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不謹慎な生き物

作者: 半社会人

 

 *・*・*

0『T』

 Tは起き抜けに、胸にするどい痛みを感じた。


 それでも、まさか会社を休むわけにはいかない。


 朝食を急いで書き込むと、外に出て、何か郵便物がきていないか確かめた。


 手紙が一通。


 開封して、それを読みふける。


 …………いかん。


 また頭がくらくらしてきた。


 *・*・* 

Ⅰ『一通目の手紙』


 Tへ。


 久しぶりに手紙を書く。


 といっても、知っての通り、文才の無い俺のことだから、何を書けばいいのやら、例のごとく、分かりかねているわけだが……。


 ええーと。


 元気だったか??


 ……小学生みたいな書き方だな。


 いや、精神的には小学生のままだとか、そういう意見は求めてないぞ。


 別に相手の体調を尋ねることは、大人同士の会話でも、おかしくはないはずだ。


 多分。。


 さて、俺の方は……聞いているかもしれないが、半年前、ちょっと体調を崩しちまってな。


 つまり、元気じゃなかったんだ。


 おっと。心配することはねえぜ。


 こうして手紙を書けてる時点で分かるように、もう大分立ち直りつつはあるからな。


 俺はむしろ、T、お前の方が心配だよ。


 妹さんが病気で亡くなってからというもの、ずっとふさぎこんでいたからな、お前。


 俺が何を言っても、てんで耳を傾けなくて……


 一時期、本当にダメかと思ったんだぜ??


 …………。


 うん、ダメだ。


 やっぱり、根が理系だからか、自分の考えを、上手く文章におこせねえ……。


 そんな俺を見て、バリバリ文系のお前は、鼻で笑っているのかもしれないが。


 いつも哲学用語を振り回して、俺の鼻先で、違う世界に飛んでいってたもんな、お前は。


 やれ、クレタ人がどうしただとか、ノエシスとノエマがどうしただとか、イデアがどうしただとか。


 アンチノミ―ってなんだよ、知らねえよ。


 俺には、何かのアンチが楽しそうに寄り集まって飲みをしている姿しか浮かんでこねえよ。


 大学で哲学を専攻しているような奴は、やっぱ、どこかおかしいよな。


 何言ってんのかさっぱり分からん。


 多分上の用語も、てんで関係のない概念を並べただけなんだろうし…………。


 ああ、もう!!


 また、お前に馬鹿にされちまう……。


 ……まあ、あれだ。


 お前が妹さんのことを、ある意味で『ネタ』に出来るくらい元気になったら、本当にいいなと俺は思うぜ。


 この半年、俺は、それをいつも願ってた。


 ……こんなこと言うと、また独特の価値観を持ったお前に、『不謹慎だ』っつって、怒られそうだが。


 さて。


 紙幅が尽きた。

 

 ……また、手紙書くよ。


 *・*・*


 Ⅱ『私の妹』


 私が朝の散歩から帰ると、丁度妹が、食事を用意し終えたところだった。


 母を亡くしてから、もう10年になる。


 自炊含めた家事能力の全てを欠かしている私に代わり、いつも、彼女が私の分をわざわざ、料理をしてくれているのだった。


 便利なので、既に合鍵を渡しているほどである。


 なにせしがないSEでしかない私には、とんと出会いというものがないので、家事をやってくれるような配偶者がいないのである。

 

