第95話 しあわせをはこぶぱい
わたしがヒカリさん、コオリさん、ハガネさんの待つVIPルームに戻ると、三人は相変わらず談笑していた。
談笑していると言っても、しゃべっているのは主にヒカリさんとコオリサンで、ハガネさんはスマホをいじりながら適当に相槌を打っている。
わたしを見つけたヒカリさんは、コオリさんとの話を打ち切って、わたしに話題を振る。
「ねー、ナナミちゃん、星女高の『NANA☆HOSHI』って知ってる?」
わたしはどきりとした。どうしてそんな話が出てくるのか理解できなかった。
「えっ!? ――まあ、少しは」
わたしがあいまいに濁すと、ヒカリさんが嬉々として話を続ける。
「星女高の『NANA☆HOSHI』ってインターハイ二連覇中なんだけどさー、あそこ、いろいろローカルルールとかローカル牌も作っているんだけどね、今日もそれやろうかなー、って話してたの」
「はあ、そんなに有名なんですか? 『NANA☆HOSHI』のローカルルールって」
「星女高は聖夜祭で麻雀をするでしょう? あのライブ配信で毎年ネットで話題になっているんですよ」
「さすがに星牌の麻雀は無理だけどさー、別のローカル牌ならホムラが持ってるから、ここではそれが打てるのよ」
「ホムラさんが、ですか?」
「ええ、ホムラは『NANA☆HOSHI』の部員みたいですからね」
「そうなんですね」
コオリさんに言われるまでもなく知っていた事実だけれど、わたしは自然なリアクションを装った。
それよりも、その別のローカル牌の方が気になる。
「それで、どんな牌なんですか?」
「赤一索よ」
――赤一索、ということは、普段赤牌として使われる数牌の五の代わりに数牌の一が使われるということだろうか?
けれど、それだけでは星愛女学院の有名なローカル牌の一つと言われるようなものではない気がする。
「あと何だっけ? チンーー」
「チンニャオ、ですね。漢字で青い鳥と書くそうです」
「ニャオって、猫じゃなくて鳥なのにニャオって……!」
ヒカリさんが何やらツボにハマったらしく、笑いをこらえ切れていないようだった。
ヒカリさんとまじめに付き合っていると話が進まなさそうなので、コオリさんに尋ねることにする。
「青い鳥、ということは、青い一索ですか?」
「ええ、赤五と同様に、通常の一索の代わりに赤一索3枚と青鳥牌を入れ替えて使うのです」
「赤一索は赤ドラですよね? その、青鳥牌はどう使うんですか?」
「青鳥牌も赤一索とは大差ないので、一翻付いてご祝儀1枚もらえます。ただし、青鳥牌はドラではなく手役なので、青鳥牌を持っているだけでも上がれるのです」
「なるほど、そうなんですね」
通常、ドラは手役ではなくあくまで上がった時のボーナスなので、手役がなくてドラだけだと上がれない。
けれど、青鳥牌はそれを持っているだけでチンニャオという役がつくので、他に手役がなくても上がれるということになる。
例えば、一索でカンをしようものなら、チンニャオ、アカ3のマンガン手があっという間に作れてしまうわけだ。しかも、青鳥牌と赤ドラのご祝儀でチップも4枚もらえることになる。
中途半端にタンヤオもチャンタも遠い手牌でも、青鳥牌1枚であっという間に食い上がりもできる。クズ手でも場を流せる強力な牌になるわけだ。
「あと何だっけ? 青い鳥使った役満あったよね?」
「ええ、一索でリンシャンカイホウをしたらチンニャオジャイホウ、一索でチャンカンをしたらショウニャオチャンカンと言って、役満になるんです」
「コオリ、よく覚えているわね」
「ええ、青い鳥が花を摘む、鳥を狩る槍槓、ってなかなかおしゃれな名前ですもの。それよりも、ヒカリは覚えなさすぎです」
名前はともかく、一索でカンをすると役満を上がれるチャンスにもなれば、役満を振り込むリスクにもなる、ということだ。
