第七話
八月十五日。月遅れの盆。
この間も海の墓参りに行ったけど、初盆ということで僕はまた海のお墓に行く準備をしていた。
「陸、準備出来たか?」
「うん。何時でも行ける」
夕方に帰ってきた父も海の初盆に行く。僕らは家族ぐるみで付き合っていたので僕が行くと行ったら自分も行くと言い出したのだ。
それから、二人で玄関から出て僕は家の駐車場に停まっている車の助手席に乗り込み、父が玄関の鍵を閉めた後に運転席に座った。お互いシートベルトを締め、それを確認した父はエンジンをかけて駐車場から車を出す。
「空ちゃんはもう行ったのかな?」
「あいつは自分所のお墓参り合っていないよ」
「そうなのか。でも、空ちゃん律儀だから明日とかに行きそうだけどね」
「まぁ、そうだろうなぁ」
昔とは全然変わってしまった空だが、礼儀正しさと律儀なところ、それと優しい所は変わらない。今となっては多少ラフな所が目立つが、基本的に空は人の事を良く考えている。
それから、時折会話を交えながら道を進み十分くらいすると目的地に着いた。墓地から少し離れた処にある駐車場に車を停めて線香と蝋燭、ライターの入ったビニール袋を手にして車から出る。
外は徐々に赤くなりつつあった。
「一先ずお母さんのところから行こうか」
「うん」
五年前に亡くなった母の墓に行き、線香を上げる。以前、この墓地に来た時にも此処の近くを通りがかったけど、不登校の自分の姿を見せるのが嫌でこの前に立つのはためらいがあったけど、今はその気持ちは少し和らいでいた。隣りに父がいるのと、今日がお盆という事もあったが、自分自身の気持ちが前向きになっているのだと思う。
手を合わせて目を瞑る。
毎回、この時に僕は何も考えない。何を考えればいいのか分からないからだ。元気です、とでも言えばいいのかもしれないが、元気じゃなかったら多分ここにはこないはずだとも思う。
けど、今日はある考えが脳裏に過った。
『そっちで海は何してる?』
母に尋ねる事は、母の事では無かった。確かに、母は大事な人で大切な人だという認識はあるけど、自然とそんな事を考えてしまった。考えるにしても、海の墓に行って、海に直接聞けばいいだろうと直ぐに考え直して、再度無心になり手合わせる。
『海、元気かな?』
でも、やっぱり考えてしまう。海の事を。
不謹慎なのかな、と思いつつ父が手を下ろす気配がしたので僕も両手を離し下げる。それから、父は「お墓の掃除をするからその間に海ちゃんとこ行っておいで。俺も後で行くから」と言って雑巾をかけたバケツを持って水を汲みに行ってしまった。
そう言われたら、一人で行こうか。僕はポケットに手を突っ込んで、以前とは違い淀みない足取りで海の墓場まで行った。
千葉家之墓、と書かれた墓石の両端には前に来た時とは違い白と青と黄色の花が添えられていた。きっと、海の両親が供えたものだろう。お墓も綺麗になっているように見える。
燭台に先ほど母のお墓で使ったロウソクを立てて火をつける。ビニール袋から線香の入った箱を取り出し、中から一本線香を出して半分に折り端を日に近づける。先が赤く染まり、燃え上がると手を引いて空いた手で線香を仰いで火を消すと線香の先が赤いまま細い煙を上げた。
線香立てに線香を寝かして置いて僕はビニール袋の穴に手首を通して手を合わせる。
「・・・・・・」
何故か、この時は母の時と違い何も思い浮かばなった。何だか直接元気か、なんて聞くのは恥ずかしいと考えてしまったからだと思う。
そして、手を離してポケットに手を突っ込むとカサリ、と何かに手が当たる。思い出したかのように僕はそれを手に取り引き出すと青い便箋が僕の指に摘ままれていた。
「・・・これ、貰ったときは吃驚したよ。でも、前にもこんな事があったよな」
小学生の時、母を亡くした時も海から手紙を貰ったことがあった。纏まりの無い文章を書き綴り、一生懸命に僕を励まそうと言う意思だけは伝わってきた。手にした手紙を見て、この手紙からも同じような意思が籠められているような気がする。
海、とポツリと彼女の名前を呼ぶ。当然返事は無かった。
目を瞑り、あの時の光景が蘇る。
『じゃあ、何時か描いてね』
「約束、守るから」
あの時の゛何時か゛はもう直ぐそこに来ている。その地点を過ぎれば、もう二度とやってこない。僕はそう思い、海の前で誓った。
自室。絵の具や水を零してもいいように床に新聞紙を引いて、久々に押し入れから出したイーゼルにキャンバスをたてて僕は向き合う。
それから、テーブルの上に置いた様々な色で汚れた木のケースを開いて左手に色褪せた色彩がこびり付いた木のパレットに親指を通す。
「・・・・ふぅ」
久々に絵を描く。
前は、シャーペンすら持てなくて授業をサボる事もあったけど今日はいける気がした。ケースから布に包んだ十本纏まった同じ形の筆を取り出し、布を敷いてテーブルの上に広げる。同じ形と言っても、毛に浸食した色が各々若干違うので使い慣れた僕には直ぐに違いが分かった。
ほんのりと青い筆に手が伸びる。まだ、絵の内容は浮かび上がっていなかったが常日頃書いていた゛海゛の絵を描くときの癖だ。
筆にもうすぐ触れる。その時、僕の手に壁が当たったかのように進行が止まり、腕は空中で凍り付いてしまった。そして、寒くも無いのに手が震えだす。
落ち着け。落ち着くんだ。
目を閉じて思い込み、もう一度目を開く。手はまだ震えて、思う様に動かない。
♪~♪
「・・・・・・はぁ」
溜息を吐いて、僕は腕をひっこめた。指を通したパレットもテーブルの上に置いて、ベッドの上で充電器を刺して寝かせたスマホに手を伸ばす。画面を見ると、空からのメッセージが届いていた。
『今から会える?』
そのメッセージを見て、僕はスマホに表示された時間を確認する。七時過ぎ。遅くは無いが、日も暮れてもう夜になっているので出かけるのには遅い時間帯だ。
ただ、僕が気になったのは時間よりも、空の台詞だった。何時もなら、何かしら理由を確りと話す空なのに、今送られてきたメッセージには目的が明確に記されてなくて違和感がある。
『大丈夫だよ。空んち行けばいい?』
『さっき家に帰ってきて、今海のお墓参りに行って外出てるからそっちに行くよ』
『分かった。準備しとく』
スマホから充電器を離してポケットにしまう。
今から出かけるとなるともう今日の処は絵を描くのはよしておこう。そう考えて、先ほど震えていた右手を見ると既に震えが引いていた。
「まぁ、ある意味タイミング良かったか」
あのまま、僕が筆に触れることが出来たか出来なかったかは分からない。粘れば持つこと位は出来たかもしれないし、あの右手の感覚を思い出すと触れる事さえ出来なかったことも有り得る。
どうやら、僕はまだ海に対して、絵を描くことに対して何か引っかかるようなことがあるようだ。
それを払拭するには、もう少し時間がかかる。
でも、僕は誓ったんだ。
彼女の絵を描くことを。