ娘ホムラ」
ヒカリさんがおもしろいものでも見たと言わんばかりに笑っている。
「無理もありませんよ。ホムラは右目が不自由で距離感がつかみにくいでしょうし。」
「……最初は狭い店内でワゴンもどうかと思ったすけど、確か震災で左腕を大ケガして自由が利かないんすよね?」
「そうそう、だから注文を二つ以上するとホムラはワゴン使わなきゃダメなのよ。あんたたちも気遣って注文控えなさいよ」
「あなたがそれを言いますか……」
「えっと、次誰だっけ?」
「……ナナミさんすね」
「は、はい。打っていいですか?」
「ええ、お願いします」
とりあえず、卓の上は平穏を取り戻したようだった。
けれど、この惨事の中で、わたしの手牌は化け物手へと変貌していた。
東四局 一本場 九巡目 ナナミ 44900点 41枚 焼鳥 ドラ表示:八萬
青鳥 赤一索 赤一索 赤一索 二索 二索 四索 四索 四索 五索 六索 七索 八索
ツモ:六索
ホムラさんの魔法があまりに露骨すぎて逆に心配になってしまうけれど、一応二、四、七索待ちのテンパイだ。
もちろん、鳴きの一択である。
「カンです!」
わたしは一索でアンカンをした。
三人が驚愕の表情を見せた。その真意は分からなかったけれど、わたしは何も気づかないふりをしてリンシャンパイをツモった。
そして、手牌を倒した。
「ツモです! メンチン、リンシャン――」
「チンニャオジャイホウ。一索のリンシャンカイホウですから、役満です」
「いいじゃない。どっちにしても数えで役満よ」
和了形 ナナミ ドラ表示:八萬、九索
二索 二索 四索 四索 四索 五索 六索 七索 八索
副露:暗槓一索
ツモ:二索
チンニャオジャイホウ 5枚
役満 16000オール 5枚オール
積み棒:1本
ナナミ 44900+48300= 93200点 56枚
ハガネ 27900-16100= 11800点 95枚 焼鳥
コオリ 17000-16100= 900点 133枚 焼鳥
ヒカリ 10200-16100=- 5900点 88枚 焼鳥
「あれ? あたしハコじゃん! あははー、参ったわね」
「……ヒカリさんがハコテンなんて珍しいこともあるんすね」
「私は素点では何とか飛ばずに済みましたね。」
「だいたい、親バイ振ったコオリがなんでハコじゃないのよ!」
「まあ、打ち筋の繊細さの差じゃないでしょうか?」
「どうせあたしはガサツですよ!」
わたしが役満を上がった後でも、ヒカリさん、コオリさん、ハガネさんはいつもと同じようなやり取りをしていた。
『NANA☆HOSHI』では役満なんて出ようものならみんなで大騒ぎするけれど、この人たちにとって役満は一つの上がりにすぎないようだ。
過度に騒いで自分のペースを崩すようなことは決してしない。そこにも三人の強さが表れているようだった。
モップやバケツを持ってきたルミコさんが床の後片付けをする中、このゲームの最終清算を行う。
最終集計 オカ20、ウマ5・10、ヤキトリ10オール
ナナミ 123200点 (+93) 179枚
ハガネ 12300点 (-18) 67枚
コオリ - 4100点 (-34) 89枚
ヒカリ - 15900点 (-41) 37枚
最終的には、素点でもチップでもわたしが大きく引き離して勝利を収めた。
最後の役満でかなりチップを稼いだ上に、オカで+20、ウマで+10、三人はヤキトリなのでわたしは+30とボーナスも大量に入る。
わたしは安堵の溜め息をこぼしたけれど、すっきりはしなかった。
「……どうしたんすか? 大勝ちしたのに、浮かない顔すね」
「あ、いえ、その……」
「ナナミちゃんは気にしなくていいわよ。久しぶりにいいもの見せてもらったから」
「そうですね。あと、ホムラにお灸を据えなければいけませんね」
「……まあいつものことじゃないすか」
「いやー、でもホムラを本気にさせると怖いからねー」
すべてを知っているのか知らないのか分からない三人の会話に、わたしはただただ居たたまれない気持ちで頭をすくめることしかできなかった。