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冬の終わりを待ちわびて

作者: 蒼井 柊

少し短編にしては長めかもしれないですが、根気強く読んでいただけたら嬉しいです(;^ω^)

*嵐の中で渦に飲み込まれている船長

 いつもと変わらぬ日常。朝起きて、朝ご飯を食べ、学校へ行き、休み時間には友達と話して、家に帰ると家族がいて、食べて風呂入ってはまた眠る。十七歳の学生とはそんなものだろう。


「な、そう思うだろ!黒野」

「うん、かっこいいよね。てか、伊崎めっちゃ好きだね、そのゲーム」

「え、だって○○の最新版だぜ?前作を上回るくらいの面白さ!でも攻略できねー」

テレビゲームの話で盛り上がりながらの帰宅途中。二月も中旬に入り、制服の上からさらにコートやマフラーをと、厚着した僕たちの歩く横を白い塊が構えるようになった。静かに舞い降りてくるように降る雪が傘に積もる。寒さを紛らわすためか、彼はいつもより早口で話した。

同じクラスの伊崎友厚ははまっているというゲームについて学校を出てから今まで休むことなく話してくれた。今は好きなキャラについて語っている。でも僕には良さがあまりわからなかった。そのゲームだけではなく元々漫画などの話にはあまり興味が持てず、どこか冷静に判断してしまう自分がいて、熱中することはなかった。でも伊崎の話は聞いてるだけで面白かった。好きなキャラのピンチのシーンについて話すときは無意識に顔をゆがめて語っていたり、漫画の最新刊が発売された翌日はその内容によって朝のテンションが違っていたり。とにかく彼といると飽きずに楽しくいられた。

「だろっ?あ、じゃ俺こっちだから」

「また明日ね」

そういって彼と別れた直後ふいに明日は体育だということを思い出した。忘れっぽい伊崎はかなりの確率で体操服を忘れてくる。そのたびに僕やら他のクラスメートに声をかけていたのだが、最近では僕が前日に声をかけるようになっていた。

「伊崎、明日の体育、忘れんなよっ」

しかし振り返った時には彼は既にいなかった。閑散とした住宅地に僕の発した言葉だけが残る。数分前から、雪に降られていた道路には一つの足跡が。

「伊崎」

少し大きめに出した声は反芻してこない。ケータイを取り出し、彼の電話番号にかけてみる。しかし、彼の電話番号は存在していなかった。間をおかずに理解した。

彼はこの世界から消えてしまった。

僕はまた友を一人消し去った。そう、いつも通り・・・。どうもこの現象後は頭がぼーっとしてしまうな。今回は頭がうまく回っていなかった。そんな戯言が頭に浮かび、無理やりにそれを掻き消した。

道路の真ん中を自動車がすり抜ける。それを横目で見ながら、握りしめていたケータイをカバンにしまった。重くなった足を引きずるように家への道を再び歩き出す。僕は再び日常へと溶け込んだ。雪はずっと降り続いている。

 


*新しくできたデパートに来た、子供連れの保護者

 ことが始まったのは確か秋、十一月頃だったか。一番初めに担任の前原が消えた。

その日は中間テスト中で、数学と英語のテストがあったんだ。俺は早めに解き終わったから、テスト問題の裏に落書きをして暇を持て余していた。だんだん絵に集中してしまい、ふと時間を確認しようと思って顔を上げると、さっきまで教壇の前に立っていた前原がいなかった。

何のきっかけもなく突然に、彼は世界に隠されてしまった。当然俺は驚き、皆に告げようとした。でも再び教壇の方に視線を向けると、そこには知らない男が立っていた。奴は呑気に読書をし、たまに腕時計を見てはだるそうにあくびをしていた。混乱する頭で、前原はトイレにでも行っていて、その間この先生が監視担当になっているのだと推測したけど、いくら何でもドアを開ける音には気づくだろう。第一途中で先生が変わるなんてことは今まで一度もなかった。

そもそも一番の不思議な点は、俺はこの先生を一度も見たことがないということだった。担任や授業を受け持つ先生じゃなくても、廊下ですれ違ったりする先生の顔は多少頭に残っていた。新任の先生が来たなんてことも聞かないし。頭の中でのアイディアは既に出尽くされていた。男は時々教壇近くの生徒のテスト用紙を覗き込むように首を前に突き出していた。

もし一般の人が入ってきているならすぐに先生に言わなければと思った。しかし授業終わりのチャイムまで声を発しなかったのは、クラスの生徒誰もがこの現象を無視し、黙々とテストを続けていたからだった。ちらほら顔を上げる生徒はいても、男に驚きもせず、すぐに視線をそらしていた。


「なあ、あいつ誰?ていうか、前原どこ行ったの?」

「え、前原?そいつが誰だよ。てか何言ってんだよ、あの人は佐伯先生だろ?うちのクラス担任、あだ名はさっきー。つっても呼んでるのは自分だけっていう悲しいオ・ヒ・ト」

「何その余計な情報。そうじゃなくって、前原!あの人がうちの担任でしょ?先生、どこ行ったの?その佐伯って先生は副担任ってこと?」

「ちっげぇよ、佐伯はマジ担任だって!てか、前原なんて先生聞いたことねーわ。まなと、誰かと勘違いしてんじゃないの?ほら、あの~、体育の前田と混ざってるとか。あ、やべ、そろそろ次のテスト始まる」

友達の一人はそう言って自分の席に戻ってしまった。見たことない?自分の担任を?

少しの間俺は茫然とし、頭の整理がつかなくなった。

 ガラッ。

教室のドアが開き、再びあの先生が教室に入ってきた。俺は男を不審気味に、そして少しの恐怖心をもって、にらみつけた。男と目が合うが、彼は何も気が付かないようで、頭の後ろをかきながら言った。

「まなと、さっさと席座れ。もう無駄な抵抗はやめとけって」

男はへらへら笑っていた。俺は素直に指示に従い席に着いた。テストが始まってからは、前原の失踪事件のことは一度頭の隅に追いやったが、あまり集中はできず。テスト中はほとんどうつむいたままだった。男となるべく顔を合わせないように、時間をかけて問題と向き合った。

終礼後、他の友達に聞いてみたが、誰に聞いても似たような答えしか返ってこなかった。先生たちに聞いても前原なんて先生は今にも過去にもいないと言われた。

何だ、これは。みんなで俺をからかっているのか。それにしては規模が大きすぎやしないか。眉間にしわを寄せたまま家に帰ると、入学時に撮ったクラス写真があることを思い出した。急いで自分の部屋へ行き取り出して見ると、そこには前原ではなくあの男が写っていた。俺はただならぬ恐怖を感じた。動悸が早くなっているのを自分でもわかった。ベッドにもぐりこみ、毛布を深くかぶった。今日の記憶をすべてぬぐってしまいたかった。

俺は前原が好きではなかった。あの人は男女差別の甚だしい、よく言えば古典的な性格だった。女の子はおしとやかであれ、乱暴な言葉を使ってはいけない、男は泣くべきではない。前原の発言は初め、生徒間でうざがられる対象だったが、最近では「前原大先生の名言集」として生徒に遊びの種とされていた。俺も彼のことは嫌いだったので、日常的に転勤などになってくれれば友達と手を取り合って喜ぶのだが、今回のことはとても、うれしい気持ちにはなれなかった。人の失踪事件そのものが全く存在しないことになっている。自分だけが違う世界を見ていたようで、恐ろしかった。誰も気づいていない、一人取り残されたような孤独感に襲われた。昼間から布団にくるまっているというのに、その日はなかなか寝付けなかった。


 次の日、母が出してくれた朝ご飯を気の進まないまま胃に詰めこみ、いつもより早めに家を出た。教室には二,三人が既に来ていて、テストの答え合わせをしていた。昨日がテスト最終日だったことが唯一の救いだった。本当は昨日だって友達と遊びに行きたかったが、気分が悪いと言って断ったのだ。前原のことがなければ、今頃普通の時間に登校し、友人と先生が来るまでテスト結果の予想に一喜一憂していただろうに。多少の恐怖はまだあったが、それ以上にこの状況に対しイライラしてきた。ほんと何が起こってるんだよ。何で俺だけなわけ?勘弁してくれよ。沈んだ気持ちはなかなか浮かび上がってこなかった。


 教室で一人席に座り、友達が来るのを待っていると、隣で固まってしゃべっているクラスメートの会話が耳に入ってきた。

「英語の教科って英語演習は高杉先生だろ。あともう一人コミュニケーションのほうは誰だっけ?」

「まえは、いや佐伯だろ?てか、担任じゃん」

頭で認識するよりも先に、首が声のほうを向いた。今聞きなれた言葉が聞こえたような・・・。

言葉を発した彼のほうも僕の視線に気が付き、少し困ったような、疑問を感じているような表情を見せた。彼らに近寄り、声をかける。

「黒野、今なんて言った?」

「あ、前原って言いかけた」

「マジで!?よかったぁー」

俺は黒野亜希の手をつかみ、そのまま床にしゃがみこんだ。仲間がいた、俺だけじゃなかった。前原の事件の真相は何一つわからないが、同じ境遇の人がいたという事実は俺をひどく安心させてくれた。

「佐野内君もなの?それは、まじか、嘘だろ・・・」

俺に手をつかまれたままの彼はというと、ひどく困惑した表情になっている。言葉も少し変だ。何でその表情なんだ?普通は安心したりするもんじゃないのか?

「な、何?黒野も佐野内君も二人して何な訳?」

黒野と話していた友達が不思議そうに俺らを交互に見つめる。

「あ、悪い。ちょっと用事思い出してさ。佐野内君今いい?」

「う、うん」

「じゃ、ちょっと来て。とりあえず廊下出よ」

半分引っ張られるように黒野と共に廊下に出た。しかし、人通りが多かったので体育館の裏の中にはまで連れ出された。黒野とはあまり話したことはないが、短めに切った黒髪に、制服の学ランを上ボタンまでいつもきっちりしめているところから、しっかりした子なのだろうと思った。体格も小柄で、僕の目線の少し下に視線があった。しかし、今日みたいに誰かと話しているのは珍しく、休み時間は教室でずっと本を読んでいるようなおとなしいイメージだったから、会話の主導権を彼に握られているのは少し意外だった。

「佐野内君、前原先生のこと覚えてるんだよね?」

「うん!うちの担任だった人!黒野も覚えてんの?」

「覚えてるよ」

「うわぁ、よかった。俺だけかと思って超焦ったもん」

胸をなでおろしながらそうつぶやく。

「なぁ、何で消えちゃったんだと思う?」

「消えた理由?それは僕にもわかんないなぁ」

「超常現象ってやつかな?」

「さぁそうなんじゃない?まあ前原先生だからねぇ、仕方ないかもね」

彼は淡々と答えた。まるで前原が消えたことには興味などなさそうに。

「仕方ないってそれどういう・・・」

「いやまぁ、みんな嫌ってたから別にいいんじゃないっていう」

「そりゃまあそうだけどさ、失踪事件だよ?先生に何かあったらどうすんの」

「ん、たぶん前原先生もうこの世にいないよ。ていうかどこかに消えたって感じかな」

「なっ、なんでそんなことわかるんだよ」

「んー長年の経験からして?」

「経験って俺ら歳変わんねーだろ」

「ま、そうだね」

黒野は笑ってこそいなかったが、その口調は完全にバカにしているように聞こえた。というより、まじめに受け取るつもりがない、どこか軽い口調だった。そもそも嫌いだからいいなんて。俺は彼に少しの嫌悪感を抱いた。

「ていうか、実際何でなの?」

「なんでかなぁ、突然消えちゃうんだよ。気づいたらフッと。目を離したらもういなくなっちゃってる感じかな」

「それはわかるかも。前原もいきなりテスト中に消えてた」

「前兆みたいなものも何もないからね。でも周期的にはあの先生そろそろだったんだよ」

「周期?そんなのあるの?」

「うん。だいたい一か月くらいかな。うちの担任なんてもう佐伯で五人目だよ」

黒野はおかしそうに笑った。

「そんなに!?でも、俺前原と佐伯って人しか知らないけど」

「うん、そこが不思議なんだよ。君は外部から入ってきた人なのかな」

途端に彼は顔をしかめた。まったく訳がわからない。

「俺は中学もここからだよ」

「いや、その外部じゃなくて。もっと広く別の世界から来た人間なんじゃないかなって」

「別の世界?」

俺は分かりやすいくらい不審そうな目を黒野に向けた。

それを苦笑いでごまかしながら答える。

「それって、ちょっと漫画の読みすぎじゃない?」

「そうかな?ここでは一番理屈が通ってると思うけど」

彼は俺から目をそらさず、まじめに答えた。何でこういうときだけ真剣になるんだ。

「それよりさっ、佐野内君は人が消えるの見たのこれで何回目?」

「初めてだけど」

「やっぱ初めてなのか。そっか、じゃあ前原先生が一人目だ」

「なぁ、もしかして黒野ってこれ何回か体験した事あんの?」

「うん、いっぱいあるよ。今でもう千回は優に越してると思う」

「はっ、千回!?」

衝撃だった。一度でも混乱するような現象が千回もなんて。黒野はうんうんとうなずいた、

「だから僕はもうこんなの慣れきっちゃったよ」

「そうなんだ。いつからこれは始まったんだ?」

「わかんない。僕の場合は物心ついた時から人が消えてた。友達も家族も一か月以上一緒に過ごしたことはないかな。気づいた時には別の人って子供からしたら怖かっただろうね~」

