第10話 いっつーとそめて
さて、南場最初の山場だな。
あの小娘は前局、役満手を張った。俺の上がりで一蹴できたが、一歩間違えれば逆転を許していただろう。
そして、この局は俺の親番。俺が攻めるにも、やつが攻めるにも絶好の機会だ。
南二局 一巡目 東家 ホムラ 56700点 ドラ表示:九萬
三萬 五萬 九萬 四筒 七筒 二索 三索 四索 六索 六索 七索 八索 紅中
ツモ:八筒
配牌は高めでタンピンのリャンシャンテン。通常は配牌でサンシャンテンかスーシャンテンになることが多いことを考慮すると、この手は悪くない。
問題は、小娘がどう来るかだ。
攻めるのは保留してアンパイを抱え込む戦術も考えられるが、やつは初心者のくせに柔軟性に富んだ攻め方をしてきている。字牌は必ずしも安全ではないからアンパイを抱え込むのには苦労しそうだ。
なら、普通に打てばいい。テンパイ気配を察知してから戦略を練り直す方が、やつを迎え撃つにはいいだろう。
ここは無難に打九萬だな。
その後、二巡目までは落ち着いた立ち上がりを見せていたが、早くも三巡目にして、小娘は手出しの六萬切りだ。
二から八のチュンチャンパイ、特に三から七は受けが広いから残しておくことが多い。タンヤオやピンフを狙うなら普通残しておく牌だ。
だから、タンピンを狙っているなら、イーシャンテンかテンパイ。
だが、タンヤオはともかく、ピンフという役は小娘には上がれまい。ピンフは麻雀で基本的な役だが、教えられもしないで上がれるほど簡単な役ではない。
なら、お得意のチャンタか? ドラ一萬を抱えた、大物手の。
さすがにこの巡目で手牌を予測するのはかなり難しい。様子は見たいが、あまり余裕はなさそうだ。
俺の番になり、山からツモってくる。
南二局 四巡目 東家 ホムラ 56700点 ドラ表示:九萬
三萬 五萬 四筒 四筒 七筒 八筒 二索 三索 四索 六索 六索 七索 八索
ツモ:九索
これで、役なしイーシャンテン、か。だが、この手ならイッツーも見えるな。
やつが攻めているのだから、俺も攻める。
乗ってやろうじゃねぇか。その勝負!
俺はすかさずイーシャンテンを取らずに、イッツーリャンシャンテンを取って六索を切る。
次巡、小娘の捨て牌は、手出しの四萬。どころか、その次の番も四萬だ。
序盤に手出しの六萬と四萬トイツ落とし、しかもその次の巡目でも二萬を手出しで落としてくる。
――まさか、絶一門か?
絶一門はマンズ、ピンズ、ソーズのうちいずれか一色を手牌から完全に絶つ戦術だ。一色断つわけだから、下手に行うと上がりの可能性を摘み取ってしまうが、手牌やツモに偏りがある時は逆に有効牌を引き寄せやすくなる。
しかし、妙だ。
手が偏っているからマンズを落とすことは理解できても、切り出し方が引っかかる。
小娘が落としたマンズはすべて手出しだから、手の中に二、四、四、六萬があったわけだ。
素直に考えれば、トイツの四萬は残したいはずだ。ならば、一萬の壁が近い二萬から落としていく。
ジャントウが間に合っているなら、四萬を落としてリャンカンチャンを残してから、やはり二萬から落とす。
だが、やつは六、四、四、二の順に落とした。理に適わない。
よほど手牌が偏っていて何も考えずにマンズを落としたかったのか、もしくはチャンタを意識していたか。
つまりやつの手は、染め手か、ドラ一萬を抱えたチャンタか、ということになりそうだ。
そして、四萬はすでに2枚切れた。カン四萬で待つぐらいなら、堂々とこちらもマンズの絶一門に乗ってやろう。
俺はわざと五萬から切り出した。中盤に差し掛かってのこの強打は小娘にかなりのプレッシャーを与えるはず。
だが、小娘は怖じ気づかないで三筒切り。一瞬、こいつはまた一のサンシキでも狙っているのかと思ったが、キヨミとヒメリがすでに一筒を1枚ずつ切り出しているのでそれはあり得ない。
――こいつ、かなり無理してきているな。
ここまで来るとソーズの染め手を疑わざるを得ない。まだ東風と白板がションパイだ。ソーズのホンイツが濃厚になってくる。
だが、残念だったな、小娘。
南二局 九巡目 東家 ホムラ 56700点 ドラ表示:九萬
三萬 四筒 四筒 七筒 八筒 二索 三索 四索 五索 六索 七索 八索 九索
ツモ:一索
――こっちはもうそろえちまったよ。お前の欲しがるソーズのイッツーを!