 多分私がモテナイわけではない。


 ……私の世話の為に、毎日遠路はるばるやってきてくれる妹が、そのせいで私の妻だと誤解されているのは、かわいそうだが……。


 私がダイニングに入っていくと、彼女は顔を上げた。


 「あら、おかえりなさい。」


 「いつも悪いな」


 一応形だけでも、感謝の気持ちを述べておくことにする。


 テーブルの上には、スクランブルエッグと、新鮮なサラダが、盛りつけられていた。


 妹がグラスに牛乳を注いでくれる。


 機械的にそれらに口をつけながら、私はテレビのキャスターが一定の調子で読み上げるニュースを、半ば無意識の内に聞き流していた。


 天気予報に移る。どうやら今日は晴れのようだ。


 雲一つない、青の絵具を一面に塗り込んんだ自然の天井が、私達を見下ろしている。


 庭に開け放した窓からは、カーテンを通して、強い日差しが降り注いでいる。


 平和な朝だ。


 本当に平和だった。


 妹が呆れたように口をだす。


 「またそんなぼーとして……今日も散歩?」


 「ああ。少しは体を動かさないとな。」


 私はスクランブルエッグをたちまち平らげながら答える。


 彼女はため息をついた。


 「まったく……ただでさえ病み上がりなんだから、あんまり無理をしちゃだめよ??」


 「そうだな。」


 目線が新聞に固定されたままなので、どうしても返事が適当になる。


 「ちょっと!!ちゃんと聞いているの!!??」


 妹は、女手で一つで私達兄妹を育ててくれた母に似て、非常に勝気であり、なおかつ世話好きだった。


 つまり、朝のひと時を静かに過ごすには、あまり向いていない。


 「……ふう」


 私はため息をつく。


 壁時計を見上げると、もう7時を回っていた。


 あまり悠長にしている時間はない。


 「じゃあ、すぐに会社に行かなきゃならない兄ちゃんの代わりに、Tの部屋に、これを返しといてくれるか??」


 「『これ』??」


 怪訝そうな声をあげる彼女を無視して、私はそれをしまっておいた二階の自室に駆け上がる。


 ちょっと手間取ったが、割合すぐに見つけると、そのまま急いで階段を降り、彼女に手渡した。

 

 「『これだ』」


 「……なに、これ??」


 「ニーチェ」


 正確に言えば、彼の最晩年の著作の一つだ。


 「あいつに借りっぱなしだったの、すっかり忘れてたんだ」


 「ええ~~。またこんな重そうで、分けわかんない本を……。いやよ。めんどくさい。兄さんが行けばいいじゃない。良い運動になるわよ、きっと」


 おい。


 お兄ちゃんの体を気遣う優しい妹はどこに行った。


 「お前の方が近いから言ってるんだろうが。どうせこの後、すぐ家に帰るんだろう??」


 「まあ、そりゃそうだけどさ」


 妹が、口を不満気にすぼませる。


 私は肩を竦めた。


 「どうしてTって、こんな陰気そうな本ばっかり読むのかしら」


 「そりゃ、それがあいつの性分なのさ」


 「でもそのせいで、変なことばっかり言うじゃない、あの人」

 

 鼻をふんと鳴らす。


 「もちろん、無理にとは言わんさ。だが」


 どのみち私は、そろそろ出かけなかければならない。


 そんな私の様子を察したのか。

 

 「……分かったわよ」


 我が妹は、そう呟いたのだった。


 「返せばいいんでしょ!!返せば!!」


 ……嫌われてるなあ、T.


 *・*・*


 Ⅲ『二通目の手紙』


 Tへ。


 この前貸してもらったニーチェだけどな。


  やっぱり、意味が分からん。


 ただ難しい言葉を並べたようにしか、俺には思えなくてな……。


 まあ、文系脳と、理系脳の、違いということだろうか。


 仕方ない。


 俺の妹が返しに行ったから、また、例の難解な思想をこねくり回すことにでも使ってくれ。


 閑話休題。


 ……さて。


 はっきり言ってしまえば、特に書くこともないんだが。


 まあ、せっかくこうして手紙を出していることだし、思い出話でもしておくか。


 お前と俺の、思い出話だ。


 前の手紙に、『不謹慎』って言葉を書いたけどな。


 いっつも難しい本を読みふけっているせいかね。


 T。


 お前は妙に独特なことを考えるくせがあったが、『不謹慎』って言葉に関しても、やけに不思議な考え方を持ってたっけな。


 確かに俺も、週刊誌やネットの匿名掲示板で、『不謹慎』な話題が羅列されているのには、眉をひそめることがある。


 だけどな。


 お前は、その言葉に。


 というよりも、その概念に。


 過剰に反応しすぎだ。


 そんなことだから、悩まなくていい問題に、頭を悩ませるんだ。


 例えば、大方の普通の感性を持った人なら、自然災害の被害者や、障がいを抱えた方、あるいは難病の人。


 そういった方々に対しての差別的な発言や、ネタにするような発言に、眉をひそめはするだろう。


 そういった方々への侮蔑的な発言は、人の気持ちを踏みにじる、最低の行為だ。


 けどな。


 お前は、『眉をひそめる』範囲が、大きすぎる。


 以前、お前はこういったよな?