黒野はあっけらかんと、他人事のように笑って言った。

「えっ、友達も家族も」

「うんっ。あ、別に寂しさとかはないよ~?自分の中ではそれが当たり前って言うか、一人でいるのにももう慣れ切ってるし。意外とこっちのほうが気楽だったりするよ?」

彼は子供時代を懐かしがるような声で笑った。

その笑みに一瞬の曇りもなかったことに、なんとなく心がうずいた。

「でも佐野内君は昨日が初めてなんでしょ?あ、そうだ、佐野内君これはできる?」

僕が「何が?」と聞き返そうとした時、ちょうど朝礼を告げるチャイムが鳴った。

「じゃあ戻ろっか。とりあえず放課後またここで待ってたらいい?」

「わかった」

教室が同じなので二人で帰ったが、その間特に話すこともなく歩いた。途中で俺の友達が登校してくるのが廊下から見えたので、俺はそこで黒野と別れ、靴箱へと向かった。

 授業は無く、テスト返しだけだったので午前中で学校は終了した。空いた時間に黒野が生まれた時からこの事件があったと言っていたことを思い出した。両親や友人さえも同じ時間を共有することはほとんどなかったと。あいつはそれが当たり前と言っていた。気楽だと。でも、黒野の顔、寂しそうに見えたんだよなぁ。

 すると急に目の奥が温まり、視界がにじむのを感じた。頬にぬるい液体を感じる。さっきまでいろいろ考えていたのになんだか頭がぼんやりして働かない。何だこれ。こんな状態になっている自分自身に対してひどく驚いた。体が重い。俺は机の上に寝そべった。涙が横に傾いて、鼻のあたりまで伝ってくる。

馬鹿らしい。だいたい黒野には今日会ったばかりだぞ。

袖の端で目元をこすり、立ち上がる。教科書が中で散乱しているカバンを肩にかけ、とりあえずトイレへ顔を洗いに走った。


着いた時には黒野はもう来ていて、体育館の裏口前の石段に座り弁当を広げていた。

「おそーい。お腹すいたから先食べてるよ」

「おう。てか、誰がお前と飯食う約束したんだよ」

「え、何それ。中庭デートとかどこぞのカップル。しかも男同士とか。さっむ」

「・・・お前はマジで何がしたいんだ」

俺が本気でそうつっこむと、あいつは目を細めて大声で笑った。

とりあえず泣いたことは気づかれてないようでよかった。

「まーまー、お茶でも飲みながらゆっくりお話ししましょうよ」

そういうと、黒野は暖かい缶コーヒーを二つ取り出して、一つを俺に渡した。

ちょうど手が冷えていたので、素直に頂戴した。短く礼を言ってから、本題を切り出す。

「で、さっき言ってた俺が別の世界の人間だとか何かって」

「あーあれ?うん、説明するのが難しいんだけど、僕なりに考えた理論ね。まずこの世界は普通とちょっと違ってて人との時間が長く持たない。僕はそれを生まれた時から経験していて、君は途中から。ってことは本当は、ここは現実の世界と現実じゃないこの世界とが世の中にはあって、僕らはなんらかの原因でここに送り込まれたんじゃないかと思って」

「ん~別の世界ねぇ。だいぶSFチックな話だな」

「まあね。でも君が来たことではっきりしたよ。やっぱり僕らは途中まで生きる世界が違ったんだよ」

黒野は難しい顔で、自信気に語る。そんな彼の横顔をぼんやりしながら見ていた。

「でも、なんで送り込まれたのかな~。やっぱ何かの実験とかかな!」

「実験って、なんの」

「ん~わかんない。てか、君もまじめに考えろよ」

彼が肘で俺を小突く。俺は頭をかきながら答えた。

「考えてるよ。でも、なんのためとかなんて全くわかんねぇんだもん。いきなりだったしさ。そんな世界を超えたっみたいな感覚もなかったし。もう、何、みたいな」

「わかるよ~、ほんと“普通”に暮らして生きたいよね~」

普通か・・・。黒野の言葉に少し喉が詰まった。黒野のいう“普通”は俺らの普通よりも重みが違う気がする。考えすぎだろうか。うまく二言目が出てこず、「そうだな」と単純な言葉を返そうとすると、黒野のほうが先にしゃべりだした。正確には叫んだ。

「あ!」

いきなりの大声にビックリして、思わず体を黒野から遠ざける。

「な、なんだよ、いきなり」

「さっき言ってたこと、まだ君に見せてないよね!?」

「何か言ってたっけ?」

「うん、佐野内君に見てほしいことがあるんだ」

そういうと、黒野は地面を手で覆った。少し隙間を開けて、山型のドームのような形だ。

「な、なに」

俺が尋ねた時には彼は既にそれを行っていた。黒野の手を開くと、中には小さな猫がいた。

「え!?何それ!」

真っ白な毛がふわふわしていて、目がまん丸だった。いきなりの外からの光に驚いたのか、少し立ち止まり目をぱちぱちさせた。その後グーッと背伸びをし、小さな声でニャーと鳴いた。

「はっ、今どっから出したの?手にはなんも持ってなかったじゃん!」

僕が驚きを隠せぬまま、彼に語り掛けると、黒野はとても満足そうな顔をして言った。

「フフフ、僕は魔法使いなんだよ」

「・・・、また変な発言が出たか」

俺は頭を抱えて嘆いた。黒野はそんな俺の反応をなぜか楽しそうに見つめている。

「ま、魔法使いなんて明確なもんじゃないけど、手品じゃないよ。この子は本当に何にもないところから出したんだ。嘘だって言うなら持ち物検査してから、もう一回見せてあげるよ」

自信満々に言うので、僕は彼のジャケットやポケットを調べてから、もう一度見せてくれるよう頼んだ。結果は、彼の言う通りだった。今度はさっきよりも細身の黒猫だった。

「はぁ、すごいねぇー」

黒野は僕を横目で見て笑った。

「信じてるけど、僕の反応に苛立ってるみたいな顔だね、それは」

「へっ、よくわかってんじゃん」

「僕だってこれを人に見せるのは初めてなんだ。自慢したくもなる」

「いや、ま、ほんとにすごいと思うけどさ、何でそんなことできる訳?」

俺が尋ねると、黒野は再びフフフとくぐもった声で笑った。しかし今度はニヤニヤ度が三割増しだ。

「今日は質問攻めだね、佐野内君。何で、何でって言葉を覚えたばかりの赤ん坊の様だよ」

「くっ、うるさいな!早く答えろよっ」

小さく舌打ちをこぼす。なるごど、こいつは俺の神経を逆なでする性格をしているらしい。

「よし、教えてあげよう。これのやり方はねぇ僕にもよくわかんないんだ」

「もったいぶった割に知らないのかよ~」

「知らないもんは知らないんだ、仕方ない」

反撃の意を込めた俺の毒づきをこいつは素直にかわす。

「これも生まれた時からある能力なんだ。何もないところから有機物を取り出せる能力」

「有機物・・・」

「なんだ、有機物と無機物の違いも分からないの?」

「わかってるよ!命があるかないかの違いだろ!」

「ま、厳密に言うと炭素があるかないかの違いだけどね」

黒野は再びニヤつきながらこっちを見て、俺のこいつに対するいらだちも広がりを見せる。

調子に乗せるのも嫌なので、なるべく冷静を装い、質問を続ける。

「で?お前が取り出せるのは生き物だけ、と」

「うん。だから前原先生達は死んじゃってるのかな~って」

「あ、もしかして一度消えた人たちは取り出すことができなかったのか?」

「そゆこと」

「そうか」

冷たいコンクリートの上に置かれた子猫二匹がお互いを追いかけあう。俺は後に続く黒猫に手を伸ばした。柔らかくぬいぐるみのような毛触りから暖かさが伝わった。子猫は俺に興味を示し、俺の制服のシャツを引っ張って、腕から肩に飛び乗った。

「可愛いね。そいつ佐野内君のこと好きみたいだね」

俺は小さく笑って、肩に乗っている子猫の頭をゆっくりとなでた。黒野が白猫の方を両手で掬い取るように抱え、顔の正面へ持ってきた。子猫たちが目を合わせると、お互いを呼ぶかのようにまたニャーと鳴き始めた。俺たちは子猫を離してやった。

「この猫どうするんだ?」

「野生に返すかな。それか、誰かに引き取ってもらうか」

「じゃあ俺飼いたい!」

以前から何か動物を飼いたいと思っていた。俺の家は両親が共働きで帰りが遅い上、一人っ子なので、家に帰るといつも一人だった。昔は一人が嫌で、犬を飼っていた。名前はケイスケだ。しかしケイスケも中一の時に他界してしまった。最近は友達と遊んだり、ゲームをしたりして紛らわしているが、やはり少し寂しいものがあった。だから新しい家族が来てくれるなら、俺としては大歓迎だった。しかし、黒野にはダメと言われた。

「その子はいつ消えちゃうかわからないんだよ?この世界で大切な人とか作っちゃうと後のショックが大きいから、やめときな」

そうか、この世界に入り込むということは自分の身の周りの人間も消える可能性を考慮しておかなければならないということだ。経験者からのアドバイスはしっかり的を得ていた。確かに俺は人と別れるのがうまくないかも。ケイスケが死んだときも、一日中布団にこもって、しばらく食事も喉を通らなかった。俺の曇った表情を見て、黒野はさらに続ける。

「この子達のためにもさ。おそらくだけど、僕らみたいな別の世界から来た人じゃなくてね、この世界の元々の住人の周りではこの子達は消えないんだ。だって誰も消えたことに気づいていないから。これは僕の考えだけど、この世界の住人が外部の人と関わって、影響を受けた時にその人は世界から消されちゃうんだと思う。だから、僕らがこの子たちの記憶に残らずに、この世界に住む誰かに引き渡しちゃえば、きっと大丈夫だと思うんだよね」

 最後の大丈夫は熱を込めて言い切った。言っていることの冷静さとは裏腹に、ところどころに不安そうな表情が垣間見えた。こいつは基本わざとらしく上から目線にふるまっているが、中身は子供のままで、感情が表に出やすいようだった。そういえば、冗談を言っていた時よりもジェスチャーが多くなっている。そんな黒野の様子が少しおかしかった。実際そう熱心に説得されては、押し切ることはできない。黒野の言うことも理屈が通っている。名残惜しいが俺は子猫たちを飼うことをあきらめた。その代わりに里親になってくれる人を探すことにした。

 学校の焼却炉から段ボールをいくつか持ってきて、子猫たちに会う形のものを探した。その後俺たちはいったん俺の家に行き、中にこの冬の寒さで凍らないように、毛布を敷き詰めた。子猫たちにミルクとツナ缶もあげた。お腹がすいていたらしく、ツナ缶はあっという間になくなった。子猫のうちからあまりご飯を上げすぎるとよくないと聞くので、一つしか出さなかったが、子猫の可愛さに圧倒された黒野が俺の目を離したすきに、ツナ缶をもう一つ開けていた。いや、おい。

 クラスメートのメアドを片っ端から開き、「子猫を二匹預かってます。黒猫と白猫、どちらもまだ小さくてかわいいです。飼える人がいたら、佐野内まで連絡ください」とのメールを一斉送信した。途中黒野が味気ないと言って、女子が使いそうなデコ絵文字だらけにしたメールを作ったが、即却下した。だからお前、送るの俺だってことわかってんのか?

 そんなやり取りをしているうちに日も暮れてしまっていた。子猫達は昼間ご飯を食べてから、段ボールの中で寝ていた。まだ引き取れるというクラスメートはいなかったので今日は、子猫達はうちで引き取ることにした。黒野の話によると、一日くらいなら大丈夫だそうだ。すると、黒野が突然家に泊まりたいと言い出した。猫とまだいたいらしい。この環境のせいで長く一緒にいることはできないが、こいつもかなりの動物好きだ。それも甘々な。子猫が寝ている間ずっとかわいーと言って、携帯で写メを撮りまくっていたのがその証拠だ。しかも寝顔が可愛いといって顔を触り、気持ちよく寝ている猫たちを起こしてしまう始末。親戚の小一の子供が思い浮かんだ。

 母親に連絡を取ると、簡単にOKしてくれた。俺が誰かを家に呼ぶのが珍しいというのもあったのかもしれない。母さんは夕ご飯のカレーの作り方やちゃんと鍵は閉めることなどといつもより多めに注意をした。黒野のほうは一人暮らしなので、特に心配はないそうだが、今から家に帰る気はなさそうだったので、着替えは俺の服を貸した。お風呂の時に猫たちも一緒に入れたが、暴れまわって何か所かひっかき傷ができた。

 その夜黒野とはたくさん話をした。この世界のことももちろん、お互い普段何してるか、好きなゲームや漫画は何かなど話は尽きなかった。好きな奴はいるか、なんてことも話した。黒野はノリノリだった(女子かよ)。たくさん笑って、どんどん黒野を知っていった。結局その日は一二時過ぎには寝る予定が、徹夜になった。ポテトチップスも三袋なくなった。明日の反動がコワイな。



*殺人犯

 二月の寒空の下から、校舎の中に入っても気温はそこまで変わらなかった。行き道の途中、近所の人が朝から水回りの掃除をしていたのには、見ているだけで体が震えた。気だるい階段を上って教室に着くと、佐野内君はもう席に着いていた。じっと本を読んでいる。

「イェーイ、おはよ!」

僕が飛びつくと、佐野内君は肩を揺らして驚き、苦そうな顔をしてふり向いた。

この顔が面白くて仕方ない。

「本読んでんだからもっと普通に登場しろよ!」

「えぇ~、せっかくの朝なんだからもっとテンション上げていかなきゃ!見てよ、この空。太陽がまぶしくない!?」

「ほとんど雲じゃねぇか。つか、雪まで降ってるし」

「そ~、超寒かったんだよ。手袋もないしさっ」

「あーあ」

佐野内君は肘をつきながら、残念だなというように笑った。そのまま本に顔を戻すかと思いきや、ふと何かに気づいたように顔を上げる。

「今日、伊崎は?」

教室を見渡す佐野内君。乾燥した唇を噛んで、どこから切り出そうかと考える。そうは言っても、うまくごまかす言葉なんて見つからない。佐野内君が、難しい問題でも解いているような顔を僕のほうへ戻した。この顔は既に気づいているだろう。