どこまでも、一索がカギになる。だからこそ、ソーズの危険度が上がり、その偏りがまた心理戦のスパイスにもなる。
「ハガネもやりたいでしょ? 青い鳥麻雀」
「……ああ、いいよ」
今まで沈黙を決め込んでいたハガネさんも、さすがにヒカリさんには簡潔に反応する。
そうこうしていると、ホムラさんがVIPルームに入ってきた。
「皆さん、何か飲み物でもいかがですか?」
ホムラさんが微笑んで尋ねる。さっきまでの鋭い視線と威圧感、ドスの利いた声が嘘のようだった。
「ホムラ、いつものあれ、青い鳥お願い!」
「ヒカリさん、あれは私の私物なので、当店のサービスではございません」
「いいじゃん、堅いこと言わないでよ! ナナミちゃんにもルール教えたし」
ホムラさんがわたしに目線を送る。迫力も牽制もない、普通の店員さんのような確認を取る視線だ。
わたしがこくりとうなずくと、ホムラさんは嫌々といった深い息をついて、ポシェットから牌を取り出した。
ヒカリさんやコオリさんが言うように、それは赤い一索と青い鳥の刻まれた牌だった。
青鳥牌は単に青いだけの一索ではなく、デザインが全然違う。それも『NANA☆HOSHI』のこだわりだと思うと、何だか切ない気分になってきた。
「使用料として、半荘ごとにトップ者からチップ1枚いただきますけど、よろしいですか?」
「お、ホムラ、ちゃっかりしてるー!」
ヒカリさんがご機嫌そうに茶化しながら、点棒箱からヤキトリマークを出して卓上に置く。コオリさんとハガネさんも当然のように倣う。
「ヤキトリありなんですか?」
わたしも自分のヤキトリマークを取り出しながら尋ねた。
ヤキトリと言えば、単に半荘中一度も上がれなかったという意味もあるけれど、対局によっては最後にヤキトリの人は罰符を払うというローカルルールもある。
「ルールきちんと教えていないじゃないですか」
ホムラさんがあきれた溜め息をつく。
「あははー、一応役は教えたんだけどねー」
「青い鳥麻雀では、ヤキトリはチップ10枚オールです。焼き直しとヤキブタはありです」
「焼き直しとヤキブタですか?」
「全員がヤキトリを回避したら、再び全員ヤキトリになるのが焼き直しです。オーラスで放銃し、焼き直しになった場合に、放銃者が責任を取って一人だけヤキトリになるのがヤキブタです」
ホムラさんが流れるように説明する。雀荘のメンバーとして慣れているような簡潔で要所を押さえた説明だった。
このルールは心に留めておいた方がいい。
ヤキトリでチップ10枚オールということは、全員にチップ10枚渡すということだ。つまり、一度で一気に30枚減ることもあり得るのだ。
わたしの残りチップ数は42枚。一人ヤキトリで終われば、素点とウマを合わせて23000点未満の3位だった場合、一発でチップが足りなくなってしまう。
今までと同じ轍を踏めば、最悪のケースは十分に起こりうる。
――絶対に、負けられない。
今まで忘れていた感情が、今日初めて喚起される。
ホムラさんが普通の一索を抜いて赤一索と青鳥牌を加え、かくして青い鳥麻雀が始まった。
チーチャはヒカリさん、順にコオリさん、ハガネさん、わたしという順番で対局が始まった。
ヒカリさんの第一打は八筒、コオリさんは一萬、ハガネさんは八索だ。
このくらいレベルの高い卓になってくると、みんな簡単に第一打から字牌を捨ててこない。
字牌は同じ牌を2枚以上集めないと手の内で使えないので、初心者はまず効率面から字牌を落とすのがセオリーだ。
けれど、役牌がトイツになれば鳴きで一翻つくし、客風でもトイツになればピンフの頭や回す時のアンパイ候補にもなる。
他にもホンイツにチャンタ、トイトイなどの役の受け入れもよくなるし、タンキ待ちやイッパツ対策など、字牌にはいくらでも使い道があるのだ。
そういうすべての考慮を俯瞰して、天秤の釣り合いが崩れた時に初めて字牌を切るのだ。