 俺達は『生きているだけ』で、誰かしらに対して『不謹慎』であり、誰かしらを『傷つけている』と。


 確かにそうだろう。


 俺はミステリが好きだから、それを例に挙げさせてもらうとしようか。


 それは、基本的に、密室やら不可能犯罪やらで、盛り上がるエンタメだ。


 命を軽く描いているわけだから、当然、それを不快に思う人もいるだろう。


 実際の犯罪事件の被害者、殺人事件の遺族達が、ミステリを読んで傷つくことは、十分に考えられる。


 別の例を挙げよう。


 世の中には残念なことに、見た目の『美醜』が存在する。


 何が美しく、何が醜いという区分はともかくとして。


 『美しい』、『醜い』という価値観そのものは、普遍的だ。


 だが、容姿に優れている人間が、この世の大勢を占めているわけじゃない。


 「ブサイク」の言葉に傷つく人間もいるだろう。


 それが、自分ではどうしようもない、生来のものだから、当然だ。


 「デブ」だとか、「ハゲ」だとか。


 他にも、人を傷つけうるものは、いくらでもある。


 だがな、T。


 それらは大抵、大方の人が『許容』している、あるいは、一々『不謹慎』だなんて、騒ぎ立てたりしないものなんだ。


 俺が思うに、そういう『不謹慎』さ、あるいは『人を傷つける』性質は、ある程度、自己防衛の表れであるんじゃないか??


 人間、いつでも優しくなれるわけじゃない。


 本来的に、人は脆いものなんだ。


 だから、自分を守る盾として、恐らく誰もが、人間の『本能』として、他人に対する『攻撃性』みたいなものを持っている……。


 もちろん、それが行き過ぎると、『不謹慎』なことになってしまうんだろうが……。


 ……いや、もちろん、お前はそんなこと百も承知だったな。


 俺が考えるようなことなんて、恐らくお前お気に入りの、古今東西の哲学者が既に論じたことなんだろう。


 お前は、それらを分かった上で、それでも、人を傷つけるそれら『不謹慎』さが、許せないんだったな。


 簡単な問題だ。


 お前は、本能として備わっている、それら『不謹慎』さが許せない。


 一方で、『全ての人間に配慮して生きることなど出来ようがない』。


 例え、どんなに気をつけて生きようとしてみたところで、生きていること、それ『自体』が、誰かを傷つ得るんだから。


 お前はよく悩んだ。


 考え考え考え抜いたもんだ。


 ……馬鹿だよ、お前は。


 *・*・*


 Ⅳ『Tの部屋』


 「……これ、返しとくわよ」


 家の鍵を開け、あたしはTの部屋に入る。


 丁度通勤時で、外からは、歩道を行き交う、人々の声が聞こえてくる。


 鈍い足音で向かうサラリーマン。


 元気で湧きたつ小学生達。


 もちろん、Tの姿もない。


 埃をかぶった本棚をかきわけ、あたしはその本を無理やり押し込むと、そそくさとその部屋を出た。


 あまり、ここには居たくないのだ。


 お兄ちゃんが、こんなこと頼むから、仕方なく来ているに過ぎない。


 ……あたしのお兄ちゃんはやさしい。


 なんだかんだ馬鹿にすることが多いけど、それは、なんていうのだろう。


 照れ隠し、みたいなものだ。

 

 あたしがもの凄く困って落ち込んでいる時にも、必ず助けてくれたから。


 出来るだけ、役には立ってあげたい。


 あたしはハンカチで目尻を軽くぬぐう。


 すると。


 ピンポン♪という、軽快な音が鳴り響いた。


 あたしは、はっとして玄関を見る。


 ……まずい。


  *・*・*


 Ⅵ『復帰』


 私は、駅から徒歩20分かけて、会社のオフィスにたどり着いた。


 汗が額をしたたり落ちる。


 暑さのためか。


 あるいは、体調が回復したてのせいか。


 余り快適とは言いがたい。


 「あら、大丈夫だったの?Kさん??」


 狭い自分の職場に腰かけると、同僚のBが声をかけてきた。


 私は出来る限りの笑顔で答える。


 「いやいや、もう大丈夫ですよ」


 「びっくりしましたよ。なんせ、あんなに元気だったのに、突然ねえ……」


 どうもおばさんというのは話が長い。


 ここは適当に相槌をうって、乗り切ることとしよう。


 「お!!k。久しぶりだな」


 しかし、私がBを軽くいなしている間にも、他の同僚が次々と話しかけてくる。


 ……まあ、心配してくれるのはありがたいのだが。


 ほどほどにしてくれないと。


 また、あのときのショックが戻りそうだった。


 *・*・*

 