「あー、伊崎、いなくなっちゃった。ごめんね」

「お前が謝ることじゃないだろ」

「そうだね」

そういって軽く笑う。

「大丈夫か?」

何回か瞬きをする。この季節は目も乾燥してよくない。

「何が?君こそ大丈夫?眉間にめっちゃしわ寄ってるよ、般若みたい」

「何だよ、それ」

彼はあきれたようにため息をついた。ようにじゃなくて、割と本気であきれられてるな、こりゃ。佐野内君は一瞬僕をチラッと見て、再び本へと視線を落とした。分厚いハードカバーの本だ。五百ページくらいはありそうだ。僕なら一ページ目を開いた瞬間、嫌気がさして本棚へと戻してしまうような代物だ。

「それ、何読んでるの?」

「{神隠し 異界からのいざない}小松和彦作」

佐野内君が背表紙を見ながら答える。まだ五分の一ほどしかページが進んでないのを見ると、最近読み始めたものらしい。

「へーおもしろい?てか、そういうSF系好きなんだ?」

「なんでだよ。別に好きでもないけど、なんか参考になるかもしれないじゃん」

一瞬思考が止まる。参考・・・。

「あぁ!もしかしてこの現象の?」

「声が大きいよ!」

佐野内君は周りを気にしていたが、正直ここらの連中はそれ聞いても普通にスルーされるだけだと思うけどな。そもそも下手に関わってきたら、広まる前に消されちゃうだろうし。佐野内君、頭いいのになんで気づかないんだ。

「勉強熱心だなぁ。変な方向行ってる気がするけど」

「わかることもあるかもしれないだろっ。この世界から抜け出せる道もあるかもしれねーじゃん」

「抜け道ね、そんなもん存在するのかねぇ?」

彼はその質問には答えなかった。その態度に何となく不満感を覚えた僕は彼の上靴の{佐野内}の初めに{イケメン}をマジックで付け足した。真剣な表情がなんともイタズラ心をくすぐる。佐野内君はというと、相変わらず本に夢中で全く気付かない。よってもう少しだけ付け足すことが決定。一人黙々と作業を続け、両足飾り終わったころに佐伯先生が入ってくるのを見かけ、席に戻った。

 じゃあねというと、佐野内君はおーと返してきたが、一向に上靴には気づかない。うんうん、そのくらいのバカさ加減が好き。

 結局朝礼後僕がネタ晴らしするまで彼は一向に足元に目をやらなかった。

「なーっ、お前何やってんだよ!」

と予想通りの反応をしてくれたので、僕は満足した。ところで、佐野内君の足は凍傷にでもなっているのだろうか。彼の今後が心配だ。


 休み時間に隣のクラスの栄が佐野内に話しかけるのを見た。佐野内の嬉しそうな表情からおそらくはあの件に関してだろう。

 授業が始まりしばらくすると、前の席から小さなメモが回ってきた。

「ほい、佐野内から」

「あーありがと」

わざわざ授業中に回さなくても、後で直接言えばいいのに。メモには{栄がちび達もらってくれるって}と殴り書きされていた。全く、佐野内君の溺愛っぷりがうかがえる。子猫達を僕が出してから、里親の捜索が始まって今日で一週間くらい経つ。早めに飼い主が見つかってくれたことは喜ばしいことだが、佐野内君は猫たちの間に絆を築いてしまっているらしい。クロは今日ミルクをお代わりしたとかシロにはリボンが似合いそうだとか。普段無口なくせに、このことになると止まらない。名前は付けるなと言ったのに、わかりにくいからと二匹を色で分けて呼ぶ。それじゃあ忠告した意味がないじゃないか。彼らとの別れの挨拶には相当な時間が費やされることが予想できる。

 まあ僕もあれ以来猫たちに会っていなかったし、もう一度だけ会いに行きたいなあ。佐野内君はいつ子猫達を引き渡すんだろうか。そんなことをぼんやり考えていると、黒板の文字が消されかかっていたので、あわててシャーペンを手に取った。


「栄君って元々猫飼ってたんだっけ?」

「ううん、でもハムスター飼ってたって言ってた。でもその子が去年死んじゃったらしいよ」

佐野内君の家に放課後寄り、シロを抱えながら問いかける。栄とはあまり話したことがないい。僕自身交友が広くないというのもあるかもしれないが、クラスが違うのでお互い見たことあるかな程度の関係だった。佐野内君は中学のころから同じで、中三の時は同じ部活に入っていたと言っていた。栄君は一学期の後半、受験による部活停止直前に入ってきたそうだ。

「でもまぁ動物飼ってたんなら、安心して引き渡せるね」

「どうだろ、ハムスターと猫の育て方は違うからな」

「いい加減区切りつけなよ~、もう引き渡すんだからね?」

佐野内君は真剣に、そしてひそかに栄に対して抵抗心を出しているらしいが、見え見えすぎて笑えてくるほどだ。ほほえましいと言えばほほえましいが、現状このままでは危険だ。

「佐野内君、本当に愛情与えすぎないでね?好意を寄せすぎると、その対象の消滅を早めちゃうんだからね」

僕の言葉に佐野内君は痛いところを突かれた様な顔をした。さらに頬を膨らませてひねくれたポーズを作り、「わかってる」とつぶやく。佐野内君はこれを素でやるから恐ろしい。

 その後栄に電話で連絡を取り、明日引き渡すことに決定した。放課後、佐野内君の家まで来てくれるらしい。佐野内君は電話で話し終わった後は少し寂しそうな表情を見せたが、すぐに“めいいっぱい遊ぶぞ”テンションに切り替えた。その切り替えの早さに、

「佐野内君の動物大好きオーラによるテンション上げ上げモードは人間には適用しないの~?たまには僕も労わってくれたっていいんじゃない?」と冗談交じりに聞いてみたら

「バカ、別に大好きオーラとか出してねぇわ」と投げ返された。だったら、クロをなでてニヤニヤしてるその表情の意味を教えてほしい。


 佐野内君と別れてからの帰り道は、すっかり暗闇に染まっていた。ちらほらしかない街灯が地面に置かれた雪を照らしている。寒さで息が凍る。バスや電車通学でないので、一度体を温められる場所もなく、ひたすら早足で家へと向かった。

しかし途中で寄り道をして、少し前までずっと通っていた道へ入っていく。通りを抜けた先には住宅地が広がっていて、一つの家の前で立ち止まる。ここら辺は最近開発されて、ほとんどの住宅が真新しい肌を見せていた。僕の前にある家もまたしかり。

昨日まではこの場所にはそぐわない建物があったというのに。伊崎の家は築二十年ほどの団地で、壁にはひびが入ったり、書いた人物は既に大人だろうという消えかかった落書きが残ったりしていた。しかし、今は白い壁を見せつけるように、大きな家がそびえたっていた。

 ほんの少し苦しさを覚える。家の威圧感からかもしれないし、旧友の影さえなくなってしまったことからかもしれない。僕はひたすら頭の中でどうにもならない自責を繰り返した。今さら謝っても、謝ること自体が彼への冒涜の様にも感じられた。

最初から期待など持たなければよかったのに。今まではこんなことにはならなかった。だからと言って佐野内君を責めるか、いやそれこそ最低。

 殺人犯の僕は被害者の前では洗いざらいすべて吐くしかない。僕は伊崎に少しの好意を持ってしまった。正確には期待。彼もまた、僕や佐野内まなとと同じ人間なのではないか、と。それの代償は頭に入っていても、もしかしたらという衝動が抑えられなかった。結果招いた結末がこれだ。伊崎は寿命を早め、消えてしまった。

 あそこで手を離していれば、ちゃんと自分の中で感情制御できていれば。そんなただの言い訳にしかならない言葉が尽きることなく出てくる。頭に血が上り、何かを無性に殴りつけたい気分になった。肩掛けカバンを脱ぎ捨て、勢いのまま目の前の白い壁へと投げつける。そしてそれはガッとこすれたような音を、立てる前に消えてしまっていた。顔を上げると、そこには大きな家も、古びた団地も、何も残っていないただのさら地へと変わってしまっていた。投げたカバンが僕から少し離れたところに、死体のように転がっている。ハッと声にならない息が漏れ、心の中がひどく揺さぶられた。叫びは外に出ることなく、自分の中で強制的に閉じ込めた。走ってカバンのもとに駆け寄り、振り返ることなくその場を立ち去った。



*お仲間発見

「なぁ少年、共に大使を抱こうではないか」

「ボーイズビーアンビシャス、って朝っぱらから何言ってんだお前は」

黒野は今日もまた朝から訳の分からないテンションで騒ぎまくる。なぜか今日は唐突に北海道に行きたい気分になったとか。

「いーじゃん、北海道!行こうよ~」

「ここでも既に寒いってのに、ここからさらに北へ行きたいのかお前は。頭の中まで凍ってんじゃねぇの」

「言うねぇ、佐野内君。大丈夫だよ、バカは風邪をひかないっていうから」

「んだと、てめえ!」

「あはは~、そういう簡単に乗っちゃうところが単細胞なんだよね。佐野内君の勉強した中身はどこに行ったの~?」

あ~腹立つ、でもここで言い返したらまた奴の思うつぼなので言い返さない、言い返しません!なんとかいらだちを静め(ようと努力して)、落ち着いた口調で尋ねてみる。

「なんでいきなり北海道なの?」

「ん~わかんない。でもほんと唐突に北海道のあの景色が見たいって思ったんだよね!」

「なんだそれ」

なぜか自信気に語る黒野に、苦笑いしか出てこない。本当にこいつは感覚だけで生きてるよなあとしみじみ思う。

「まあ、いつか行けたらいいけどなぁ」

「でしょ!?カニ食べまくって、牛に会いに行くんだ~。あ、あとトランプも必須!夜中にみんなでやりたい」

「トランプってお前中学生かよっ」

ツッコまれた後も嬉しそうに笑う黒野に自然と俺も笑えてくる。確かにやりたいな。いつになるかはわからないけれど、こういう風に未来の予定を立てるのは気持ちが弾んだ。

 その後も黒野と時計台はマストとかメロンを一玉頬張りたいとか全く予算を考えていない様な計画が散々出てきた。でもそれすらも面白くて、将来必ずやり遂げようという約束が二人の間に交わされた。


 日も暮れ始めるころに授業が終わり、栄に猫たちを届けに行く時が迫っていた。一度家に帰って、クロとシロを迎えに行かなければならない。帰り道が近づくに連れて、段々足取りが重くなっていった。隣にいる黒野に自然と泣き言を聞かせてしまう。

「あー本当に離れたくないなぁ。クロ達だって絶対寂しがると思うんだよ」

「全く大の大人が何言ってんだよ」

「まだ大人じゃないし」

「何をこんな時だけカワイ子ぶってんの」

黒野の厳しいツッコみに、だってさ~と反論をつぶやいてみるけど、気分は一向によくならない。前々からわかってても寂しいものは寂しいよなぁ。

「お前はいいのかよ、あんなに可愛がってたくせに」

半ばいじけ半分でそう聞くと、黒野は何も言わずに笑みを浮かべた。え、と俺が声を出す前に奴はもうそれを行っていて、いきなり持っていた段ボールの重量が減った。段ボールの中にいたシロが黒野の手の中に移動している。なるほど、黒野はいつでも好きなものを取り出せるんだった。

「ずっりーよ!お前だけ!」

「へっへ~、なぁシロ、僕に会いたくなったらいつでもいいなぁ?すぐに駆けつけてやるからっ」

正確にはシロのほうが黒野のもとに呼び寄せられる形になるのだが、そんなことはどうでもいい。

「ずるいずるいー」

「まあそういうなって、佐野内君」

黒野はしゃべりながらシロの毛並みを触り続ける。なんで黒野だけなんだ、神様とやら、こいつは不公平じゃないか?心の中で愚痴を吐きまくる。すると突然、黙り込んだ俺を見て黒野が笑い出した。

「うそうそ。こんなこと、もうしないって。シロ達に消えてほしくないもん」

「え?あ、あぁ。でもちょっと呼び出しただけで、消えちゃうのか?」

「いやたぶんそんなことはないと思うけど。もし消えちゃったらって思うとさ・・・。佐野内君だってクロとシロにはぜーったい消えてほしくないでしょ?」

「いやだ!」

俺は大声で叫んだ。その様子に黒野がまた「あはは」と笑う。

「じゃーもう、一生会えないのか?」

「ん~、そうだね。触れずに見るだけとかならまだ大丈夫かもしれない」

やった。沈みかけていた気分が再び高まる。

「ほんとか!?じゃー毎日会いに行く!」

「だから毎日はダメだって」

「ああ、じゃー月一!」

「おっけ~」

はしゃぐ俺に黒野はあきれ半分で、応対する。

「やったな、クロ」

段ボールの中で丸まっていたクロの背中をなでる。すると、クロは起き上がってク~ンと鳴きながら、俺の手に顔を擦りつけた。その様子が愛しくて、口角が上がる。次の瞬間、クロが俺の手の中から消えた。ハッとして隣を見ると、黒野が二匹ともを抱え込んでニッコニコしていた。