「――リーチ!」
俺は三萬を横にしてホーに並べ、1000点棒を放り投げた。六、九筒待ちのメンピンイッツー、出上がり11600、ツモればマンガンだ。六筒はションパイ、九筒は2枚切れだから上がり牌は6枚。十分ツモ上がりも期待できる。
ヒメリは手出しの三萬合わせ。――すぐに下りたか。まあやつらしいと言えばやつらしい。
次がかなり見ものだ。リーチ後最初の小娘の捨て牌だ。
やつはツモった牌を手牌の上に重ねて、考え始めた。ツモ牌と手牌をじっと見つめている。
――悩むだろうな、この状況。
東風はションパイだから、南場の今は親の俺以外役は付かない。この状況ならやつは俺が東風のアンコーを抱えていることも考慮しているだろう。
しかも俺もやつも捨て牌だけなら絶二門気配。マンズ、ピンズ、ソーズのうち、一色どころか二色絶っている。さらに集めているのはお互いにソーズだ。
もっとも、俺は染め手ではない。やつが上がりを目指して不要なピンズが出てきた頃合いが、やつが自分で首を絞める時だ。
そして俺の手は、出上がり11600。やつの残り点数は8500だから放銃すればゲームセットだ。
攻めるならば敗北のリスクを背負わなければならない。
だが、この局の上がりを放棄して俺の上がり牌を抱え込めば、この局は上がれなくても致命傷を負うことはない。
そういう攻めも守りもどちらも選択できる状況が、人を惑わせ、悩みの迷宮に誘い込むのだ。
――さあ、選べ! この局の上がりは諦めて、安全策を取って下りるか、この局にすべてを賭けて負けるリスクを背負ってでも俺に一矢報いに行くのか!
そして、小娘は手牌に乗せていたツモ牌を再び手に取った。俺はそれを見て思わず笑みが零れてしまった。
――攻めてきたか! 俺の思った通り、面白ぇ小娘だ。
しかも切り出した牌は八筒。この牌で悩んでいたということは、こいつ、俺がピンズで張っていることまで読んでいやがる。相当勘の鋭いやつだ。
俺は既にリーチをかけていて手変わりができないから、上がり牌が出てくるまではツモってきた牌はそのままホーへ捨てなければならない。
つまり、リーチをかけた瞬間から心理戦の外へ除外される。リーチをかけるかどうか、そしてどのタイミングでリーチをかけるかが一番神経を使うところだ。
リーチはかけてしまえば、あとは上がり牌が出てくるのを悠々と待つだけだ。
イッパツツモとはならず、俺は一筒を切り出す。
今この場でヒメリとキヨミは下りている。つまり、上がりをすっかり諦めて俺の上がり牌を捨てないように細心の注意を払っているだけだ。もう気にも留める必要はない。
楽しみなのは、トイメンの小娘。こいつはまだ、死んでいない。
さて、
南二局 十二巡目 東家 ホムラ 55700点 ドラ表示:九萬
四筒 四筒 七筒 八筒 一索 二索 三索 四索 五索 六索 七索 八索 九索
ツモ:三索
危ないところをツモってきたな。
ここまで小娘は1枚もソーズを切っていない。こうなった以上マンガン、いやハネマンぐらいは放銃する覚悟はしないといけねぇな。
――まあ、俺はリーチをかけているから、どっちにしたってこのツモ牌を切らなくちゃならねぇがな。
俺はそのまま三索を切り捨てる。小娘の反応は――なしか。
しかし、一人がツモる牌には限りがある。現在のように誰もフーロしていない状態なら親と南家が十八巡、西家と北家は十七巡だ。十二巡目の現在、やつはあと六回しかツモるチャンスがないことになる。
その上、ソーズの一から九まで1枚ずつは俺が抑えている。やつが上がるのは難しいはずだ。
――普通ならば、な。
小娘の番、ツモしてきた牌をそのまま捨てる。しかも、四索。
やつのこの局初めてのソーズ切り、しかも使いやすいチュンチャンパイをツモ切りだ。
――もう、張ってやがるな。
もしそうなら東風、白板、紅中辺りのアンコーかトイツ、そして五以上のソーズの多面張が考えられる。
だが次巡、やつはまたもや六索をツモ切り。
――染め手ではなく、役牌バックとドラ一萬をアンコーに抱えているのか? 一、二、三索か七、八、九索のイーペーコーとチャンタを絡めてくればハネマンまで手が伸びるな。
もし仮にそうならば、
南二局 十二巡目 東家 ホムラ 55700点 ドラ表示:九萬
四筒 四筒 七筒 八筒 一索 二索 三索 四索 五索 六索 七索 八索 九索
ツモ:白板
ここでションパイの白板をツモった俺が放銃しそうだな。おそらくハネマンの12000を。
だが、俺とやつの点差は47200、仮にハネマン12000を奪われたとしても順位はひっくり返らない。
――くれてやるよ、12000くらいくれてやる!