わたしは第一ツモに手を伸ばし、手中に収める。
東一局 一巡目 北家 ナナミ 25000点 42枚 焼鳥 ドラ表示:五萬
四萬 六萬 九萬 一筒 四筒 六筒 七筒 二索 三索 三索 七索 七索 東風
ツモ:九萬
配牌は役なしドラ1スーシャンテン。九萬ツモでサンシャンテンだ。
あまりよくないけれど、二、三索があるので一索の受け入れができる。
青鳥をツモってさっさと流せば、ヤキトリが回避できる上、流れのリズムが作れる。
赤一索ツモなら、リーチで十分だし、四索でも単純にシャンテン数が下がるから悪くはない。
チャンタは遠いし、東が重なれば特急券になるからギリギリまで持っておきたい。
わたしは一筒を河に差し出した。
次のヒカリさんの番。さっさとツモを終わらせて手出しで北を出す。
「……ポン」
コオリさんのツモへ伸ばす手を遮って、ハガネさんが鳴きを入れる。
――今までずっとメンゼンだったハガネさんが、今日初めて鳴いた。
しかも、北はわたしの風。ハガネさんの客風だ。
これほど早い客風の食い仕掛けは、よほどいい手か役牌バック(ファンパイの後付け)に違いない。
そして、ハガネさんは四筒を捨てる。もうこのあたりの牌が出てくるのか。
二、三巡と無駄ヅモが続き、五巡目で中をツモ切った時だった。
「リーチ!」
ヒカリさんがお得意の先制リーチをかます。
五巡目のリーチも、わたしが捨ててからリーチ発声までの時間も、ヒカリさんは、とにかく何もかもが早い。
対して、コオリさんは変わらないリズムで丁寧に淡々と処理する。手出しの三萬切りだ。
「……チー」
ここで、ハガネさんが再び動く。コオリさんの三萬を拾い、一、二、三萬を作って七筒を切り捨てた。
「ちょっと! イッパツ消しはやめてよ!」
「ヒカリは調子づくと怖いですからね」
「何よ、その狙って鳴かせました、みたいな態度は?」
まさか、本当にイッパツ消しのためのフーロではないだろう。
そうなると、ハガネさんはホンイツか、チャンタの線が濃い。九萬や東はもう通りそうにないから、このあたりのシャンポンを落としどころに手作りしたい。
それよりも、親リー相手に迷わず七筒切りか。いくらヒカリさんには若干ピンズが安いとはいえ、わたしにはなかなかああいう打ち方はできない。
わたしは赤五萬をツモって、ノータイムで七筒を合わせ打ちする。
「ほら、ナナミちゃんがまた堅くなったじゃない」
「それはあなたがリーチをしたからでしょう?」
「……ロン」
和了形 ハガネ ドラ表示:五萬
七筒 九筒 青鳥 二索 三索 白板 白板
副露:三一二萬、対北風
ロン:八筒
チャンタ 一翻
チンニャオ 一翻 1枚
30符 二翻 2000 1枚
供託:1本
ハガネ 25000+3000=28000点 102枚
ナナミ 25000点 42枚 焼鳥
コオリ 25000点 140枚 焼鳥
ヒカリ 24000-2000=22000点 88枚 焼鳥
一瞬ひやりとしたけれど、合わせ打ちは理論的に絶対ロンされない牌だ。
冷静に河を見ると、ヒカリさんがすでに八筒をツモ切りしていた。ハガネさんはそこから出上がったのだ。
「あんた何上がり牌寄せてるのよ!」
確かに、ハガネさんは七筒切りからのこの待ちなので、七筒、白のシャンポン待ちから九筒を引いて、カン八筒に切り替えたことになる。
八筒は親であるヒカリさんの現物だ。そこに上がり牌を寄せてきたということは、確実にヒカリさんから下りた人を狙い撃ちにしている。
「……チャンタ狙えば、これくらい普通すよ」
ハガネさんはしれっとした態度で言ってのける。
「よく言うわよ。青鳥で出上がりできるんだから待ちの多いシャンポン一択でしょ。白ションパイだし」
いらだちを少し声ににじませながら、ヒカリさんは手牌を崩した。
「2000と1枚す」
「はいはい」
点棒とチップの授受を終え、すぐに時局が始まった。