「おいこら!」

「ニャ―――ッ、もうほんとかわいいな、お前ら。クロ、大丈夫か?変な茶髪のおっさんに捕まって、かわいそうになあ」

「お前、それ暗に俺のこと言ってんのか」

「うわっ、こわい!クロ、シロ!変な人が吠えてるよ」

黒野がシロとクロを俺に向けて言う。俺が「何だと」と言おうとすると、シロとクロも俺に向かってシャーとうなりだした。

「え!?何で!?」

半泣き状態で叫ぶ俺に黒野はもう大爆笑。もうひーひー言って笑っている。その様子に腹が立ち、クロとシロを取り返そうと黒野に近寄る。すると黒野はそれにいち早く気づき、「やべ」と言い残して逃げ出した。俺も逃がすまいと黒野を追いかける。結果栄との待ち合わせ時間には遅刻したのは言うまでもない。


 栄の家の前で数分ほどうろうろしてから、やっとのことでインターホンを押した。遅くなった理由を聞かれ、黒野が「変な人に追いかけられ・・・」と言いかけたのをひじ打ちによって抑え込み、「道に迷った」とだけ答えた。黒野の視線を横から感じたが、気にせず進もう。

 栄の家にはもう猫用のゲージやキャットフード、遊び道具までそろっていた。なんでもクロ達を譲り受けることが決まってから大急ぎで集めたらしい。栄の気持ちはクロ達に対する気持ちは嬉しかったが、その分同時にもっと早くクロ達を引き渡していたほうが良かったかもしれないという後悔も沸いた。自分がクロとシロにしてあげられたことと言えば、せいぜい寝床と食事を与えたことくらいだ。すまん、二人とも。

 クロとシロは俺が持つ箱の中でにゃーにゃー鳴いている。一週間で少しくらいは大きくなるかと思ったが、あまり変わらなかった。代わりに元気だけはついたが。栄にとりあえずの、「ミルクは温めすぎず、ぬるめで」とか「あごの下をなでてやると喜ぶ」とか対して参考にならない様なアドバイスをして、手短に家を出た。長居しても迷惑だろうし、ダラダラと別れを惜しんでいてもどうにもならない。

 帰り道は再び黒野と昼間の空想旅行の続きをした。


夕方母さんに夕ご飯の食材を買ってくるよう頼まれて、近くのスーパーへ向かった。安さが売りなのに、今日はその安さをさらに下回る激安タイムセールが行われるらしい。ここまで安さを求める意味があるのかと疑問に思いもしたが、スーパーではタイムセール前からすでに長蛇の列ができていたので、やはりいいものなのだろう。店員さんも休む暇なく、せかせかと詰め込む用の袋を配っている。セルフにしたらどうかと思ったが、戦場と言われるタイムセールだ、何かいろいろ事情があるのだ、きっと。まあ今から俺もその戦地に向かうわけだが・・・。周りを囲むおばさまたちの熱がひたすら気を重くさせた。

タイムセールは何人かのグループごとに行うらしく、そうこうしている間に自分の番が来た。

「では、どれほどニンジンを詰め込めるのか、頑張ってください。よーい、スタート」の合図と同時に五分間の詰め込み競争が始まった。いっぱい取ろうとか余計な欲望は置いといて、自分の前にあるものをつかんではいれ、を繰り返した。袋がだんだん突っ張ってきた頃、自分のすぐ隣で叫び声が聞こえた。見ると、店のエプロンを若い女性が腰を抜かして、倒れている。袋を置いて、駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

「あ、あ、真由美さんが・・・」

「え?」

彼女は一点を指差し、声を震わせながら話す。その目は恐怖に染まり、ひどく動揺しているようだった。嫌な予感がした。とりあえず床に座ったままでは危険なので(おばさまたちに足蹴にされてしまう)、彼女を支えながら立たせ近くのベンチに座らせた。タイムセールは時間を過ぎて、元々彼女が言っていた終了の合図を他の男性店員が行っていた。彼女が叫んだ時、他の客たちは叫び声を聞いていたはずだが、一瞥もしていなかった。

 彼女は素直にベンチに腰を下ろしたが、すぐに何か気が付いたように立ち上がった。

「お客様、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ございません。もう大丈夫ですので、引き続きお買い物をお楽しみくださいませ」

そういって彼女は深々と頭を下げたが、その表情は硬く、まさに顔面蒼白だった。言葉とは裏腹に大丈夫でないのが明らかだった。

「俺は平気ですから、少し休んでいったらどうですか?店員さんも増えてきているし、店内もうまく回っている気がしますけど」

俺はセール会場を指差しながら答えた。セールは止まることなく、次のグループの番になっていた。それでも彼女は「でも・・・」と口ごもったが、無理やり彼女の手を引いて座らせた。

「その表情じゃ今言ってもいい接客はできないと思いますよ。一度休んでいくのが得策です」

そう言われて彼女は大人しく「はい」と答え、「すいません」ともつぶやいた。えらくシュンとなっているように見えたので、こっちの都合もあって呼び止めた自分としては少し気が引けた。しかし、予想が当たっているのなら、引き下がることはできない。

「実は同じパートの真由美さんという方がいきなり消えてしまって。あの信じてもらえないかもしれないんですけど、ほんとに突然、姿が薄れていったっていうか・・・」

「信じてるよ」

 やはり当たりだ。俺の言葉に彼女はひどく驚いたような表情を見せた。

「え?」

「俺もこの現象あったことあるんだ」

「そうなんですか!」

「うん、一度だけね。俺の高校の先生が消えちゃった」

それを聞いて彼女は眉をひそめる。そしてさっきよりも小さな、弱った猫の様な声で切り出す。

「そうですか。私は今回が二度目です。一度目はお隣りのおばさん、そして二回目が・・・。真由美さんはいつも私に優しくしてくれた頼りになる先輩だったので、本当にショックで」

言いつつ彼女は涙目になっている。よっぽど好きだったのだろうということが、彼女の表情から感じられた。彼女は目元をぬぐった。ハンカチを差し出すと、「すみません」と笑いながら謝ってから、また泣いた。一度では足らず何度もぬぐって、次に顔を上げた時は目の周りが赤くなっていた。彼女は一度呼吸を整えてから再び話し出す。

「私同じ境遇の人に会うのこれが二回目なんです。あなた以外にもう一人、大和茜ちゃんって子もこの世界に入り込んじゃったみたいで」

「そうなんだ。俺も一人知り合いがいるよ。そいつは子供のころからこの状態だったらしいけど。あ、よかったら四人で会わない?仲間がいると心強いし、お互い情報交換にもなると思うし」

「はい、ぜひ!」

 彼女は笑顔でうなずいてくれた。その分目元の赤みが目についた。彼女とは今会ったばかりだが、彼女を見ていると早くここから抜け出す方法を見つけたいといっそう強くなった。

 彼女の名は栗山ゆきという名らしい。ウェーブがかった茶色の髪にぴったりだと思った。目は赤く腫れてはいるが、ぱっちりとした二重で、THE女の子という感じがした。さっきからほとんど笑顔を崩さないところからもそんな印象が浮かんだ。もちろんそんなこと口には出さなかったが。

 連絡先を交換して、また後日会おうということになった。その後彼女は礼を言って、その場を立ち去った。目元は冷やしていったほうがいいというアドバイスをすると、彼女は照れたように笑ってから「ありがとうございます」とつぶやいた。



*背中を押す手

 日曜日の午後、佐野内君と共に駅前のカフェに向かった。少しオシャレな外見で友達と一緒にじゃなきゃ絶対来ない様な店だった。店内に入り、待ち合わせ時間よりも少し早めに席に着く。佐野内君が言うには新しい仲間を見つけたそうだ。

「ゆきさんってあそこの国立大学の大学生らしいよ」

「一人暮らしだって、ちょっとあこがれるよなぁ。あ、お前既に一人暮らしだっけ」

佐野内君はコーヒーを飲みながら、話し続けた。今日までの間に何回か連絡を取っていたらしい。彼はゆきさんに会うのを楽しみにしているようだった。

実に複雑な気分だ。偶然とは全く興味深い。望みとは無関係に、ただ唐突に起こるものなのだと実感した。胸がうずいて落ち着かない。

伊崎は消えたくせに、他の子は現れるんだ。

誰に対してでもない皮肉的な解釈を頭が勝手に実行していた。

「そうだね、早く会いたいよ」

いっそ自虐的にそうつぶやくと、彼女たちはそれを聞いていたかのようにちょうど店には入って来た。ほんと偶然とは恐ろしい。店員に声をかけられた彼女に佐野内君が手招きをする。すると、二人のうちの一方は笑顔でそれに答えた。もう一人はじっとこちらを見つめている。何かを観察しているような視線だった。

「ごめんね、遅くなって」

笑顔の彼女は、手を顔の正面で合わせ、申し訳なさそうに言った。

「大丈夫、もしかして走ってきたの?」

「うん、ちょっと電車に乗り遅れちゃって・・・」

佐野内君と笑顔の彼女との間で、普段から話しなれている雰囲気が感じ取れた。笑顔の彼女は息を切らしながら、こちらに顔を向け、挨拶をした。名前は栗山ゆき。一月生まれだからゆき、でも生まれは関西圏でほとんど雪は降らなかったらしい。へぇ、そうなんですか。と我ながら実にあいまいな返事を返した。・・・次はもう少し表情筋を柔らかくしておこう。その後も軽く自己紹介をしてくれたが、ほとんど佐野内君からすでに仕入れていた情報だった。

「ねぇいい加減座ったら?」

「あぁごめんごめん」

無表情の彼女は、笑顔の彼女の袖をひっぱり座るように促した。丸いテーブルを四人で囲むような席に、佐野内君、僕、無表情、笑顔の順で席に着いた。

彼女達が紅茶とココアを注文し、佐野内君がコーヒーのお代わりを注文してから、再び自己紹介の続きが始まった。

「黒野亜希です。よろしく」

とりあえずの笑顔でそう言うと、無表情の彼女が「亜希って女の子みたい」と小声でつぶやいた。しかし、昼飯時(この店ではランチタイムのほうがいいかも)を過ぎた店内で客は少なく、それはテーブルの全員に聞こえたようだ。笑顔の彼女は「確かに!」とまじめに納得したような顔、佐野内君は普段なら僕がしているようなニヤニヤ顔を見せ「よかったじゃーん、亜希ちゃ~ん。可愛いってよ~」と茶化してきた。つぶやいた本人はというと、特になんの反応もなく紅茶をすすっていた。僕はその後年齢だけ手短に言うと、自己紹介を終えた。佐野内君が「すねてんの?」と再びニヤニヤ顔で言ってきたので、丁重に頬をつねらせていただいた。

 佐野内君が頬をさすりながら、名前と学校名を言い、無表情の彼女に引き継いだ。今さらのような気もするが、彼女の外見はまっすぐな黒髪を後ろで一つに束ね、モノトーンのセーターを着て、とても大人っぽい印象の子だった。背筋がピンと伸びて、しっかりと鼻筋が通ったその顔は、無表情であることも重なり、絵の中のモデルの様だ。

「大和茜です。十六歳、三河高校二年です」

彼女は簡潔なことだけを淡々とつぶやいた。

「え~、同い年に見えな~い。落ち着き方が既に子持ちの奥様って感じー」

さっきの仕返し心を少し含めてそう返すと、彼女は「そうですか」と端的につぶやいた。端的にという表現は的確でないかもしれない。例えると僕らの会話が徒歩程度のスピードだとして、彼女の言葉は高速道路を速度制限ギリギリで飛ばして走る車ぐらいのスピードだった。つまりは全く興味がなさそうということだ。

「亜希君すごい!確かに茜ってお母さんって感じなの!」

「え」

ゆきさんが興奮気味に話す。僕の皮肉を、褒め言葉として素直に受け取ったらしい。天然か、この人。

「茜は家の手伝いとかもよくしてて、家事は全般できるの。むしろ一人暮らしのあたしよりも料理上手いくらい」

栗山さんが目線をそらしながらつぶやいた。まあ確かにそんな感じがする。登場してからの二人の行動を見ると、はしゃぐ子供とそれを引き留めるお母さんという構図が思い浮かんだ。

「別にそんなことない。ゆきだってレシピ見ながらおいしいの作ってくれるじゃん」

「あれは、お母さんっていう先生がいたからできたわけで・・・」

違う話題が始まり、なかなか本質に入っていけなさそうだったので、申し訳ないがそこで二人の会話を切らせてもらった。栗山さんは慌てて「あぁごめんなさいっ」と、茜さんは「あ、忘れてた」とつぶやいた。いや、忘れるなよ。

 今日二人から集まった情報は三つ。一つ目は、事が始まったのは去年の十一月頃で、一人目の被害者は共通して黒野美千留という人物。二つ目は、彼女らは佐野内君と同じく、生き物を作り出す能力は持たないということ。三つめは、黒野美千留は僕の一つ前の母親だということだった。

「美千留さんは私のご近所さんで、時々晩御飯を分けてくれたり、家事の上手いこなし方を教えてくれたりしたんです」

「そうなんだ。優しい人だったんだ」

「はい、本当によくしてくれて、素敵な人でした」

 雪さんは迷いなくそう言い切った。しかし、その表情に陰りがあるのは僕の元母親のことを思ってのことだろう。彼女は思いつめたような表情のまま再び口を開いた。

「でも、亜希君のさっきの話から考えてみたら、原因はやっぱり私だよね」

さっきの話とは、この世界についての僕が知る単純なルールについてだ。軽くまとめると、別の世界から来た人間はこの世界の人物と接触しすぎると、彼らを消滅させてしまう。その期間は約一か月。しかしこれはその人物同士の距離の近さによって左右される。例えば、学校で毎休み時間話す友達は規律通り一か月程度で消えるが、時々挨拶するぐらいの関係なら一年、もしくは十年以上保てるのだ。逆に過度の接触をしすぎると消滅する時間を早めてしまう。伊崎がその実例だ。

