第六話
清々しい朝。
鬱陶しい朝。
どちらでも無い、胸が浮いたような漠然とした違和感を覚えながら僕は目が覚めた。目覚めの気分は良くも悪くもない。ただ、ハッキリと頭は覚醒している。
痛みが走っている訳でも無いのに頭を押さえつけ、僕は胸の違和感を出すつもりで大きく息を吐いた。
結局、僕は昨日も学校に行かなかった・・・・・・。空が無理やり言いつけた言葉を破り、守る義務も無かったのにチクリと胸が痛む。
額を押さえたまま僕は枕元をまさぐりスマホを手にし、液晶を明るくする。『07.23sat 08:45』と表示された。
もう世間は夏休み。とは言っても、高校生は補習をしているところが多く、確かうちの学校もその例に当てはまっていたはずだ。室内でも暑苦しいこの時期にエアコンの効かない通学路を辿ってよくぞコンクリートで固められた建築物の中に閉じ籠れるものだ。
何だが何時もより口が悪い。
自分でもそう思いながら、僕は方向性の無い憤りを感じた。しかし、その感情は当然行き場も無く僕の胸でもがき留まる。
そんな折、一階から『ピンポーン』というインターホンから鳴る電子音が鳴り響き床越しに僕の耳に入った。
ああ、出ないと。
そうは思うが、僕の起こした行動は視界を天井から扉のある壁に写しただけ。寝返りを打っただけだった。
まぁ、いいか。
『ピンポンピンポンピンポーン』
「うるさっ」
よく無い。こんなんじゃ全然落ち着けない。
それに、こんなに連打するという事はインターホンを押した人物にも心当たりがある。よく知った仲でもないとこんな事をするはずがない。
僕は勢いよく体を起こし、部屋から出てドタドタと階段を降りると、未だなり続けるインターホンを無視してリビングを抜け裸足のまま玄関につくと鍵を開けてドアノブを捻り押し開ける。
すると、玄関先には長い髪を後ろのやや高い所で纏めた空がいた。補習に行く途中なのか、服装は制服の夏服だ。
空はぶすっ、とした表情を浮かべて顔を斜めに構え瞳だけを動かして僕を鋭く見てくる。如何にも不機嫌な顔だ。
「・・・陸」
空は数拍置いて僕の名を呼ぶ。
「・・・何だよ」
僕はまぁまぁの目覚めから最悪の目覚めに移り変わった性で目を細めて声を低く応えた。すると、空は僕と同じ位に細くした目で暫く僕を見据え、しかし何も言わずに藍色の瞳だけを下に落とし玄関先の床においていた紙袋を手にして僕に差し出す。
「これ、夏休みの課題」
「・・・ありがと」
機嫌が悪いものの、僕は確りと感謝は述べて受け取る。ズシリとした重量感。中々多そうだ。自分のものだと言うのに、僕は他人事のように思いながら紙袋を床に置いた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
空と僕の間に無言が続く。
此処で、会話を切り上げてお互いにやりたいことを―――空は学校に行き、僕は無駄に一日を過ごせばいいだけなのに何となくこれで終わらない雰囲気を感じた。
僕は直ぐにその違和感に気が付き、理由も思い出す様に浮かぶ。そう言えば、普段空が家に来た時に、決まって空から離れていく。じゃあね、またね、なんて言葉を言って。
それと比べれば僕は真逆の性格。動かずに、来るも去るも拒まず。じゃあね、なんて言葉は言われないと中々言わない積極性の無い人間。唯一、自分から向かっていけるものと言えば絵を描くことくらいだ。
だから、今ここでどうやって切り上げればいいのか戸惑った。そして、じゃあ、と言って扉を閉めればいいんだ、と気が付く頃には空が口を開いて僕の名前を呼んだ。
「陸ってさ、そのさ」
それから、また少し間が空いてもう一度僕の名を呼び、言い淀む。何時も言いたいことをハッキリと言うそんな空が珍しくて、僕は先ほどまで感じていたイライラも消え失せ入れ替わるように興味と心配が入り混じった感情を抱く。
「あたしの声、聞こえてるのかな」
「は?」
空の良く通る声は一字一句聞き落とすことなく耳に入ってきた。だからこそ、自分の耳を疑い疑問が過った。というよりも、その言葉の意味が純粋に分からなかった。
「あたしが、どれだけ陸の事心配しても、声をかけても、どんなことしても、全然陸は変わらない。あの時からずっと、陸は止まったままだよ」
空の声は徐々に震えだし、地面を見つめる瞳からは一つ雫が零れた。
僕は呆気にとられたように動けず、どう声をかけていいのかもわからなかった。
「あたし、陸が学校に来ない時や、陸が絵を描いてる姿を思い出した時、陸の事考えるたびに思うんだ」
そして、空は言い放つ。
「あたしが死ねばよかったんだなって」
バンッ、と半開きの扉を勢いよく開くところまで開けて僕は玄関から飛び出ると空の両肩を握り締める。薄い制服に皺が入り、空は僕がいきなり体に触れたことで半歩下がった。
自分が今どんな表情をしているのか。
それを、伝えてくるように空は僕の顔を見上げて、とても見れないとばかりに顔を背けた。
怒り。
イラといて荒んだ心とは違う、明確な憤怒の情。僕はそれを、空に対して抱いた。
空の肩を掴んだ手に力が入る。
「・・・いたっ」
「・・・・・・ッ」
痛みに顔を歪める空。涙を流したばかりで、赤くなった瞳が垣間見えて僕の体は硬直した。しかし、それでもこの怒りを何かにぶつけなければ気が済まなかった。吐き出さなければ爆発してしまいそうだった。
空の肩から手を放し、僕は呟く。
「帰れ」
空は驚いたように顔を上げた。そして、僕の言葉が受け止められなかったのか、空は動かなかった。でも、僕は今すぐ空の姿を視界から消したくてもう一度声を震わせて告げる。
「もう、此処に来るな。帰れ」
「・・・陸、」
「早くっ!」
何かを言いたげに僕の名を呼ぶ空。しかし、僕は怒声を返しビクリ、と空が肩が上がった。
それから、空は僕の顔を数秒見つめて足早に去っていった。タンタン、と道路に靴がぶつかる音がどんどんと遠くなってやがて聞こえなくなる頃に僕は家に戻り、確りと鍵を閉めた。
フローリングの床を歩く足に力が籠り、何時もより大きな足音を立てながら僕は部屋に戻る。
玄関には空が持ってきた夏休みの課題が入った紙袋が残されたままだった。