 「あら……」


 玄関を開けると、Vが居た。


 近所に住んでいる主婦で、せんさく好きなおばさんだ。


 『不謹慎』を嫌うTが、一番嫌がるタイプの人間だった。


 「あらあらあら。もう大丈夫なの??」


 それでも、殊勝な言葉をかけてくる。


 「はい、もう大分楽になったので……」


 「突然のことだったものねえ……」


 そう言って、露骨にそちらに話を誘導しようとする。


 私はせいいっぱい腹に力をためた。


 「確かに、最初はびっくりしますしたが……」


 「でもねえ。『奥さん』……」


 意地悪い目が、あたしを睨んだ。


 *・*・*


 Ⅶ『三通目の手紙』


 前回の手紙は済まなかったな。


 今度また、哲学書でも貸してくれよ。

 

 少しでも、お前の考えを理解したいんだ。


 ……でもな、T.


 本当はこんなこと書きたくないんだが。


 やっぱり俺は、お前のことを馬鹿だと思う。


 T、お前は考えすぎだ。


 確かに。


 人間、全ての他人に配慮して、生きることなど出来ようがない。


 そして、本来本能として、人間はある程度の『攻撃性』みたいなのを、抱えている。


 自分を守る盾として。


 その『不謹慎』さは、とても見苦しい。忌まわしいものだ。


 でもさ、T。


 やり過ぎが良くないことは、俺も同意するよ。


 『不謹慎』な発言は、大抵人を傷つける。


 大抵、誰かの心を脆くする。


 だけど、さ。


 例え人間が、そういう悲しい生き物だとしても。


 そういう、『不謹慎』の危険さ、とでもいうのかな。


 そういうのを全部理解した上で。


 みんながみんな納得した上で。


 最大公約数的に、ある程度『許される』範囲まで振る舞うのなら、別に構わないんじゃないか??


 否定的な側面しか、お前には見えないのかもしれないけどな。


 例えば、死にかけの老人がさ。


 それでも『不謹慎』に『死』について口にすることは、むしろ希望を生み出しはしないだろうか??


 きちんと見極めた上で考えるならさ。


 俺は、『不謹慎』さの中にも、ある種の希望があると思うんだ。


 少なくとも。


 今の『俺』は、そうなんだ。


 なあ、T。 

 

 *・*・*


 「ご冥福をお祈りします」


 彼女はそう告げて、意気揚々と帰っていった。


 あたしは歯ぎしりをする。


 このババア……。


 家の玄関を閉めると、そのままソファに倒れこんだ。


 疲労がかなり溜まっていた。


 何しろ、数か月ぶりに部屋に入ったのと、Tに関して指摘されたので、かなり心にきていたのだ。


 もう一度、お兄ちゃんに励ましてもらった方がいいかもしれない。


 お兄ちゃんは、精神的に強い。


 大親友をなくしたっていうのに……。


 「あなた……」


 あたしは、気がつくとそう呟いていた。


 *・*・*


 なあ、T.


 お前は否定するかもしれない。


 でもさ。


 俺は、久しぶりに、心身ともに健康になって、会社に行くことが出来たんだ。


 お前のことで、体調を崩していたのにさ。


 …………T.


 『死んだ』お前が、『生きているように』手紙を書くなんて、『不謹慎』なことをしているけど。


 いや、そんな『不謹慎』なことをしているからこそ。


 俺は、元気になれたんだ。


 ……これは俺の自己満足だろう。


 それでも。


 俺はその中に、希望を見たい。


 *・*・*


 了。













 





























  



 

 


   






































































































 

■あとがき

 意図していたことは、作中に書いた通りです。


 心理学やら社会学に通暁しているわけではありませんが、人間は、多分、本来的に弱い、自己防衛の為に、『不謹慎』になるところがある生き物だと思います。

 もちろん、人により、程度の差はあるでしょうが……。




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