つまりゆきさんが言う原因は私というのは、自分が僕の母親が近づきすぎた結果僕の母親は消えてしまったのだということだ。

「確かに、近所の人にしては仲良すぎたかもねぇ」

茜さんは深く考えた様子でつぶやいた。しかし、放った言葉は直球だった。もう少し柔らかく言ってやったらどうかとも思ったが、それを声に出すのはやめた。見かけを変えれば、中身が変わるというわけではないのだ。事実が覆る訳じゃない。

「知らなかったのなら仕方ないんじゃないですか?」

僕の発言にゆきさんは口ごもった。

「でも、そんなの、美千留さん達からすればだからなんだってやつですよ。知らなかったって言えば、美千留さん達が返ってきますか。そんなの言い訳です」

言い切ってからゆきさんはハッとしたように顔を上げた。

「すみません、亜希君を責めてるわけじゃなくって、ほんと自分が悪いんです」

 そういって彼女は再び顔を下げた。

「いや、そこは気にしてないですけど、なんか意外です。ゆきさんって割とちゃんと考えてるんですね」

「・・・どういう意味ですか」

「そのままですかね?」

 ゆきさんが首をかしげてじっと見てくるので、僕はにっこりと笑い返した。


「ゆきさんは自分が悪いって言ったけど、やっぱそれは違うと思います。俺らが間接的に人を消してしまったのは間違いないけど、そこを責めるのはやっぱり違う。だって俺たちは普通に誰かと関わりたいと思っただけなんですから。それは人間として普通のことっすよ」

「そうそう。それを悪いって言うならこの世界を作った神様ってやつが一番の悪党よ」

 佐野内君の後に茜さんが続く。神様が一番悪いか。確かにそれは言えてるかも。僕たちはあくまで偶然選ばれて、勝手に殺人鬼にされたわけでさ・・・。こういうことを真剣に考えていると、なんだか胸糞が悪くなる。目の前のコーヒーを飲み干して、気持ちを静める。コーヒーは既に冷たくなっていた。

 すると背中に衝撃が走った。あまりにいきなりのことすぎて、僕は手に持っていたカップを危うく落とすところだった。背中を何者かに叩かれたらしい。僕の隣を確認すると、ニヤニヤ顔と無表情。初対面の茜さんがそんなことするわけもなく(いや、彼女ならするかも・・・)、犯人はもちろん佐野内君だった。

「だから今はそれを気にしてもしょうがない。だったら、どうやったらこの世界から抜け出せるかを考えようぜ。そしたらここの人たちも消えなくて済む!みんなで元の世界に戻ろう!」

佐野内君は胸を張って言い切った。なんの根拠もなしに彼はそう言う。でも今はそれがなんだか楽だった。胸の奥のつっかえが薄れた気がした。

「佐野内君、もう言い方がバカっぽい」

「なんでだよ、別に普通だろうがっ。お前、バカの基準、俺だったらなんでもバカに当てはめとけばいいと思ってるだろ!」

「え?これは俺だけじゃなくて、万国共通の認識ですけど~?」

「んな訳あるかっ」

 佐野内君をいじり倒す僕の正面から、小さな笑い声が漏れた。ゆきさんが僕らのほうを見て、フフッと笑っている。

「二人とも子供みたい~」

「というか、会話のレベルが小学生」

淡々と茜さんが付け加える。その二人の言葉に「ほら、また話ずれたじゃんか」と佐野内君があきれ半分で笑っている。つられて僕もなんだか楽しくなって、そのまま最近の佐野内君事情へ話を進めた。佐野内君に水虫の疑いがあるとか、授業中寝てると時々半目になっているとか、しょうもないことばかりだったが、二人は嬉しそうに聞いてくれた。ゆきさんは終始笑いっぱなしで、茜さんも僕が佐野内君の寝方の真似をしたときにフッと笑い声を漏らしていた。佐野内君の好きなタイプを切り出そうとすると、僕の耳を佐野内君が引っ張って「おいっ」と、恥ずかしくなったためか真っ赤な顔で脅してきた。全くこわくない、むしろ笑いがこみ上げてきたが、これですねると面倒くさいので、それ以上はやめておいた。残りは次回まで取っておく、もしくは佐野内君のいないところで話すとしよう。


*暴かれた秘密

 休みの日にはあのカフェに出かける。日曜日の午後、昼食を食べてから俺は自転車でその場所へと向かった。

 自転車を三十分ほど走らせると、見慣れたカフェが立っていた。時計を確認すると、集合五分前だった。自転車を置いて、店内に入り、あたりを見渡すと、外の席によく知る女性が座っていた。黙々とケータイ画面に向かって何か打ち込んでいる。その横顔はいつになく真剣だった。すると、ふとその女性が顔を上げて周りを見回した。そしてちょうどいい具合に俺のところで視線を止め、小さく手招きした。

「ゆきさん、その席寒くないんですか?」

彼女はクリーム色のセーターをシャツに重ね、下は黒色のスキニー姿だった。今まで見てきた彼女の印象とは少し違って、大人っぽい、というより年齢にあった大学生らしい服装だった。しかし、その格好で二月の風はしのげないだろう。

「う~ん、寒いけど、冬の空気感が好きなんだよね。あ、佐野内君中がいい?」

ほっぺがほんのり赤い色をした彼女は店内にある席を指差して言った。しかし、店の中も三時のティータイムに来た客で込み合っていた。このカフェではケーキもおいしいのが置いてあるらしい。

「いや、大丈夫です。それよりゆきさん今何してたんですか?」

「ん、ちょっとね」

そういってゆきさんは目をそらした。う~ん、何か怪しい。ゆきさんが手に持つケータイに視線を落とす。やけに熱心に打ち込んでたよな・・・。俺の視線に気づいたのか、ゆきさんはケータイを俺から遠ざけた。

「何してたんですか、そのケータイで」

「いや別に何も」

「ゲーム?あ、彼氏にメールとかですか」

「違うよ。そもそもそんな人いないし。ほんとに何もしてないからっ」

明らかにさっきよりも早口になっていて、嘘をついていることは明白だった。めちゃくちゃ興味があるというわけでもないが、隠されると見たくなるのが人間だ。

「何ですか?そんな隠さなきゃいけない様な変なことしてたんですか?」

「してないよ!・・・絶対ひかないなら見せてあげる」

「ひかない、絶対ひかない」

手短に答えると、ゆきさんは一瞬ためらった表情をしたが、ケータイ画面は見せてくれた。画面にはあるホームページが映し出されていた。一番上のページには{ホットケーキ文庫}と何やら書店の名前の様な言葉があった(それにしてはファンシーすぎるが・・・)。様々な会社の広告をまたぎながら、文章が五行ずつくらい分けられて置かれている。そのうちの一つに目を通す。


{無職のニートがひょんなことから警察官幹部と間違われ、様々な事件現場を回る羽目に!?丸山千代最新作、刑事ギャグ漫画!!}

それは漫画や小説などの創作サイトだった。

「あぁこれ読んでたの?」

「ん~読んでたんじゃなくって、か、書いてたかな・・・?」

彼女は顔を伏せながら、とても小声でつぶやいた。おそらくアリが話をし出したら、このくらいの声だろう。顔はしばらく伏せていたが、耳が赤くなっているのでどんな表情になっていたかは想像がついた。

「え、ゆきさんじゃあ漫画家なんですか?」

「いやや、そんなんじゃないよ!ただの趣味、ここは素人さんでも投稿可っていうサイトで」

「へ~、ゆきさんのどれですか?」

「えっとね・・・、これ」

彼女はケータイの画面を操作して見せてくれた。題名は{真夜中の汽車}。一話目を開いてみた。ストーリーはライトという男の子が亡くなった両親を追って、死後の世界へと人々を届ける汽車に単身で乗り込む話だ。その汽車の車掌が気難しく、初めはライトをさっさと追い出そうとするが、ライトの突飛な行動に翻弄されてしまう。この車掌とライトの掛け合いが面白くて、読んでいる間に自然と笑みがこぼれた。また夜の描写が多いのに鮮やかに感じるのは絵のかわいらしさからだろう。絵からも男の子の性格が伝わってくるような気がした。そのまま二話に手を出そうとしたら、「もうダメ―」と閉じられてしまった。目の前で読まれるのは作者としては、恥ずかしさが耐えられないらしい。

「車掌さんって頑固っぽいけど、実は面白い人なんですかね?」

「そうだね、拓斗君、あ、ネタバレしちゃった。ほんとの名前は拓斗君っていうんだけど、拓斗君も中身は子供みたいなもんだからねー。割と行動力もあるし、ライト君が動けないときとか助かってる」

 彼女は自分の子供の様に嬉しそうに語った。実際彼女曰く「自分の子供にいたら、絶対毎日うるさーいって叫ぶ」としっかりその辺も想像していたらしい。

「すごいなぁ。素人のレベルじゃない気がする」

「あはは、そういってもらえると嬉しいけど、やっぱり本物の人はもっとすごいから」

「そうなんですか?」

「うん、とくに内容に関していえば、私なんて足元にも及ばない」

俺は少し黙ってしまった。

「そうかな。俺ストーリーがどうとかよくわからないですけど、ゆきさんの、設定とかも面白いと思うんですけど・・・」

「すごい褒めてくれるね、どうしたの今日」

そういってゆきさんは再びあははと声を上げた。


「でもね、やっぱり違うんだよ。深さって言うのかな、プロの人の作品はちゃんと何か伝えたいものみたいなのが見えてくるんだよ。よく{魂がこもってる}とか言われるでしょ?ちょっと過剰表現に聞こえちゃうかもだけど、ほんとその通りなの。伝えようとしなくてもその人の顔、性格とかが見えてくる感じ」

熱のこもった、芯の通った声だった。ちょうど風が吹いて、ゆきさんの髪が風にのる。

「まぁこれも人の受け売りなんだけどね」

言いながら彼女は耳に髪をかけた。ゆきさんは笑顔を崩さないままだった。少しピンク色の頬が、目じりと共に柔らかくなって、花のように癒される笑顔だった。しかし、それはどこか陰りがあった。


 その数分後、少し遅れて茜さんが登場し、最後に黒野が現れた。茜さんは運悪く渋滞に捕まってしまったらしく、黒野のほうは寝坊だそうだ。

今日集まったのは特に何をするわけでもなく、ただしゃべりたいからという感じだった。この世界では人と長くは話していられない。だからみんな時々ここに集まってきて、ひたすら世間話に花を咲かせるということだった。

昨日見たバラエティー番組の話、家から二駅ほど離れたところにあるおいしいケーキ屋の話、栄のうちにいるクロとシロに少しでいいから会いに行きたいという話。後半二つは今度みんなで行ってみようということになった。クロとシロに関しては、消える可能性もあるので、遠くから見るだけというルール付きで。


 帰り道にはいつものカフェに寄っていくというのが、いつの間にか日課になっていた。みんなそれぞれに飲み物を注文する。ゆきさんはキャラメルマキアート、茜さんはグリンティー、俺と黒野はコーヒーを注文した。ちなみに黒野はそこに自家製ロールケーキも付け加えていた(女子かっ)。

「亜希君のそれ、おいしそう~」

「うん、濃厚なココア生地に少しずつ散らばってるドライフルーツの相性・・・、最高」

「何を語ってんだ、お前は」

黒野はケーキを口に詰め込んだまま、「へーだろ」(おそらく「いいだろ」の意)と言った。

「ねえ、前黒野が見せてくれたあの魔法ってゆき使えないの?」

「え、魔法?」

ゆきさんが飲んでいたカップを置いて、首をかしげる。

「あ~、生き物を取り出す力のこと?」

「うん。あれ、私はできなかったんだけど、ゆきはできるのかなぁと思って」

「あ、できないできない」

ゆきさんは数回首を振った。茜さんは「そっか」とため息交じりにつぶやいて、腕を組んだ。茜さんは何を思ったのだろうか。そのままじっと考え込んでいる。

「へー!じゃあ僕だけが使えるって事じゃ~ん。やっぱ僕すっごーい」

「はい、お前はもういったん黙れ」

黒野の頬を手で押す。なんかもういっそのことこいつの気楽さがうらやましくなるな。

「まぁまぁ、まなとくん、どうどう。で、茜ちゃんは何が言いたいの?」

「いや、特に考えとかはないんだけど。亜希君だけ色々と皆よりすごいことが起きてるなあと思って」

 茜さんは無表情に黒野を見つめた。怪しがっている訳で

ない。しかしその声は何か腑に落ちないことがあるように聞こえた。黒野の身の回りで起こったことといえば、一つはその能力、あとは元母親が消えてしまったことくらいか?

