第八話
七月二十七日。午前十時二十分頃。
自室のベッドに寝転がり、スマホを片手に暇を潰す。何時もと違うところは、僕が寝間着でないところだ。
今日、外に出る予定では無いが来客が来る予定だ。それも、もう少しで。
「陸、先生が来たぞー」
一階から呼ばれ、僕はベットからゆっくりと離れるとポケットにスマホを仕舞いこみ部屋から出てリビングに向かった。
リビングに訪れると、既にそこには一人掛け用ソファに担任の天野先生が腰かけていた。その先生の左側の長いソファの手前に父が座っている。
「こんにちは、橘君」
「ども」
ニコリと笑う若い天野先生に僕は小さく頭を下げる。それから、父の隣りに行きソファに座った。
今日は家庭訪問だ。
普通は、生徒の学校生活・態度を保護者に伝えたりする為の行為だが、生憎と僕は一ヵ月も学校に通わないまま不登校になったのでその手の話はほぼ出来ない。
だから、不登校の僕は何かしら注意を受けると思って背筋を伸ばし身構えていたが、そんな事は無く天野先生は淡々とこのままでは何時留年が決まるのか、そして最低限どんな事をすればいいのかを教えてくれただけだった。
「兎に角、夏休み明けからは授業に出席して、やっていない課題も各授業担当も出すのが遅れてもいいと言ってくれているのでこれから少しずつやっていけば進級は出来ます」
「そうですか。それじゃあ、後は陸次第ですね」
「・・・・」
まただ。
また父は僕に放り投げる。選択を無理強いさせない。せめて、学校に行こう、の一言も言わない。言われたところでそれもそれでやる気をなくすだけだが。
「それでは、僕はこの後も家庭訪問がありますのでこれで失礼いたします」
天野先生はソファから立ち上がり、そして思い出したかのように、あ、と声を零す。
「そう言えば、新見さんが補習授業に出ていなくて何か聞いてませんか?コレから行くので別に聞かなくても良い事なのですが、もしかすると急用で何処かに行っている何てことも有り得ますし」
「え・・・いや、知りません」
僕は動揺しながらも答える。
天野先生は、僕の動揺とは正反対にそうですか、と僕の返事を受け取りそそくさと鞄を手にしてリビングから出ていく。その後を父が追いかけ玄関を開く音が聞こえたが、何か遣り取りをしているようで閉まる音は一向に聞こえてこなかった。それから、一分ほど経つと扉が閉まる音が聞こえ直ぐに父は戻ってきた。
リビングに入ってくると、父はテーブルに置かれた三つのコップをトレイの上に置き直しながら口を開く。
「空ちゃんと何かあったみたいだな」
父は疑問を持つことなく、決めつけるように真っすぐに僕に尋ねた。しかしそれは決めつけでなく、事実だ。僕は数拍置いて返事を返す。
「・・・まぁ、あったのは確かだよ」
「あんまり傷つけることはするなよ。空ちゃんもデリケートなんだから」
そう言い、父はトレイを持ってキッチンに足を運ぶ。
傷つける事はするな、と言われても、もう既に空を傷つけている事を僕は自覚している。今までずっと隣りにいた一人なのに、あんな事を言ってしまったのだから。
次に空と出会う時に、一体どんな顔をして会えばいいのかも分からないし、一体どんな言葉をかけていいのかも分からない。
ソファの上に足を持ち上げ、両膝に額を付ける。
でも、あんな事を言った癖に、僕は今更になって罪悪感に苛まれていた。いや、先生の言葉によって明確にそれに気が付いた。
こんな事になるのなら、初めから言わなければよかった。あの時も、もっと、後悔のしない言葉を選べばよかったのに。
家庭訪問から数日後。暦は八月に入り、夏の暑さが一層増したように感じられる。
僕の部屋にはエアコンなんて付いて無い為何時も惰性でやってしまうゲームも熱が籠って熱くなるので触る気なんて起こらず、リビングで快適に過ごしていた。
丁度僕の背丈位の長さのソファに寝転がり、目はテレビとスマホの画面を往復する。
課題は遅れてもいいと言っていたので、結局やっていない。でも、多分天野先生の言葉を聞かなくてもやってはいなかっただろう。僕の頭の中に既に進級という言葉は無くなっていた。
「あー・・・暇だ」
スマホを持った手をだるんと下げ、指がフローリングの床に触れる。
チラリ、とリビングの壁に掛けた時計を見やると丁度十一時五十分だった。もう直ぐ正午だ。
やる事も無いので、早めの朝食にしようと僕はソファから立ち上がりキッチンに向かう。食器棚の下に置いた引き出しインスタントラーメンが詰まった三段チェストの一番下の棚を物色する。
特にインスタントラーメンに好き嫌いは無いが、今日の気分はあっさりと食べられるようなものが良かったのでその手のラーメンを選んだ。
インスタントラーメンを片手に食器棚から丼を取り出し調理台に置くと、キッチンの下から片手鍋を取り出し500ml水を注ぎIHの上に置いて電源を入れる。
その間にインスタントラーメンの袋を開けて、食事中に飲むようにお茶を入れて暫く待つ。鍋に注いだ水は直ぐに熱湯になり、その表面から白い湯気が立ち始めた。
袋から乾麺を取り出し、熱湯が飛ばない様にゆっくりと斜めに入れる。それからもう暫く時間が経つと、同封されていた粉末だしを入れて箸で麺を解しながら混ぜ、冷蔵庫から卵を取り出して粉末だしが溶け込んだことを確認して卵を割って入れる。
屋台や本格的なラーメンでなく、チープなインスタント麺の香りが漂う。それが僕の食欲をそそり、後二十秒程度待たなければいけない工程を省略して丼の中にだしと麺を移しいれれば完成だ。
「うし、出来た」
僕は箸を突き刺した丼とお茶の入ったコップを片手ずつに持ってリビングに戻る。散らかったキッチンの前の机の空いたスペースに丼とコップを置き、早速ラーメンを啜り始める。
丁度、時計も正午を知らせ付けっぱなしのテレビ番組は新しいものに変わる。僕は横目でテレビを見ながらラーメンを啜り続け、十分もすれば端に麺が絡まなくなり食事が終わったことを悟った。
ふぅ、と一呼吸すると僕はコップに残ったお茶を口に流し込む。
カン、とプラスチックのコップを机に軽く叩きつけ丼とコップを持って立ち上がろうとする。
「ん・・・?」
立ち上がろうとする僕の視界に、一つの手紙が目に入った。白い封筒に入った手紙で、恐らく宛先として僕の名前が書かれていた。
触れていた食器から手を放し、僕は手紙を手に取る。裏側には僕の名前だけ。表側を見ても差出人の名前は無かった。
「開けても、いいよな?」
誰に尋ねている訳でも無く、けれど素直に開けていいものか迷いつつも僕は結局手紙を手にしたまま自室へと戻りペン差しに一緒に混ざったハサミを取り中身を切らないように隅っこを切り抜く。
切った部分を下に向け、手を添えてから揺すると青い便箋が出てきた。
封筒は無造作に本来の業務を暫く成していない勉強机の上に放り投げ、僕は四つ折りにされた便箋を開く。
『元気にしてるりっくん?』
僕はその一行を呼んで、呼吸が止まった。