俺はそのまま白板を卓上に叩き付けた。この手先まで痺れるような緊張感がたまらなく好きだ。
それでもやつは動かない。闘志を湛えた瞳で俺を見つめているだけだ。上がるどころかポンさえしない。
ここまでくると逆にわずかな不安が首をもたげてくる。
杞憂なのではないかと。自分の判断が間違っているのではないかという懸念が一瞬頭をよぎる。
だが次巡、彼女が切り出したのは――白板。しかもツモ牌を手牌に取り込んだ手出しの白板だ。
――ここまで字牌を抱えているということはタンキ待ちか? いや、それなら俺の捨てた白板で上がっているはずだ。
まさか、ここにきて俺のリーチから下りているのか? いや、やつがそんな煮え切らない態度で打っていることは今までの打ち方を見ている限りあり得ねぇ。
そして次巡、小娘が切り出した牌は――またも手出しの白板。
――この期に及んで、役牌のトイツ落とし、だとっ!?
染め手を狙っている状態での字牌トイツ落としは、概ねホンイツからチンイツへの成り上がりと考えていい。字牌とマンズ、ピンズ、ソーズ、のいずれかからなるホンイツは三翻だが、字牌を除いたチンイツは六翻。点数が大きく跳ね上がる。
だが、
南二局 十七巡目 東家 ホムラ 53500点 ドラ表示:九萬
四筒 四筒 七筒 八筒 一索 二索 三索 四索 五索 六索 七索 八索 九索
ツモ:五萬
もう十七巡目、つまり、次が小娘の最後のツモだぞ!?
ここまで俺の上がり牌が出てこねぇのも不気味だが、ラスヅモにチンイツを賭けるやつの思考の方がイカれてやがる。
山の残り数は、やつほどの観察眼を持っていれば、自分があといくつツモれるかを読むのは簡単なこと。
それにもかかわらず、四、六索をツモ切りの上、白のトイツ落とし、しかも流局間近にだ。
――本当に染め手か?
一度考え始めてしまうと、余計に分からなくなる。心の奥の不安がざわめき始める。
しかも、やつの瞳は何一つ諦めていない。攻める気持ちも、逆転する勢いも、当たり前のように持っていやがる。真っすぐで無垢な瞳だ。
牌を取るために伸ばす真っすぐですらりとした手も、爪の先まで自分の上がりを信じていやがる。
――愛くるしい小動物? とんでもねぇ。こいつ、かわいい見た目をしているくせに、心の内に凄まじい獣を飼ってやがる。
彼女は自分の最後のツモを掴んで、表に向けて卓上に晒した。
その牌は、――五索。
「ツモです!」
彼女は手牌を倒した。
和了形 ナナミ ドラ表示:九萬
一索 一索 二索 二索 三索 三索 五索 七索 七索 八索 八索 九索 九索
ツモ:五索
メンゼンツモ 一翻
チンイツ 六翻
リャンペーコー 三翻
30符 十翻 倍満 4000・8000
供託:1本
ホムラ 55700- 8000=47700点
ナナミ 8500+17000=25500点
キヨミ 20000- 4000=16000点
ヒメリ 14800- 4000=10800点
「――なっ!?」
「げっ!?」
「うそっ!?」
――チンイツ、しかもこの手は中国麻雀でいうイーソーシャンロンフィだとっ!
イーソーシャンロンフィ――中国麻雀ではツーイーソーやスーアンコーに匹敵する64点役だ。幸か不幸か、日本では採用されていない役だ。
それでもチンイツとリャンペーコーでバイマン。仮にピンフが付いていればツモでサンバイマンの大物手だ。
しかも、五索を切って白板を残していてもチャンタ、ホンイツ、リャンペーコーでバイマン確定。
「いやいや! 何スかその手!? あの局面で白トイツ落としとかあり得ないッスよ! 下りてたんじゃないッスか!?」
キヨミが立ち上がって叫び声を上げる。相変わらず騒がしいやつだ。
「ち、チンイツで上がるなら普通四、六索は手に加えるでしょ! ましてや、イッツーが付くその手なら!」
ヒメリも目を丸くして驚嘆の声を上げる。さすがのこいつもこの手には愕然とするか。
仮に四、六索を手に加えていてもチンイツ、イッツーでバイマン。ツモ、ピンフ、イーペーコーが付いてやっとサンバイマンだ。
だが、小娘はそれを狙わなかった。チンイツにイッツーを絡めるには、いずれかの牌を3枚以上揃える必要がある。それを俺がソーズのイッツーを揃えている状態で集めるのは至難の業だ。
その後の白板トイツ落とし。おそらくホンイツ、チャンタの手を蹴ったのは、純粋にチンイツを狙いに来たのだろう。
それならば、彼女は俺のイッツーを見抜いた上でチンイツを目指したということか。
――そんな思考プロセスはあり得ねぇ! なぜなら、やつは役も点数計算も正確に分からねぇ初心者だ。
単にきれいな手を揃えることだけを考えていたバカか、すべてを見破って獲物を狙ってきた化け物か。
今となってはもうどちらか分かったもんじゃねぇが、確かなのはキヨミやヒメリを抜いて小娘が2位にまで這い上がってきたということだ。――俺の首を狩るために。
――いいだろう。お前が俺に向かってくるなら、返り討ちにしてやる!
点数が近い時の方が血が滾る。
かかってこい、小娘! 本気で! すべてを賭けて!