「んー、まあ確かに。前原先生のも、佐野内君も関わってはいるけど僕も関係者の一人だしねぇ。まあもちろん僕が一番この世界での経験が長いわけだし、そんなこともあるかもしれないね」

「本当に、それだけ?」

「意味深な発言だね」

「・・・ゆきの二番目の失踪者、磯貝真由美さんもあなたと関わりがあるんじゃないの。あの方、小さいころあなたの家の近くに住んでいたそうね」

三人の間に緊張が走った。ゆきさんは「え」と隣にしか聞こえないくらいの声を漏らした。俺も茜さんの突然の告白に驚きが隠せなかった。これは偶然と呼べるものなのか。葛藤が頭で繰り返される。横目でチラッと黒野を見ると、当の本人はしれっとしていた。

「よくそんなことまで調べたね。どうやったの?」

「知り合いに警察関係の人がいて、この事件のことを探られない程度に、使えそうなことを少し調べてもらったんです。そしたら亜希君の過去の記録も伝わってきて・・・」

「な~るほど。確かに、磯貝真由美は僕の幼馴染だったよ。ていってもほとんど話したことないけど。家が向いだったから、たまに挨拶する程度。んで、小三くらいの時に向こうが引っ越しちゃったっけな~」

「そうだったのか。まあ世間は狭いって言うしな、そんなこともあるだろ」

「そう、だね」

口で言ってることとは違い、内心では焦っていた。茜さんが何を言いだすのだろうと、次に会話を進めるのが少し怖かった。

「本当にそれだけですか?」

茜さんは下向き加減で言葉を放った。短く、簡潔に、いつも通り感情を見せずに。

「それ以外には会ってないよ」

「嘘です。あなたは二週間前の今日、磯貝さんと会っています。あのスーパーの防犯カメラに、あなたが買いに来ていたのが写っていました」

黒野はふっと目をそらし、目の前の食べ終わったケーキ皿を見つめっていた。口をもぐもぐと動かして、でもじっと黙り込んでいた。

「・・・あなたは彼女があなたの幼馴染だということに気づいていましたか?」

茜さんが鋭い目を黒野に向けた。彼女の瞳は向けられただけで心の中が抉り出されてしまいそうな、真実しか受け入れてくれない拳銃の様だった。

 茜さんが言いたいことはつまり。

「この世界のルールは、あなただけに適用するものなんじゃないですか」

「つまりは僕がここの支配者だって?」

黒野は笑った。今まで見てきた笑みの中で一番、目が笑っていなかった。茜さんは無言でこくりとうなずいた。

「ははっ」

空気を掻っ切るような黒野の声がして、彼はそのまま「すみません」と手を上げて、店員を呼び、空いたケーキ皿を下げてもらった。誰もが沈黙のまま、黒野の返答を待った。

「気づいてたよ」

自分の喉がグッとなったのを聞いた。口は乾ききっているが、コーヒーには手が伸びない。

「やっぱり・・・」

「はい!ちょっと待って!」

ゆきさんが大きく手を上げた。勢いとは裏腹に、みんなの顔色をうかがいながら話し出す。

「どういうこと?何でそれで黒野君が支配者・・・?ってことになっちゃうの。今までの事件、黒野くんが全部に関わっていた、そこから黒野が最もここの世界の人が消えるという現象の原因に一番近いところにいる可能性が高いっていうのはわかったよ。支配者っていうのは・・・」

「だからさぁ、ゆきさん、僕がこの世界を作ったとか考えだしたりしない?もしも僕が意図的に君たちを引き込んで、意図的に周りの人間を消してるんだとしたら?だって動物まで取り出せちゃう人間だよ?僕がこのほかに君たちに何隠してるかなんてわかんないでしょ」

「それはないな」

きっぱりと断言する。今まで悪態ついてしゃべってたやつが固まる。

「お前はそんなやつじゃない。第一誰かを意図的に消した奴が、その消した奴思ってあんな表情しないだろ」

伊崎が消えた翌日、あいつは笑顔だった。でもその貼り付けただけの笑顔では抑えきれないくらいの落胆感が伝わってきたよ。

 黒野は真っ赤になって答える。

「バカじゃん!?そんなの、証拠になるわけないし!ていうかそれさえも演技だったって可能性とか考えないわけ?」

「たぶんないだろ」

「はっ、適当かよ」

黒野はあきれたように目をそらした。


「確かに俺の主観で、確実な理由はない。でも見てきた俺だから言えることだ。今までのお前が全部偽物だったってことはないだろう。もしお前の中に俺たちの知らないお前があったとしても、それは何かしらの理由があってしていることだと思う」

「・・・やっぱ佐野内君バカだ」

初めのうちは何やらパクパクと口を動かしていたが、それも無駄だとあきらめたようだ。

「ははっ、上等。お前は悪いやつじゃねぇ、俺が保証する」

黒野はため息をついて勢い任せに頭を重力に預けた。髪の隙間から見える耳はほんのり色づいている。こんな黒野今までに見たことないな。その様子がおかしくてつい笑ってしまう。

「素直で結構。ていうかよ、俺的にお前は、事件の原因が自分にあるってわかったら、とことん自分を追い詰めるタイプだと思うんだけど。そこんところどうなの?」

俺の質問に黒野がギクッとしたように「あ?」とつぶやく。ゆきさんも茜さんもあっけにとられ半分、興味半分で黒野を見つめる。

「いや、こっち見んな」

「どうなんだよ、黒野く~ん」

「別になんもないってっ」

「そうだよ、悩んでるならうちらにも言ってよ!仲間なんだからさ、一人で抱え込まないで」

「そーだそーだ」

「くっ、佐野内君はちょっと黙ってて!」

「あははははっ」

思わず大声を出して笑ってしまった。こんな黒野見たことない。照れて、強がって、どこのガキだよ、お前。

 ため息をついて、黒野がぼやく。

「佐野内君はずるいよね」

「え?」

「全部達観したような顔してさ~、あーもう。俺佐野内君の前では嘘つけないみたいです~」

黒野のぶーたれた顔は本当に近所の小学生みたいだった。弟がいたらこんな感じかもなとふと思った。俺は「よろしい」と笑いをかみ殺しながらつぶやいて、小学生のガキの頭をぐいぐいとなでた。

「はい、白状します~。たぶんというか確実に俺がここの事件の原因だと思う。それについてもう謝りようないけど、」

「謝る必要もない」

「わかったよ。でも君たちを引き込んだのはやろうと思ってやったわけじゃない。いやもしかしたら俺がなんかしたのかもしれないけど、意図的に引き込んだわけじゃないんだ。自分でも何がどうなってるのかわかんなくて、前も言った通り数十年ここで生きてきて、突然君たちが現れたわけだから、俺自身も驚いてます。いやでも、やっぱ言い訳がましいよな。謝ることには謝らせて。本当にごめん」

黒野は吐き出すように言い切った。ゆきさんが顔を上げ、俺と茜さんに合図を送る。

「うちらは気にしてないよ。まあ、全然平気って言ったら嘘になるけど、大丈夫よ。きっと乗り切れるわ」

「・・・楽になったか?」

黒野はこくんと小さくうなずいた。こいつもいろいろ抱えてたんだな。

「ごめんなさい、黒野」

茜さんが突然頭を下げた。

「あんな責めるような言い方しちゃって」

彼女の表情は硬かったが、声は申し訳なさそうな、子犬みたいな声だった。茜さんは黒野とは反対に、感情があまり表に出ない人なのかもしれない。

「あ、別にいいよ。むしろ嫌な役回りさせちゃったね。言い出すの、勇気要ったでしょ」

「いや、それは別に」

「・・・そうか」

生ぬるい空気だ。この二人も両極同士何やってんだか。うまくかみ合わない二人にもあきれ半分の笑みがこぼれる。

「ふふっ、楽しいなぁ」

ゆきさんが目を細めて笑った。ふいに自分の体温が高まったのを感じた。おいおい。黙り込んでしまいそうになる自分に抗って、声を出す。

「そうだ、さっき黒野が食べてたケーキ食べようぜっ」

「え、佐野内君甘いもの嫌いじゃなかったっけ?」

「今食べたい気分になったんだよ」

「へー、じゃあ佐野内君のおごりね!」

「わぁーい、やったやった」

「ごっつぁんです」

「いや、茜さん、ごっつぁんですじゃねえわ。何でだよ、いつ決まったんだよ、それ」

「ん~、今佐野内君におごってもらいたい気分になったんだよ」

「唐突だな、おい!」

結局俺は五人分のケーキ代を支払うことになった。黒野に関しては、季節限定の味も食べたいとか言って二つも頼みやがった。あいつ、今度覚えてろよ。



*父と子

「あ~食べた食べた。てか今日波乱の一日だったねぇ~」

「ほんとにな。お前に関しては食べすぎだ。今度ジュースな」

「やだよ~、俺、一人暮らし、金欠なんだよ?」

「こんな時だけそういうの使ってくんな」

 佐野内君は僕の隣で顔をしかめた。あの後、一通りケーキを食べて、なんだかあんまり内容のない世間話をして、今はその帰りだ。何が進んだ?って言われても、特に何にもとしか返せないのだけど、僕はあのどうでもいい話ができる空間が気に入っていた。

「なあ黒野」

「ん?」

佐野内君が支店者を押しながらつぶやく。僕は電車で来たのだけれど、さすがにケーキを食べすぎたのでお腹が苦しく、運動になるかはわからないがもかねて帰りは歩くことにした。前を向いた佐野内君の横顔には夕日が照らされ、少しまぶしそうだった。

「お前、何であんなこと言ったんだ?」

 “あんなこと”の意味はすぐにカフェでの僕の発言のことだとわかった。僕が君たちを引き入れたと、佐野内君たちに揺さぶりをかけたことを気にしているのだろう。

「別にっ。ただ佐野内君たちを脅かしたかっただけ」

「なんでだよ」

「いや、おもしろいかな~って」

「・・・なんだよ、それ」

 佐野内君は一瞬僕に目を向けてから、再び視線を戻した。

「まあいいや」

そういって笑ってくれた。

 ごめんね、佐野内君。

 何でって聞かれたらほんとに身勝手な理由なんだ。僕は君たちを試したかった。ううん、試すって言うより、僕のことを責めきってほしかったんだ。殺人犯だと罵って、軽蔑して、僕を悪者にしてほしかった。そうすれば、罪の意識を少しは感じれるんじゃないかって。殺人犯の僕には、大好きな君に嫌われるのが正しい罰なんだと。本当に勝手な理由。

「お前さぁ、時々中二的な部分あるよな」

「は?」

「自分責めるのが本当に正しいってことじゃねーべ」

佐野内君は間をおいて続ける。

「責めて解決するもんじゃないだろ?それで自分を楽にしてたって、結局は自分の首が閉まってくだけで、何の意味もねぇよ。自責ってのは周りは何にも解決しないんだからな!そんなことするぐらいだったら、俺らに助けてって相談してくれりゃよかったのに。お前は末っ子気質なくせに、甘えるってことが足んねーんだよ」

 堂々と指摘されて、僕は言葉が出てこなくなった。そうか、僕は間違っていたのか。佐野内君のいう甘えとは違うけど、僕は彼らに責められ自分を責めたいと、ある意味彼らの感情に甘えていたのかもしれない。僕は頼り方を間違えていたのか。

「まあ、あれだ。何かあったら声かけろ。お前は一人じゃないんだから」

 そういって佐野内君は僕の頭を二回軽くたたいた。その手はあったかくて、大きかった。僕は小さく笑って、彼に言う。

「佐野内君こそ、さっきから少女漫画の主人公かよ。セリフ、くっさ~」

「なっ、うるせーよ!」

「あーあ、さっきまでかっこよかったのになぁ。“お前は一人じゃないんだから”かーっ、もうヒーローだね!」

 佐野内君の声真似を含めると、彼は「やめろ」と言って頭をはたいてきた。今度は全然優しくない割と強めの手だった、ちょっと痛いぞコノヤロー。

「もう、とっとと帰るぞ!」

「は~い」

この空間が僕はとても好きだった。


*本当の彼女

 いつも乗ってる自転車を置き去りにして、今日は珍しく駅へと向かう。まだマフラーをしないと肌寒い。もうすぐ、三月になったらここの雪も溶けるんだろうな。そんなことを思いながら住宅地の屋根に載った雪を見た。

 ゆきさんと二人だけで出かけるのはこれが三回目くらいだ。一回目は二人が見たいと言った映画を見に行って、二回目はご飯に出かけた。今日はゆきさんから電話があって、茜さんの誕生日プレゼントを買いに行くのを手伝ってほしいということだった。黒野は誘わないのかと聞いてみると、「黒野君には今日は眠たいからいい」と言われたらしい。気分屋のあいつが言いそうなことだ。

 待ち合わせの公園の時計台の下でゆきさんを待つ。時刻は十一時半。小学生くらいの子供が遠くでサッカーをしていた。こんな寒いのに元気だな、と年寄り臭いことを思う。

 ハーッと息を吐きながら手を温めていると、ゆきさんがこちらにやってくるのが見えた。いつもの白いコートに、茶色のロングブーツを履いて。長く下した髪が風になびいて、なんだかくすぐったい気分になる。

「ごめん、待った?」

「ううん、おれも今来たとこです。じゃあ行きましょうか」

「・・・」

急に、頬に暖かい手が触れる。手袋を外した彼女が俺の頬に手を伸ばしていた。暖かい指先が頬に当たって、その柔らかさに驚く。

「え?」

「やっぱ頬冷たくなってるよね。ごめん、こんなになるまで」

「いや、平気です」

平気じゃないと言ったら、平気じゃないけども。今はその手を外してもらわないと、心臓がおかしくなる。

「ごめんね。早くお店行こっか。あ、そうだこのカイロ」

そう言って彼女がポケットから大きめのカイロを取り出す。それを受け取りながら、自分は赤面症じゃなくて心底よかったと思う。朝からハードル高いぜ、全く。


 ショッピングモールに入って、ブラブラといろんなお店をめぐる。靴屋、洋服や、タオル専門店、女の子っぽい雑貨屋などなど。ゆきさんが「かわいい」といったものに俺も同調する。・・・、これではついてきた意味がないような気もするが、ゆきさんが選ぶものは本当にセンスが良いのだ。それも茜さんによく似合いそうな感じの。「これ、茜好きなんだよ~」とか「意外とかわいい系が好きだったりするんだよね」とか、茜さんの存在がゆきさんからよく垣間見えた。

 結局最後に入ったお店のブーツか、最初に見た髪飾りかで迷って、ゆきさんは後者の方を選んだ。深い赤の布地に、木の実の様な金色の球が付けられたシュシュだ。冬のクリスマスをイメージしたデザインで、色の大人っぽさも、飾りのかわいらしさもあって、これなら茜さんも喜びそうだと思った。

 プレゼントを買って、遅めの昼食を食べようと近くのレストランに向かった。俺の知り合いが教えてくれた店で、町から少し離れたところにある隠れ家風のたたずまいだ。注文をして一息ついてから、ゆきさんが満足そうに言う。

「今日はありがと。おかげでいいのが買えました」

「俺は何もしてないけどね」

「いやいや、私あのままだったらずーっと迷い続けちゃってたから。最後の一つは佐野内君の反応が違ったんだよね~」

「うそ」

「ほんとっ。まなと君、ぜーんぶいいって言ってくれるから、ひそかに表情見てうかがってたんだよ」

ゆきさんは紅茶を手に抱えながら、「ふふふ」と笑った。自分では気づかなかったが、顔に出ていたのか。

「まなと君って本当に優しいね」

「いや、優しいっていうか、そんなに否定することが見当たらないというか」

「どうでもいい?」

ちょっとびっくり。ゆきさん、無邪気な顔してけっこう言うな。

「いや、そういうわけじゃないけど。全部いい、みたいな」

「へー、でもそれってそこに自分の意志はあるの?」

自分の意志。言われてみれば、あるような、ないような。どっちつかずな感じだ。

「・・・微妙かも」

「あはは、ついに本音出たね」

ゆきさんは大声で笑った。その表情はなぜか嬉しそう。

「いいね、そういう追い詰められると本音出ちゃう佐野内君好きだよ」

「そっすか」とか平静装って言いつつも、「好き」に反応した自分がいる。おいこら、今赤くなってないよな、俺!

「あ、でも黒野君には結構言うよね」

ゆきさんは思い出したようにつぶやく。その間に必死に、冷たい水を喉に押し込む。

「あ、あいつはなんか別腹って感じじゃないですか」

「あはっ。別腹ね、確かにそんな感じする」

俺の言葉にゆきさんは吹き出した。

「でもこの前のまなと君の言葉、かっこよかったなぁ。黒野君のことほんとによく見てるんだね」

「・・・あいつけっこう危なっかしい感じするじゃないですか」

「そうだね、でも黒野君も佐野内君には安心しきって感じするな」

「どーですかね。ほとんど小ばかにしてる様な気がするけど」

「あははっ、そこは否定しない」

「マジすか」

 意外。ゆきさんって結構周りのことよく見てる。そして時に毒舌。でもそういう彼女の新しい一面も知れたことは嬉しかった。というか、ますますはまっていきそう。

「ゆきさんが人をよく見てるのって、やっぱ小説書いてるのが関係してるんですかね」

すると彼女は少し目を見開き、また目を細める。

「あるかもしれない。今この人はどう思ってるんだろとか空想するの好き」

「妄想ですか?」

「・・・違うとも言い切れない」

ゆきさんは目をそらしながら言った。俺は笑って見せたが、その表情に少しときめいたことは秘密。そんな俺にゆきさんは「笑うな」とたたく素振りを見せる。

「あ、今日更新されてた話、面白かったですよ!」

俺が言うと、途端に彼女は表情を硬くして「もう見たの~」と恥ずかしそうに目をそらした。そして俺はそういう表情にも弱い。多少戸惑いながら次の言葉を繰り出す。

「車掌さんの恋が切なかったです。車掌さん、恋人がいたんですね」

ゆきさんの小説に出てくる気難しい車掌さんは元々主人公ライトと同じ人間だった。彼もまた偶然死者の国へ迷い込み、そこの住人たちに生贄にされそうになった。それを助けてくれた女の子ミユがいて、彼は途端にそのこと恋に落ちた。

「うん、でも今は離れ離れなんだよね」

 ミユと車掌さんは美しい時間を二人過ごした。しかし、それは突然現れた悪魔によって、引き裂かれてしまう。ミユは悪魔の策略によって、住人達に気づかれぬまま生贄として地中深くに埋められてしまったのだ。

「ミユちゃん、あのままずっと閉じ込められてるなんて可哀想すぎます」


「うん、でもミユはそれも全部受け止めてそうしたことだから。彼女はずっと拓斗と過ごした日々を夢で見てるんだよね」

「・・・切ないっ」

「まなと君、感情移入しすぎー」

ゆきさんは言いつつ嬉しそうだった。ふと気になったことを口に出す。

「これ、モデルになった人とかいるんですか?」

「ん~」

ゆきさんは顎に手を当てて、間をおいて答える。

「幼稚園の頃に引っ越しちゃった男の子がモデルかなっ」

「へー。けっこう昔の話なんですね」

「あの時はワーッて泣いたよね。まあ今じゃ顔も名前も覚えてないんだけどね~」

「覚えてないんすかっ」

こんな深い物語になってんのに!俺のツッコミにゆきさんは声を上げて笑って、「も~いーじゃん、この話は」と軽く嘆いた。

 その後は出てきたパスタを、少しずつシェアして食べ、最後にアイスクリームのデザートまで食べた。店に入ったのが二時過ぎで、色々としゃべりながら過ごしていたら店を出るころには日が沈みかけていた。冬の夕焼けは、オレンジ色の光であたりを染める。

 帰る時間が近づいてくる嫌さで、少し遅めに歩く。子供っぽいことしてるのはわかっているが、体が自然とそうなっていた。

「まなと君、見て。これ、桜の木だよ」

ゆきさんが唐突に道脇に植えられた大きな木を指差す。

「春になったらさ、きれいなピンク色になるんだろな~。ねっ、みんなでお花見したいね」

彼女は嬉しそうに話す。今はまだ見ぬ桜の木を見つめるその姿に、時が止まった感覚に沈む。夕日が彼女を赤く染めて、映画の中の世界みたい。ボーッとしている俺にゆきさんは再び「ね?」と声をかける。俺も軽く目を細めて、「はい」と静かにつぶやいた。


*久しぶりの再会

 ある日の平日、僕は初めて学校をさぼった。そんな不良仲間は僕を含めて四人。もちろんゆきさん、茜さん、佐野内君のことだ。今日はみんなでクロ達を見に行く日だった。快晴の空の下、僕らはいつもの公園で待ち合わせてから、栄くん家へ向かった。とは言っても、そのまま近づくのはクロ達を危険にさらすことになるので、あくまで見るだけ。佐野内君の情報によると、栄の家のおばあさんが昼間家の縁側を開けているので、時々クロ達がそこで日向ぼっこをしているらしい。

「ん~いないなぁ」

「出てくる気配もないしねぇ」


 三十分ほど栄の家の前で、立ち止まって長話をしている友達同士を装いながら(それも苦しい気がするけど)、待ち続けたが一向にクロ達は出てこない。

「まあこの気温だしね、クロちゃんたちも寒くて出てこないのかもね」

そういってゆきさんはケータイを見て「ほら、今0℃ぴったりだよ!」と言った。

「確かに、この寒い中これ以上はきつい」

「ん~、でもせっかく学校さぼったのにな~」

 学校さぼることにせっかくも何もない気はするが、それはとりあえず置いといて、「いったんコンビニでも入る?」と呼びかけようとしたその時隣で茜さんのつぶやきが聞こえた。

「いた、窓のところ」

「え!」

と3人ほぼ同時に叫んで、茜さんが指さす方にふり向いた。栄の家の二階の窓から、カーテンに隠れた白い毛玉が動いていた。ふわふわしたしっぽも上下に揺れている。

「シロだぁ!」

僕が叫んだのが聞こえたのか、猫は外のほうへと顔を向けた。つぶらな瞳が、まん丸な瞳が、僕たちを見つけた。シロは少し体が大きくなって、もう子猫はとは呼べない体だった。それでもふわふわした白く透き通るような毛並みはあの時のままだった。

「カワイ―――ッ!」

「でしょでしょ!?」

そう叫ぶゆきさんに僕はうんうんとうなずいた。

「大きくなったなー」

「ほんと、いっそう可愛くなったよね」

佐野内君と短い期間だったが今も残る親心を通わせた。すると、シロが後ろを振り向いたかと思うと、その横に突然黒い毛玉が現れた。

「おぉ!あっちはクロかぁ!?」

シロに続いてクロの登場に、僕らのテンションはさらに上がる。

「あいつもめっちゃでっかくなってる!」

「クロに関してはもう面影にじゃん!」

クロはシロよりもさらに大きくなっていた。ただクロに関しては全体的に横に。

「なんで一緒に成長してあの違いが起きるの~」

「クロ、食い意地張ってたからなぁ」

「でも、かわい~」

佐野内君と僕はゲラゲラと笑いあって(途中少し涙が出てきた)、茜さんとゆきさんも大きさにびっくりして笑い声をあげていた。クロとシロはそのまま十分くらい窓のそばにいた。その後いつものカフェに入って、暖房のありがたみを実感した。



この四人以外に会う人がいない僕は今日のことは退屈な毎日に訪れたとても特別なことだった。その日の夜は目が冴えて、ココアを飲みながら一人テレビを見ていると、十一時ごろにゆきさんからメールが来た。ゆきさんから連絡が来るなんて珍しかった。

{遅くにごめんね。聞きたいことがあって。私たちって周りの人と普通に接して大丈夫かな}

これは返答に困った。今までの結果から僕が原因であることは間違いないが、一つ気がかりなこともある。

{磯貝さんと俺があったこと、偶然なのかがわからないんですよね。もしもの話ですけど、そこにゆきさんを通じて俺が引き付けられたとかいう因果関係があったらとか思うと、ちょっと怖いです・・・。確かめたりもできないんで}

確かめるということは誰かを犠牲にするということを意味するので、うかつに行動に出ることはできない。三人には申し訳ないけど・・・。

{そっか。ありがと。実は茜が一人暮らしするか迷ってたらしくて。念のため引っ越すよう言っとくね}

{ごめんなさい}

{はーい、謝るの禁止(笑)!これは亜希君のせいじゃないでしょ}

{はい・・・。でもゆきさんも友達と距離置くことになっちゃいませんか?好きな人とかいたら・・・}

その後坦々と来ていた返信が止まった。何かあったのだろうか、最後に送った文面が文面なだけに気になった。十分ほどケータイをいじりながら待っていると、着信音が鳴った。

{ごめん、ちょっと電話出てた。大丈夫です~、私彼氏持ちじゃないから~(笑)友達は寂しいけど、茜もいてくれるし!亜希君もまなと君も!}

ホッと息をついて、テーブルの上のココアに口をつけた。甘くて、体の芯から温まった気がした。見ていたバラエティ番組からはエンディングの帯がスライドされていた。うん、たまには素直になってみようか。

{僕もゆきさん達、頼りにしています}

とメールを打ってみたものの、見返してすぐに消去選択した。その後、何回かそれを繰り返して結局{ありがとうございます。そろそろおやすみなさい}とだけ打ち返して、返信を待たずに寝た。慣れないことはするもんじゃない。


*三月十五日

次の日の朝、佐伯先生からこっぴどく灸をすえられ、罰として放課後トイレ掃除を押し付けられた。正直この時期に水回りの掃除はきつい。何でトイレ掃除なんだか、教室の掃除でいいじゃんと愚痴をこぼすと、佐野内君に今日は金曜日だぞと指摘され、黙り込んだ。うちの学校では金曜日は教室掃きに加えて、窓ふきも仕事として追加されるのだった。結果半ばいじけながら、素足に冷たいスリッパで、これまた手が凍りそうなくらい冷たい水と格闘している。佐野内君との会話に口を動かしながら、片手間に掃除の手を動かす。

 佐野内君がデッキブラシで床をこすりながら言った。

「ゆきさんの小説早く読みたいな。今主人公の恋愛事情が切ないんだよなぁ」

その言葉に僕は彼をじっとにらんで答える。掃除の嫌さもあって、少し不機嫌。

「ねぇいい加減どこのサイトか教えてよ」

「ダメ。お前ゆきさんにオッケーもらってないんだろ?」

「もらった、もらった!」

条件反射で答える。すると、佐野内君はフッと口角を上げて「じゃあゆきさんに確認とるぞ」と自分のケータイをひらひらさせた。疑り深いやつめ~。実際許可はもらっていない。話はゆきさんから聞いたのだが“亜希君はへぇ~こんなこと思ってたんだぁとか言ってきそうだからダメ”という何ともひどい想像で断られた。全く僕がそんなことするような人間に見えるかい?

「別にいーじゃん。佐野内君だけ見てるとかずるい~」

「茜さんもチェック済みだ。まあ、最近のはあんまり見れてないらしいけど」

「だったらなおさらずるくない?僕だけ仲間はずれじゃんかぁ」

「日頃の行いを改めるんだな」

「え、そんなの改めるところがないんだけど」

僕の発言に佐野内君は本気で引いた顔をした。いや、何もそんな顔までしなくても。手の冷たさにだんだん感覚がなくなってきて、ある程度終わらせたところで早めに用具を片付けた。佐野内君は「まだやってないとこあるだろ」と言いつつ、片づけをしていた。

「別にいいじゃん、どうせすぐ汚れんだから。それよりも早くいこーよ!二人待ってるよ!」

「連絡してあるから大丈夫だよ」

靴下を急いで履こうとする僕に佐野内君は笑いながらつぶやいた。今日こそは絶対吐かせてやるから待ってろよ、ゆきさん!


 張り切って行った僕らだが、着いたカフェで待っていたのは茜さん一人だった。

もう定番になっている外の寒い席で彼女は一人座っていた。周りに客がいないので、彼女はなおさら寂しく感じた。

「あれ、茜さん、ゆきさんは?」

荷物を置いて、椅子を引きながら茜さんに問いかける。しかし、彼女は顔を伏せ、何も答えない。もう一度「ゆきさんは?」と聞きなおそうとした瞬間、彼女の口元が小さく動いた。

「消えちゃった」

小声で聞き取りずらかったが、そう言った。いや、でも、聞こえにくかったから本当は違う語を言ったのかもしれない。きっとそうだ。

「さっきいなくなっちゃった」

また顔を伏せたまま茜さんがつぶやいた。今度は前よりもはっきりと耳に残った。

「嘘だろ?」

僕の口から零れ落ちた言葉に、茜さんはゆっくりと首を振った。頭を鈍器のようなものでガンッと殴られた感じだった。胸の中で絡まる感情はいっぱいあるのに、うまく言葉にはならない。意味が分からない。どうして?何で?何で?何で?

「ゆき、ほんの三十分前まではここにいたの。でもほんとに突然、少し目を離したら、目の前からいなくなってて。電話かけてもつながらないし、メアドだっていつのまにか消えてて」

茜さんは消えそうな声を途切れさせながら話した。彼女のズボンに水滴がいくつか落ちていくのがぼんやりと見えた。頭の中で消え入りそうな言葉を紡ぐ。感情が交錯して出てきそうになって、少しだけ残る冷静な言葉を奪おうとする。首が締め付けられたように苦しい。

「でも、ゆきさんは、僕と出会って一か月以上たってたよ?冗談でしょ?」

「冗談なんかじゃない!」

茜さんは顔を伏せたまま声を張り上げた。そして声をあげて、泣き出した。うまく呼吸ができなくなった。何も考えられない。波が押し寄せて、限界を突破してしまいそうだ。頭が痛くなって、痛みを押し殺すように頭を抱えた。

「なんで・・・」

佐野内君がつぶやいた。

「私にも分かんないよ!なんでゆきがこんな目に合わなくちゃいけないの!?意味わかんない!」

彼女はひたすらヒステリックにそう叫んだ。僕が耳をふさごうとしても、彼女の声は無理やりに心の奥まで入り込んできた。

「黒野、ごめん。ちょっともう帰ってくれないかな。今私あんたにひどいことしかぶつけらんないと思う」

返答がない僕に茜さんは「ごめん、私が帰るわ」とつぶやき、席を立った。

「まって」

佐野内君が茜さんの腕をつかむが、茜さんは「放して!」とそれを乱暴に払った。立ち止まって泣き顔をこすりながら、茜さんが言う。

「ゆきには恋人がいたんだよ。本当だったら来月結婚する予定だったの。でも、ゆきはその人を殺したくないからって、プロポーズも断って、全部終わりにして。ゆき、ずっとその人のこと思って泣いてた。なのにこんなのってある!?これじゃあゆきは何のためにあんな思いまでして生きてたの?こんなの、ひどすぎるよ」

彼女はしゃくりを押し込めながら、話した。他にももっと言おうとしていたが、泣き声で話せなかった。彼女はそのまま逃げるように去っていった。


 佐野内君も僕も黙り込んだままだった。頭の中でずっと嵐が吹き荒れている。

何でゆきさんだったのか。

どうしていきなりルールが変わってしまったのか。

僕はまた大切な人を殺してしまったのか。

ゆきさんは何で嘘をついたのか。

そんなの決まってる。

僕らに心配かけまいと。

「ぐっ・・・う、あぁぁ」

 耳鳴りがして、僕のうめき声しか聞こえなくなった。視界が歪んで、何にもわからない。わかりたくもない、こんな世界。消えてしまえばいい。この世界も、僕も、何もかも。終わりはひどく突然だった。前触れも神様は与えてくれなかった。やっと手に入れかけていた普通を、友達を、あまりにも簡単に奪って行った。神様は何のためにこの世界を作ったの?大嫌いだ、こんな世界。いや、そんなのどうでもいい。返してよ、ゆきさんを返してくれよ。

風が通り過ぎても寒さなんて感じない。体が火照って、息苦しくて、このまま死んでしまったってかまわない。もうどうなったっていい。

 佐野内君が席を立った。そのまま店を後にした。僕はずっと座り込んだままだった。

 日が沈んで閉店間近に、店員の一人が僕に話しかけてきた。

「大丈夫ですか」「大丈夫です」

もうすぐ終わりにするから。



*残された世界

 いつもと同じ風景。町も人も車もみんな昨日までそうしてきたように、同じことを繰り返している。ここに君だけがいない。誰も気づかない。それは同じような日々であって、同じ日々ではない。だったらもう。

 交差点を曲がり、住宅街へと入っていく。信号を無視して、運転手にクラクションを鳴らされたが、それさえも無視して先へ進む。

 君と過ごした日々が走馬灯のように出てくる。一緒に食べたケーキの味、四人で話したバカな話、俺だけにしてくれた話。本当は忘れられない人がいるってことにもとっくに気づいてたよ。

「私ね、この春結婚するんだ」

実際こういうのあるんだとか思ったけど、もう慣れすぎて何の面白みもない。ただひたすら目的を果たすための場所へと向かう。

 記憶が断片的に戻ってきた。毎回あのカフェで終焉を迎えていくんだな。茜さんの腕をつかんだ時、もっというとゆきさんが消えた、俺たちが掃除をしていた時から失くしたパズルのピースがはめ込まれていくように、現実を思い出していった。正直もう少し、うまくやりたかったが。また今回もあいつを傷つける結末になってしまった。

 見えた、あの赤い屋根の家だ。玄関の鍵は閉まっていた。問題ない。

 家の縁側へと回り、庭のインテリヤとして置かれた池を見る。そこの、ある程度持てるぐらいの大きさの岩を拾い、それをそのまま家の中へと放る。

 ガシャーン。

 大きな音が庭全体に響き渡り、奥の間から母親が「どうしたの!?」とうろたえながら出てきた。続いて祖母、父親の順で外へと出てきた。ゆったりとした動きで彼らに視線を向ける。そして最後に・・・待ちかねたよ。

「え、佐野内君、何してんの」

散らばったガラスの破片をさっと拾い上げる。それを素手でつかみながら彼らの元へ走る。別に早く動く必要はない。失敗などしないし、何回も言った通り慣れ切っているのだから。通行人が込み合った街を通り抜けるように、彼の家族の間を歩く。視線は彼だけを見つめて、そらさぬように。彼の前で立ち止まって、そして最後。

「もう一回やり直しだよ、栄君」

彼の腹をめがけて、赤く染まった手を振り下ろす。

 ドタッ。

首を掻っ切られた彼は虫が死ぬ前にそうするように、もがき苦しんでいた。みるみるうちに玄関のタイルに血が伝って広がっていく。栄の家族が駆け寄る。これは音のない映画だ。

ニャー、ニャー。

そこに鳴き声二つ。クロとシロが開きっぱなしの玄関の扉を通って、出てきた。かわいい。僕は二匹に手を伸ばす。二匹の肌には毛の隙間から赤黒いのが見える。


「またやり直すのか?」

「うん、だって失敗しちゃったし」

「もう、こんなの意味ないってわかんねぇの?」

「わからん」

全ての時が止まった、何もない殺風景な部屋の中で俺は自分自身に問い詰められている。いうなればここは俺の意識の中といったところだろうか。

「もういい加減受け入れろよ」

「受け入れるって何を?」

「もうゆきさんは死んだんだ。それはひっくりかえせることじゃない」

「・・・できるさ」

俺は、俺がため息をつくのを見た。でも、あきらめきれないだろ。

「じゃあそのたびに黒野を犠牲にするのか?黒野だけじゃない、みんなをだよ」

「あいつは、僕が俺の代わりになると言ってくれた」

「それにずっと頼り続けるのか?最低だな」

「・・・うるさいんだよ。俺はただ四人ですっと一緒にいたいだけだ」

黒野、茜さん、そしてゆきさん。三人さえいてくれれば、ずっと三人でいられる世界さえあればそれでいいんだ。現実なんて見たくもない。

「哀れだな。お前も、俺も、この世界も」

「そんなことはわかってる」

俺は再び闇の中へと消えていった。

 さて、じゃあ始めようか。今度はどんな世界にしよう。



*エピローグ

 白く長い廊下を、少しの花束をもって歩いていく。途中で看護師さんとすれ違い、軽く会釈する。ふと窓の外を見ると、桜のつぼみが少し花びらをチラッと見せている。今日は天気がいい。暖かくて、小春日和という言葉がぴったりな気がする。

 そんなことを考えながら、ある病室の前で立ち止まる。彼の病室の名札はもう古くなってきて、油性で書いたマジックが消えかかっている。引き戸を開くと、病室の窓が開いていた。家族の方がいらっしゃったか、看護師さんが開けていったのかしら。植物状態の患者には一日の変化を感じさせることがいいってことを前に話してもらった気がする。

 空いている花瓶に花を活けて、椅子に座る。テーブルの上には、リンゴと今朝の新聞が置かれていた。もう他にすることもないので、新聞に手を伸ばす。見出しは{内閣、またもや解散か}と興味も沸かない政治問題に関することだった。

「はぁ」

一つため息をつく。ページをめくると、今度は世界情勢に関する記事が大々的に載せられていた。もう閉じてしまおうかと思った矢先、ページの隅にあの事件の記事を見つけた。


{同級生殺害事件 被疑者少年、初公判

 また凄惨な事件の裁判が開かれた。この事件は皆さんの記憶にも新しいだろう。まず事の発端は彼の同級生の被害者少年、栄雄彦くん(当時十六歳)が起こした動物虐待事件だ。わが社が取材したところ、栄君は飼っていた猫二匹を刃物などの凶器を使い虐待していた。そしてその猫は元々被疑者の少年が拾ってきたものである。また栄君は被疑者少年の友人である栗山ゆきさん(当時二十歳)をストーキングし、殺害したことが被疑者少年の自白によって判明した。このことはすぐに調べられ、事実であることが確認された。猫を虐待され、友人を殺されたとなると、少年の怒りはどれほどのものだっただろうか。その後彼は栄家に侵入し、栄君を持ち寄ったナイフで殺害した。

 法廷にて少年Aは裁判官からの質問におとなしく答えていた。凄惨な事件ではあったが、あれから一年の月日が流れ、少年にも反省の心が出来たのだろう。しかし、このような事件はもう起こることがないよう、周りの保護者、教師がきちんと声かけをし、若者たちの声に耳を傾けなければならない。※なお、被害者両名は家族の了承を得て、実名表示とさせてもらった}


新聞をテーブルに投げ捨てる。

「くだらないわね」

一言だけつぶやき、彼の寝ているベッドの手すりに腕を枕にもたれかかる。彼の表情はとても安らかで、でも昼寝をしているように気持ちよさそうで。とてもこの一年間眠り続けているなんて信じられなかった。

「佐野内―、この前黒野にあってきたぞ~。お前が目覚ましたか心配してたよ。黒野が帰ってくるまでには元気になってなきゃだからね」

答えはもちろん返ってこない。もちろんとは言いたくないけど、この一年少しも表情や手の動きなどの反応さえなかったのだから。

「もうっ。ゆきになんて言ったらいいのよ。ゆき、今絶対うちらのこと心配してみてるわよ」

「・・・」

「ったく、もー。そんなことしてると三度目の春がすぐきちゃうからね!」

声を張り上げてみても、何の変わりはない。そう、私はただ君に声かけて、君たちが帰ってくるのを待つだけ。どうして二人で何でも決めちゃうかなぁ。佐野内の代わりに黒野が警察に行くってなった時もあたしになんの相談もなかった。

「一人にしないでよ」

瞼が濡れ初めたのを感じて、そっと手でぬぐう。春の風が吹いて、私の髪をすいていった。青々とした空が近くて、窓の外に手を伸ばした。窓の近くによるといっそう日差しが強くて、目を閉じてしまいそうになる。再び暖かい風が吹く。

 やっぱり風は冬のが一番だね、ゆき。

「しょうがない、リンゴでもむいてあげるよ、佐野内!」

私は再びベッドの方へふり向いた。             

{Fin}


読破ありがとうございました。無駄に長くてすいません。今回のはある方に設定をもらったんですけど、そこから私が話をひたすらややこしくしてしまって、結果製作期間が半年(?)になったというわけです。

 でもこれは登場人物たちの性格が濃かったおかげで、楽しくかけました。だんだん中盤くらいになってくると、考えるよりも先に「このキャラならこういうな」っていうのが出てきて、作家さんがよく言う「勝手に動く」というのを少し体験できた気がします。

 その分はじめとあとでちぐはぐ感が残ったりもしますが・・・、そこは勘弁を。前の「自販機」よりもまとまりはないと思います。亜希とまなとの北海道のくだりとか正味意味ないですもんね(コソ)。ただ自分の普段思うことをより詰めれたかなとも思います。それこそゆきが小説書いてる時に言ってたように。ここがあるかないかで、人の心をつかむつかめないも決まってくると思います。だからこの話は特に好き嫌いが分かれるというか、私の人生経験のなさが明白になる作品なんですね!普段ノホホンと生きてるのを、もう少し真剣に生きて、み、ま、す?

 あと、解説を少し。たぶんこれ、話があいまいすぎて最後とかうまく表現できなかった気がするので。結局世界を作っていたのはまなとで、彼は現実では昏睡状態。その訳は皆さんの創造にお任せしますが、そもそもの原因は栄くんがゆきさんを殺したことから始まるんですね。しかし、まなとの世界の栄君はいいこです。彼はまなとの意識によって作られた人間なので、まなとが勝手にいい子に作り替えました。ゆきさんが消えるまではまなとは自身で世界を作っていることに気づいてないです。でも、心のどこかでは引っかかっていて、ゆきさんが殺された三月十五日になると現実の意識に戻ってしまうというあらすじです。現実の黒野君は、栄君に対する佐野内君の罪をかぶって、警察に捕まりました。・・・どこまで行ってもバッドエンドな話ですが、いつか佐野内君が思い出してみんなで北海道行ける日が来るといいですね。

最後に読んでくれた方々、応援してくれてる友達、そして原案くれた友達!本当にありがとうございました!!

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